永町さん、働く。

      ◇



 休み時間。

 お手洗いから教室に戻ると、異様な光景が広がっていた。


 彼の今の席は廊下側から2列目の1番後ろなのだけれど、そこを中心に人が集まっているようだった。

 といっても全員ではないけれど。


 全員ではないにしても他の人も目線はそこに向けているというか、クラスメイト全員の意識がそこに集中しているのは多分見間違いではないと思う。


 ほんの数分前教室を出る前はそんなことはなかったのにどうしてこんなことに……?


 よく見ると、渦中の人物は自分の席の椅子の上に正座をして縮こまっているようだ。


 まぁ、彼のことだし何かしたんでしょう。

 とはいえそこまで大きいことじゃないんだろうと予測しながら半分より前列に位置する自分の席に座ろうと教室に入り込むと。


「あぁ! ねぇ、ちょっと委員長! 聞いてぇ!」


 えっ、私に声かけてくる案件なの? 

 そういう意味で私は目を瞬かせながら呼ばれた方を振り向く。


 声をかけてきたのは水楢さんだった。

 サバサバしてる声の大きな子だ。手首にいつもカラフルな髪ゴムをつけている。

 一応校則では黒か茶色か青、という指定があるのだけれど彼女が身につけているのは赤とか緑とか紫だ。

 流石にその一点をぐちぐちいう先生はいないけれど、そういうのを見つけちゃったらどういう心境なのかしらと素朴な疑問はある。


「どうしたの?」


 そう尋ねながら彼女達の方に数歩歩み寄る。


「氷上がさぁ、ってか、あのねぇ。まず生徒会長から出し物がある場合の申請書もらってるんだけどさ、その提出日が今日までなんよー」

「へぇ。一応出し物があるってことなんだし、提出はしてるの?」

「そこ! あのね! あたし、氷上にその紙預けてたのよ! そしたらなんか失くしたっぽいの! こいつ!」

「……えっ」


 氷上くん?

 渦中の人物である彼の名前を呼びながら渦の中に踏み込むと、正座して小さくなっていた彼がただでさえ俯いているのに私から視線を逸らした。


「……氷上くん、紙、失くしたの?」

「……ハイ」

「最後に見たのはいつ?」

「……」

「……いつ?」

「……、実行委員会があった日?」


 1週間前である。

 というか、もらったその日のことである。


「呆れた……」


 通り越していっそ関心まである。


「ねぇ? マジありえんくない? どーしよ、委員長」

「……とりあえず、近くのクラスに聞いてみましょう。まだ白紙だったら急いでコピーさせてもらう。ダメだったら、生徒会長に直接もう一枚くださいってお願いするしかない」

「あっ! なるほど!」

「期限はいつまで? 放課後までならセーフなの?」

「んー、多分? 今日までとしか言われてないから」

「分かった。とりあえず1年生のクラス回ってくる」


 教室を出る前に時刻を確認する。

 授業開始まであと3分。

 隣2つぐらいは聞けるでしょう。


「あ! でも待って委員長! 隣もやるって言ってたわ!」


 出かけたところでそう水楢さんが一言。

 言いながら教室の前と後ろを指差す。


「でもまだ書いてないかも」


 そう。

 問題はそこだ。出す出さないより、書いているか書いていないかだ。

 もちろん提出する条件が参加である以上出し物を検討していないクラスは間違いなく白紙で持っているはず。

 でも論点はそこじゃないのよ。原本の状態であるかないかだ。



    ◇



 結果として、1組と3組はダメだった。

 1組は既に提出ずみで3組も第3希望まで埋めた状態だった。



 残り休み時間3分で調べられたのはそこまで。


 本日最後の1コマが終わり、そのまま放課後に突入する。

 一応氷上くんが担任の先生に自体を説明してくれホームルームは早く切り上がったが、先生に相談して好転はしなかった。


 それもそうだ。

 先生が原本を持っているわけではない。

 あくまで、生徒会からの配布物だ。

 それを先生に泣きついたところで、先生が言えるのは「生天目にお願いしようか?」というものだ。

 それをこちらから断ったのだから変化なしという現状だ。

 高校生にもなって先生におんぶにだっこもいただけない。なのでその場では自分たちでお願いします、という形で断った。


 出し物を出すのは先生ではなく生徒なのだから私たちが主体にならなければ意味がない。


「委員長はどっちから回る?」


 ホームルームが終わると水楢さんが一呼吸置く間もなく私の席の横に現れた。

 長い髪を手首の髪留めで止めながら彼女は顔の動きで教室の前と後ろを指す。


「じゃあ、私は校舎を時計回りで回るわ」

「おけ。じゃああたしは2年生回ってみる」

「え」


 つまり私の逆を回ってくれるということは左隣の1組の方から回ってくれるということなのだけれど、1組は既に聞いている。その先2クラスを除くとその先は階段を挟んで2年生のクラスが数クラス位置している。

 大多数の2年生はもう一回下だ。緋咲さんと幸村先輩は下の階。


 非常事態とはいえ歳上のしかも知らない人に声をかけるのは抵抗あるでしょう。変わろうか? と提案する間も無く水楢さんは長い髪を揺らしながら教室の後ろのドアから出て行ってしまった。


 彼女、チア部で放課後忙しくしてるはずなのに大丈夫なのかしら。

 そういうのは用事のない私がやるのに。

 とはいえ彼女も実行委員だ。把握していなかった責任を感じているのかもしれない。だとしたら野暮な提案はやめよう。

 彼女の親切に甘えて私はまだ話しかけやすい1年生のクラスを回ることにした。


 尤も、部活に入っているようで入っていない私は他のクラスには友達どころか知り合いがいない。

 春川くんが精々だけど、春川くんも親しいわけではないし。


 でも初対面で会話をするのではなくただ聞いて回るだけなのでやりやすい。


 彼女に全てを任せるわけにもいかないので私も慌てて4組の方へ向かった。

 帰られてしまってはまずい。

 それでははやくホームルームを切り上げてくれた先生に申し訳ない。


 4組。

 5組。


 そのどちらももう書いてしまったという返事が戻ってきたところで「委員長!」と呼び止められた。

 廊下でその呼ばれ方は少し恥ずかしい気がしないこともないけど、その時はそんなことを気に留めている余裕はなかった。


 走って寄ってきたのは氷上くんだった。


「悪ィ、変わる。5組まで聞いてくれたん?」

「えぇ。次は6組」

「りょ、この先は俺が回るわ。サンキュ」


 ぽん、と肩を叩かれ暗に教室に戻っていいぞと言われたけれど、私はそれをなかったことにして彼と肩を並べて6組に向かった。


 だが6組はまだホームルームの途中だった。

 先に7組に回ろうとしたが、そちらも同様。


 ちなみに8組の先は保健体育科――通称保体科が2クラスある。

 ちなみに春川くんのいる『特別進学科』――通称特進クラスは私たちの『普通科』とはまた違い1組の隣に特進1組と特進2組がある。その先が2年生。


 2年生になると『特別進学科』『普通科』『保健体育科』に並んで『芸術科』が増えるらしい。

 ウチの学校がそういうバラエティに富んでいる学校であるため部活動も豊富だ。なんて言ったって保健体育科があるぐらいだ。そんなカリキュラムがあって、運動部が強くないはずがない。

 とはいっても芸術科もあるのだから、文化部が強くないはずがない。


 そういう学校だ。


 一応保体科は前々からあって、その後に芸術科が出来、最後に特進ができたらしい。なのでまだ『特進クラスがあるのだから進学率が悪いわけがない』とまでは明言できないらしい。あまりそこは売りではない。でもある以上力を入れている。


「保体科って出し物出すかしら」


 先生の授業中の雑談によると保体科は文化祭の後に控えている体育祭に命をかけているらしい。なので文化祭ではそこまで盛り上がらないとか言ってたような。


「分かんね。保体科、知り合いいねぇなぁ……」

「私もよ」


 運動部に入ってないと知り合いになるのは難しいでしょうね。授業が一緒になることはまずないから。


「ちょっと聞いてくるわね」


 ぱらぱらと人が出入りしているのをみる限りホームルームは終わっているようだし、ここで待っているのは時間の無駄だ。


「え。あ、俺が行くって」

「……」


 後から合流してくれた氷上くんにそう言われる。

 言われるけど、でも……。


「氷上くん、正直に言って。ビビってるでしょう?」

「……」


 ハイ。

 そう一言。


「だと思った」

「だって! いやよく考えろって委員長。あいつら身長でけぇんだぜ!?」


 ウチ、レスリング部とかあるものね。

 そういう人は大きいでしょうよ。逆に筋肉つきすぎて小柄のままって人も中には見かけるけど。


「ふっつーに怖ぇだろ!」

「……」


 ……分からなくはないけど、それを口外してしまうのはいささか失礼なのでは?

 というか普通に失礼なのでは?


「……じゃあ氷上くんは何しにきたの?」

「あぁ! さては呆れてらっしゃる!?」

「反省の色が見えないんだけど」

「……」


 ……すんません。

 そう項垂れながら一言。


「大体どこにしまってたのよ。どうせ机の中がぐちゃぐちゃでゴミと一緒に捨てたとか、そういうオチでしょう?」

「それは家で捨てたかが濃厚かと……」


 いや、捨てないでよ。

 そこ確定情報なの? だとしたら致命的ね。


「クラスの人にも探してもらって、なかったんで追いかけてきました」

「探したって、机ひっくり返しでもしたの?」

「引き出しの中全部出しました。なんで、今教室が、ひどい」

「……」


 何故心なしか他人事なのか。

 あと掃除当番の人が普通に可哀想。

 片付かないじゃない。それじゃあ。


 ……なんだかクラクラする気がする。

 ウチで中学生と小学生相手にしている時の方が精神穏やかでいられるってどういうことなの。

 人が集まると波瀾万丈になりやすいってことなのかしら。

 いや、そんな劇的な一言で片付けるのはやめよう。まるで現実逃避だ。


 だが意外にも現状を癒してくれたのも現実だった。

 保体科1組に近寄ると、すぐに私たちにクラスの人が気づいてくれてとある男子生徒が対応してくれた。

 首の太さは電車内で見かける成人男性より太く見えるし、肩幅も私の2倍は裕にありそうな人だったけれど、とてもおおらかな人だった。

 おおらかすぎて私たちの失くしたという話を聞くや否や「あっはっは」と笑っていた。

 生まれが関西なのか、西の訛りと西のノリのある人だったけれど私たちの話を聞くと保体科2組の方にまで確認しに行ってくれたりと至れり尽くせりだった。


 だが、結果は芳しくなく終わった。


 1組の方は出店しないので白紙であるはずだけれど実行委員が持っているらしく。

 そしてその実行委員はもう部活に向かったとのこと。


 2組の方も出店しないので白紙の状態でつい先日まであったけど、手元にあるとやりたくなるから早急に捨てたとのこと。


 彼らの話によると運動部は運動部で出店を出すところもあるらしく、そっちに人員が割かれてしまうためクラスでは出せないらしい。


 実行委員呼んでこよか? と提案してくれた彼に断りとお礼を言って、私たちはまた6組7組の前に戻ってきたが、どうやらここ2クラスはまだ出し物が決まっていないらしく、ホームルームの延長という形でクラス会議が始まってしまったらしい。


 それを待つのは途方がない。

 私たちは教室まで敗走することにした。


 氷上くんと教室に戻ると既に水楢さんは戻っていた。


「ごめん委員長。隣の特進には聞けてないんだ。あいつら今日放課後に1コマあるらしくてもう授業中だった」

「あー……」


 それは盲点だった。

 そうだ。あのクラスは私たちより授業数が多いんだった。

 先にそっちに回っておくべきだったらしい。失敗した。


「2年はダメ。生徒会長が自ら回って回収したらしい」

「会長2年生だものね……」


 知った顔が多い分会長も動きやすいのだろう。

 期限ですよって圧迫するよりその方が確実生は増すし、賢いやり口だと思う。


「3年……回る?」

「……」


 水楢さんの探るような言い方に私は言い淀む。

 流石に3年生は回れる気がしない。


 やっぱり2つ歳上というだけで少し怖いし、煩わせてしまうのは間違いないから気が引ける。

 同級生ですら気分は乗っていなかったし、事実私は2年生を訪ねることに少し抵抗を持っていたぐらいだ。


「……3年生を回るぐらいならもう生徒会長にお願いしに行くわ」

「らじゃー。会長って何組だっけ?」

「……」


 そう聞かれると分からない。

 私たちが入学した頃にはすでに生徒会長だったので改めて『2年○組の生徒が当選しました』というような知らせはない。

 4月にあった行事の新入生歓迎会で生徒会長が挨拶をしてくれてはいたけれど、彼の肩書きは所属よりも『生徒会長』の方が圧倒的だ。

 もしかしたら名乗ってくれていたのかもしれないが、記憶には残っていない。


「俺が探しとくよ。水楢はもう部活行けって」

「へ? いや、氷上に任せるのとかマジ無理でしょ」

「おぉう……言葉が随分と鋭利じゃねーの」


 氷上くんが胸元を抑えながら背を丸くする。

 相変わらずオーバーなリアクションなんだから。

 でも前科がある分仕方がない。事の発端は彼だ。


「大丈夫よ。私もついていくから。水楢さんは部活に行って?」

「え!? いやいやいや、それはないって委員長。あたしも実行委員なんだし、あたしのミスでもあるんだから」

「そうかもしれないけど、でもクラスでやるものなんだからそこは協力しましょうよ。実行委員の仕事はまだあるわ。でもこれくらいなら誰にでもできるから」

「いいんちょ……。そんなこと言われちゃうと、あたし、ハクジョーだから『よろしく!』って言っちゃうんだけど……」


 全面的に正直な意見すぎてつい笑いかけてしまった。

 ウチの実行委員はハズレくじみたいなところもあるし、無理もない。


 立候補を募って誰も出なかったのよね。

 だから夏季課題試験で映えある0点を取った氷上くんがペナルティとしてまず選ばれ、もう1人はジャンケンで負けた彼女が担うことになった。


 彼のために一応弁明しておくと、0点を取った理由はシンプルに名前を書き忘れたからである。




 ・

 ・

 ・




 水楢さんを説得し、彼女を部活に送り出した私たちは話し合いをしながら再度教室を出た。


 生徒会長が果たして何組なのか。

 問題の根幹はそこだが、そもそもの障害として私たちは他学年のクラスの配置を把握していない。


 3階は自分が毎日通っているフロアだからかろうじて知っていたけれど、他の学年も保体科が2クラスしかないのかとか、そういうことから把握できていない。


 そもそも1年が多い3階に2年生が数クラス進出しているという事実が散り散りに配置されていることを示唆している気さえする。


 もちろん教室のドアにはクラス名が書かれているから全てを回れば見つけることはできるかもしれない。

 というか、これだけ時間を消費してしまった後では生徒会長は生徒会室にいる可能性もあるのでは。


 とか思ったけど、そもそも生徒会室なんて見かけた記憶がない。


 そんな思料を巡らせながら階下に向かう階段に差し掛かると、知った顔と出会った。


「……」


 下から登ってきたその人は私たちの顔を見るなり、目を少し丸くして足を止めた。1段飛ばしで登るのが癖なのか、たまたまそうしていただけなのか。

 その人は段差を跨いだまま足を止めてくれた。


 通り過ぎなかった理由は私たちが思いっきりガン見してしまったからだと思う。


 言い方が良くないけれど、こんな都合のいい展開はそうそうない。


「……ちわっす、センパイ」

「……」


 声をかける氷上くんの声がただの挨拶じゃないというのを察したのか、幸村先輩は登りかけていた足を軸足の方にまで戻し、上の階にいる私たちを黙って見上げた。

 そのまま首は動かさず、目だけをまず氷上くんに向けた。その次は私。


「どうかした?」


 状況を推測った先輩は今となっては部室では見せない平穏な表情でそう尋ねてきてくれた。

 首を少し傾げる感じが穏やかな雰囲気を作っていると思う。素の仕草なのか、そう見せるための演出なのかは分からない。


「センパイ、生徒会長と知り合いだったりしないっすか?」

「生天目と? ……まぁ、知らない顔じゃないけど」

「マジっすか。俺たちに紹介してくださいつったら……してくれたりします?」

「……」


 えぇー? と先輩が声に出さずに言う。

 一応そういうことは噯にも出さないキャラクター性は保ちたいらしい。が、本心はそういうことらしい。


「だりィんだよな……アイツ」


 壁の方に顔を向け表情を隠しながら先輩が低く呟く。

 ……生徒会長、実は嫌われているとかそういう実態に触れてしまっているわけではないことを切に願いたい。どうかそれは先輩個人の意見でありますように。


「生天目にあってどうしたいの? 用があるんでしょ?」


 鼻筋に寄せていた皺を解消させ、先輩はパッと人の良さそうな笑みを浮かべる。

 どうでもいいけれど、先輩と部室以外で話すのはこれが初めてかもしれない。

 閉鎖された空間と解放された場でこうも性格が違うのか。いや、性格自体は変わっていないのか。性格の出し方が違う。


 目を瞬かせる私とは違い、氷上くんはずんずんと話を進めていく。


「実は今日文化祭の出店? を提出する日なんすよ」

「出店? ……あー、あれか。ウチも書いてたな」

「えっ。書いちゃいましたか?」

「俺は書いてないけどね。実行委員が書いてたよ」

「……余り、あったりします?」


 氷上君が切り込むと。先輩は片眉を下げて唇の片端を上げて、無毒な表情にニヒルさを混ぜる。


「失くしたのか、氷上」

「……ハイ。実は」


 はは、と今度は歯を見せながら。


「期待を裏切らねェ奴だな、テメェは」

「……さーせん」


 氷上くんがペコリと頭を下げる。

 下げて、上げる。ほんの数秒。

 彼の頭が上がる頃には先輩の表情はまた無害なものに戻っていた。


「聞いてみようか?」

「いいんすか?」

「いいけど、期待はしない方がいいよ」


 そう言いながら先輩は踵を返し、登ってきた階段をそのまま一段ずつ静かに降りていく。


「もしかして部室行くとこでした?」


 背後から氷上くんが訪ねると、先輩はズボンのポケットから鍵を取り出し、キーホルダを人差し指にはめてぐるぐると回した。


 先輩の後ろをついていくこと1分足らず。

 2年2組と書かれた教室の前に着くと、先輩は「いんじゃん」と小さく溢す。


「瑞木、蜂須賀は?」


 窓際の席で鞄に隠すようにしてケータイをいじっていたであろうその人は、呼ばれると顔を上げて「会長のとこ行ったー」と。

 蜂須賀、という人が実行委員なのだろうか。

 2年生はもう回収されたと言う話だったけど……。


「生天目のとこ? なんで。あいつ回収に来てただろ」

「書き込みたいから放課後出しに行くって言って、その時は断ったんだよね」

「へぇ。……ちなみにアイツが出店希望届の予備持ってたりすると思う?」

「アイツって蜂須賀?」

「そう」

「なんで持ってると思った?」

「だよなー。あれ、瑞木は持ってないの?」

「持ってない。ってか、蜂須賀がめちゃめちゃ張り切ってんのは幸村も知ってるっしょ。俺はおまけだよ。ってか、なんで探してんの?」

「失くしたって人がいるからさ」

「ふーん……」


 瑞木。

 そう呼ばれる人が私たちの方を見る。

 その人の視線が下に落ちたので多分学年を確認したのだと思う。上履きの色でそこは一目瞭然だ。


「とりあえず生天目のとこ行った方が早くない?」

「あー、やっぱりそうなる? まぁいいや、さんきゅー」

「あーい」


 返事をしながら瑞木さんはまたケータイの方に視線を落とす。

 そんな瑞木さんに背を向けるようにして「どうすっかな」と先輩がごちる。


「あぁ、あとあいつもか。あいつならワンチャン持ってんじゃね?」

「どいつっすか」

「あいつ」


 そう言いながら先輩は大股で歩き出す。

 曲がり角を曲がり、2年4組の後ろのドアの前で足を止めて、ひょっこりと中を覗き込む。


「鼓さん」


 先輩が呼びかけると、ペットボトルを飲みながら1人の女子生徒が振り返る。

 それに倣って周囲の人たちも顔をこちらに向ける。


「あっれ、幸村じゃん。めっずら」


 真っ先にそう答えた人が鼓さんなのだろう。

 彼女の周りにいた人たちも「ほんとだ幸村だぁ」と反応を示し、数人が先輩に手を振る。


「風岡は?」と律儀に手を振りかえしながら。

「緋咲? 帰ったんじゃないの?」

「でも鞄ない? それ風岡のでしょ」

「あー、確かに」

「緋咲ならゴミ捨てだよ」と別の女生徒。

「あぁ! そうだわ! ゴミ捨て場で会えるよ」

「いや、そこ行くぐらいなら待つよ」

「え。幸村暇なん? じゃあちょっと見てってよ」


 鼓さんじゃない女子生徒が数名席を立ち幸村先輩の前にずらずらと並ぶ。


「これ可愛くない?」


 そう言いながら全員が爪を見せるように手をこうをこちらに向けて手を広げる。

 可愛くない? と言うだけあって、全員の爪が彩られていた。

 良く見ると、先ほどまで彼女たちが座っていた机の上にはマニキュアらしくものが複数並んでいる。


 ……もちろん、校則違反だ。


「いいじゃん、可愛い。それも文化祭準備?」

「そぉ。カフェっぽいのやれたらなぁって思うんだけど、そしたらこういうところまでやりこみたいなぁって。だって手元って見られんじゃん?」

「まぁね。まだ試作なんだろうけど、全部同じのじゃなくてちょっと変えたりした方がいいんじゃない?」

「幸村的にはってか男目線ではどう? カラフルだとうざくない?」

「んー。選ぶ色によると思うけど……。いや、店の雰囲気にもよるのかな。賑やかな外装だったら色とりどりでもコンセプトとあっててオシャレに見えるんじゃない?」

「あー、やっぱりそういうとこ決めてからじゃないとだめだよねぇ。おっけ」

「あとはさぁ、あれとかもつけちゃえば?」

「あれって?」

「ストーン」

「マジで? 幸村物知りじゃん。うける。もしかしてネイルやってる?」

「俺が? 自分の爪で? そんな地獄絵図ある?」


 きゃはは、と笑い出す彼女達と混じって先輩も静かに笑う。


 一体どう言う気持ちでこの光景を見ていればいいのだろう。

 なんというか、圧巻だ。

 だって、この人が人に嫌煙させる態度を取れることを私たちは知っている。

 それが今、受け入れられるしかない態度を持って接している。


 しかも、男性には縁遠そうな話の内容で。


 ストーン?

 言われるとなんとなく「あぁ、あれかな」と思うものは浮かぶけれど、名称を私は知らなかった。知らないから正誤の判定はできないけれど、彼女達の反応を見る限り当たりなのだろう。

 実は物知りだったりするんだろうか。

 あとは頭が良かったり。


 ……頭は、良いのか。

 ちらりと他学年の夏季課題試験の張り出されている結果も見たけれど、先輩の名前はどこを見渡してもあるといった状態だったし。


 なんだろう。

 緋咲さんが構いたくなる理由が分からなくもない気がする。

 引き出しが多いのだ。この先輩は。まだまだ奥がある。


「あら。幸村じゃない」


 そこに緋咲さんが現れた。

 ゴミ捨てとのことだったし、掃除当番だったのかもしれない。

 それで邪魔にならないようにと髪を止めていたのかもしれない。彼女は髪を解きながら近寄ってくる。


「あ、緋咲ー。あんたに用なんだって」

「えっ、あたし?」


 緋咲さんが自分を指差して幸村先輩の前で立ち止まる。

 ドアの前を占拠していて邪魔になると思ったのか、ただ単に会話の邪魔になる通ったのか、今しがた先輩に聞いたアドバイスを参考に案を練り直すのか。先輩を囲っていた女子生徒達は飽きたように去っていく。


「どうしたの? 貴方が私を訪ねてくるなんて、ただでさえ珍しいのにもっと珍しいお客さんまで連れて」

「どっちかというと俺が用があるって言うよりこっちの2人がメインなんだけどね」

「そうなの? 部室で話す? ここの方がいい?」

「すぐ済むからここでいい。風岡さ、出店希望届持ってない?」

「希望届? それって生天目くんが集めてた紙のこと?」

「そう」


 私たちも後ろで頷く。


「あるわよ。念のためにコピーとってたから」

「さっすが」

「あら。褒めてくれるならもっと褒めて。今日のあたしも可愛いでしょう?」

「見ようによっては?」

「もう、つれない人なんだから」


 ちょっと待ってて、と緋咲さんが髪を揺らしながら教室に入っていく。

 そして鞄から可愛らしい猫のファイルを取り出し、その中を物色しながらまた私たちの前にまで戻ってくる。


「これでしょう? 白紙だけど、いいかしら」

「多分白紙の方がいい」


 これか? と緋咲さんから受け取ったものを幸村先輩が氷上くんに渡す。

 私は実物を見たことがないけれど、確かに紙の下部に今日締切と書かれているし、第3希望まで各項目があるし間違いなさそうだ。


「どうする? 原本は戻した方がいい?」

「うーん。もういらないと思うし、そのままあげるわ」

「だってよ。これで問題ないな?」

「はい。あざます!」


 よっしゃー! と紙を掲げる氷上くんの声量を指摘してから私も「ありがとうございます」深々と頭を下げる。


「……これのコピーは取ってんのに俺のノートは取ってないんだ?」

「あら、貴方変な妬き方するのね」

「そっちこそ変な捉え方やめてくれます?」

「なんでよ。真っ当な解釈じゃない」

「どこが。お前が物理教えたところ云々言ってきたんだから俺だって同じこと言い返すだろ」

「あ、小さいこと気にする男は嫌われるわよ?」

「誰に」

「あたしに」


 はは、と先輩は乾いた笑いを浮かべて、それ以上は言わなかった。


 何はともあれ、これで私の使命は無事完遂である。


 緋咲さんにもう一度お礼を言って、教室内にいる女子の先輩方に失礼しましたと一言詫びて私たちは教室に戻ることにした。

 私はここでお役御免だけど、これを氷上くんが無事描き終えて提出するまでは付き合おうと思う。


 と思ったところで、そういえば生徒会室の所在を知らないことを思い出した。


 振り返って緋咲さんに聞いてみようかと思ったけど、どうやら幸村先輩と部室に行く素振りを見せていたのでちょっとやめておいた。

 生徒会室の所在なら先生に聞いても前進するでしょう。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る