第2話


 時は進んで、その日の昼休み。四時間目終了のチャイムが鳴ってから五分ほど経ったころ。

 休み時間にざわつくB組の教室に、こそこそと入っていく影があった。

 十二時を回ったこの時間に、通学カバンを持ってやってきたこの男――名前は、引田功介。


「……おはようさん」

「いや十二時半。おまえ何してた?」

「や、ダイナミックに寝坊した……」


 ダイナミックにも程があるという話だが、とにかくスケールの大きい遅刻をかました男、引田は。自分の席に鞄を降ろすと、隣席の友人――甲本と、一言二言雑談を交わす。

 しかし、甲本のほうはまるっきり上の空。

 教室のある一点を見つめたまま、引田のほうを見ようともせず、適当に続ける。


「……おまえ、今日学食? 弁当?」

「学食だけど。今から行く」

「んじゃ、まだちょっと待て」

「……何? なんかあっ――」


 その態度に不審なものを感じた引田は、甲本の視線の先を追い――

 絶句した。


「……なにあれ? 誰?」

「……誰だと思う?」

「誰って、え、転校生?」

「いや、六月におまえ来たばっかじゃん。そんな何回も転校生来ねえよ」

「……」


 ぽかんと口を開けた引田が指さす先。その席に座っていたのは――

 肩甲骨のあたりまで伸びた長い髪を、赤色、これでもかというほど光沢ある派手な赤色に染めた、女子生徒だったのである。

 当然ながら校則違反、しかしあまりに堂々とし過ぎていて指摘するのもためらわれる、そんな赤髪だった。

 引田は困惑にあたりを見回し、そして状況を確認する。言われてみれば教室のこのざわめき、昼休みとはいえザワザワしすぎだ。

 誰もが、赤髪の女子を遠巻きに眺めて、ざわめいている。


「転校生じゃないって、え? あそこ……いや、あそこ誰の席だったっけ」

「誰だと思うよ。聞いて驚け」


 重々しい動作で肩をすくめた甲本が、答えを言うより先に――

 赤髪の女子生徒が、ゆっくりと席を立つ。

 一瞬にして静まり返る教室。

 さて、これは偶然か。クラスメイトたちのざわめきなど意に介さず、堂々とした所作で振り返った女子生徒。

 彼女の視線が、一瞬、たしかに――引田のほうを見て、止まった。


「あ……」

「……」


 時間にしておよそ二秒ほど、二人は見つめ合っていた。

 が、女子生徒はすぐに歩き出すと、教室を出ていく。

 その間、引田は実にいろいろなことを考えた。

 まつげが長い。瞳がくっきりしている。唇がなんかテカテカしてた。リップクリーム? いや違う。どうでもいい。

 ――めちゃくちゃ美人だった。

 その一言ですべてを結論付けると、引田は美貌にぼうっとしていた頭を再び回転させる。そして、まず最初に言った台詞が――


「……え、いや、……あれマジで誰!?」


 これだったものだから、隣で聞いていた甲本は思わず席から転げ落ちた。


「だ、誰っておまえ……いや、たしかにめっちゃくちゃイメチェンしてるけどよ……」


 制服の埃を払って立ち上がった甲本は、自分の机をバシンと両手で叩くと――

 そこが裁判所の証言台であるかのごとく厳かに、告げた。


「――委員長だ」

「……え?」


「あれは、このクラスの委員長……『真面目が人の形をしている』と先生から五回くらいは言われた、このクラスの委員長、大和京子なんだよ!」

「……!」


 瞬間――引田の頭の中に、三か月前の記憶が鮮明に蘇る。

 六月にこの学校へ転校してきたこと。

 B組へ入ることになり、クラスの皆の前で自己紹介をしたこと。そして――


『どこにどの教室があるかもまだわかってないだろうし、軽くでいいから案内してやってくれ。頼むぞ、委員長』


 ――担任の指示で、委員長が校舎の隅々まで自分を案内してくれたこと。

 しかし、そのときの委員長はといえば。

 長い黒髪は三つ編みにしていたし、顔の印象はレンズの大きい黒縁の丸眼鏡が大半を占めた。引田も別に詳しくはないが化粧に気を遣っているようには見えなかったし、今時こんな『いかにも真面目な委員長』みたいな人が実在するのかと、ひそかに感心すらしたのだ。


 その委員長が。

 その委員長が、今の、赤髪美人であると――?


「……信じられないとは思うが……」


 顔中いっぱいに困惑を浮かべて機能停止している引田を、クラスメイトたちは固唾を呑んで見守っている。

 やがて引田は、絞り出すように、ただ三文字だけ、こう言った。


「……マジで?」

「……マジだ」


 重苦しく告げる甲本に続いて、クラスメイトたちも揃って頷いた。

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