風岡さん、前置きする。



     ◇



 放課後。

 部室で私が自分の鞄からそれを取り出すと、正面で既にいつも通り読書を始めていた幸村が本から顔を上げ、けらけらと小さく笑った。

 良く笑うようになったわね。

 そう思うのは、ほんと何回目だろう。毎日のように思ってる気がするし、過言じゃない気がする。

 それほど奴が変わったのか、私の眼につくようになっただけなのか。


「もう飽きたのかよ。それとももう読み終わったか?」


 ここぞとばかりに茶化したい。そんな口調で言われてしまってはこちらとしては不貞腐れて見せるしかない。なんだか楽しそうね。

 じとり、と目を細めてみると相手がまたからからと笑う。


「飽きたわけじゃないのよ」

「へぇ」


 そう言われる要因は、私が取り出したものが漫画だったからだろう。

 もちろん校則としては持ち込み禁止の代物である。

 でも、『バレなければ』の精神で持ってくる人は結構いる。


 実際目の前の優等生もどきも貸し借りしてたみたいなこと言ってたし。


 昨日愛すべき友人に貸してほしいとメッセージを送り、向こうからの複数の質問に答えた結果貸してもらえた少女漫画が今手にあるこれだ。


 笑えるものが読みたいのか。しんみりできるものが読みたいのか。ただただ純愛を読みたいのか。

 そういう愛すべき友人の問いに素直に答えた結果全2巻の漫画を貸してもらったのだけれど、何分カバーがついていなかったので教室で読む勇気は私にはなかった。


 でもこの部屋に来る人はいないのでちょっとだけ読み進めたい。


「同時進行で読んでるのよ。貴方から借りてるのもちゃんと読んでるわよ」

「あっそう。それは何より」

「貴方から借りてた本読んでたら、なんか、読みたくなったのよ」

「それ?」と幸村が私の手にある本を指さす。


 頷くと、彼は口をへの字に曲げた。

 よく分からない。そう言いたいのだろう。


 分からないでしょうね。そうなった経緯端折ってるもの。

 俺はそう思わなかったなぁ、ってニュアンスならそれはそれで面白いけど。


「幸村も漫画は読む?」

「まぁ、それなりに」

「というか貴方、読んでる本すぐ変わるけどどこの本屋に寄り道してるのよ」

「最寄りの駅前」


 きっと常連さんなんだろう。

 毎週読んでる本変わってる気がするもの。もちろん毎日読んでるわけじゃないけどね。課題が出てる日は課題をやる真面目さんだから。


 ……何読むんだろう。この人。


 小説もそうだけど、漫画もこの人が好きなジャンルは多くないと思うんだけど。


 気になるけど、深く考えるまでもなく私と同じ趣味ではないのは予想しやすい。

 その結末が見えてるのに趣味をあらためて聞くのもねぇ……。ただただ私が知りたかっただけってことになるじゃない。そうだけど。


 それに聞いたところでこの人すぐ話きるし。

 あれ、でもこの状態の幸村なら少しは構ってくれたりするのかしら。私と話すのは嫌いじゃないって言ってたし。じゃあ、会話してくれるわよね?

 ……とんでもないかまちょな思考ね、これ。改めよう。


「あ」

「あ?」


 私が突然声を上げると、幸村は自分の手元を見ながら声だけ返してくる。


「そういえば幸村。夏期課題試験の結果はどうだったの?」

「どうも何も昇降口にすでに張り出されてるだろ」

「そうだけど」

「だけどなに。見てないって? 見るまでもねぇって? 自分の方が上だから?」

「まーねぇ。あたし、点数いいもの。物理は」


 話にも調子にも乗りながら答えたら「ハッ」と鼻で笑われてしまった。解せない。


「また勝負するか?」

「しないわよ。知ってるもん。貴方、今回日本史で100取ったんでしょ?」

「お前もだろうが」


 それはそう。

 といっても、私はもちろん日本史ではないけれど。


 夏期課題試験のテストは要は1学期の復習である。流石に習ってないところの問題は試験範囲に含まれはしない。そうなると必然的に2学期以降で覚えることは範囲外になるのだから残されているのが既に学習した範囲でしかない。だから難易度は低くなってはいる。


 それでいて、夏期課題試験と冬季課題試験は学年全体で試験内容が統合されている。つまり、虹輝がいる特進クラスのテスト内容と普通科の勇士くんのテストの内容が同じものにされているということ。

 そしてウチの学校はそれだけでなく保健体育科という体育会系特化のクラスも存在する。その全員が受けることを前提として作られているため難易度が下がる。


 なので出るものは本当に重要事項しかない。

 教科書では太線で既に印字され、授業では先生に赤で線をひけと指定され、定期試験前にここ出るぞと言われるような基礎しか出てこない。


 だから正直私以外にも100点はいる。

 ……幸村は日本史単独トップだったけど。

 でも次点は99だから。ぎりぎりよ。辛うじてよ。


「……え。なんであたしの点数知ってるのよ。教えてないでしょ」

「お前もだろうが」

「なによ。もしかして気にしてくれたのかしら?」

「いや。胴本に煽られた」


 胴本。

 2年の物理を担当している先生の一人だ。定年間近のお爺ちゃん先生で、ちょっと毒があるけど歪みのない正論を淡々と返すのが逆に面白いと人気、ではないけど不人気ではない先生だ。


 男子の「今日何やるんですか」っていう質問に「授業です」と答えるタイプの先生。


 というかこの優等生、先生のこと呼び捨てた? 今。

 いや、私たちもお爺ちゃん先生って呼んでるから真面目ではないけど。


「なんて言われたの?」

「『アナタたちのクラスが1番平均点が低いです。もっとやれば出来るはずですよ』だってよ。文系の生徒が物理に手ェ入れるかってんだよ」

「……あんた、それでも90取ってたじゃない」

「………何で把握されてんの?」


 おっと。

 口が滑った。


 これは本当に滑った。

 だってこの人総合4位なんですもの。あたし、8位なのに。

 ……まぁあたしそこまで力入れてなかったから妥当な順位なんだけど。

 いや、力入れてないは訂正。物理で100とったんだもの。難易度低いとはいえその代わり問題数で向こうは点数を引いてきている。

 基礎問題を数で勝負する時間との勝負の試験だ。難易度は低いけど。

 問題集の基礎問題と練習問題しか多分出てない。だから雫みたいなオールラウンダーは満遍なく点数を取れてしまう。


 別に雫で例えなくてもこの目の前の男がそうなんだけどね。


 4位って。

 特進含めて4位って。

 もう特進クラスいけるじゃない。あの人たちの学力知らないけど。


 日本史単体で言えば特進全員蹴落として1位なのよ? この男。


 こっちはこの前勇士くんがわざわざ顛末を教えてくれたあの件が尾を引いてたりするんじゃないのかなって気にしてたのに、なんてことない結果さらっと出したのよこの男。

 私の杞憂じゃないただの。

 絶対あたしの方がその件のこと気に病んでたじゃない。なんか色々な意味であたしのは別件だったけど。あたし資本の悩みだったけど。

 それでいて8位キープしたあたりはちゃんと評価してほしいところよね。……勝手に手がつかなかっただけだろって言われるとそれまでだけどさ。


 そんな時間の無駄遣いをまんまとしてしまったあたしに、目の前の男はふうんと辺な頷き方をして、頬杖をつく手に首が傾くほど顔を預ける。


「なに。もしかして気にしてくれたんすか?」


 それでいてにんまりと笑う。

 完全にさっきの仕返しをされている。


 なんか、むかつく!

 してやったぜ感がむかつく!


「してませんー! というか、そっちこそ。さっきの……なんだっけ。煽られた? って奴のどこであたしの点数把握するのよ」

「『他のクラスはなんで平均点高いんですかって』」

「貴方が聞いたの?」

「いや、政宗。そしたら『満点の人が多かったからです』って胴本が。そのまま満点のやつの名前全部勝手に喋った」

「その中にあたしの名前があった、と」

「そう」


 ちょっとー、なんで人の点数バラすのよー。

 まぁ、上の方は張り出されるから隠しても意味ないけど。


「90の何が悪いってんだよ」

「怒られたわけではないでしょ?」

「90で喧嘩売られたら二度と勉強しねぇわ」


 その拗ね方は変じゃない?

 やる気失くすわぁ、ってこと?


「ちなみにどこ間違えたのよ。あたしが前教えてあげたところは取れてるんでしょうね?」

「そっくりそのまま返す。お前日本史幾多だっけ?」

「覚えてないわねぇ。計算できない数字に用はないから」


 嘘。もちろん把握してる。

 80前半だ。


「ノート貸してやらなかったっけ?」

「借りたけど別にコピー取ってないもの。だからもう手元にないわ」

「読んだだけであの点数かよ……」


 そう言いながらうんざりするような顔をする。

 ノートは読んだだけよ。数回読み返して問題集1回解いただけ。


 その話で思い出したけど、借りてたわね。2回ほど。

 そういえば借りてたわね。

 やっぱり人間興味がないことには大した関心を抱かないものなのね。

 ノートを貸してってお願いした時、義務感が強かった気がする。勉強するために借りたい、みたいな。点数底上げするために駆け込んだ、みたいな。

 この前本を貸してもらった時とはまるで気構えが違う。だってわくわくしなかったもの。


 日本史好きじゃないからなぁ……。

 ……いや、小説も別に好きじゃないわね。あれ?


 でも勉強と趣味では気の持ちようが違うものね。ノートの方はある意味締切とも言える読了日があったのに対し、本の方は一応時間かかる旨は了承してもらってるもの。気持ちの窮屈さが違いすぎる。


 そこでしょうね。気分が違かったのは。


 ……なんか、あんまりここは深く考えちゃダメな気がする。

 逸らしておくべき事な気がする。


 こんな感じで特に当てもなくおしゃべりするのは嫌いじゃないし、話すようになってから放課後の時間は楽しみな方ではあるのだけれど、今日の本題はこの先。


「ね、幸村。もう時期あれの季節ね」

「どれ。衣替え?」

「それわざわざ話題に出すことじゃないでしょ」

「そうでもねぇだろ。話題に出してやらねぇと氷上みたいな奴は忘れるぞ」


 言われてるわよ勇士くん。


「そうかもだけど。ぶっぶー、ハズレです」

「あっそう」

「次の候補をどうぞ?」

「……」


 幸村は本から顔を上げて、天井を見上げるように首を捻る。

 ゆっくり数回瞬きをしながら考えるような時間をとると、顔の位置を私の正面に持ってきて一言。


「文化祭?」

「あら、ご名答」


 私が指で丸を作りながらそう言うと「それはどーも」と微かに笑いながら、本に指を挟んだまま閉じた。


「それがなんだよ」

「あたし、文化祭実行委員やるからしばらく部室来れなくなるわってお話」

「はぁ。……あ? 去年もやってなかったか?」

「あら、意外。覚えてたのね」

「毎日きてた奴が来なくなれば覚えるだろ」

「へぇ。ちなみに、私がきてない間も貴方はずっと部室きてたんでしょ?」

「当たり前だろ。お前に会いにきてんじゃねぇぞ」

「それはごもっとも。ま、そういうことだからしばらく留守にするわね。ちなみに、そっちのクラスの実行委員はどなた?」

「瑞木と蜂須賀」

「なぁんだ。幸村じゃないのね」

「俺だったら白々しすぎるだろ。この流れ」

「それもごもっとも」

「にしても実行委員なんてよくやるな。だるいだろ、あれ」

「まぁねぇ」


 そういう意見の方が大多数なんでしょうね。

 でもあたしはそういう裏方をするのは嫌いじゃない。自分が騒ぐことなら極力関わっていたい。

 多分、根本的に『知らない』っていう状況が好きじゃないんだと思う。

 知らなってことは、蚊帳の外ってことじゃない。それってつまり話に入っちゃいけないのかなって思っちゃうのよね。

 人と話すのは好きだから、そういう自分の意識が邪魔になってしまう。だから関われることは関わるようにしている。


 あと、多分人と人のパイプをするのが嫌いじゃないんだと思う。素で。

 文化祭実行委員は各クラスの現状と生徒会の諸事情を加味して上手くやる緩衝材のようなものだ。そういうのが不思議と好きらしい。


「ってことで。しばらく寂しくさせちゃうけど許してね」


 はは、と幸村が顔を上げて笑う。


「出た妄想癖」


 そう言いながら歯を見せて笑う。

 ちょっと。暴言吐きながら楽しげに笑うのやめてくれる?

 強く言えなくなっちゃうじゃない。


 楽しそうでなによりね。


 そう思っちゃうような笑い方やめてほしい限りだ。







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