雨水さん、踏み込む。

     ◇



 虹輝くんにミスコンのお手伝いをしてもらうことになった。

 なんでそうなったのかはその日の放課後のことを思い出してもよく分からない。


 なんで虹輝くんあんなに乗り気だったの? 

 え? 毒舌大王の異名はどこに? そんな異名ないけど。


 とりあえず、そんな約束を気付いたら交わしていたその日のうちに虹輝くんにラインを教えてもらった。

 虹輝くんから交換しようって言ってきた。これを驚かなくて何に驚くって言うのさ。


 道路に鹿が飛び出してくるより驚くよ。

 標識で前触れがあるのに驚くんだから、前触れ何もなかったらそりゃもっと驚くと思わない? 思うよね。そうなんだよ。


 そういうところ虹輝くんは分かったほうが良いと思う。

 ヒナ、突然のことにはさすがに驚きます。


 だから、急に「僕の部室に連れてくから」とか言われちゃうと奇声が出ちゃうわけ。


 部室に連れ込まれてあたし何されるの!?

 採寸!? 衣装そこから始まるの!?

 一応今日という日を2人で決めて望んでるわけだけど、あわよくば部活に寄って帰ろうと思って下に水着着てるんだけど許されるかな!?


 そんな変な緊張をしながら虹輝くんの後ろとひたすらついて行く。

 ひたすら、と言っても階段を2階分上って、校舎の奥へ奥へと進んでいくだけだけど。


 うちの学校の校舎は『口』の形になっている。

 それで、階数は全部で5階。

 1階が3年生。2階が2年生。3階が3年生。そんな割り振り方をされているけど全部がそう綺麗に収まるわけじゃないからあぶれたクラスが4階に。

 でも4階の全部を教室が埋められるわけでもなくて、半分ぐらいが部室となっている。大半の部室がここ。運動部はまた棟が違うけど、文化部の部室はここ。


 そもそも文化部って何があるんだろう。

 演劇部があるのは知ってる。5階の一角に小さな劇場みたいな場所があって、そこでいつも練習してるんだって。衣装とかいろいろあるし、なんか部員さんが作るときもあるって話。文化祭では必要に応じて衣装を貸し出してくれるらしい。凄いよね!


 でも他何があるかは知らない。

 吹奏楽部も運動部と同じで別の棟。なんか、防音設備がちゃんとしたところに置かれてるらしい。友達に聞いたー。


 あ、軽音部もあったはず。そっちが4階なのかな。


 分かんない。

 とりあえず5階はこれでもかってほど静まり返っていた。


 人いるの? この階。

 噂の演劇部はあたしが抱いた願望? 夢か何かと混ざってる?

 そう思うほど人気がない。

 まぁ、劇場みたいって話だし、防音設備はしっかりしすぎてるってことなのかな。


 一応それっぽい場所の前は通った。

 教室の入り口と違って、全面が透明のドアで、すぐ中には赤いカーテンが降りていた。


 そんな5階に案内されて、奥へ奥へと――あ、説明が足りてなかった。

 そう。校舎は大体『口』の形なんだけど、5階だけ『コ』の字になっている。つまり1画だけ4階が最上階ってこと。


 だから行き止まりがある。

 その、行き止まりまで連れてこられた。


「ここ」


 虹輝くんが指さすドアは普通の教室と同じドア。

 がらがら、って横に引くやつ。色もへんてこじゃない。


 ドアの横にあるネームプレートみたいなものには『天文部』の文字。


 天文部? 何するの? ってか、あったの?


「ってか虹輝くん天文部なの!?」

「名前貸してるだけだから何もしてないけどね」

「……虹輝くんが名前を貸すなんて、そんな相手が居るなんて」


 僕の名前勝手に出すのやめてくれる? とか言いそうなのに。


「従姉がいるんだよ。ここに」

「へ」

「彼女に用があって来た」

「……へ」


 が、学校の最奥で待ち構える女の人……?


「び、美人さんだったりする?」

「美人? まぁ見る人によるんじゃない?」

「じゃあ、じゃあ、虹輝くんの目からでいいよ。美人さん?」

「まぁ、僕はその部類だと思うね」

「はえー……」


 虹輝くんが手放しで褒めるのも驚きだけど、学校の最奥で待ち構える美人って、なんか夢溢れるね……。

 夢溢れるでいいのかな。

 ちょっとドキドキする。


 あたしが胸に手を当てて深呼吸をしていると虹輝くんが部室のドアを叩く。

 中から「はぁい」という確かに女の人の声。


 高めの声で丸みを帯びていて、なんというか、優しい雰囲気がありながらもちょっと甘い感じがする。率直に可愛い。


「あ、多分男子もいるから」

「はい!?」


 突然新情報をぶっこんできたかと思いきや、虹輝くんはこちらの反応を待たずにドアをガラガラと開ける。

 男の人の前情報ないけど!? 女の人の方だって今知ったばっかなのに!?

 始めましてするんだから少しは情報と猶予をちょうだい!?

 心の準備って言うのがあるんだよ!?


「いらっしゃい、虹輝」


 あわあわするあたしの心境とは打って変わり、そう声をかけてきてくれた人は少し大人の雰囲気があった。


 まず髪が長い。

 ちゃんとお手入れしてるらしく、寝癖の一つもない――と思う。

 そこに自信がないのはその人の髪の毛が少し癖毛だったから。ちょっとくるくるしてるというか、毛先がうねうねしてる。巻いてるって言われたらそうとも見える。


 あと微笑むその表情が大人っぽかった。

 でもよく見ると目が大きくてくりくりしていて、あどけなさが少し残っているような。

 肌の色も白いけど不健康な色ではない。


 座っている状態だけれど、背が高いだろうなというのが何となくわかる。

 スタイルが良いというやつかもしれない。手足がすらりとしている。

 でも、多分運動はしていない。

 だぼついてるとかそういう意味ではなく、筋肉質らしいところが見当たらない。本当にすらり、としている。


 夏服の半そでのワイシャツの上から薄手のカーディガンを羽織っており、それが『大人しそう』という印象を持たせている。


 この人が虹輝くんの従姉さん、ということなんだろう。


 で、その人の前に座っているのが突然情報が出てきた男の人。

 従姉さんを見て、男の人を見て、従姉さんをまた見て――男の人を二度見する。


 髪が黒い。

 いや、普通なんだけど。

 普通かなぁ。あたしの髪ちょっと茶色いけど。塩素にやられてるからそんな色になってる。


 そんな自分の髪色に見慣れてるから黒く見えるとか、そういうことではない。

「くっろ!」と言いたくなるほど黒い。……光の当たり具合かな。そんな黒く見えることある? ちょっと影になってるとか。


 きょろきょろと部室内を見渡してみる。

 影どころか、むしろ二人が座ってる机の奥に窓があるぐらいだ。

 逆光って解釈しようにも、そもそも室内には電気がついていてあたりを平等に照らしている。


 どういうこと? まぁいっか。

 そんな色をした髪を垂らしているわけだけど、前髪が長い人だった。

 前髪が長すぎると目が悪くなるみたいな話なかった? 本当なのか知らないけど。


 その髪のせいで目元の判別がつかない。

 もちろん隠すほど前髪がぼさーってなってるとか、そういうことじゃない。

 揺れる前髪が目元の情報をぼかしている。


 前髪だけでなく後ろ髪も長い。

 虹輝くんもあたしと同じ部活の人と比べると長い方だなぁと思ってたんだけど、そんな虹輝くんが短い部類に見えるぐらい長い。だってシャツについてるもん。


 ……あたしと同じぐらいなのでは?  


 さすがにそれはないか。ないか。ないない。

 ……でも結べる長さではあるような。というかあたしがいつも切ってる長さがそれぐらいのような。


 そんな男の人の口元は従姉さんと違って笑ってはいなくて、ちょっと怖い雰囲気。

 ……もしかして突然あたしが来たから怒ってる、とか?


 それはあるかもぉ……。


 とか思ってたらその人はふいっ、と顔を背けてしまった。

 怒ってるか、シャイなのかの二択かな。


「その後ろの子が雛希ちゃん?」

「そうです。雨水さんです」


 虹輝くんに手で指されて、あたしははっと我に返る。


「う、雨水雛希です! はじめまして」

「はじめまして」


 従姉さんが立ち上がって、ぺこりと頭を下げてくれる。

 両手を合わせて、それだけじゃなくて足もちゃんと揃えていて。


 それを見てから自分の足元を見る。……だらしなっ。


「虹輝から少し聞いてるかしら。虹輝とはちょっとした顔見知りでね。風岡緋咲、っていうの。そっちのだんまりさんは幸村。怖いのは顔だけだから安心して? ――ね、幸村」


 従姉さん、改め風岡先輩に笑いかけられると、男の人改め幸村先輩は少し口元で笑みを作って座ったまま首だけの会釈をしてくれた。


「ちょっと、愛想がないじゃない。後輩なんだから怖がらせちゃダメでしょ?」

「そうは言っても俺部外者じゃん。出しゃばらないほうが良いでしょ。ってかいなくてよくない?」

「ダーメ! そしたらあたしが寂しく帰らなきゃいけないでしょ?」

「それの何がいけないんだよ……」


 ハァ、と幸村先輩は溜息をついてまた真顔に戻る。

 目元が良く見えていないのと今のやり取りのせいで、なんだか標準が困り顔に見えてきたような。


「あ、ごめんなさいね。棒立ちもあれだからどうぞ座って?」

「あ、はい……」


 風岡先輩のその言葉で虹輝くんが動き出す。

 ここの部員と言っていたし、指定席のようなものがあるのだろう。迷いなく幸村先輩の二つ横に彼は鞄を下ろした。


 その正面ならいい……のかな?

 何を基準に『いい』と思えばいいのか分からないなぁ、と思ってたら、風岡先輩が自分が座っていた席の横の椅子を引いて、ちょんちょんと手を招く。


「虹輝から少し聞いてるんだけど、ミスコンに出てくれるんですって?」

「あ、はい。なんか、あ、自分競泳部なんですけど、運動部のいくつかは毎年ミスコンに出るのが通例らしくて。今年は自分が出ることになりました」

「そうそう。競泳部さんは毎年出てくれてるみたいね。ちなみに、去年のミスコンの入賞者はレスリング部よ」


 内緒話でもするかのように、風岡先輩は口元に手を当てていたずらっぽく話す。


「へぇ! ちなみにそのレスリング部の人はどんな格好で優勝したんです?」


 ふふ、と風岡先輩は口に手を当てて楽しそうに笑う。


「流行りのアイドルのコスプレ」

「……へ」

「男装女装が認められてるのよ。去年は男装女装した人は獲得点数を1.5倍で計算します、っていう特別ルールがあったの。今年はまだ分からないけれど」

「そんな制約があるんですか」


 虹輝くんが弾かれたように聞き返す。

 ……まぁ、虹輝くんは優勝させるって言ってたしなぁ。点数の話は釘付けになるよね……。


「毎年少しずつ違うらしいけどね。でも原則、男装と女装してくれた人が報われるようなルールになると思うわよ。何も見返り無しだったらやってくれないからね」

「……」


 虹輝くんがだんまりになる。

 下唇に指を当てて深く考え込んでいる様子。


「それって、やっぱりまっとうに優勝目指すのなら女子は男装したほうがいい、ってことですよね?」

「うーん、そうかも」

「まぁ、女子が普通に出て優勝できるのなら緋咲さんが出ますよね」


 あー、それは確かに。

 風岡先輩なら優勝も難しくないかも。どういう恰好するかにもよるだろうけど。


「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。でも、ミスコンって観客席の後ろのほうまではその姿が良く見えないから、やっぱりパフォーマンスにも力を入れないといけないと思うの。あたしにその能力はないから厳しいと思うわ」

「……? そうですか? 緋咲さん、得意でしょ。演技とか」


 風岡先輩はちょっぴり困った表情で笑う。


「苦手ではないんだけど」


 えー、できちゃうの? 

 じゃあこの人何ができないんだろ。


 いや、気にするのはそっちじゃないか。

 あたしも出るからにはしなきゃダメかもってこと? えぇ? 先輩たちそんなこと教えてくれなかったんだけど!


「写真写りならだれにも負けない自信あるけど、自己アピールが得意じゃないのよね。あたし、スタンダードにかわいいだけだから」


 その自信は一体どこから……。いや、全然可愛くないのによく言うわーっていうのじゃなくて。純粋に、度胸的な意味で。

 あたしにも分けてくれないかなぁ。あたしも、「あたし可愛いだけだから」とか言ってみたい。

 いや、言われる方が楽しいかも。可愛い女の子は可愛いから好き。


 ミスコンは先輩の話によると、文化祭当日の少し前からエントリーした人の写真は廊下に飾られるんだって。つまり、写真を用意しなきゃいけないってこと。


 ……私写真写りよくないんだけど。

 変わってくれないかなぁ、風岡先輩。


「まぁノーマルなだけじゃ選ばれないでしょ。投票する側もインパクトがないと入れようって気にもならないし」


 幸村先輩の言葉に「そうね」と風岡先輩は頬に手を当てる。


「そこは、虹輝がなんとかするしかないわね」


 風岡先輩は鞄からでかでかとした鞄のようなものを取り出す。

 ママが持ってるから何かは分かる。化粧道具を入れておくためのがっしりどっしりしたケースだ。

 何て名前なのかは分からない。

 何て名前だろ。化粧道具入れ? 絶対違うよね、それ。


 ……というか。えっ。

 それ、風岡先輩の? え??


 私より1個上なだけなのにそういうのもう持ってるの? え?


 私20になるまでする気なかったんだけど……。


 風岡先輩がぱちん、と金具を外すと、虹輝君が中を物色する。


「ちなみに化粧落としも持ってきてるから、好きに使ってね」


 ぱちん、と風岡先輩がウインクを放つ。

 私、好きにされちゃうらしい。








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