永町さん、囲まれる。
◇
「あれ。センパイ、ちわっす。今から部室っすか?」
依然、文化祭の方はどうにもなっていない。
水楢さんも、他のクラスの人も、部活の方で忙しくしていて纏まった時間が取れていない。
話し合おうという空気にはなっているし、話し合いの場事態は休み時間にも出来ているのだけれど、話だけが進展しない。
時間に中身が伴っていない。
なんで、どうにもならないんだろう。
そう思いたくもなるが、当たり前のことだ。
時間が解決してくれる場合は、もう、そこが瀬戸際だってことなんだから。
出店しないことにしましょう。
そういう、瀬戸際。
それはなんとかしなければ。
でも、私なんかじゃどうにもならない。
微々たる力にすらならない。
そんな気分で家に帰りたくなくて、部室に向かうって言っていた氷上君に着いてきてしまった。
今の時間は放課後になってすぐではない。30分ぐらい過ぎている。
氷上君も、なんとなく、似た理由で部室に行こうとしてるんじゃないのかと勝手に思っている。
彼、幸村先輩には思い入れがあるみたいだから。
そんな先輩が部室に向かう途中の階段にいた。
氷上君の問いかけに振り返った先輩は、心なしか目が大きかった。
驚いて、とかではなく。目つきを良くしようと努めている、ということだ。
それだけで表情が明るく見えるのだから、目元って馬鹿にならない。
「あれ? 先輩、今日『余所行き』なんすね」
そんな些細なこととはいえ私が気付くことに氷上君が気付かないはずがない。
幸村先輩は少し笑いながら、小首を傾げた。
「ちょっと、部室に人が来ててね」
「え。俺ら以外来る人いるんですか?」
春川君だろうか。
でも、春川君も先輩のことは知ってるはずだから今更になるのでは。
となると別の人?
緋咲さんの知り合いとか、そのあたりだろうか。
「2人はもしかしたら知ってるんじゃない? 1年生らしいよ」
「……センパイ、もしかして今だるいって思ってます?」
氷上君がしたり顔で尋ねる。
やたらと自信ありげだが、何を根拠にそう思ったのだろう。
氷上君の問いに、先輩は暫く笑みをたたえていた。
が。
「割と」
そう言った瞬間いつもの顔に一瞬で戻り切っていた。
気迫が全くない。
割と、という程度の言葉を使っているが、表情が物語るのは『心底』といった具合に見えるのだが本心はいかに。
声も耳障りの良い丸い声から取り繕う気のない低い声へと落ちる。
そんなうんざりしている先輩を前に、氷上君は階段を駆け上がってその横に並んだ
「もー、センパイったら正直者なんだから」
「嘘しか言わねェ奴よりいいだろ」
「でも余所行きの方は嘘ばっかんでしょぉ? どうせ」
「あぁ? 素だわ。帳じり合わせんのだりィだろうが」
「チョウジリ。なんすかそれ」
「アタマ悪。中空洞かよ」
「もちろん」
そんなことを言い合いながら男子二人が前を上っていく。
相変わらずこの二人の温度差はよく分からない。
氷上君はこの先輩に暴言を吐かれるのが満更ではないのが返ってよく分からなくさせる。
そんな彼は階段を一段飛ばしで駆け上がる。
身軽な素振りが彼の心境をそのまま表しているようだ。
「そんなんだったら帰っちゃえばいいじゃないっすか」
「あの女が返すわけねぇだろ」
「緋咲さんっすか。とか言って、センパイ、緋咲さんと帰るの満更でもないんで――いってぇ! 膝入れんのはなしでしょぉ!?」
調子よくしゃべる氷上君の背に先輩が無言で膝蹴りを入れる。
……入れられるのは分かってたことじゃない。その先輩、口で言うより手足で分からせるタイプなの、氷上君が一番知ってるはずなのに。
でもそんなことではめげない彼はそのまま先輩の横を陣取ったままあることないことを話しながら部室へと進んでいく。
部室に別の人が来てるのなら、私はもう失礼しようかしら。
妙に重たい気分が払しょくされそうにないのなら、その来ている人の用事の妨げになってしまいそうだ。
そうは思いながらも二人の会話に割って入ってもう帰りますということもできず、そのまま部室の前までずるずると着いてきてしまった。
部室のドアが見えると、幸村先輩は頭を下げるほどの溜息を吐く。
それがこの人なりの切り替え方なのか、それから階段下で会ったような顔つきにまた切り替わる。
「センパイも大変そうっすね」
「だったらとっくに辞めてる」
だから大変ではない、と。
もう引っ込みつかないだけとかじゃないといいけど。
先輩ががらり、とドアを開けると、中には3人いた。
女子が二人と男子がひとり。
知らないのは女子一人だけだ。もう一人は緋咲さんだから。
「あら大所帯ね」
それが嬉しいのか、緋咲さんは大きく微笑む。
「今お客さんが来てるんだけど、雫たちはご存じ? 1年生の、うすいひなのちゃんって言うんだけど」
うすいひなの。
分からない。字面を見ればもしかしたら。
うすい――臼井。碓井。碓氷。笛吹。
……いたかしら。
そういう反応が真っ先に浮かぶ。
ふと、考えるために視界を下に向けて別のことに気づく。
この子、上履きが、ない。
「……」
嫌な想像が働く。
だって。
学生生活で上履きがなくなるって、隠されるぐらいしかないんじゃ……。
それで困ってるところを緋咲さんたちがここまで連れてきたとか、そういう話だったりするんだろうか。
「いやぁ、知らないっすね。多分お宅も知らんしょ。俺らのこと」
氷上君の質問に、うすいさんは「多分?」と首を傾ける。
「お名前聞いたらもしかしたらってなるかも! ってことで、教えてー」
そう言って、彼女はにぱっと笑う。
上唇の陰から八重歯がのぞいた。
私があまり接しないタイプの子だって。その笑い方一つでもう分かる。
「……永町雫です」
「雫ちゃん。と?」
「え。あ、俺もすか。氷上ですケド」
「あぁ! 氷上くん! ヒナ、知ってる! 4月に謹慎処分くらってた人でしょ!?」
「ぐふっ」
氷上君が胸元を抑える。
あまり思い出したくない話らしい。
……無理難題でしょう。インパクトが大きい内容ですもの。それを知ってる人からすれば一番の印象になってしまうのは自然だ。
「氷上くん、何しちゃったの? バイクでも乗った?」
バイクの操縦も校則違反だ。もちろん後ろに乗るのは問題ない。
ちなみにバイクに限らず免許を取ることも禁止だったはず。
「そーゆーのはあんまむやみやたらと聞かない方がいいぜ。危ない目に合いたくなかったらな。――……あれ、名前、なんて言ったっけ?」
……この人、今妙に尖った雰囲気作って変に格好つけようとしたわね。教室でもたまにやってるのよ。変に格好つけるやつ。ポーズとかそれっぽいの付けて。
でも氷上君だからそれがびしっと決まったことはない。
「ヒナの名前? うすいひなの。覚えにくかったらヒナでいいよ?」
「あ、マジ? ってかヒナさんは何でここに?」
「あー……聞いちゃう?」
「そりゃ聞くだろ」
氷上君が至極真っ当な返し方をすると、うすいさんは、ふっふっふ、と肩を揺らして笑う。
「そーゆーのはあんまり聞かないほうがいいぜっ! 危ない目に合いたくなかったらなっ!」
「あぁん!? てめぇ真似してんじゃねぇ!」
妙な決めポーズ付きで既視感のある台詞を並べたうすいさんに氷上君が素早く噛みつく。
……幸村先輩がげんなりしていた理由はこれだろうか。
具体的にどういうべきなのかは分からないが、心中を察するのは難しくはない気がする。
この子、なんというか、影響力が強い。
自由奔放っていうのだろうか。悪い子には見えないけど……でも、何かが大変そう。
まぁ、楽しそうで何より、といったところでいいだろうか。
「ねえ。馬鹿な動きしてないで僕の目の前に座ってくれる? 何のためにここに来たのか分かってんだよね?」
「ハイ」
そんな自由気ままの彼女が彼の一言で委縮して、一番窓際の席に腰を下ろした。
その椅子とセットになっている机に、春川君は腰を下ろしている。
なんで机なのかはよく分からないが、春川君がそこを選んだのなら相応の理由があるのだろう。
「……つっよ」
氷上君が思わずそう呟くのも無理はない。
春川君にきつく言われて、言い淀む人は多い。
となると、途端に普通の子に見えてきてしまう。
ここまで自分の気持ちに率直そうな子でも春川君にかかれば一蹴されてしまうらしい。冗談とか通じなさそうだから、そこが相性良くないのかもしれない。
逆に相性がいいのかもしれないけれど。
「ん?」と隣で氷上君が顔を顰め、天井に視線を上げる。
そこに何かいるのかと一瞬思ったが、どうやら何か考えが至ったらしい。
その仕草を見ていると、私もはて、と何かを思い出す。
うすいひなの――字はおそらく、雨水雛希と書くのだろう。
特定しても、本当に読み方がそれで合っているのか自信はない。でも読めないことはないはずだ。それを正としたまま話を進めると、確か、定期試験の順位でその名前を見たことがあるような。
それもあるが、噂でも確か。
氷上君が謹慎処分を食らった時、クラスの人が「他のクラスにもやばい奴ははいるけどまさかウチがぶっちぎりだったとわねぇ」とか言ってたような。
他のクラスの人も「ウチにやばい奴がいるけど、氷上ってやつの方がよっぽどやべぇのな」とか言ってたような。
その流れでその『やばい奴』こと問題児の名前だけ数日独り歩きしてたはず。
ひがみゆうし。
はるかわこうき。
うすいひなの。
そんな響きだったような。
「……」
……そういう人たちって、『混ぜたら危険』とかなのかしら。
いやでも、噂で判断するのは良くないわね。
氷上君だって、話してみれば別に危険な人というわけでもないわけだし、なんだかんだあったけど私はこうして行動できるぐらいには馴染んでいるのだからこの二人も一部性格がとがっているだけで、案外普通の人という可能性は否めない。
「いい? 勝手に動いたら化け物にするから。人間の体を保ちたいんだったら僕の言うことに黙って従え」
「ハイ。あの、虹輝君、なんか……怒ってます?」
「激怒してるね」
「えぇ……。雛希さん、何かした?」
「度し難いことをされましたけど何か」
「身に覚えないんだけど。私が何したって言うのさ!」
「今日一日君のことばかり考えさせられた僕の気持ちがなんで分かんないの?」
「え、えぇ……? ごめんな、さい? なの? えぇ!? ちょっと待って不満なんだけど! 私のこと考えてて機嫌損ねるってどゆことなの! ちょっと虹輝君! 説明して!」
「死ぬほど興味のない相手に時間を使わされたってことだよ。理由としては十分でしょ」
「虹輝君が勝手に使ったんじゃん?」
「なんだって? 顔面ゲテモノ料理にしろって? 腕ふるってやろうか?」
「ごめんなさいでした! じゃあ、虹輝君の手でヒナのこと、可愛くしてねっ!」
「どうして君はそんなに僕の気分を落とすこと言うのが得意なの?」
「何言ったって落ちるくせにぃ!」
「いいから黙って目を閉じろ」
「ハイ。ヨロシクオネガイシマス」
……まぁ、何をもってして『普通』と決めるかは人によって定義が違うから、一概に『変』とも言えないということで今日は手を打つことにしよう。
入室するなりいきなり突飛な出来事に当て逃げされてしまったのでつい入り口付近で棒立ちになってしまったが、幸村先輩がさっさと指定席に腰を下ろしていたのを見て、私たちも並べられた椅子と机の方に寄って行く。
「おかえりなさい、幸村。2人も、いらっしゃい」
春川君と雨水さんのやりとりをどこか楽しそうな表情で聞いていた緋咲さんが私たちに静かに手を振る。
緋咲さんと春川君は親類縁者とのことだし、春川君の他者に対する距離感は慣れっこなのだろう。それにしたって動じなさすぎに見えるが、春川君は緋咲さんに対してもあんな感じなのだろうか。
「……つか、緋咲さん。これどんな状況なんすか」
幸村先輩の右隣の床に座った氷上君が膝立ちで緋咲さんの方に寄り、こそこそそう尋ねる。
こそこそと尋ねているが、幸村先輩の二つ横に座っている私にまで聞こえているので多分渦中の二人にも聞こえているのでは。
その二人は意に介さずそれぞれの世界に没頭しているが。
雨水さんは写真撮影でもする時のように背筋を伸ばして座り、春川君がその向かいの机に座ったまま彼女の顔に手を伸ばす。
その手に持っているものと隣の机の上に広がっているのは……化粧道具のように見えるのだけど、どういう状況なのかはまるで分からない。
「あのね、雛希ちゃんがミスコンに出てくれるみたいで、そのお手伝いを虹輝がしてくれてるのよ」
実際、春川君は雨水さんの顔に化粧を施していく。
私の位置からでは春川君の背が大体を隠しているのでよく見えないが、春川君が雨水さんの顔を多方面から確認するときなどに少しその詳細が垣間見える。
……というか、春川君、化粧できる腕があったの?
これは、偏見でもなく率直に予想外すぎるって言っても失礼には当たらないはず。
化粧を他人に出来る人なんて、少数でしょうから。『できない』を当たり前と思っていても視野が狭いと彼に手厳しく言われる必要はないはず。
「……はえ? ウチの学校ミスコンなんてあんすか!?」
「もう、やーね、勇士くんったら。実行委員会で生天目君が言ってたじゃない」
そう言われても尚はっきりしない反応な辺り、聞いてなかったのだろう。
他にも聞いてないことがありそうで不安が募る。
「せっかく来てくれたんだし、勇士くんも雛希ちゃんの変身に男性としての目線の意見ちょうだいね?」
「……んン!? いやいやいや、俺そう言うの無理っすよ!? ……あっ、センパイが残ってる理由も、まさか!?」
「ぴんぽーん! 勇士くん、正解」
「……センパイ、なんでそういうこと言ってくれなかったんですか?」
「んー? 内緒」
「うおぉおお! センパイの馬鹿ァ!」
涼やかな表情で読書をしていた幸村先輩は穏やかな表情でその顔を上げる。
そして右側に首を捻る。
そちら側には氷上君しかいないのでその時の先輩の表情は彼にしか分からない。ただ、爆速で「すんませんした」とお手本のような頭の下げ方をしていたから、睨まれたか凄まれたのだろう。
まったく。懲りない人なんだから。
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