永町さん、責める。

 ・

 ・

 ・



 時折緋咲さんの監修はあったものの、春川君の手によって雨水さんのメイクアップが終了したのはそれから数十分後のことだった。


「目、開けてどうぞ」


 そう言いながら、春川君は座っていた机から音を立てずに降りる。

 そして用意していたらしい鏡を彼女の前に置いた。


「開けていいの? ってことは、終わったの?」

「そう、鏡で確認して」


 春川君の返事を聞くと、雨水さんはゆっくりとその目を開けた。

 開けて、真正面に座る私と目が合う。


 彼女は目が合うなりにこにこと笑いながら顔の両脇で手を振った。

 不意なことだったのでつい真似をして手を片方上げたところで、春川君が彼女の机の上に手をつく。


「先にすることがあるよね?」

「ハイ。鏡を見ます」

「はい。見てください」


 スパルタな春川君の指導の下、雨水さんの手が膝の上におずおずと戻っていく。

 私が行き場をなくした自分の手に困っていると、その彼女が「わぁ!」と歓喜の混じった声を上げる。


「虹輝君、虹輝君! これ『うわぁ、これが私!?』って言っていい場面!?」


 はしゃぐ雨水さんの後ろで同じく鏡を覗き込む春川君が白けた目をする。

 口もへの字に曲がっているため、落胆というよりは屈辱といった表情に近い。


「なんでそんな顔なの。虹輝君がやってくれたのに! 似合わなかったら虹輝君の仕業なんですけど!」

「顔は良いよ。でも予想通り髪型が最高にブサイク」

「言い方! 女の子になんてこと言うの!」

「……ほんっとに君は手がかかるな! 櫛は!?」

「おうちにいっぱいあるよ!」

「女子なら持ち歩け! この出来損ないめ!」


 なんだか耳が痛い。

 櫛は折り畳みのものを持ってはいるけど、私の鞄の中を見たら春川君は何か指摘してきそうだ。それもきっとごもっともなことを。


「……ある?」

「もちろん」


 ありがとう、と緋咲さんから櫛を受け取り、春川君は雨水さんの束ねていたおさげを解く。

 そして教室の隅に置かれていたゴミ箱を近くまでもってきて、彼女の髪に櫛を通し始める。


「……君、ドライヤーしてないでしょ」

「うっ、え? ……どうしてそう思ったの?」

「君の性格から」

「だってぇ、乾かしてる時間朝ないんだもん」

「……は? 朝お風呂入ってるの? なんで」

「え。なんとなく? 夜はいることもあるけど、入り忘れた時は朝!」

「………入り忘れる? 昨日は入ってます?」

「入ってるよ!? 私のこと不潔だと思ってない!?」

「もちろん思ってるよ」

「なんでじゃ! ……でも、ヒナ聞いたことあるよ。ドライヤーって実は髪を痛めるんだって!」

「濡れた髪にいきなりするのはよくないよ。拭いてからするの」

「え。そうなの?」


 え。そうなの?

 足元とかパジャマが濡れるから結果的に拭いてからしてるけど、そういえば髪の方の理屈を知らないかもしれない。


「どうして?」

「どうしても」

「教える気ないでしょ!」

「教えられる気ないでしょ。自分で調べればいいじゃん。聞きたいならそれ相応の態度があるよね?」

「……ハイ。教えてください、春川クン」

「はい。髪には保護膜みたいなのがあってね。それが閉じてればさらさらになって、開いたままだとごわごわなの。今の君の髪みたいにね」


 答えながら春川君は髪の毛を左右に分ける。

 その分けた髪をさらに三つに分ける。そこからは手元が良く見えないので断言はできないが、三つに分けてすることと言えば三つ編みぐらいしかない。


「……だからバレたんだぁ」

「そう。ざっくりな説明だけど、乾かしてあげればそれが閉じるわけ。だからドライヤーが必要なの。かといって、雑なドライヤーやらアイロンでも痛むから」

「えー? めんどくさくない?」

「ちなみに、濡れたままでいると将来髪がなくなるよ」

「禿るってこと!?」

「そこに関しては女の子より男の人の方が大事らしいけどね」

「そうなの?」

「そう。僕も詳しくないけど、男性ホルモンが何かしでかしてくれるみたいだよ。もちろん生活習慣とかも関わってくるからそれが全部の原因ってわけじゃないけど」


 私と同様に彼の話を聞いていたであろう緋咲さんがくすくすと笑い始める。


「……間違ってました?」

「ううん。勇士くんが深刻そうに聞いてたから、そっちが可笑しくって」


 春川君と雨水さんの視線が幸村先輩の横に流れていく。

 興味本位で私も幸村先輩の後ろ側から氷上君の様子をちらりと確認する。


 そこには自分の頭皮を抑える彼の姿があった。


「頭抑えても生え際は強くならないけどね」

「分かってるわ! ……ちなみに、センセイ、性欲が強いと禿げるって話はマジなんですか?」


 雨水さんの興味が氷上君から春川君に移る。その影響で彼女の顔が左向きから上向きに移行したわけだけれど、春川君はそれを両手で正常な位置に問答無用で強制した。

 そして、右手に持っていた櫛でびしっと氷上君を指す。


「一つ、君に先生って呼ばれる筋合いはない」

「ハイ」

「二つ」


 春川君が女性顔負けの大きい瞳を強く見開く。

 幸村先輩とは別のベクトルの迫力が生じている。


「それは女性もいるこの場所で出す単語としてふさわしいと思うか?」

「ハイ。オモイマセン」

「はい」


 親の敵と言わんばかりの睨みっぷりを披露した春川君はそこで矛を収め、目の前の作業に流れるように戻っていく。


「知らないからごまかしたと思われると腹立つから一応答えるけど、『可能性がある』ということを否定しきれないだけで基本デマなので性欲に罪を被せないこと。それ気にするぐらいならまともな人間生活を送れ。そしてそういう俗な単語を二度と僕に使わせるな」

「ハイ。ご教授アリガトウゴザイマシタ」

「こちらこそどうも」


 パチン、と春川君の手元で結び終えたゴムが鳴る。


「というか、誰」

「氷上って名乗りましたが!?」

「あぁ、そういえば謹慎処分がどうのって話してたね。……君か、品性の欠けてる人間は」

「品性!? ちょ、お前! あのなぁ! あれにはこう……色々とあったんだぜ!?」

「あぁそう。でも興味ないから説明は要らないよ」

「あんだと!?」


 ダン! と氷上君が幸村先輩の机をたたきながら立ち上がる。

 それを意に介さず、春川君はもう片方の三つ編みに取り組む。


 説明は要らない。

 そう言ったから聞く姿勢を持たないのだろう。要らないといったのだから。

 なんというか、合理主義な彼っぽい。


 相手にされないことを悟った氷上君は話を分かち合える幸村先輩の本を支える腕にしがみ付き始めた。


「……センパイ、俺達の青春、ぼろくそに言われたんですけど!」

「えぇ? 『達』って、なんで俺まで巻き込まれてるの」

「あっ」

「ちなみに、……氷上は『品性』あったと思う?」

「……なかった、と。思いマス」

「ん。俺も」


 雨水さんがいるため本性を出す気は全くないようだが、無関係の体を貫く気はないらしい。

 もしくは、春川君に嘘偽りを見せる気がないのか。

 流石の彼もここで幸村先輩を名指しして、そういう人ですよね? と問いただすことはしないだろうけど……。


 氷上君が幸村先輩に泣きついている間に春川君の方の作業が終わったらしく、雨水さんは再度鏡を見るように指示されていた。


「まぁ、見られるようにはなったかな」


 私は鏡を見る雨水さんを見遣る。

 彼女の髪は今しがた耳の下で三つ編みに結ばれたのだが、ただの三つ編みではないようだ。こういうのは、ふんわりしている、という表現でいいのだろうか。

 ただ結んだだけではなく、髪を少し遊ばせているので三つ編みなのにぴっちりとした印象がない。もちろん、三つ編みも結び方によって雰囲気を作ることはできるが、そういう手間のかけ方ではないようだ。


「なに、この三つ編み。春川君、どうやったの?」

「少し解いただけだけど。本当はウェーブにしたかったんだけど、時間がないからこれで我慢ね。あとは制服を正してくれる?」

「上履きないけどいい?」

「いいわけあるか。……今日はどこに捨ててきたわけ?」

「うーん、プール棟かなぁ」

「……土足じゃんあそこ」


 プール棟は校舎から少し離れたところにある。といっても歩いて5分とかかる距離ではない。でも離れている以上上履きで移動することはあまりない。

 このぐらいの距離上履きでいいや、ってなる人はいるであろう距離だけど。

 というか、今の時期1年の体育は水泳ではないから、部活がそこなのだろうか。


 ……え?

 上履きで仮にプール棟まで行ったとして。

 そこに上履きを忘れてきたのなら、この子、帰りは何を履いて帰ってきたの……?


 まさか。


 私がそんなことを思っている最中、雨水さんは椅子から立ち上がり、だぼついていたシャツをぴっちりスカートの中にしまう。


「今だけ第一まで閉じて」


 春川君の言うとおりに彼女はボタンを閉じる。


「……一応聞くけど、セーターとかは?」

「ないよ?」


 女子はセーターもしくはベストの着用が厳守である。

 保健体育科生だとベストを着用せず、ワイシャツの下に部活用のシャツを着ている人もいる。そうすることによって防げるのは言わずもがなシャツの下が透けることだ。


 それを着ていないのだから。要は。


 私はなんとなく恥ずかしくなって視線を机の上に落とす。


「……聞きたくないんだけど、じゃあ下にTシャツとか着てるんだよね?」

「下? 水着だよ。見る?」

「窓から突き落とすぞ」


 ぷ、と吹き出す女物の声。私ではないから必然的にあと一人しかいない。


「緋咲さん!」


 咎めるように怒るように春川君が呼びかけると、緋咲さんは椅子の背もたれをぎしりと鳴らした。口元は隠しながらも声を隠さずに笑う彼女は「ごめんなさい」と言いながら目尻を一度手でこする。


「だって、虹輝が取り乱すことなんてそうそうないんだもん。やるわね、雛希ちゃん」

「へ。いやぁ、それほどでもぉ」

「褒められてないんだよ。もう面倒だしこれでいいや。間に合わせで着といて」


 そう言って虹輝君は自分の着ていたカーディガンを脱いで彼女に手渡す。

 ご丁寧に一旦畳んで。


「え、女の子から借りるんじゃだめなの?」

「それだとサイズが同じでしょ。僕のでも辛うじて大きいはずだから」

「大きいのが良いの?」

「そう」

「なんで?」

「ゆるふわで固めてるから」

「ふぇ? 緩いの硬いの、どっち?」

「何で知らないの。ファッションの一種なんだけど」

「虹輝君はなんでそう言うの詳しいの?」

「何で君は女の子なのに詳しくないの?」


 私は正面で委縮しながら視界をそっと机の上に這わせる。

 さっきより耳が痛いことを言われている。

 私もその言葉には明るくない。

 というか、今更認めるまでもないけど私より虹輝君の方が女子力と呼ばれるべきものが高い。

 女の矜持みたいなものはないけれど、男の子の方が詳しいのは多分恥じるべきなんだと思う。

 でもどこかで春川君のこの知識量は特化的だとも思っている。知りすぎなのではないか。


「大きめの服だといいの?」


 春川君のカーディガンを受け取った雨水さんはそれに躊躇いなく袖を通し始める。


「そう。ワイドサイズなのを着て体の線を隠すの。そうやって華奢に見せると男受けがいいんだよ」

「男の人ってそういうのが好きなの?」

「庇護欲があるからね。男は問答無用で小さいのと弱弱しいのとあざといものが好きだよ。そこに付け込めれば女の子の勝ちだから」

「……その言い方大丈夫? ここ、虹輝君以外にも男の人いるよ?」

「異論は聞くよ。あるならね」

「――ですって、お二人さん」


 緋咲さんがにまにましながら正面の二人に話を振る。

 この人、いつも楽しそうだけど今日はそれに増して楽しそうだ。

 居心地の悪さを感じているんじゃないだろうか。当の本人たちは。押しに弱いものだから、ついそちらに同情してしまう。

 だが先輩は動じた素振りを見せず、頬杖をつく。やや困り顔に見えるのが本心なのか、あえてそう見せているだけなのか。一切の判断が付かない。


「まぁ、人の好みに寄るんじゃない? そういうのが好きな人がいるのも事実だと思うよ?」

「あらそうなの? ……じゃあ幸村の元カノさんもそういう感じのファッションが似合う人?」

「……それは聞かない約束でしょ」

「え。センパイ、彼女いたんすか? 俺知らないんですけど。俺が知らないってことは俺と会う前の話ってことっすか? そうっすよね? そうじゃないと怒りますよ」

「なんで怒られんの?」

「ほら、勇士くんがめんどくさい彼女みたいになってるじゃない」

「誰なのよその女! あたくしというものがありながら羨ましいですわ!」

「……なんか違うわね」


 氷上君が幸村先輩に固執している一方で雨水さんが春川君のカーディガンを着終わっていた。

 無理やり着せられたからなのか、暑いからなのか。雨水さんは不満げな表情で長い袖口を見つめる。


「何。大して大きくないとか言いたいの?」

「……人工甘味料みたいな匂いがする」

「……それ嗅いで楽しむものじゃないんだけど。臭いってこと? というか嗅がないでくれる?」

「なんか……凄い作り物の匂いがする。ヒトからする匂いじゃないよ。芳香剤だよ。というか、シンプルに虹輝君が女の子よりいい匂いなのショックなんだけど」

「……そんなわけ分からないこと言われんの初めてなんだけど」

「だって……ちょっと雫ちゃんも嗅いでみてよ。この人工甘味料の匂い」

「へ」


 なんでそこで私の出番なの? とか聞く前に雨水さんの手、基、彼女の指先まで覆っている春川君の上着が顔の前に置かれていた。というか、鼻と口をふさがれていた。

 これで嗅ぐなという方が無理だ。口に嗅覚はないが、どちらもが息を吸い込む器官なのだから逃れようがない。呼吸をするだけで仄かに香る。


 人工甘味料の匂い、というのが全く分からないが、不思議と彼女の言わんとすることが分かる匂いだった。

 人の手で作られたもの、というニュアンスで彼女はそう表現したのだろう。


 そう納得しながらも彼に対する忍びなさが一気に押し寄せてくる。

 親しい人間にだって嗅がれたくないだろうに、よりにもよってただ居合わせたような人間に……。


「ね? 人工甘味料じゃない?」

「……そう、ね」


 柔軟剤の匂いなんだろうか。

 それとも消臭剤の匂いなんだろうか。

 こういうものって家の匂いとか吸い込んでそうなものだがそういう個人を特定できそうな要素がまるでない。人工的手法で着く匂いしか感じられない。

 彼の清潔への徹底っぷりがそのまま現れている。そんな人のカーディガンに口と鼻をつけてしまった罪悪感が凄い。


 そんな重たい感想を抱いてしまうのも、雨水さんの言う通りその香りが不快なものではないからだろう。

 なんでこんなに人の匂いについて分析してしまうのか。

 それはそうしてしまうほど、理解できないからだ。


 なんで同級生の男の子から重く甘い匂いがするのか。


 ……え。

 男の人ってそうなの?


「阿保なこと言ってないで次。口とじておとなしくしといて。あと袖はまくらない」

「そうだ。男の人が萌え袖好きなのってほんと?」

「本当。だからまくらないで」

「虹輝君もそうなの?」

「僕は袖口が汚れるから嫌い」

「……言ってることとやらせてること違くない?」

「誰が僕に合わせるって言った? あっちの安直なのには受けるよ」


 びしっ、と、虹輝君の人差し指が対角線に飛んでいく。

 ……言われてるわよ、氷上君。

 初対面同然なのに良い印象与えなかったせいで容赦されずに言われている。

 私も口を挟んでいないから目立たないだけで、何か穴を見つけられたら手厳しく詰められそうだ。


 化粧の仕方とか、私は全く分からない。

 小学生の頃習っていたピアノの発表会当日には少し見栄を張って化粧をしていた。

 顔の水分が持っていかれるような感じがして、正直好きではなかった。でもお母さんがしてくれるって言うから、毎年してもらっていた。

 大人の人が赤い口紅をつけても違和感がないのに、自分が付けているのを鏡で見ると道化のようにみえて、発表会当日は会場でお手洗いによっても極力鏡は見ないようにしていた。


 お母さんが、崩れてないか鏡でちゃんと確認しないさいって何度か親切に教えてくれたけど、そればっかりは空返事で済ませていた。


 似合わないと分かっていながら何もしなかった。

 そんなことを春川君が知ったら、惰性だの怠惰だの言われてしまいそうだ。


 そう思いながら、なんで今も少しびくびくするぐらいには怒られると思っているのだろうと考える。


 彼の言葉が厳しいから?

 でもいくら厳しい人でも私みたいな少し接点のある人にまで同じ尺度で測るかはまた別の話の気がする。


 いや、でも彼が身内にだけ厳しいとか、身内には甘いとか、そういう人な気はしない。多少温情があったとしても彼は彼の正論を歪ませたがる人ではないだろうから。


 外だの内だの関係なく、彼は平等の熱で応じる。

 その熱がいつだって常温より上だから、他者の目に彼は『キツイ』人として映るのだろうか。


「どう? 虹輝。出来た?」

「……及第点にはなったでしょう」

「本当? どれどれ」


 緋咲さんが席を立って雨水さんの前まで移動する。

 そしてじっくりと雨水さんの顔を見つめる。

 緋咲さんにまじまじと見られているうちに、雨水さんがたじたじになっていく。


「うえぇ……絶対風岡先輩には敵わないよぉ」

「当たり前でしょ。普段の努力値が違うんだから、見習ったほうが良いよ」

「虹輝君、風岡先輩のことになると全肯定すぎない?」

「そうさせるだけのことしてると思うけどね」

「……一体普段から何してるんですか、風岡先輩」

「んー?」


 緋咲さんは考えるように頬に手を当てたが、すぐその手を口の前まで動かして人差し指を立てる。そんな仕草で。


「なーいしょ」


 と、少し声を弾ませながら言う。

 この人、可愛く見せるコツだけじゃなくて可愛いと思わせる声の置き方まで熟知してるんだから抜かりがない。


「えぇぇ! そこをなんとか!」

「だめよ、企業努力だもの」


「いいじゃないですか。減るものじゃないでしょ」と雨水さんに同調した虹輝君の額を緋咲さんは前髪の上からとん、と弾く。


「だーめっ。女の子の魔法は男の子に知られたら解けちゃうんだから」

「昔は何でも教えてくれたくせに」

「あら」


 天真爛漫なあどけない表情を作っていた彼女の顔が小悪魔のように幼気に陰る。


「男の子だって、その魔法を女の子に暴かれたくはないでしょう?」

「……」


 緋咲さんの解答に、春川君が押し黙る。

 なんでこの二人は異性の身嗜みにまでこうも詳しいのか。


 とりあえず緋咲さんに完封された春川君の表情を前に、私は弟たちの細やかな変化には絶対に目を瞑ろうと心に決めた。

 気まずい様な、後ろめたい様な。そういう弱気な色を滲ませながら、そこを指摘されたことに棘のあることを思っていそうな。そんな顔。


 緋咲さんの言い方的に、春川君の『隠し事』は彼女には筒抜けなのだろう。

 言い当てていないだけで、暴かれてしまったのだ。

 そんな一枚上手なことをされてしまっては、春川君のことを知らない私でも彼は良い気分にはならないだろうと分かる。


「はぁい、じゃあお披露目会しましょうね。出番よ、男性陣諸君」


 緋咲さんはすっかりいつも通りのどこかしらで可愛さの意識を薄めきっていない声に戻り、雨水さんの背を押しながら一番ドア側に近いところに座っている男性2人に寄って行く。


 仕掛け人であるためその枠から外れている春川君は、むっつりとした表情のままガタガタとイスを鳴らしながら私の前に座り、そのまま腕を組んで何もない窓の外を眺め出した。


 ……意外と分かりやすい人なのかもしれない。彼も。


 きっとこうなった彼の機嫌を直せるのは時間か、緋咲さんだけだろう。


 そんな緋咲さんに連れていかれた雨水さんは春川君にあれやこれや聞いていた時とはまるで別人のようにしおらしくなっていた。

 親しくないであろう人に何を言われるのかなんて分かったものじゃないから仕方ない。


 私は祈るようにその成り行きを見届ける。

 先輩は大丈夫だろうけど……お願いだから雑なこと言わないでよ。


「勇士くんからどうぞ」

「え? えっと……、イイと思いマス、よ?」

「はい。勇士くん失格」

「いきなりは無理でしょ!? 何言えばいいのか分かるわけないじゃないっすか!」


 叫ぶ彼に私は苦笑いを隠しながらこっそり便乗する。

 何を言えば分からない。その通りだ。


 メイクを施された雨水さんは可愛らしくなった。

 でも、それ以上の何を言えばいいのか分からない。

 どこがいいですね、とか。どこか一か所を指定して、それ素敵ですね、とか。


「もー仕方ないわねぇ。はい、幸村、お手本」


 流石の先輩でも難しいのでは。

 でもあの先輩ならそつなくこなせてしまう気もする。

 あの人は不確定要素が多いから。

 気付けば春川君も顔のすべてをそちらに向けているわけではなかったが、意識はそちらに向けているようだった。


「こういうのってそうやって促されてするものじゃないと思うけどね。仕込みみたいじゃん?」

「同室で準備してるところ見てたんだから、仕込みよ」

「外で待機させてくれればよかったのに」

「何も大それたことを言ってほしいわけじゃないわ。男性目線からありかなしかを教えてくれればいいのよ」

「普通にありだと思うよ。可愛い。でも趣味を言っていいなら目をもう少し弄ってもいいかも」


 ……そうなの? という感想しか浮かばない。

 目を弄るというと、アイシャドウだろうか。それとも言葉通り先輩の趣味? 

 いやでもこの人が露骨に自分の趣味の話を上げるような気はしない。


 さらさらとそんなことを言う先輩に唖然とする。

 そんな先輩は自身の頬を指差しながらもう一言続ける。


「あとは写真撮るだろうから笑う練習もしとくといいかも」


 先輩が自身の頬を指さしながら言うと、雨水さんも同じように自分の頬を人差し指でさす。

 彼女がにこり、とゆっくり笑えば、先輩も「いいね」と言いながら目を細める。


 和気あいあいとしている二人の横で緋咲さんは小さく唸りながら、自身の机の前に置いていたメイクボックスを手慣れた手つきで開けて中からペン状のものを取り出した。


「雛希ちゃん、ちょっと目を閉じてくれる?」

「あ、はーい」


 雨水さんは素直にそう頷いて、目を閉じ、緋咲さんのほうを向いて顔を上げる。

 化粧されるのが楽しくなってきたのか、はたまた幸村先輩の会話の余韻でなのか。彼女の口元はとても楽しそうだ。


 緋咲さんはペン状のそれのキャップを素早く外すと、ささっと彼女の瞼に何かを描く。その位置ということは、アイラインかもしれない。私の位置からはよく見えない。


 両目に何かを施すと、緋咲さんは左右から雨水さんの顔を見回したかと思いきや、今度はブラシを取り出して彼女の顔ををそれでささっと撫でる。

 もちろんパウダーをつけてから。


「……ハイライト? それなら入れたけど」


 虹輝君が不機嫌を隠さずに口を挟む。


「なら影も入れてあげるといいわよ。小顔に見えるから」

「……ふうん」


 ……影を入れるってどういうこと?

 顔の部位の高低差はいじれないのだから影はどうにもならないんじゃ……。


 緋咲さんがパウダーの蓋をぱちんと閉じるとほぼ同時に春川君が傍にあった鏡を持って立ち上がった。

 それを、「目を開けていいわよ」と言われた雨水さんの前にさりげなく差し出す。


「わぁ……! わぁ? 何が変わりました?」

「そうなるわよね」

「分かってないなら今何に一瞬驚いたの?」

「驚くでしょ。だってもう私の顔じゃないもん」

「アイラインを目尻に引いてみたの。幸村が目元がどうのって言ってたから」

「へ? 虹輝君は使わなかったの?」

「虹輝がやったのは目の縁だけよ。私は目尻の先のちょん、ってなってるとこ。赤で引いたのが私よ」

「何で赤? 黒が重いって言うなら茶色でよかったんじゃないの?」

「理由は簡単よ。そっちのほうが映えるから」

「……あぁ、そういえば女の子はそれが死活問題だったね」

「写真で見る時と直で見るときで変わるのよ」


 エントリー写真撮るだろうからポージングも考えないとね、という緋咲さんの呟きに、雨水さんは折角のメイクが台無しになるぐらいの皺皺な顔を浮かべた。




 ・

 ・

 ・




 一通りのメイクが終わると、雨水さんは化粧を落とすためにタオルとメイク落としを手に部室の外へと出て行った。


「結局男装じゃなくていいの?」

「考えもしたんですけど、あの人の顔中性的でもないので」

「そう言われるとそうねぇ。雛希ちゃんも男の人っぽい顔ではないから。でもそれこそ化粧で化けるわよ?」

「でも僕がそう言うの知らないんで」

「んー、なるほどねぇ」

「……まぁさいあく優勝できなくてもいいですよ。やれることやったんなら満足できると思うんで。僕が」


 お前かよ。

 氷上君のそんな小さい呟きには緋咲さんは少し笑みを零したが、春川君の表情はまるで鉄そのもののままだった。


 そんな二人は「あとは衣装ね」という話を進めていく。

 そのシーンを見て初めて思ったわけではないけれど、この2人は意外と似た者同士なんだなぁと会話のテンポで感じる。


「衣装とか、演劇部に借りちゃう? 私、頼めるわよ」

「なんで伝手があるんですか」

「去年ちょっと貸しがあるのよ。確認してみるわね」

「一回断られたら引いてくださいね」

「はぁい。……そういえばそちらのお2人は文化祭の準備は順調かしら?」


 緋咲さんの視線の先が虹輝君から私たちに移る。

 文化祭実行委員ともなると、そういう各クラスの進捗も気にしなければならないのだろうか。今の彼女の問いは純粋な疑問だろうけれど、頭の片隅でふとそう思った。


 思いながら、私たちは無意識に顔を見合わせた。


「あら、順調じゃなさげな感じかしら」

「まぁ……、そんな感じっすかねぇ……」

「でもそろそろ決めないと時間的にまずいわよ? 意外と放課後だけって時間ないんだから。一応前日は丸一日準備できるけど……」


 そこで時間を取れたとしても時間は有限だ。結局は数時間なのだから。

 大まかな出し物だけではなくデティールも決めなければいけないし、当番も決めないといけない。


「あと、自分たちで用意するなら話は別だけど、学校が用意してる段ボールは早いもの順なのよ。足りなかったら自分たちで調達しないといけないの。それは楽じゃないから早めのほうが良いわ」

「やっぱそうっすよねぇ……。でも決まらないんだなぁこれが」

「決める気がないからでしょ?」


 間髪入れずに彼が口を挟む。

 彼ならそう言うと。

 そう言ってくれると、どこかで期待に似たものを思っていた。


「君たちが、かは知らないけど。どうせ全員思ってるんだよ。誰かが決めてくれるって。いっそ言ってみればいいんじゃない? 決まらないならやめちゃおうよ、って」


 春川君はそう言って鼻で笑う。

 笑いもするわ。きっと彼ならそんな一石を投じるのは苦なんかじゃないから。


 けれど、私には難易度が高すぎる。

 人を束ねる役職を与えられた以上、腹を括るべきなんだろうけれど、私にはできない。


「ね? そう思うでしょ?」


 春川君の黒目がちの双眸が私を見る。

 どうして私を見たのか。

 ただ単に同意を押し付けたかったのか。

 はたまた。彼にそう言わしめる顔を私がしていたのか。


 ひどい話だ。

 他人を悪い言い訳に使うのなんて、自分が根源まで尽力してからじゃないと割に合わないのに。

 こんなんだから、私はダメ。


 ウチのクラスも、雨水さんみたいに春川君に面倒見てもらえたらいいのに。

 そう言う考え方をすぐしてしまうんだから。私はダメ。




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