春川くん、本腰を入れる。



 ◇



「あ、おはよー。虹輝君」

「……」


 さて、どこから何を言ったもんか。

 この人ほんとに極端だな、から入るべきか。


 1時間目となると、HRが長引いた場合移動先の教室につくのは遅めになってしまう。

 僕としては5分前ぐらいから移動しておきたいのだが、5分前にHRが終わることすらあるのだからどうしようもない。

 それに伴って、先生の方も9時丁度に来られないことも多い。

 それもそうだ。

 9時間際まで自分のクラスであれこれやって、移動先の教室で9時から授業を始めろという方が難しい。

 でも出来るようにするべきなんじゃないのか。それを考慮して時間を割っているんだろうに。


 そう思わないこともないが、僕の数学の担当教師は間に合わないことを前もって予測しているらしく、先に教室は開けておいてくれるし黒板には問題を指定して『解いておいてください』とメッセージを添えていることがほとんどだ。


 それを分かっている生徒は9時過ぎにちんたら移動してくる。

 人気のない教室に先に入るというのは気が楽で、僕も最近はもっと遅く来てくれてもいいぐらいに思っていた今日なのだが、この有様だ。


 誰もいない教室で、彼女が待ち構えていた。

 明日の天気が槍で済めばいいけど。


 そしてそんな彼女の恰好は、まぁいつも通りだ。

 もうなんだかみすぼらしく見えてくる。シャツにアイロンがかっているようには見えない。それがそういう風に見せるのだろう。


 リボンと上履きは言うまでもなく。


 そんな彼女は靴下で窓際から二列目の一番後ろの机の上に胡坐をかいて座っていた。

 抱きかかえるように鞄を持っている。

 なんでこの人移動教室に毎回鞄を持ってくるのだろう。

 忘れ物がないという観点から見れば間抜けな発想だとは思わないが、無駄が多くないか?

 鞄に入れている分運びやすいとも思いはするが、無駄なものの方が多い。

 特に彼女の鞄の中なんてどうせ要らないものとゴミも入ってるんだろうから。


「おはよー!」


 隣まで歩いてきた僕に彼女はもう一回手を振りながらそんなことを言ってくる。


 人としては挨拶を返すべきなのだろうけれど、なんとなく返したくなかったので一瞥だけして僕は席に座った。


「おはようございますぅ!」


 無視し続けたことが気に食わなかったのか、彼女はアクセントを付けながら僕の机の方に身を乗り出して言ってきた。

 めげないなこの人。


「何」

「なにじゃないよ。おはよー」

「おはよう。で、何?」

「何ってなにさ。何よ、あたしだっていつもいつも虹輝君に用があるってわけじゃないんだからね!」

「あっそう。じゃあ二度と話しかけてこないでくれる?」

「そこまで言うことなくない!?」


 この人今朝は煩いな。

 率直にそんな風に思ってしまったのは、彼女の日常風景が睡眠だからだろう。

 あと、今の僕はいらだっているからだ。

 もちろん今日初めて会った彼女のせいではなく、この学校内の件の雰囲気のせいだ。


 というかなんでこの人今日は早いんだろう。

 まさか僕に用があったとかじゃあるまいな?


「そんなことより! あのねあのね、私、虹輝君に見せたいものがあるの」


 あぁ……普段から僕が早く来てるせいか。

 授業前からいれば僕と接触できると学習してしまったらしい。要らないことを。


「何」


 口でそう返事をしながら、僕は授業の準備をする。

 ノートを開き、黒板で指定されている教科書のページを開く。

 概ね先日の授業を踏まえ復習を兼ねた練習問題なのだが、どうやら今日は予習のようだ。ここをやるから先に目を通しておけということか。

 とはいえ、完全に新しいわけでもないので教科書を見ながら解けばなんてことはなさそうだ。

 そう高をくくるのは自力でしっかり解けてからでないと馬鹿を見る。


 ノートに計算式を移していると、隣から「じゃじゃーん」というセルフ効果音。

 ところでその音にこっちを見ての意味はないと思うんだけど。

 これでそっちを見てしまったら僕がまるで楽しみにしていたみたいじゃないか。心外だ。


 なので目もくれずに次の途中式を書き連ねる。


「見てよ!」


 ……直球にそう言われてしまっては仕方がない。

 もう一つ人物を指定していないのだから僕じゃない可能性だってあるよね? と言い立てても良かったが、生憎ここにいるのは僕と彼女だけだ。

 自分自身に語り掛ける人間は希少だろう。

 となると、必然的に他者に語り掛けるという行為の対象は僕だ。


 なんとも面倒くさい。


 事務的に右を見る。


 ポーチだろうか。

 いや、筆箱の可能性も否めないのか? 変なものを間違った使い方しててもおかしくないしな。この人。

 とりあえず、見た目で断定していいのならそれは筆箱ではなくポーチだ。

 深さも大きさも筆記用具を入れるだけにしては容量が大きすぎる。いや、ハサミとかも入れている場合はそちらの方が利便性はありそうか。


 要らない詮索をして、ふと気づく。

 そもそもこの人筆箱持ってないんじゃないのか。


 筆記用具は胸ポケットとかスカートのポケットからむき出しで出てくることの方が多いんだ。この人は。ハサミとかも持っていた場合むき出しで鞄の中に入れていることだろう。なんて物騒な。ハサミの刃先もすぐダメになりそうな使い方だ。


 何はともあれポーチだ。

 ふむ。

 それ以上でもそれ以下でもないようだしもういいかな。


 僕はすぐさま視線をノートに写す。


「中身見てないのに興味失くすの速いよ!」


 中身がメインなら何故外の皮を見せた。

 その行為と時間は無意味同然じゃないのか。


 君は僕に用があるのかもしれないけど僕にはないというのになんでこんな目に。


「ほらほら! じゃじゃーん! かわいくない!? これ!」


 ……この人僕の興味を引くのに必死だな。

 なんだか可哀そうに見えてきたので先程の屁理屈を流用せず、再度右を見遣る。


 彼女の手の中にあったのは容器の用だ。

 材質的にプラスティックのようだ。形状は円形。

 コンパクトか?


 昨日の今日で?

 いや、昨日の今日だからか。


 自身と深くかかわりを持ったものに興味を持つ。不自然ではない言動だ。


 が。


「僕は止めたよね?」


 ファンデーションの期限は1年だ。

 物によっては半年。


 半年で使い切るには毎日のように使っていなければならない。

 学生が使うなとはもちろん言わない。学生が使ってはならない理由もよく分からないしね。校則だと禁止されているみたいだけど化粧をすることと勉学をすることにどんな因果関係があるのか。


 化粧をすれば成績が悪化するという参考文献でもあるから生徒に強いているってことでいいんだよね? 確認はしていないけどそうじゃないと子供の駄々と同義なんじゃないのか。


 もちろんここが私立学校である以上運営側の意見を了承して入学しているのだからこちらとしては従うしかない。それを蹴れば「じゃあ要りません」と言われてしまっても文句は言えない。


 でも強いる以上合理的なものでないと信頼価値にかかわると思うんだけど。


 まぁ? 

 僕には関係ない話だけどね。


 男性が化粧をしてもおかしくはないご時世になりつつはあるけど、僕は別に興味はない。


 教育機関がそんな時間の無駄遣いをしないで勉学に勤しめというのなら、正直一理あると思う。あれは集中すればするほど時間を泥棒するものだから。

 でも高校生から化粧を取り上げるのもひどい話だと思うけどね。


 身嗜みに気を付けたくいなる年頃なんじゃないの?

 したくない人もいれば顔のコンプレックスを化粧で隠したいって人もいるでしょ。

 傷跡を隠したいとか、ニキビの後を隠したいとか。

 そういう気持ちは悪じゃないと思うし、それが自分の自信につながるのであれば人を後押ししてくれる強力なツールだと思うんだけど。

 そこら辺をどう考えているのか大人の見解は聞きたいところだ。


 そういう意見を持ってる僕が彼女の化粧意欲を真っ向から否定してるのも変な話だけど、でもこの人無駄にするでしょ。


 化粧品は値段が張る。

 それを学生が入手するとなると財源は親だ。この人がバイトしてるとは思えないしね。


 親の金を無駄遣いするんじゃないよ。親不孝者め。

 だがそこら辺はあまり人のことを言えないので口にはしない。


 僕も親の財力で学校に通わさせてもらって大した成績出してない。

 穀潰しもいいところだ。


「でも可愛いでしょ?」

「……まぁね」


 可愛いか可愛くないかで言うのなら、可愛い。

 流石化粧メーカー。どこの商品だ? これ。女性のセンスにひっかかるデザインをよく分かっている。

 星空がモチーフなんだろう。配置された白い点がいくつか線で結ばれている。

 この形ははくちょう座とわし座とこと座かな。つまり夏の大三角形だ。この時期に合わせて発売されたのだろう。この時期と言っても今が9月なので少し前か?

 夏の大三角と言えば織姫と彦星だ。そういう恋愛要素をこっそりと絡めるのも女性としてはポイントが高いのだろう。一体手に取った何人の人がそういう観点から評価しているかは知らないが。


 この人みたいに脳死で買ってる人もいるだろうしね。それが悪いことだとは言わないけど。


 くそ。

 考えて設計されているであろうデザインをついこの人が持っているからと主観的に濁した評価を口にしてしまった。評論家ではないので単純に個人的趣向に合っているというだけだが悔やまれる。


 いや。論点はそこではない。

 素敵なものを布教されているターンではない。


「他にも買ってみたんだけど」


 そう言って彼女はポーチをひっくり返す。


 彼女が何を持ってきたのかは知らないが、一部は割れ物なんだが?

 そうそう脆いものではないがそれでもファンデーションとチークは割れるし口紅は折れるものなんだが?

 分かってるのかこの女。


「虹輝くん的にはどう思う?」

「どうっていうには? どの観点からの話?」

「というと?」

「使い勝手が良い。メーカー的な話。色味的な話。僕の趣味趣向の話」

「そりゃあ、教えてくれるのなら虹輝君の好みかどうか一択でしょ」


 馬鹿なのか貴様。

 なんだその楽しいこと見つけたみたいな顔。

 こっちは雑談をしたくてしてるわけじゃないというのに。


「脱線させないでくれる? 昨日の話の続きでしょ? ちなみに、それを選んだ基準は? まさかパケ買いしたわけじゃないよね?」

「パケ買いしてないわけじゃないけど、でもちゃーんと店員さんに色々教わって、『これはいかがですかー』の中から選んだよ」

「あっそう」


 化粧品は成分表を容器に印字しているケースは少ない。大体箱だ。

 いや、色の詳細ぐらいはしてあるか?


 みせて、と手を伸ばすと「大事にしてね」と忠告された。

 どの口が言うか。

 そっちより価値は分かってるつもりだわ。


 一応コンパクトを開けて中を確認する。

 予想通りクッションタイプのファンデーションだ。悪い選択ではない。


 閉めて、注目の裏側へ。

 予想通り色味が書いてあった。それはそうだよな。自分が何を使っているのか分からないと次が買えない。自分の使っている色ぐらい把握しておけと思わないこともないが、利用者にそんな鬼畜さを要求するのは化粧品の本分にはない。リピーターが居たほうがいいぐらいだろう。

 それに箱なんて捨てる人がほとんどだ。あんなの断捨離対象なんだから。だから書いておいてくれないとそこそこ困る。


 記載されているものは【ベージュC】というもの。

 ふうん?

 やっぱりベージュだったか。

 後ろのアルファベットはメーカーで分類している色の明るさのことだろう。

 何段階中のCなのかこれではわからないがこの際関係はない。


 これが本当にこの人の顔に合っているのかは実際に塗って確かめないと分からない。

 だが店員が選んだ中の一つということだし、そこは僕が口を出さずともいいことだろう。なんたってプロの目が入ってるのだから。


「全部見せてくれる?」

「あ! 興味持ってくれた?」

「うん。見せるか見せないかって聞いてるんだけど?」

「ハイ。ワカリマシタ」

「はい」


 彼女は出したものをポーチの中に戻し、それごと手渡してくれた。


 ファンデーションを買ったのは良いけど、この人、下地もちゃんと買ってるんだろうな?

 ポーチの中身を出さずにひっくり返す。

 ……なんでマスカラまで入ってるんだ。さては一式買ったのか?


 そうみたいだ。ご丁寧にアイブロウまで入っている。そこまでやれってことか? これは。眉毛は精々整えるぐらいにするつもりだったんだけど。

 あんまりいじるとそれはそれで彼女らしさを消すことになると思ったんだけど、いいか。この際全部払拭だ。


 今の見た目から別人にしてやる。

 これを機に真人間に更生しろ。


 しかもアイブロウはペンシルタイプと来た。

 ……ペンシルだと? 何故だ。

 この人元から眉毛はしっかりしてるんだから描く必要ないだろう。

 そこはパウダーじゃないのか? 今の主流はそっちだったはずなんだが。


 いっそ眉毛の形から変えるか? それなら描くタイプの方が活きるが。


 いや、どういう魅せ方をするかで変わるか。


 どういう雰囲気を持った彼女なら魅力的に見えるのか。

 眉毛は意外と馬鹿にならない。

 上向きにするか平衡にするか。そういったところで顔全体の印象が変わる。


 ……この人の場合は眉毛の濃さをパウダーでぼかしておくべきだと思うんだが


 そこは彼女を可愛く仕上げるかきれいに仕上げるかでそこは大きく変わる。

 流石に本腰を入れて考えなければだめなようだ。


 そんな話をしているうちに生徒はすでに集まっており、最後に教師が入ってくるような時間帯になっていた。


「とりあえず返す」

「あ、うん。ちなみに、どう? ……ちゃんと使える?」

「分からない。とりあえず時間をちょうだい。真面目に考えるから」

「今まで不真面目だったの!?」

「は? 違うけど」

「えぇ? どゆこと……?」

「君が可愛いのが似合うのか綺麗なのが似合うのか真面目に考えるってこと」

「……つまり、セクシーとキュートどっちが好き? ってこと?」


 言いえて妙だが、誰目線に立っての選択なんだそれは。


「分かりました。ヒナ、心待ちにすることにします。……虹輝君の好きにしてねっ」

「……気持ち悪。やる気が失せること言うのやめてくれる? 僕に嫌がらせして損するの君だと思うんだけど」

「冗談なんだけど!?」


 というわけで。

 残念過ぎることに、僕は彼女の顔の造形について深く考察しなければいけなくなったわけだ。


 乗り気がしない。

 こんなだらしない見た目の人にそんな手ほどきしたって化粧品が泣きを見るだけじゃないか。


 だが、真面目に考えなければ。

 彼女を優勝させるということは彼女を学校一魅力的にしなければいけないということだ。

 そのためには理解を深めなければいけない。

 それこそ四六時中彼女の顔面のことを考えるぐらいでなければ。


 なんという。

 地獄の所業でしかない。


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