リング・オブ・フォーチュン

マギウス

第1話 冒険者の生活

 大きな森の外れ。背の高いやぶの中を、一組の冒険者パーティが進んでいた。先頭に立つのは、まだ若い一人の男だ。短く切った栗色の髪が、精悍せいかんな顔立ちとよく合っている。

 彼の顔には、うんざりとした表情が浮かんでいた。ひっきりなしに顔に飛んでくる虫が鬱陶うっとうしい。強い日の光によってあぶり出されたかのような、むわっとする緑色の臭気も耐え難い。

 もっとも、一番被害を受けているのは、彼のすぐ後ろを歩くローブ姿の少女だ。前を歩く男が草をき分けてくれなければ、背の低い彼女は完全に藪に埋まってしまう。フードを目深に被っているせいで、表情をうかがうことはできない。

 列の最後尾を歩くもう一人の少女だけが、唯一平気そうにしていた。藪から頭が出るか出ないかという微妙な身長の彼女は、時折ぴょんぴょんと飛び跳ねて、周囲の状況を確認していた。肩の辺りまで伸びたブロンドの髪が揺れている。

「疲れないのか? ミーファ」

 先頭の男が聞くと、力強い返事が返ってきた。

「鍛えてるので大丈夫です!」

 ミーファと呼ばれたその少女は、力こぶを作る仕草をして見せた。古着なのか、継ぎはぎだらけの旅装束の袖は、だぼっとしていてサイズが合っていない。

「……そうか」

 体力と筋力は別なんじゃないかとラークは疑問に思ったが、口には出さなかった。そもそも、筋力だってありそうには見えなかったが。

 会話が途切れると、あとに残るのは草同士がれ合うがさがさという音だけだった。鳥の歌声も、今は聞こえない。

 ラークは、ふと違和感を覚えて立ち止まった。ローブ姿の少女が、背中にぼふんとぶつかる。最後尾から、不思議そうな声が上がった。

「どうかしたんです……」

「しっ!」

 鋭く制止し、耳を澄ませる。三人とも立ち止まったにも関わらず、がさがさという音が、小さいながらも特定のどこかから聞こえてくる。風ではない。やはり、近くに誰か――もしくはがいる。

(ゴブリンか?)

 最初に思い浮かんだのは、今日の獲物のことだ。濁った緑色の肌と醜悪な顔を持つゴブリンは、知能が低くさほど強くもないが、奇襲されると厄介だ。とは言えこの辺りは、まだやつらの領域の外だったはずだが……。

 音が、急速に近づいてきた。後ろだ。ラークが振り返ると、

「……」

 つぶらな瞳にじっと見返された。灰色の兎が、ラークたちが作った草の道に顔を出している。

 兎は、さっと顔を引っ込めると、また音を立てて離れていった。ラークは小さく息を吐く。

「サラ、もういいぞ」

 背中にくっついたままの少女に目を落とす。フードが脱げ、ふわふわの癖っ毛が露出していた。髪の色はミーファと似ているが、もっと明るい。

 サラは体を離すと、ちらりとラークに目をやったあと、のたのたとフードを直し始めた。反応が薄いのも、表情に乏しいのもいつものことだ。

「行こう」

 声をかけると、後ろを向いたまま固まっていたミーファが、くるりと振り返った。屈託のない笑顔をラークに向ける。

「うさぎってかわいいですよね。美味しいですし」

「そう……そうか?」

 頷きかけたが、かわいいと美味しいの繋がりがよく分からない。だが、詳しく聞いても有益な答えは得られないような気がして、深く突っ込まずに歩き出した。二人がついて来るのを気配で感じる。

「ラークさんは、串焼きとか好きじゃないですか?」

「いや、串焼きは好きだ」

「ですよね!」

 嬉しそうにミーファが言う。

「昨日食べた露店がすごく美味しかったんですよ。ね、サラちゃん」

「ん」

 フード姿の少女が短く答える。肯定なのか否定なのか、ラークにはいまいち分からなかった。

「ほんとは、中央広場のレストランに行ってみたいんですけど。あそこ、兎料理が有名らしいんです。知ってました?」

「聞いたことはあるな」

「入ったことはないんですか?」

「そんな金はないよ」

 ラークは首を振った。中央広場に並んでいるのは、街でも指折りの高級店ばかりだ。まあ、有り金をはたけば足りないことはないだろうが、あんな場違いな店に入っても、食事を楽しめる気がしない。

 草をまとめて横にけると、急に視界が開けた。相変わらず藪は続いていたが、草の高さは膝丈ほどになっている。

 どんな大自然の摂理が働いているのか、二種類の藪の境目は綺麗に直線を成していた。『森の壁』と呼ばれるこの線は、比較的安全な街の周囲と、獣や魔物の領域を分かつ境界線だと見做みなされていた。

「そろそろゴブリンの領域だ。気を抜かずに行こう」

 ラークがそう言いながら振り返ると、真面目そうな頷きと、それから虚空を見つめる横顔が返ってきた。


 ゴブリン退治は、極めて順調なスタートを切った。ろくに群れもせず、無警戒で森を歩き回る彼らを、時には背後から不意打ちし、時には正面から難なく倒していく。

 もっとも、ラークにとってはもう何年も繰り返しやってきたことだ。まずは盾で攻撃を防ぎ、そして剣で一撃を加えるという動作を危なげなくこなす。

 協力して戦う女性陣二人も、さほど苦戦しているようには見えなかった。ミーファの方が積極的に敵に向かっていき、場合によってはサラが後ろから魔法で援護している。二人とも冒険者になってまだ一年程度らしいが、なかなか度胸があるなとラークは思っていた。

 状況が変わったのは、ある二匹のゴブリンと遭遇した時だ。

 片方を受け持ったラークは、繰り出される連撃に、慌てて防御を固める羽目になった。人間の腰ほどの身長しかないゴブリンは、手に持ったダガー――恐らく冒険者から奪ったものだろう――を斜め上に構え、執拗に胸元を狙ってくる。

 魔物の攻撃は単調で、防ぐのは容易たやすい。が、今までに出会ったゴブリンと比べると、妙に動きが速い。そのせいで、反撃するタイミングを掴めずにいた。

 こんなやつが居るとは、とラークは歯噛みした。彼らは修練や技術の共有という概念を持たないと考えられており、個体による強さの違いはほとんどないはずだ。目の前のこいつは、よほど生来的な能力に恵まれていたのだろう。

 相手の大振りの一撃を、盾を使って思い切り押し返した。魔物は少しよろめいたものの、数歩下がって体勢を整えた。小さく唸り声をあげ、様子をうかがうように剣先を揺らしている。

 ラークはちらりと視線を動かし、仲間たちの状況を確認した。ミーファは一匹のゴブリンと睨み合い、その後ろにはサラが隠れるように寄り添っている。

 一見、自分と同じく膠着こうちゃく状態に陥っているように見えるが、そうではない。魔法を使うための時間稼ぎをしているだけだ。呪文の詠唱が終われば、勝負は一瞬でつくだろう。

 こっちも手早く片付けなければ。ラークは突き出した盾に沿えるように、右手の剣を一直線に相手に向けた。

 魔物が、怯んだように一歩下がった。その足が地に着く前に、地面を蹴って一気に距離を詰める。眉間を狙って、電光石火の勢いで突きを繰り出した。

 だが魔物は素早く体を捻ると、必殺のはずの一撃をほぼかわしきった。その動きに、ラークは目を見張る。切り裂かれたこめかみから血があふれ出したが、致命傷とは程遠い。

 さらに、敵は避ける勢いに乗せて水平に剣をいだ。右の太腿ふとももに鋭い痛みを感じて、ラークは顔を歪めた。

 最初から逃げるつもりだったのか、魔物は身をひるがえして駆け出した。ここで逃がせば、森の中で再び発見できる見込みはほとんど無いだろう。だが、

「くそっ!」

 脚に傷を受けた状態では、追うこともままならない。膝をつくラークのもとに、ミーファが駆け寄ってきた。

「大丈夫ですか!」

「……大したことはない」

 ラークは傷の具合を確認しながら言った。血はかなり出ているが、それほど深くはない。包帯でも巻いておけば十分だろうと判断したが、

「サラちゃん、ちょっとちょっと!」

 相手はそうは思わなかったようだ。慌てた様子で、もう一人の仲間を手招きする。サラは魔法で倒したらしいゴブリンの死体を、じっと見つめているようだった。

「ん」

 だいぶ間が開いてから、彼女はようやくこちらを向いた。相変わらず、何を思っているのかよく分からない表情だ。

「ラークさんが怪我したの。治してあげて」

「うん」

 ミーファに言われて、サラはこくりと頷いた。とてとてと近づいてラークの隣に並ぶと、上から傷をじっと見る。かなり背の低い彼女は、片膝立ちの男と同じぐらいの背丈しかなかった。さすがに少しは勝っているが、大差ない。

「そこまでするほどじゃ……」

「駄目ですよ、ちゃんと治療しないと。悪化したら大変です」

 ラークの言葉を遮って、ミーファがきっぱりと言った。こうなると、もう意見を変えさせるのは困難だ。彼女たちとパーティを組んでからまだ数か月だが、それぐらいは分かるようになってきた。

 サラは、ラークの目の前にぺたりと座り込んだ。先端に緑色の宝石がはまった木製の短いワンドを、太腿の傷に向ける。小さな声で、呪文の詠唱を始めた。

 ゴブリンに手こずるなんて情けない。心の中で、ラークは自分で自分を叱咤しったした。駆け出し冒険者の頃ならともかく、もう中堅の域に入りつつあると言うのに。

 しばらくすると、痛みは徐々に薄れてきた。治癒の魔法が効力を発揮し始めたようだ。サラが杖をどけるころには、ほとんど何も感じなくなっていた。傷もすっかり見えなくなっている。

「ありがとう」

 礼を言っても、サラはちらりと視線を向けてくる以外には、特に何も反応しなかった。これもいつものことだ。

 ラークが立ち上がっても、サラはその場に座り込んだままだった。ミーファに目を向け、ぽつりと言った。

「ミーファ」

「どうしたの?」

「疲れた」

「あー」

 ミーファは困ったように眉を寄せた。ラークは、二人にばれないようこっそりとため息をつく。治癒系の魔法は、魔力の消費が激しい。だから要らないと言ったのに、とはさすがに口に出さなかった。

「そろそろ帰りませんか?」

「そうだな」

 ミーファの提案に、渋々頷く。退治したゴブリンの数は予定よりも少ないが、仕方ないだろう。魔力切れした魔術師を連れ回しても、何の役にも立たない。かと言って無理して魔法を使わせれば、命に係わる。

(安全が第一だ。今日もそれなりには稼げたんだから問題ない)

 ラークは自分にそう言い聞かせた。


「こちらが報酬になります。お確かめください」

「ありがとう」

 冒険者ギルドの職員から受け取ったのは、ちょうど金貨三枚だった。今日のゴブリン退治の成果だ。予定では、もう一、二枚は多いはずだったのだが……。

「分けやすくていいか」

 などと、心にも無いことを言ってみる。無意識のうちに、口元を皮肉げに歪ませている自分に気がついた。

「なにか言いました?」

「いや」

 ミーファが不思議そうな顔で覗き込んでくる。ラークは緩くかぶりを振ると、特にあてもなく歩き出した。

 ギルドの中は、いつも通り閑散としていた。建物の広さに対して、人の数が絶対的に足りていない。質実剛健しつじつごうけんな冒険者の気質を反映し、余計な装飾を排した室内には、寒々しさすら漂っている。冒険者ギルドの例に漏れず、壁の一角にだけは魔物の剥製はくせいがいくつか飾られていたが、それすらも辺りを満たす寂寥せきりょう感を助長していた。

 恐らくギルド設立時には、もっと冒険者が増えることを見込んでいたのだろう。街の規模から考えれば、そう判断してもおかしくはなかった。

 ここ城塞じょうさい都市ザイルは、敵対種族であるコボルトがむ東の山岳地帯と、敵対はしていないが友好的でもないエルフの森が接する場所にある。ザイルが落とされると国が南北に分断されてしまうため、国軍が常駐する重要拠点だ。魔物の影に怯えながら険しい山岳地帯を超えるのも、エルフの嫌がらせに耐えつつ森林地帯を抜けるのも、よほど旅慣れた者以外には不可能だった。

 一方で、冒険者にとってはさほど重要な場所とは言えない。まず、近くにある探索すべき遺跡の数は少なく、選択肢があまり無い。人がほとんど立ち入ることのない山岳地帯の魔物は、わざわざ退治する必要性も薄い。精々、エルフの森の外れに棲むゴブリンや、遠くから移動してきた魔物の退治依頼がギルドから出る程度だ。貴族と契約して何でも屋的に様々な依頼を受ける冒険者や、国軍に専属として雇われている冒険者もいるのだが、ごくわずかだ。

 建物の入り口近くに、街中から中古品を集めてきたような――実際その通りに違いない――見た目がばらばらでぼろぼろの椅子やテーブルが、たくさん置かれていた。冒険者たちの話し合いや休憩のために置かれているのだろうが、やはりほとんど埋まっていない。ラークたちは、テーブルの一つを囲んで座った。

「今日の分だ」

「ありがとうございます!」

 二枚の金貨を渡すと、ミーファは顔に満面の笑みを浮かべた。隣のサラに、小さな声で何事か話しかけている。

 この二人は、共通の財布でお金を管理しているそうだ。数か月前に初めて会った自分とは違って、小さいころからの知り合いらしい。寝泊まりも同じ部屋でしているそうだから、よっぽど仲がいいのだろう。歳はミーファの方が上に見えるが、実際はほとんど同じらしい。

 ラークは自分の分の金貨を懐に仕舞った。これ一枚で、ぎりぎり切り詰めれば三日は暮らせる。多少は人間らしい暮らしを送るとして、だいたい二日分と言ったところだろう。

 一日で二日分稼げれば十分だと言いたいところだが、そうもいかない。収入は不安定、支出は多いのが冒険者だ。寒い時期にはろくに仕事できないし、怪我でもしたら治療費ばかり出ていく。武具の手入れや、買い替えにも金がかかる。

「もしかして、傷が痛むんですか?」

 思わず溜息をついていると、ミーファがおずおずと尋ねてきた。不安げに眉を寄せる彼女に、笑顔を向けて言った。

「いや、傷はすっかり治ったよ。サラのおかげだ」

 虚空を見つめてぼんやりとしていたサラが、最小限の動きでこちらに顔を向けてきた。突然話題に出されて、ほんの少し驚いているようにも見える。見えるだけかもしれないが。

 実際のところ、サラにはかなり助けられている。魔力が少ないのが欠点だが、操る魔法の威力はそれなりに高い。それに、治癒魔法は絶大なアドバンテージだ。自然治癒を促進する程度の効果しかないが、それでもあると無いとでは大違いだった。治癒術師自体、非常に希少なのだ。

「杖……」

 出し抜けに、サラがぽつりとつぶやいた。ラークは思わず真顔になって、その単語の意味を考えた。言葉少ななこの少女の言いたいことを察するのは、いつも難しい。まるで謎かけでもされている気分だ。

「あ、早く買い換えないとね」

 ミーファが手をぽんと叩きながら言った。そこでようやく、彼女の杖がそろそろ寿命だと言っていたのを思い出す。

「明日探しに行こうか」

 ラークはそう提案した。基本的に装備を買う時は、全員で相談して全員でお金を出すというのが、このパーティの決まりだった。決めたのは、一応リーダーということになっているラークだ。

 ミーファはこくこくと頷きながら言った。

「ついでに、サラちゃんの魔道具も見に行きましょうよ」

「そうだな……」

 ラークはあまり気乗りがしないながらも、小さく頷いた。魔力が少ないサラのために、補助的に使える攻撃用の魔道具を買おうという話は以前からしていた。ただ、最低でも金貨十枚はするのでなかなか手が出ない。

 ごく一部の魔道具を除き、作成する技術ははるか昔に失われている。そのため、過去に作られた物を、遺跡――大抵は魔物とトラップが満載の――から発掘することが、唯一の入手手段だ。必然的に高価になる。

 ミーファは、ありがとうございます、とラークに言うと、サラの方に顔を向けた。

「あのイヤリング、可愛かったよね」

「ん」

「ほら、広場の魔道具店で売ってたやつ」

「ん」

「うん、絶対似合うよ!」

 と、何やらはしゃいでいる。会話になっているようには聞こえなかったのだが、二人の間ではちゃんと成立しているらしい。

「……って、あの店に行くのか?」

 少し間を置いたあと、ラークはようやく気付いたかのように言った。魔道具店は、中央広場の中でもトップクラスの高級店だ。全身鎧の用心棒が、常に目を光らせていることで有名だった。最低でも金貨百枚は下らないという、恐ろしい場所だ。

「買える値段じゃないだろ?」

「わかってますって。見るだけですよ」

 ミーファがくすりと笑った。ラークは口をつぐむ。あんな貴族やら一流冒険者やらが集まる店なんて、入るだけでも緊張してしまいそうだ。だが、そんな理由で拒否するのもちょっと情けない。

「本命の店は他にあるんですよ! 実は……」

 そこまで言いかけて、突然言葉を切る。目を丸くして、ラークの背後にある何かを見ているようだった。

 大して人もいないはずのギルド内に、ざわめきが起こり始めている。何事かと思って振り向いたラークは、ミーファと同じく目を見張った。

 一組の男女が、入り口から入ってくるところだった。歳は、ラークたちより少し上に見える。女の方は、相方の魔術師風の男に途切れることなく話しかけていた。漆黒のローブに身を包み、陰気な表情をしたその男は、時々小さく頷くだけだ。

 女は冒険者にしては非常に軽装で、鎧を着けていないどころか、肌を大胆に露出させていた。下は太腿まで出した服に背の高いブーツ。上は右は袖なし、左は長い袖という奇抜なデザインの服だ。手にはほとんどの指に派手な指輪を着けている。指輪のデザインはばらばらで、統一性がない。

 喋るのに夢中になっているようで、女はほとんど前も見ずに歩いていた。身振り手振りで、忙しなく体を動かしている。緩くウェーブのかかった、真っ赤な長い髪が揺れ、まるで燃え盛る炎のようだった。他の冒険者たちは、みな道を開けている。

 たまたまだろうが、二人はラークたちのいるテーブルに一直線に向かってきた。思わず身を引いたラークの肩を、レインはぎりぎりかすめるようにくるりとターンした。

「前を見て歩け」

 男の方が、女の腕を掴んで引っ張った。女は何事か文句を言いながら、引きずられていった。

 彼らが離れていくのを見て、ラークは深く息を吐いた。二人を目で追っていたミーファが、ばっと勢いよく振り向く。

「今のって、レインとシグルドですよね!?」

「……みたいだな」

 冒険者なら、その名を知らない者はいないというほどの有名なパーティだ。だが、実際に目にしたのは初めてだった。彼らの活動場所は大陸の中央部、最も遺跡が多い辺りのはずで、西側にあるこの国とは遠く離れている。それが、どうしてこんな街にいるんだろうか。

 ミーファの方に目をやると、彼女は興奮した様子でサラに話しかけていた。格好よかっただとか、憧れるだとか、はたまたあの魔道具らしき指輪はいくらするんだろうかとか。サラはこくこくと頷きながら話を聞いていたが、興味があるのか無いのかはよく分からない。

(憧れる、か)

 自分が冒険者になったきっかけも、憧れだった。数々の英雄譚サーガに触れて、彼らに並ぶような人物になりたいなどと思っていたこともあった。だが実際に冒険者稼業を始めてみると、それが単なる夢物語でしかないということは、すぐに分かってしまった。

 ラークは微笑ましいような、ほろ苦いような気持ちでミーファを見ていた。


 仲間と別れ、ラークは一人で街の大通りを歩いていた。あの二人が、というか主にミーファがいなくなったせいで、急に寂しく感じてしまう。それとも、風景をオレンジ色に染める、夕日の光のせいだろうか。

 住民よりも街を通過する人間の方が多いと言われるこの道は、いつもと同じように混雑していた。人だけではなく、馬車や荷車も多数行き来している。彼らの服も、容姿も、車輪の作りすらもばらばらだ。

 そんな彼らから金をむしり取ろうと、道の両側に並ぶ店舗からは、呼び込みの声が絶えずあがっていた。ぶつかっただの足を踏まれただのそこかしこで喧嘩が起こり、さらにはスリだぼったくりだなどと怒号が響き、うるさいことこの上ない。

 多くの店では、店先に商品を並べていた。様々な土地の珍しい食べ物や、色とりどりの小物類。元々派手な商品たちは、飾り付けられ、広いスペースに綺麗に整列していて、目を引くものばかりだ。実際、足を止める人も少なくない。

 だがこの街の住民は、滅多に大通りで買い物はしない。どれもこれもが割高、もっと言えば、旅人向けのぼったくり価格だと知っているからだ。それでもこんな商売が成り立つことを考えると、いかに旅人が多いか分かる。

 ラークも立ち止まらずに通り過ぎるつもりだったが、とある小さな店に目を引かれてしまった。幸運を呼び込むという触れ込みで、紐を編んで作った腕輪や革製のお守りが売られている。

 こういう物が本当に効果があるのかはかなり怪しいが、冒険者ならほんのわずかでも運が良くなりたいと思うものだ。近しい知り合いの中に、紙一重の運で助かった者も、またその逆の者も居る――もしくは、居たのが普通だからだ。

 値段は銀貨一枚。ちょうど今日の稼ぎの十分の一だった。決して安くはないが、本物なら十分価値がある。そう自分に言い聞かせて、ラークはお守りを一つ買うことにした。実のところ、デザインが気に入ったというのもあったのだが。

 さすがにこれ以上買うのはやめよう、そう思って、足早に通り過ぎる。

 横道に入り、大通りから少し離れる。人通りは大幅に減り、喧騒とは無縁の落ち着いた空気が漂っていた。この街の伝統で、建物は様々な色に塗られている。だが、長い年月で色はくすんで柔らかくなり、周囲の雰囲気と調和していた。

 何度か道を曲がった末に、目的の店に辿り着いた。微妙に開いた扉の隙間から、明かりと笑い声が漏れ出ている。これをちゃんと閉じるには、少々コツがいるのだ。ラークは店に入ると、絶妙の力加減で扉を閉めた。

 中は、十卓ほどのテーブル席と、カウンター席を持つ酒場になっていた。店内を煌々こうこうと照らしているのは、今の技術で作ることのできる数少ない魔道具の一つ、魔道灯だ。製法を知るのはこの国の少数の技師たちだけで、国の特産品になっている。

 魔道灯以外には、ほとんど装飾品と呼べるような物は無い。ただ、入り口の真上にある立派な壁掛け時計だけが、唯一目立っていた。

 カウンター席が埋まっていたので、ラークは仕方なく端のテーブル席に向かった。そこに着く間に、何人かの客に声をかけられた。結構な頻度で通っているので、もうすっかり常連になっている。

 ミーファとサラの二人も誘ってみたことがあるのだが、生憎断られてしまった。酒が飲めないだとか、もしくは酒を飲みたくないだとかいうわけでは――願わくば――無く、お金の問題のようだ。他に何かに使っている様子も無いし、貯金してるんじゃないかとラークは思っている。

 馴染みの女店員に、エールと煎り豆、パンと味の濃い干し肉を注文した。この店に来た時は、必ずこれを頼むことに決めていた――もっとも、そもそも選択肢自体が片手でぎりぎり足りない程度しか無い。

 女店員は、注文を取ると慌てて他のテーブルへ向かっていった。何やら、ぺこぺこと頭を下げて平謝りしている。

 相手は、小太りの中年男性だった。真っ赤な顔と虚ろな目で、なにやら喚き散らしている。明らかに泥酔していた。

(またあいつか)

 名前は知らないが、ラーク以上の常連、というかほとんど常時入り浸っているような客だ。いつ来てもいるし、いつもひどく酔っぱらっている。そして、よく問題を起こしていた。

 以前話を聞いたところによると、彼は元冒険者らしい。今の緩みきった体型を見ると、とてもそうは思えない。

 冒険者時代に貯め込んだ金を切り崩して飲んでいるのだろう。貯金できる程度には優秀だったのかもしれないが、羨ましいとも思えなかった。

(ああいう風にはなりたくないな)

 テーブルに突っ伏す男を横目で見ながら、ラークは思った。だが、

(……なら、どうなりたいんだ、俺は)

 その疑問に答えられなくて、そして答えられそうにもないことに気が付いて、暗澹あんたんたる思いに襲われた。

 英雄になりたいという思いは、とっくの昔に擦り切れて無くなってしまった。大きく稼ぐために冒険者を続けている者――例えば自分の店を持つために――もいるが、そういう夢も無い。

 注文の品はすぐにやってきた。エールの入ったジョッキを手元に引き寄せる。まだ口はつけずに、中でわずかに揺れる液面を、無意味に見つめていた。

 不意に、背後から肩を叩かれた。ちらりと振り返ると、見知った男の姿がそこにあった。冒険者仲間のアシュレイだ。

 一緒に仕事をしたことは無いが、借りている宿とよく行く酒場が共に同じということもあり、たまに一緒に飲む程度の仲ではあった。年齢的にも、冒険者としての経歴的にも向こうの方が少し先輩だったが、そんなことをお互い気にしない程度の仲だとも言えた。

「よお」

 彼は向かいの席に座ると、断りもせずにつまみに手を出した。自分で頼めよ、と文句を言うと、肩をすくめて店員に注文していた。

「景気はどうだ」

 にやにやと笑いながら、アシュレイが尋ねる。少なくとも良くはないだろうと、確信しているような態度だった。ラークは小さく嘆息した。

「お前が想像する通りだよ」

「ふうん」

 アシュレイは面白そうに言うと、また煎り豆を一つ口に入れた。やがて彼の分のエールが運ばれてきて、二人でジョッキを軽く打ち合わせる。

「そう言うお前はどうなんだ」

 似たようなものだろう、そういう意味を込めて聞いたのだが、

「いやー、それがだなあ」

 待ってましたと言わんばかりに、アシュレイは語り出した。

「こんな物を見つけちゃったんだな」

 彼が懐から取り出したのは、銀色の小さな指輪だった。宝石は付いていないが、精緻な幾何学模様がびっしりと彫り込まれている。思わず身を乗り出して、まじまじと見てしまった。

「魔道具? 効果は?」

「治癒の魔法がかかってる。ちょっと試してみたが、着けてるだけで傷が治っていくやつだな」

「……それはすごい」

 ラークは小さくうなった。治癒の魔道具なんて、滅多にお目にかかれない代物しろものだ。中央広場の魔道具店に並んでいても、全くおかしくない。

 遺跡に何日潜っていたのかは知らないが、申し分のない稼ぎだろう。彼は冒険者にしては珍しく、基本、パーティを組まずに一人ソロでやっているようだ。その分危険は大きいわけだが、手に入れたものは独り占めだ。

「ま、効果はそこまで高くないがな。どうだ、買わないか? 今なら友達価格にしておくぞ。分割払いも可だ」

「いや、いい。うちには治癒術師がいる」

「ん、そういやそうだったか」

「ああ。自分で使わないのか?」

「二つあっても仕方ないだろ?」

 アシュレイは自慢げに左手を広げて見せた。全く同じデザインの指輪が、小指に嵌っている。ラークはしばし言葉を失った。

「しかし、そうか。治癒術師か……」

 何やらぶつぶつと呟きつつ、アシュレイはジョッキを傾けていた。干し肉を噛み千切りながら、ラークはそれを目の端で見た。

「パーティでも組む気になったのか」

 ギルドで依頼を受けて生活しているラークとは違って、アシュレイは遺跡探索を生業なりわいとしている。それも、まだ誰も到達していない、魔物とトラップが満載の危険な場所まで行って一攫千金を狙うタイプだ。そのくせ「逃げる時に面倒だから」という理由でパーティを組もうとしない。いつか大失敗するんじゃないかと若干じゃっかん不安に思っているのだが、今のところは怪我程度で済んでいるようだ。

「そういう話じゃなくてだな……いや、間違ってはないか」

 アシュレイはそう独り言ちると、ラークに視線を向け、じっと見つめた。この男にしては珍しく、真剣な表情だ。

「お前のとこのパーティって、何人だったか?」

「俺含めて三人だ」

「そうか。……なあ、お前のパーティと俺とで、遺跡探索に行ってみないか」

「そんなに危険な場所なのか」

 ラークは探るような目つきで相手の顔を見た。

「まあな。遺跡自体もだが、そこに行くまでも、ちょっとな」

 言葉を濁すアシュレイ。いったいどこの遺跡なんだろうか。少し考えて、ラークはある可能性に思い当った。

「おい、まさか、エルフの森の遺跡じゃないだろうな」

「よく分かったなあ」

「無茶だろ、それは」

 ラークは呆れたように言った。

 よそ者が森を通過することすら嫌がるエルフたちだが、森を荒らす者たちには、明確な敵意を向けてくる。森の遺跡は彼らにとって神聖なものらしく、侵入すれば殺されてもおかしくない。

 森の中では、エルフは恐るべき敵だ。森に住み、地形を知り尽くした彼らに一度狙われれば、逃げ切ることは難しい。

「勝算も無しに言ってるわけじゃないぜ。危険が少ない道は調べてある」

「だからって……そもそも、危険をおかして遺跡まで辿り着いたところで、お宝があるとは限らないんだろ?」

「大丈夫だ。見合うだけの、いやそれ以上の物が手に入る」

「何があるんだ? 魔道具か?」

「それは、協力すると約束してくれないと言えないな」

「……」

 情報源が何かは分からないが、自信があるのは確かなようだ。アシュレイは、腕を組んでラークを見つめていた。

 遺跡探索で大儲けするというのは、確かに夢ではある。それを元手に良い装備を整えれば、今の変わり映えしない、ぱっとしない生活から抜け出せるかもしれない。

 だが、かなりのリスクを伴うのは間違いない。エルフの森を抜けるのもそうだが、遺跡自体も相当危険なのだろう。いつも一人でやっているアシュレイが仲間を求めるぐらいだから、まだ話していない何かを知っているのかもしれない。

「……少し考えさせてくれ。仲間にも相談しなきゃならない」

「すぐにとは言わないが、早めに決めてくれよ。こういうのは早いもの勝ちだからな。二番目に行ったって、収入はゼロだぜ」

「分かった」

 ラークが言うと、アシュレイは満足そうに頷いた。手にしたジョッキから、エールを豪快にあおる。

(二人はどう言うかな)

 ちびちびと飲みながら、ラークは仲間たちの反応を想像した。話を聞いている限りだと、ミーファはまだ遺跡探索に出たことは無さそうだ。だが、どちらかと言えば好意的な反応を返すような気がする。サラがどうするかは、多分ミーファ次第だろう。

 基本的に、どんな仕事をするかは今まで全部ラークが決めてきたし、反対されたこともない。今度も大丈夫だろう。

「そういや、お前んとこの治癒術師は女か?」

 おもむろに尋ねられ、ラークは眉を寄せた。

「その通りだが、何かまずいか?」

「いやいや」

 アシュレイは笑いながら言葉を続ける。

「治癒魔法を使えるのは女が多いんだろ。だから聞いてみただけだ」

「ああ」

 ラークは興味を失ったような顔で答えた。どうでもいい話だったようだ。

「男二人に女が一人じゃ大変だろう。毎日取り合いじゃないのか」

 下卑げびた笑いを浮かべながら、アシュレイは言った。ラークはその言葉の意味が分からないまま、持ち上げたジョッキに口を付けた。一口飲んで、手を下ろすまで考えてみたが、やはり分からない。

「何の話だ?」

「白々しいとぼけ方するなよ、お前のパーティの話だよ。それともお前が独占してんのか?」

 そこまで聞いて、ようやく彼の言わんとしていることが分かった。確かに、冒険者はほとんどが男だし、勘違いしても不思議ではない。

「いや、うちのパーティは男一人女二人だぞ」

「なにい? 両手に花じゃねえか」

「まあ、そうなるか」

 ラークは何の感慨もこもらない口調で言った。

 今までに、あの二人をに見たことは無い。歳は自分より二、三下なだけだと思うのだが、それ以上に若く――サラに至っては、幼く――見えてしまう。

 そんなラークの考えを見透かしたのかどうなのか、アシュレイはにやりと笑った。

「なるほど、お前はもっと年上が趣味だったな」

「適当なことを言うなよ」

「顔に出てるんだよ」

「嘘つけ」

 その後も、アシュレイととりとめもない話をしながら、ラークは遺跡探索に思いを馳せた。

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