第3章 でめきんテロリスト

「うーん」

 叔父がこんな真面目な顔をするのは珍しい。

「実は、おれも一度間違えた」

 出産直後の姉の見舞いに行き、ガラス越しにまず目についたのが、“竹中葉子”と書かれたベッドの赤ん坊だった。

「ああ、これがおれの甥っ子かあ、ってしみじみ思ってたら、姉貴が来て“違うわよ”って」

 今は山本でしょ、と指摘されるまで気づかなかったと言う。

「姉貴の名字が変わったってことに、まだ慣れてなくてさ。あれ紛らわしいよな」

 孝志は苦笑してから、健司を見た。

「取り違えか。お前が俺の甥っ子じゃないかもしれないってことだよな」

「いやいやいや」

 吉紀が律儀に突っ込んだ。

「これ、身内じゃなかったら逆に怖いから」

「やっぱり? だよなあ」

 心底残念そうにため息をつく。失礼な話だ。

 俺だってこんな叔父嫌だよ、と思ったのが伝わったのか、吉紀が笑った。普段の吉紀に戻ったようだ。


* * *


「その、鈴木葉子さんに会ってみたいんですけど」

 わたりつけてもらえますか、と吉紀が覚悟を決めたような顔で孝志に言った。

「ああ、いいよ」

 何なら今から会いに行く? という返答に健司は内心驚いたが、吉紀はあっさり、行きますとうなずいた。さすがの行動力だ。

 立ち上がった孝志と吉紀に、じゃあな、と健司が手を上げると、二人して“あれ、行かないのか?”みたいな顔をした後、納得した様子で、

『まあ、めんどくさ星人だからな』

 と声を揃えて言った。こんなことで意気投合しないでもらいたいものだ。

 面倒くさい、のは確かだ。だがそれ以上に実の母親かもしれない人と吉紀が会う場面に立ち会いたくなかった。もし取り違えがあったと分かったら? 自分の出生に関わることだ。吉紀がどんな反応をするかは分からないが、いずれにせよ、その場を級友には見られたくないだろう。

 健司の思いを汲んでくれたのか、吉紀は微笑んだ。

「結果、明日話すよ」


* * *


 翌朝、遅刻ギリギリに教室に駆け込んできた吉紀に、

「ヨッシー、何だよその顔?」

 すっげえむくんでっぞ!と、健司の前の席から山田太朗が遠慮なく叫んだ。

「ゲーム、やり過ぎた」

 とそれだけ言って吉紀が着席したところで、担任が入ってきたので、話はそこで打ち切りになった。

 その後、吉紀はほぼ一日中机に俯せて寝ていたので、結局話ができたのは、下校する頃になってからだった。教室がほぼ空になるタイミングで吉紀の方から近づいてくると、ぎこちない笑顔を浮かべて言った。

「昨日の続き、聞いてくれるか」

 健司がうなずくと、吉紀は健司の前、太朗の席に横を向いて座った。

「やっぱり彼女――鈴木葉子さんは戦友の一人だったよ」

 吉紀の報告第一声はこうだった。

「その葉子さんが、仕事終わってからうちに来て、おれのお袋と同窓会」

 それに一晩付き合わされたらしい。

「お前のお母さん、今、イギリスなんだってな」

「ああ」

 と言っても、あさってには戻ってくるのだが。

「だから、たか兄が山本葉子さんの代わりに」

「たか兄も?」

 何やってんだ、まったく。

「で、取り違えだけど」

 吉紀が苦笑した。

「あり得ないってさ。夫婦どっちもO型。息子もO型」

「なるほどな」

「“第三の男”、息子さんの写真見せてもらったよ。体格は、おれたちと違ってたな」

 あっちは縦じゃなくて横にでかい、と両手を横に広げる。

「親父さんも生きてるし。あ、でも父親と同じ仕事目指してるのは一緒」

 孝志の弟子志望というヨシ君=鈴木義正君は、画家になるつもりらしい。

「お前のお母さんが戻ったら、また集まるってさ」

 今度は休みの前の日にしてほしいよ、と吉紀が瞼を押さえた。

「なあ」

 迷ったが、健司は聞いた。

「怖くなかったか? 真実を知るの」

「全然――ってのは嘘だな」

 吉紀が微笑んだ。

「でも“あんたは性格がお父さんそっくり”ってずっとお袋に言われてきたから、あんまり心配してなかった。それより」

 いつも通りの笑顔を浮かべると、立ち上がって伸びをした。

「真実を知りたいって方が先だった。これって、やっぱ親父の血かな」

「かもな」

 自分なら吉紀のような真似はできそうにない。少し見直した。

「そういや、健司の親父さんはどんな人だったんだ? やっぱ魚の研究してたの?」

「いや……」

 この話題になると必ず母親の顔が浮かぶ。呆れ果てたような、ほんの少し誇らしいような微妙な表情だ。

「パンダ――繁殖がすごく難しいらしいんだけど、そういうのを研究してたって聞いてる」

「へえ」

 パンダの研究かあ、と吉紀はのんびりつぶやいたあと、

「パンダ?」

 急に、何か思いついたように言った。

「パンダテロリスト――山本、タケフミ?」

 父親の名前が、しかも不穏な単語とともに飛び出したので驚いた。

「あれって、お前の親父さんだったのか」

 吉紀は急に元気になったようだ。

「ちょっと待て、説明してくれ」

 吉紀によると、父親が亡くなる少し前の取材ノートに“山本健史博士”の名と、パンダについてのメモが残っていた。それまで目にしていたノートは、政治家への取材で得たコメントや、公害の集団訴訟といった内容ばかりが占めていたから、パンダ博士のことは強く印象に残っていたという。

「親父さんはパンダをどかどか増やして、そこいらじゅうに転がしといたら」

 世界の紛争が減らせると思っていたらしい。

「ノートに書いてあった」

 吉紀が思い出すように言った。

”パンダの愛くるしさで世界を平和に”

“冗談? 博士本人は本気らしい”

「とか、そんな感じ」

 おそらく健司の父親だ。

「そういうの、何か聞いたことなかった?」

「あった。あったけど」

 てっきり冗談だと思っていた。はじめにあの叔父から聞いたのが間違いだった。

「ノーベル平和賞、なんて単語もあったぞ」

 母親の、あの微妙な表情のわけも分かってきた。

「親父さんと親父、実は三回くらい会ってるみたいだぜ」

 研究室の他に、飲み屋らしき名前も書いてあったそうだ。まさか、クラスメイトから亡き父の話を聞くことになるとは思わなかった。

「良かったら、そこんとこのコピーやるよ」

「ありがとう」

「お、珍しく素直」

 と吉紀が余計な一言を発し、また笑顔を浮かべた。

「パンダテロリストかあ」

 その言い方は何とかならないだろうか。破壊活動とは対極にある父の構想にはそぐわない。まさか、父さん自身がそう名乗ったのか? 

「おれ、取材したかったなあ」

 そうつぶやいて、うつむいた後、

「そうだ、お前、親父さんの遺志継げよ」

「え?」

「パンダ増やせ、世界中に。武器の代わりにパンダだ!」

 妙に真剣だ。

「俺、パンダの研究はするつもりないから」

 でも――ちらりと、ある考えが頭をよぎる。

 その愛苦しさで、見ただけでも力が抜けてしまいそうな、でめきんなら――?

「もし、世界中にいたら」

「は?」

「素晴らしい世界に、なるな」

「おい、どうした?」

「紛争地でも耐えうる水槽が必要だ。水と電気設備の確保が課題だな」

「まさか、金魚の話してんのか?」

 うなずくと、吉紀は手を叩いて笑った。

「いいぞ、やれよ」

 マッドサイエンティスト・ヤマケン博士に鈴木記者が独占取材! と面白そうに言う。

「マッドは余計だ」

「いや、でめきんテロとか、普通のサイエンティストは考えねえから。絶対」

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Dragon-Jack Co. 金魚博士の青春(事件簿) 千葉 琉 @kingyohakase

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