第3話


 完全に凍り付いてしまった引田を、再生させるかのように。


「さて! 引田も来た、全員揃ったところで――二年F組緊急クラス会議を始める!」


 突如教卓の前へ躍り出た、坊主頭の男子――野球部主将、楠本が。力強く黒板を叩いた。

 それが合図であったかのように、生徒たちは誰と相談し合うでもなく教室のドアを閉め、窓に鍵をかけ、カーテンを閉じる。

 誰が指示したわけでもないのに、彼ら彼女らは自分の机に戻ると背筋を伸ばして席に着く。奇妙な連帯感をもって、今この教室は生徒だけの〝会議室〟となった。


「単刀直入に聞くぞ。……今日、委員長は三時間目の途中から来た。遅刻だ。あの委員長が。加えて、あの大幅なイメチェン……誰か、なにか、知ってるやつはいるか」


 議会を仕切るのは、クラスの中心人物である楠本。姿勢よく座ったF組メンバーを順番に眺めまわすが、誰も発言する者はいない。

 楠本は一度目を閉じると、重苦しくうなずいて続けた。


「……いいだろう。なら、次だ。この〝問題〟の解決についてだが」


 〝問題〟の四文字その口から飛び出し、教室に満ちる緊迫感は一層張りつめたものとなる。

 そこで、引田はおずおずと手を上げた。


「あの、議長」

「引田功介。何か」

「えっと……いや、委員長のイメチェンには、まあ、びっくりしましたけど。でも、その……これって、なんか問題なんですか? こんな相談するほど……」


 楠本が目を丸くした。だけでなく周りの席からも、戸惑いの声が次々に漏れる。

 何かまずいことを言ったかと冷や汗をかく引田――しかし楠本は、そこでポンと手を打った。


「あ、そうだ。おまえ転校生だったな、そういえば」


 その言葉に張りつめていた空気はほどけ、「そうだったね」「あー、引田くんなんかもう普通に馴染んでるから忘れてた」「というより、影が薄い」といった言葉があちこちから飛び出す。 最後の台詞は隣の甲本から聞こえたものだとしっかり聞き取って、その鼻っ面に肘撃ちを叩きこみながら引田は質問する。


「あの、転校生だとなにか……?」

「いや、今九月だろ。んで月末は文化祭がある。みんな、ちょいちょい準備も始めてると思うが……」


 ああ、と引田もうなずく。B組はクラスで喫茶店をやると決まって、調理の担当にあたる者は既に練習を始めているとのことである。が、それが何か――? 

 その疑問を口にしようとした瞬間、教室の後ろのほうで、鍵のかかったドアがガチャガチャと音を立てた。


「……ん? なんだ? 鍵? おい! こら、なんで鍵なんかかけてる?」

「散!」


 教師の声が聞こえたと同時、楠本が抑えた声で鋭く叫ぶ。

 それを合図に、B組の面々は音もたてずするりと立ち上がり――各々適当な位置に散らばって、〝何気ない昼休み〟の光景を作り上げる。

 楠本が、教室の前のほうのドアの鍵を開けた。


「あ、前のほうは開いてますよー。なんか後ろのドア、鍵の調子おかしくって」

「おお、そうか。……なんだおまえら? 昼休みなのに揃って教室で何してる?」

「そりゃ先生、今から学食行っても売り切れでロクなもん食えませんから。みんな残ってるんですよ」

「お、おう……?」


 前のドアからのそのそと教室に踏み込んできたのは――肩に担いだ竹刀が印象的な、熊のような教師。生徒指導の竹本であった。

 そんなことより、と竹刀で一度床を打ち、竹本は言う。


「今さっきそこで髪の赤い女子を見た! あれはなんだ、誰だ!? 見覚えのない生徒だったが……」

「さあ……? いや、俺らもわかんないっすよそんなの」

「あれは完全に染めてたぞ。言ったはずだな、染めたら停学だって! いくら文化祭も近いからって、浮かれすぎにもほどがある!」

「いや、ほんとそうですねえ。いやー命知らずな生徒もいたもんですねー……」


 楠本が適当にあしらっていると、竹本は肩を怒らせながら帰っていった。廊下を去っていくその背中を見送ると、B組の生徒たちはすぐさま教室の鍵を閉め席につき、再び〝議会〟の体裁を整える。


「……と、いうわけで、だ。六月に転校してきた引田は知らんだろうが……」


 楠本が語るところによると、それは去年の文化祭の話。文化祭の花形、軽音楽部のライブ演奏についての話だ。

 ライブ自体は毎年の恒例行事なのだが、この年の軽音楽部は『本格派ビジュアル系バンド』をテーマとして掲げていた。それだけならまだいい。カツラか何かをかぶって、流行りのV系バンドの真似事をするだけならかわいいものだった。

 が、このとき問題となったのは――当時の軽音部員たちは、『本格派なんだから、ウィッグでごまかすなんてナメた真似しちゃダメだよね』という理屈で、本当に髪の毛を赤や紫に染めてきてしまったのである。

 言ってしまえば、一度髪を染めてみたいと思っていた連中が、文化祭を口実に利用したわけだ。しかしこんな理屈を生徒指導が認めるわけはなく、髪を染めた生徒たちには全員処分が下ったとのこと。


「まあ、ナメた理屈で堂々と染めてきたわけだから……、竹本、めちゃくちゃキレたんだよ」

「……」

「で、『もし来年も、文化祭だからって理由で髪の毛染めるようなやつが出てきてみろ……問答無用で退学にしてやるからな!』って」

「……あの、それって……」

「……まあ、さすがに退学は話盛ってると思うが……停学くらいには、たぶん、なる」


 ようやく、引田も状況を理解した。


「――というわけだ! 何があったのかは知らんが委員長は唐突に大幅なイメチェンをかました。あの真面目で優秀な委員長が!」


 楠本は再び黒板を叩き、よく通る声で語り始める。


「委員長はいつもいつも、クラスのために真面目に働いてくれている。このF組にいるやつなら、何かしらで世話にはなってるだろうと思う。――その委員長が、このままでは停学になってしまう!」


 引田は転校初日のことを思い出して頷き、隅の席に座っていた陸上部の吉田も朝のことを思い出して頷いた。


「というか、ぶっちゃけると、あれだ。あの人なぜか文化祭の委員まで兼任してるから、文化祭でもめちゃくちゃ世話になる! 食品出すのに許可取ったりとか買い出し行くのとか、たぶん委員長がいないと回らない! っつーか文化祭前に停学者なんか出したら、最悪F組全体が出禁になりかねん!」


 これに頷いたのは、文化祭を楽しみにしていた面々。

 高校生活で三度しかない、貴重な大規模青春イベント――それが、台無しになりかねない!

 語る言葉にも熱が入っていき、楠本はなぜか教卓に飛び乗った。


「委員長にも事情があるのかもしれん……。だが、今この二年F組は大ピンチを迎えている! というわけで!」


 大衆を扇動する演説家のごとき所作――楠本は大きく両手を広げ、叫んだ。


「二年F組総員に告ぐ――すぐに、委員長を保護せよ! 間違っても生徒指導には見つからないように! あと、委員長のイメチェンの理由に何か心当たりを掴んだらそれも報告! だが何よりも保護を最優先に! 以上――散れ!」


 閉会の宣言と同時に。

 行儀よく座っていたF組の面々は一斉に立ち上がると、昼休みの学食でもこうは込むまいというほどの勢いで――廊下へと飛び出していった。

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