新たな道
今朝の目覚めは悪かった。ぐーすかと寝ている所をふすまが開き、俺の上体はそのまま転倒。頭を強く打って起床。その上アスナには「まだ居たの」と冷たくあしらわれた。昨日の誰かさんとは正反対のその性格に、俺はため息を吐くしかなかった。他の二人ももう起床していた様で部屋は空っぽだった。
俺は差してあるままの木の板を四枚回収するとフロントに向かった。
「おはよう。珍しいな。お前が最後なんて」
「廊下で寝てりゃ、最後になるよ……」
俺はため息まじりに板を置いた。
「廊下? どうしてそんなとこで」
「ああ、多分昔で言うツン――いっ!」
左足に激痛が走った。ジリジリと俺の足を踏みにじる者が居る。
「ちょっと、なんかお風呂とか無いの!」
アスナが俺の足を踏みにじりながらすごい剣幕で見ている。
「あ、ああ、風呂ならあるよ………」
俺はその気迫に負けた。早々とゴンジに手であいさつするとその場を後にした。
「ねぇ、どこに行くの?」
「朝風呂は冷水じゃダメか?」
俺の質問にアスナは首をひねった。
「え?」
「だから、風呂沸かすには火焚かなきゃいけないだろ」
その答えにもアスナは分からないようだった。
草木が生い茂る中をかき分けて進むと、その先に大きなため池があった。
「これが……池………」
アスナはまるで初めて見た様にその景色を見ていた。
「池を見るのは初めてか? ていうか空には池とか無いのか?」
俺は鼻で笑ったが、アスナは真剣だった。
「こんなに大きな池は無いわ。ま、こっちじゃ貯水池って呼んでるけどね。そんなことより、こんなとこに呼び込んでどうするつもり?」
アスナは手を腰に当てた。
「あれだよ」
俺が指差した方向にはビニールシートで区切られた物が二つあった。
「何あれ?」
「風呂だよ」
その答えにもアスナは首をひねった。
「どういうこと?」
「ま、百聞は一見にしかず。中に入れば分かるさ」
俺はそういってビニールシートに『女』と書いてある所で立ち止った。
「朝は風呂入る人はほとんど居ないから大丈夫だと思うが――お~い、誰か入ってるか?」
俺への返答は無かった。どうやら誰も居ないらしい。
「よし、それじゃ入るか」
そういって俺はビニールシートをまくって入った。
「ちょ、ちょっと」
慌ててアスナも中に入った。
「女風呂に入るのはこれが初めてだな。ま、こういう体験も最初で最後か」
一人で納得している俺をよそにアスナは不安気に聞いてきた。
「ねぇ、どれがお風呂?」
ビニールシートの中には整然と茶色いドラム缶が置いてあるだけだった。土台は石で積み上げてある。
「これが風呂だよ。五右衛門風呂って聞いた事無いか?」
アスナは少し苦笑した。
「教科書に載ってるのを見た事ぐらいなら……」
「よし! それじゃ、火おこすのか? それとも冷水でしめるか?」
「え!? お湯とか無いの?」
その反応に俺はため息を吐いた。
「蛇口ひねればお湯が出てくる訳ないんだから。池から水くんで薪で火おこしてお湯にするんだよ」
その言葉にアスナは座り込んだ。
「……それじゃ、いつお風呂入れるの?」
「本当は自分でやれって言いたいとこだが、あんたは女だしな。いつまでも汚れてるのはイヤだろ? 俺が全部やってざっと小一時間」
それにアスナは体操座りをした。
「じゃ、よろしく」
その嫌気の差した顔に俺は鼻で笑った。
「ま、すぐ出来るさ」
パチパチと火の粉を上げて薪が燃えている。ドラム缶の中の水も湯気を上げてきた。
「そろそろ入れるぞ。後は底板を乗せれば………」
俺は薪が置いてある所から底板を探した。
アスナはスッと立つと、湯気の上がっているドラム缶に近づき、手を入れた。
「温かい………」
「あったあった。これを乗せれば風呂の完成だ」
そういって俺は湯気の立ったドラム缶に底板を浮かばせた。
「入り方は分かるな?」
その質問にアスナは頷いた。
「で?」
不意にアスナは俺を見た。その顔はいつもの口を尖らせた表情だ。
「え? ああ、勿論俺はここから出るぜ。ていうか手拭いが無いな。持ってくるよ」
そういって俺はその場から出て行った。
アスナはじっとお湯を見るとため息を吐いた。
「やっとお風呂に入れる」
「まったく……ツンデレってのは扱いが難しいな」
俺は愚痴(ぐち)をこぼしながらゴンジの旅館の方へと向かった。
「ん………?」
そこへ、あの少年――カズト――が吉野大行商隊の鍛冶場のじいさんに問い詰めてるのが目に入った。
「お願いだ! 俺を一緒に連れてってくれ!」
「そんな、私に言われても……吉野大行商隊に入るには当主の許可が必要です。私にはそんな権限はございません」
鍛冶場のじいさんも困惑していた。
「それなら当主に会わせてくれ! お願いだ!」
カズトは何度も頭を下げた。
「私に言われても………」
「俺の許可じゃダメか?」
そこへ俺が話に割って入った。
「おお、駿河様。駿河様はもう吉野大行商隊とは切っては切れぬ縁。駿河様からお声が掛かるのなら当主も会ってくれると思います」
「ま、俺も久しぶりに当主に顔会わせた方がいいと思って」
そういいながらカズトにウインクをした。当のカズトは唖然とした顔だった。
「しかし、駿河様がいくらこの少年を仲間に入れてくれと申されても、その判断は当主自ら決めるものでございます。そこの所をご了承ください」
鍛冶場のじいさんは歩きながら丁寧な口調で謝った。
「うん。そこら辺は俺も分かってる。あんたもそのぐらいの覚悟はあるよな?」
それにカズトは息を呑んだ。それと同時にカズトは俺の耳元へ寄ってきた。
「なぁ、ケンってどんだけ顔が効くんだよ。それともなんか家系がすごいのか?」
その質問に俺は腕を組んだ。
「駿河家ってのはここら辺じゃ有名な家なんだ。いくつものコロニーをモノノケから守ったり、行商隊の依頼を請け負ったり。要は用心棒やったりする狩人って訳。分家も多くてそっちも有名な所もある。まぁ、言わば狩人の総本山ってことかな」
俺はクスッと笑った。やはり自分から家柄の事を言うのも何かとおかしい。
「ふ~ん、要はスゲーんだ?」
「まぁ、スゲーとこに産まれたってこと」
そんな話をしていると一際大きなテントが見えてきた。傍らにはあのヌシの姿がある。
「ここが当主、吉野健二郎(よしのけんじろう)様の部屋でございます。吉野様、駿河剣様とそのお仲間が来ております」
「入っていいぞ」
テントの中は簡素だった。ほとんど何も置いてない。地面にはカーペットが敷いてある。その奥の簡素な木製のイスに座る人物。鍛冶場のじいさんと同じ緑と赤の縞模様の服、ベレー帽は緑でなく赤に染まっている。右目は何かにえぐられた様に爪痕が深く入り、つむっている。髪は黒く、肩まで伸びている。年期の入ったその顔は長老と同じ年をうかがわせる。
「お久しぶりです。当主」
俺は目の前まで行くと土下座をした。その隣でカズトは緊張の面持ちで正座した。
「まあまあ、そう固くなるな。それにしても久しいな。前に会ったのはいつぶりだ?」
「美濃の道中で会って以来です」
「ああ、あれ以来か――もう数か月前だな。それで? 今日は仲間と一緒と聞いたが、それがこいつか?」
当主はカズトに目をやった。
「ええ、空の者ですが、この行商隊に入りたいとの事です」
その言葉を聞き、当主は一瞬間を置くと「ハッハッハ」と一笑いした。
「なんとも――度肝を抜かれたな。普通の小僧でもあり得ないが空の者ときた。小僧、名は?」
当主の眼光に怖気づきながらも、声を震わせて言った。
「か、加藤(かとう)――和人(かずと)です」
「加藤和人……変な名前じゃなくて良かったわ。これでハーバードやらミシュランなんて名乗られたら笑いを堪(こら)え切れんかったわ」
そういいつつもまた「ハッハッハ」と笑って見せた。俺も釣られてクスッと笑ってしまった。当の本人はというと、少しムツっと顔をしかめた気がした。
「それで、カズト。なぜわしの行商隊へ入りたい?」
当主は身を乗り出し、カズトと目線を合わせた。勿論カズトは動揺して視線をそらしたが、覚悟を決めたのか、勢いよく話し出した。
「お、俺は箱舟じゃバイトしてたんです! そ、その経験を活かしたいんです!」
「バイト……懐かしい響きだな。理由はそれだけか?」
当主は少しその言葉に感傷していたが、カズトに鋭い眼光を突きつけた。
勿論、カズトも黙ってはいられないが、言葉を探しているのか、目を泳がしている。
「俺は……箱舟じゃ何もやってないんです………」
「ん? どういうことだ?」
当主と同じく、俺も疑問符が頭に入った。
「何もやってなんです。箱舟じゃ……人を助けた事も、協力した事も、何もしてないんです。ただ迷惑ばかりかけてました………それで地面に落とされて気づいたんです。人間、協力や助け合いながらじゃないと生きて行けない事を」
そこで当主は「う~ん」と腕を組んだ。
「だから、協力したいんです! 助けたいんです! だから――だから俺はここに入りたいんです!」
腕の組みを解くと当主は今までに無い真剣な眼差しでカズトを見た。
「それが、あんたの理由か?」
「はい!」
威勢のいい張った声が上がった。
「………」
当主はカズトから目を離さなかった。ここまで言える小僧は初めてだった。ましてや空の奴からその言葉を聞くとは驚愕(きょうがく)だ。だが、それだけで仲間に入れて大丈夫なのか? 年の割に細く、白い肌。どう見ても足かせにしかならない。だが、その根性は見上げた物。もしかすると………
「カズト――覚悟はあるな?」
鋭い眼光にカズトは同じ眼光で返した。
「地面に落ちた時から覚悟は出来てます」
その言葉を聞くと当主は背もたれに寄り掛かった。
「いいだろう。だが、足だけは引っ張るな。それじゃあんたの言う助けも協力もあったもんじゃないからな」
すると当主は顔を歪ませ、また「ハッハッハ」と大きく笑った。
「今日一日は行商隊に自己紹介でもしてこい。明日、このコロニーを離れる。そこからが本番だ。それとケン、いい物件拾ってくれたじゃないか。お礼になんかやるよ」
それに俺は手を振って断った。
「いえいえ、こいつはこいつの行きたい道を選んだだけですから。俺は何も関係無いですよ」
「だが、そのボロ切れにお手製の刀は刃こぼれしてるんじゃないのか?」
図星だった。着物はともかく、刀に刃こぼれがあるのが納刀しているのに分かるのはさすがだ。俺は苦笑して頭をかくしかなかった。
「いやぁ、参りました」
「ハッハッハ、武具屋には話を付けておく。おい、カズト、最初の仕事だ。自己紹介ついでに言っておけ」
「分かりました!」
カズトは言うと勢いよくテントを後にし、走り出した。
「将来が楽しみですね」
俺はそれを尻目に言った。
「まるで昔のケンみたいだ」
当主は笑みをこぼした。
そこで俺は重要な事を思い出した。
「いけねっ、アスナに手拭い渡さないと。当主、ありがとうございます」
俺は土下座をすると、そそくさとテントを後にした。
当主は顎をさすりながら不敵な笑みを見せた。
「………どいつもこいつも青二才だな。ハッハッハ」
「……遅いわねぇ。何してるのよ………」
アスナはドラム缶風呂に入って大分経つ。顔も赤く火照っている。
「おーい、アスナ。持って来たぞ」
そこへ、ブルーシートを間に挟んで声が聞こえたのと同時に、ブルーシートにバスタオルが掛けられた。
「何油売ってんのよ。逆上せちゃうわ」
アスナはドラム缶からそのバスタオルを取ろうと、無理に手を伸ばした。
「きゃっ」
ガタン、シュ―――。
「おい、大丈夫か?」
その音はドラム缶の鈍い音と火が消火される音だった。そこから推測できるのはただ一つ。
「ちょ、ちょっと助けて!」
「え………?」
「いいから助けなさいよ!」
一瞬、意味が分からなかった。常識的に考えれば………
「え? 入るぞ?」
俺はブルーシートをまくった。
まくった奥には湯気が立ち込め、その中にドラム缶が一つ倒れていた。その中でもがいている白い肌に黒いロングヘアの少女。四つん這いになり、こちらを見て硬直した。
「………」
すると、顔が段々と赤くなった。俺の顔もそうなってるのを感じた。
「ぎゃああああああ!! 変態! 変態! 変態ぃぃぃ!!」
「………すまん」
俺はすぐさままくったブルーシートを戻して、反対を向くと遠方を眺めた。
「もう、最低!」
「あんたが『助けろ』って言ったからじゃないか」
アスナはドラム缶から脱出すると、バスタオルを取った。
「だからって覗くなんて外道がやる事よっ」
「いやいや、覗かずにどう助けるんだよ……」
それにアスナは少し間を置くと「フンッ」と言うのが聞こえた。
「どっち道、あなたは変態よっ」
「はぁ………」
なぜそうなるのか、俺は理解に苦しんだ。これがツンデレの本性なのか……それとも天然?
そうこう考えていると、いきなりブルーシートがまくられた。
「終わったわよ」
そう言い残すと制服を着たアスナはすたすたとコロニーの方へ向かった。
「後始末ぐらい自分でやれよ………」
俺はブルーシートの中に入ると倒れたドラム缶と石造りの土台を直した。
俺がコロニーに着くとアスナは一点を見つめて立ち止っていた。
「?」
俺もその方角を見るとあの少年――シンタロウ――が子供達に囲まれて楽しく談笑しているのが見えた。
「やっぱ、あいつは先生になった方がいいのかもな」
「え? うわっ」
アスナは俺に気付くとなぜか驚いた。
「何驚いてんだよ」
俺は鼻で笑ったが、アスナは口を尖らせた。
「びっくりするじゃない。いつの間に居たのよ」
「今さっき、あいつの事がそんなに気になるのか?」
それにアスナは少しうつむいた。
「別にそういう訳じゃないけど……カズトもなんか変な服の人と話してるし………」
「変な服って……まぁ、カズトはあの行商隊に入ることになったんだよ」
それを聞くとアスナはとっさに俺を見た。
「え!? じゃ、カズト旅に出るの?」
アスナは悲しそうな目で俺を見てきた。
「まぁ……そうなるな」
それを聞いたアスナは一層、うつむいた。
そんな話をしているとシンタロウに長老が近づいた。何やら話し込んでいるようだ。シンタロウは相変わらず腰が引けている。
それを見ているとシンタロウが俺達に気付いた。手を大きく振っている。どうやら呼んでいるらしい。それに俺達は答え、近づいて行った。
「アスナ、それにケン、俺――やっぱ先生になるよ」
それに隣に居た長老も頷いた。
「おお、そうか。決めたのか」
それにシンタロウは頷いた。
「ああ、なんか――子供に好かれちゃって……それになんか箱舟の常識がこっちじゃ珍しいみたいだし、技術面でも役に立つ物がある気がするんだ」
晴れ晴れとした顔は今まで見たことは無かった。こいつも道を見つけたか……
「そう………」
それとは真逆のアスナはうつむき、曇り顔だ。
「なぁ、なんかカズトも行商隊に入ったみたいだし、アスナはどうするの?」
それにアスナはうつむいたまま小さな声で言った。
「別に………」
「え?」
「よかったね。高校生で就職できたじゃない。ま、楽しく暮らしなさい」
アスナは突き放す様に言うとその場を去った。
それを不思議そうに見つめる長老。
「何か気に食わん事でもあったんか?」
長老は俺に聞いてきた。
「まぁ、あいつにもあいつなりの悩みがあるんじゃないですか?」
それを聞くと長老は大きく頷いた。
「俺、ちょっと追いかけます」
そういってアスナの後を追った。
「………青春じゃのぉ」
コロニーの門の前、黒く焼けた松明が門の両脇に付けてある。アスナはその前で立ち止った。うつむいた彼女の目には涙が溜まっていた。
「羨ましいのか?」
後ろからの俺の問いにアスナの肩がビクッと動いた。
「ええ! 羨ましいわよっ! 憎いぐらい………みんな勝手に決めちゃって。私だけ……私だけ………」
肩は何度も動き、涙はポタポタと地面に浸み込んだ。
「!?」
俺はアスナの肩を掴んだ。
「じゃ、見つけようぜ。あんたの道」
その言葉にアスナは泣きじゃくった。座り込み、何度も手で涙を拭った。
俺はそれを見守るしかなかった。こいつも今まで色々と抱えてたんだな………
一応の心は静まったが、まだ目は赤く、鼻をすすっている。「見つけようぜ」と言ったはいいが、どの道俺に出来る事は限られている。ここら辺じゃ顔は効くが、それが有効になるかどうかはアスナ次第だし、それにいつまでも付き合ってはいられない。吉野の行商隊も今日限りで出るし……俺も当主からおごってもらってるからそれを使いたい。とにかく、今日アスナには俺に付き合ってもらうしかなさそうだ。
「すまんが、今日は俺も色々と行きたい場所がある。ちょっと付き合ってくれ」
アスナは鼻をすすりながらもいつもの態度を示そうとした。
「………分かったわよ」
コロニーの門から歩くこと数分。あの溶岩の様な見た目のモノノケ『ヌシ』の足元に来た。足元には鍛冶場のじいさん他、顔見知りの数名が店を開いている。店の名は『武具屋』その名の通り、テント張りの露店は武器や防具でいっぱいだ。奥には鍛冶場がある。しかし、肝心の炉が無い。
「お! ケン! 来てたのか」
そう呼んだのはスレンダーなボディを泥臭く汚した女性。顔には油やら汚れが付いて衣服も上だけ脱いでそれを腰に巻いている。手袋も吉野行商隊の服も全て汚れている。胸はあまり余った大きさを隠す様に大きな帯できつく締められている。そして片手には大きなハンマーを持っている。
「久しぶりだな。姐(ねえ)さん」
俺はカウンターに肘を付いた。アスナはなぜか俺の後ろに隠れる様にしている。
姐さんこと『近藤槌(こんどうつち)』は鍛冶場のじいさんの相棒だ。剣や刀を鍛える時の相槌をやっている。
「話はあの新入りから聞いてるよ。刃こぼれとその服の修繕だね」
「ああ、それと――」
「いつもの新商品冷やかしだろ?」
姐さんはニヤッと笑うが俺は苦笑した。
『新商品冷やかし』とは俺がいつも行う習慣だ。いつも吉野行商隊に会える訳ではないので、来る度に新商品は出来ている。俺はそれを興味深く眺めるだけ。たまには買っている。
「それじゃ、品物を預かるよ」
それに俺は刀二本をカウンターに置くと着物を脱ぎだした。
「ちょ――こんなとこで脱ぐの!?」
アスナの反応は当たり前だ。
「大丈夫。別に上脱ぐぐらいいいだろ?」
上を脱ぐとその下は黒い生地が体に密着する様に着られていた。それは口を覆うマスクから手首まで繋がっている。
「すごい……下はどうなってるの?」
その質問に俺は苦笑した。
「ああ、下はただのパンツだから脱げない……」
「あいよ。じぃ! ほら、刀。それとコン! 着物」
奥にいた鍛冶場のじいさんに刀を投げると、テントの隅で何かをいじっている少年に着物が頭から被さった。
「姉ちゃん、人の品物乱暴に扱うなよ」
吉野行商隊の服を綺麗に着飾った少年。姐さんとは性格も外見も大違いの弟。『近藤棍(こんどうこん)』彼はガンマニアであり、近代武器の類の修理、製造を行っている。それと彼曰く「渋々」やっているのが防具の製作。
「はいはい、ケンだから出来るのさ」
軽くあしらう姐さんに俺は冷たい視線を送った。
「俺だからって………」
「え? 別にいいだろ?」
もう、返す言葉が無かった。
「で? 後ろのお嬢さんは誰?」
それに俺が後ろを振り返ると、彼女は少し照れていた。
「ああ、新入りの知り合い」
「ってことは、あんたも《空》から来たのかい?」
興味深そうに尋ねる姐さんに、アスナは少し身を縮ませてこくんと頷いた。
「へぇ、空にもこういう武具屋みたいなのはある?」
「いや………」
アスナは緊張しているのか、口調も行動もおぼつかない。
「ツチ! さっさとこんか」
「はーい! それじゃ、ちょっと待っててね」
そういうと姐さんは奥の鍛冶場に向かった。
「大分使い込んでるようだし、反りも美しくない。それに刀身が歪んでいる。よくここまで使えたものだ」
「ってことは焼き直し?」
「だからツチを呼んだんだろ。おい! ヌシ! 八百二十で頼む」
するとヌシの手がじいさんの所まで下りてくると、手のひらに刀を置いた。
「ねぇ。何するの?」
アスナは耳元でささやいた。
「ああ、見てれば分かる」
手のひらに小さい刀が乗ると、ヌシはそれを顔まで持って来た。
フォオオォォォ
口から火の粉と共に熱が放出した。それは刀に当たると刀は赤く熱せられた。
熱した刀をじいさんの所に下ろすとそれをじいさんがやっとこで掴む。それを台に置くと、じいさんは小さいハンマーで。姐さんは片手に持ってる大きなハンマーを振りかざした。
「せーのっ」
カンッカンッカンッカンッ
そこからは華麗な相槌が続いた。二人の掛け声と共にハンマーは刀に下ろされ、交差する。
「すごい……なんか――色々すごい………」
アスナはその光景に「すごい」しか出なかった。
「ヌシの口から出される熱は金属を溶かす程の温度も出せるんだ。だから、鍛冶場に炉が無いのさ」
「すごい……じゃ、あの作業は――」
「相槌か? これを見るのは初めてか?」
それにアスナは頷いた。
「ふっ、空は平和みたいだから刃物を作らなくていいよな。刀に限らず、剣や槍、包丁なんかもああやって作られるのさ」
すると、アスナは口を尖らせ、腕を組んだ。
「包丁ぐらいあるわよ」
「ハハ、そうか。俺はちょっと商品見てくるから適当に暇つぶして。焼き直しみたいだから時間掛かるぞ」
俺はそういうと武具が並ぶテントの一角へ行った。アスナは特に何もすることは無いようだ。というか何も出来ない。初めての新天地。何もかも知らない事だらけ。アスナはそこで立ってるだけで精一杯だった。
「……ねぇ。新入りのお友達」
その不意にアスナは戸惑った。
「え? あたし?」
すると、また不意にコンはアスナを指差した。
「その腰に下げてるの。銃でしょ?」
「え………?」
アスナは制服の下にある腰に差した物を触り、取り出した。コンはそれを見るなり、目を輝かせた。
「ニューナンブM60!」
アスナから拳銃を勝手に取り上げるとまじまじと観察し出した。
「ミネベアの日本警察採用拳銃じゃん。グリップ、銃身から見ると後期型か。装填数が五発――あれ? 一発無い」
アスナには全く訳の分からない言葉の羅列が並び、付いて行けなかった。
「ねぇ、これどこで手に入れたの?」
「え? あ、いや………」
そこへコンの肩を掴む者が居た。
「おい、俺の着物は出来たのか?」
俺は少し睨(にら)んだが、コンは気にしてないようだ。
「そこ」
指差した方には新品同然に出来上がった俺の着物があった。
「それ先に言えよな」
俺は少し苛立(いらだ)ちを覚えたが、それ以上は何も言わなかった。
着物を手に取って改めて感じた。違う。解れや切れた所は直ってるのは当たり前だが、質感が違う。まるで鎖帷子(くさりかたびら)のようだ。俺は着物を着るとますます違いが分かった。布が二重になってる。だが、それを感じさせない今までと変わらない重み――。
「おい、コン。俺の着物に何した?」
銃についてアスナに熱く語っているコンに聞くと、コンは少し不機嫌にこちらを見た。
「は? 竜の繊維を上に被せといた」
そう言い捨てるとまたアスナに語り出した。
「《竜の繊維》? そりゃ、どういうもんだ?」
「ちょっとやそっとの攻撃じゃ、もろともしない。斬撃や銃弾も受け付けない。まさしく竜の甲殻の様な布なの」
後ろから話し掛けたのは姐さんだった。ハンマー片手に額から汗が噴き出している。
「一本出来上がったよ。だけどまだ柄(つか)を取り付けてないから、もう一本出来たら呼ぶね」
「ああ、分かった。だけど、そんな繊維……触れば分かるが、見えない」
それに姐さんは少し笑った。
「最新技術だからね。モノノケからの素材を合成して作ってるの。竜の甲殻に巨大虫の羽、それに鳥の羽毛なんかも合成してる。これ作るのにいろんな行商隊やら狩人と合同で取り組んだんだから」
俺は関心しながらその繊維を触った。
「ほう、大作って訳か」
「そう、現行技術の限界に挑んだわけ」
姐さんはハンマーを杖代わりに使って体を支えている。
「これなら一生使えそうだな」
「まぁ、それぐらいの耐久力はあるから使えるかもね。コン! 今度は下頼むよ。後、勝手に語り出す癖やめな。新入りのお嬢さん付いて行けてないよ」
それにコンは「は~い」とやる気なさげに言うと武具が並んでいる所から普通のズボンを取り出し、俺に渡した。
「はい、着替えて」
俺は少しため息を吐くとテントの奥、死角で見えない所で着替えた。
「はい、袴も頼むよ」
「ねぇ、これ終わったらそっちのお友達のやつ、見ていい?」
「はぁ? それは本人に聞けよ」
――まったく……どこまで無愛想で自己中なんだよ………
「ねぇ、いい?」
コンはアスナに聞くが当の本人は意味が分かって無いらしく、戸惑ってる。
「制服と銃を見たいんだと」
その言葉にアスナの顔が赤くなった。
「な、何言ってるのよ!」
その反応に俺は少し笑った。
「違うよ。空の物がどういうのか見たいだけだよ」
それにアスナは腕を組んでそっぽを向き、口を尖らせた。
「ま、まあ別にいいわよ」
「やった。これで空の技術力が分かる」
そういうと俺の袴の作業に乗り出した。姐さんもいつの間にか居なく、鍛冶場の方で二本目を打っている。
「よし、出来上がったよ」
姐さんは額の汗を拭いながら二本の刀をカウンターに置いた。
俺はそれを無言で掴むと鞘(さや)から刀をゆっくり抜いた。銀色に輝く刀身、刃紋も美しい。抜ききると刀をまじまじと見た。刃こぼれも直っている。反りも綺麗だし、切れ味は格段に上がっている気がした。
「元の玉鋼(たまはがね)がいいからほとんど手を加えなくてよかったわよ。さすがじぃね。すごい物を造ってるわ」
「ありがとう。だけど、姐さんの技術も上がってるよ」
それに姐さんは少し照れたのか、頭をかいた。
「こっちも出来たよ。はい、袴」
そういって袴を渡した。こちらも竜の繊維が織り込まれている。俺は早速着替えて肌身に感じた。布一枚増えた感覚は一切無い。だが、強度は確かに高そうだ。
「じゃ、そっちのお友達の見ようか」
俺が腰に刀を収めると今度はアスナがカウンターの前に来た。
「で? 何するの?」
今までおぼつか無い様子が一変。いつもの堂々とした態度に変わっている。
「拳銃は十分見せてもらったからいいけど、その服、見せて」
そういってコンは制服を指差した。
「上着ぐらいなら見せるわよ」
そういって上着を脱ぐとコンに渡した。コンは生地を触りながらそれを見つめた。
「………なんだ、ウールとポリエステルの混同だ。百年前の制服と変わらないよ。がっかりだなぁ。拳銃も当時のやつだし、制服も何と言って変わった生地じゃないし………」
「悪かったわね!」
コンから上着を奪うとツンとした表情でそれを着た。
「でも、そんなんで旅は出来ないでしょ?」
「そうだよ。そんな平和ボケしてた時代と変わらない物で旅するなんて自殺行為だよ」
姐さんとコンの言葉にアスナは「?」しか出なかった。
「あれ? ケンと旅するんじゃないの? あたしゃてっきりそうだと思ってたけど――違った?」
「僕も旅するからここに来たと思ったんだけど……違うの?」
それには俺も戸惑った。誤解を解こうと言葉をひねり出す。
「いや……こいつはただ付いてきただけで――」
「ええ! そうよ。ケンと旅するの」
「え………?」
意外だった。いや、予想外だ。そんなに切羽詰った状況でも無ければ、悪い状況でも無い。なのに彼女は言った。それも堂々と……これがツンデレなのか………
「ああ、やっぱりそうだったのか。それじゃ、その制服と拳銃は変えた方がいいね」
「え………?」
コンもなぜか納得している。その上アスナに商売まで始めた。傍らの姐さんも腕を組んで納得している顔。もうどうにでもなれ………
「じゃ、どういうのがいいの?」
そういってカウンターに肘を付くアスナ。
「そうだね……別にモノノケを狩る訳じゃないから身軽な装備がいいだろ。うーん………姉ちゃんチョイスしてよ」
「えぇぇぇ、あたし!?」
「だって姉ちゃん一応女だし」
そこへ鈍い音がコンの頭から響いた。
「分かったわ。そうねぇ………その制服を修繕するのもありだけど――思い切って多機能装備とかどうかしら」
「へぇ、それどういうの?」
なぜか俺に付いてくると言ったのに俺の意見を無視して事は進んだ。俺は反論する気も起きず、自然に任せる様にカウンターを背に座って事の次第を待った。
「まさか、あのルビーがここで役に立つなんて……」
アスナの服装はそのまま。「やっぱ思い入れがあるから」と俺の修繕に使った《竜の繊維》で補修、その他動きやすくし、機能も増やした。武装はというとあの警察の拳銃は連行される時にすった物らしく装填されている弾丸以外は持ってないとの事。そのため、その拳銃を売って新しく新調する事に。元よりその拳銃は人に効果があってもモノノケにはあまり期待は出来ない代物。うちらの間で一番使いやすく、護身用に持ち歩く拳銃に買い替える事に。そして一番の悩みであるお金。俺の分は当主におごってもらったが、アスナの分までは無い。そこで役に立ったのが俺を釣ったあのルビー。小石ほどの大きさで加工もされてる。俺と会う前のサバイバル生活の時に見つけたらしい。査定の結果、それなりの額にはなったが、それでも全てを払えなかったので、俺がカンパする羽目に………
「はぁ、俺が払った分。ちゃんと返せよ」
「その内ねぇ~」
なんともお気楽。いや、制服やらを直して上機嫌になっている。そこへ水をさすのは悪いがこれは重要なことだ。俺はアスナの肩を掴んだ。
「アスナ、本当にいいのか?」
「え?」
アスナは振り向いた。
「本当に俺と旅をする覚悟はあるのかと聞いている」
すると振り返ったアスナは腰に手を当てると胸を張って言った。
「もちろん!」
俺はため息しか出なかった。
「昨日や一昨日の事はまだマシな方だぞ。もっとヤバイモノノケや盗賊に会う事だってある。それにあんた、モノノケを見ただけで震えてたじゃないか」
それにアスナは口を尖らせ、そっぽを向いた。
「フンッ、もう慣れたわよ。あのヌシに会って……それで、今日出発するの? それとも明日?」
俺の話も無視して事を先に進めようとするアスナに俺は胸倉を掴んだ。
「生半可な気持ちで俺に付いてくるなら、あんたはただの足手まといだ」
俺は鋭い眼光を目の前に突き付けた。だが、アスナはそれに臆することなく逆に俺の胸倉を掴んだ。
「生半可や軽い気持ちで行くんじゃない! あたしはあたしで目的があるの!」
そういって掴んだ手を突き放した。
「目的? そりゃなんだ? 旅するぐらい一人でも出来るだろ?」
アスナは反対に向くと腕を組んだ。
「あなた、モノノケを狩れるんでしょ?」
「まぁ、そりゃモノノケを狩る一族に産まれたからな」
それを聞くとアスナは振り返るとまた胸を張った。
「なら、あたしの目的を達成するにはいい人材だわ。決定ね。あなたがなんて言おうとあたしはあなたの旅に付いていく」
俺は眉間を摘まんだ。勝手過ぎる。いくら性格の問題でも度が過ぎる。目的を達成するのに俺が必要ということはモノノケ関連ということか………なんとなく察しは付くが――何も知らない者一人増えるのは荷が重すぎる………まぁ、それも慣れ始めたもんだがな――。
俺はそこから旅館に向かおうとした。
「え? ちょっと! あたしの話は――」
「今日はコロニーで一泊。明日食料を準備してここから出る」
それを聞いたアスナに少し笑みがこぼれた。
「分かったわ」
――いいだろう。今日で独り旅もここまでだ。あんたの目的に付き合ってやる。
俺からも少し笑みがこぼれた。
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