風岡さん、耽る。
◇
「……ちわーっす」
いつも通り特にこれといった特別なこともなく部室で時間をつぶしていると、そろそろとドアが開き、勇士くんがその隙間から顔だけ差し込んできた。
覗き込むにしては大胆だし、様子を伺うにしてはバレバレすぎるといった様子。
「2学期お初ね。勇士くん」
「そっすねー。ちょっと……まぁ勝手にバタついてまして」
そう言いながら勇士くんは出していた首をぐりん、と幸村の方に向ける。
その動きが視界の端で見えていたのか、勇士くんが用事あるのは俺だろうとどこかで思っていたのか。幸村は今日も飽きずに読み進めていた本から目を上げる。
「センパイ、今、ちょっといいっすか」
「なんだよ。外来いって? いいだろここで」
「えー……」
不満げ、というよりも困惑した細めの声を出しながら今度は私の方を見る。
あら、私がお邪魔な感じ?
「どうせあいつらのことだろ? 構わねぇよ。どうせこいつも知ってっから」
こいつ。
そう言いながら左手の親指で私を指さす。
……そういう信頼のおき方はやぶさかではないけれど、私にも聞く聞かないの選択をする権利はくれてもいいんじゃない?
今までは完全に蚊帳の外だったけど、その言い方だと私も事情は知ってるみたいになってしまうじゃない。言っとくけど要点をなんとなく抑えてるだけで詳細は微塵も知らないからね? 物騒な人間関係を気付いてたってことしか知らないからね?
「センパイがいいならいいっすけど……」
勇士くんは背負っていた鞄を下ろし、それをずるずると引きずるようにしながら室内へと入ってくる。
どこかとぼとぼとした足取りで幸村が座る椅子の前までくると、鞄の取っ手から手を雑に離す。ぺちゃんこの鞄はもちろんこてん、とその場に横たわる。
そんな扱いを普段からしているせいか、まだ半年も使っていないはずの鞄がくたびれているように見える。
鞄を床に置くと、勇士くんはその横に座り込む。
何故か正座だった。
そこが彼の定位置なのは今に始まったことではないけれど、椅子が余ってるのに床に座るのはこだわりなんだろうか。
座り直す過程で正座を経たことはあったけど、初めから正座は初めてかもしれない。
「津々良さんたちのことなんすけど」
幸村は開いていた本に栞を挟み、自分の前に置く。そして空いたその手で頬杖を突く。
横しか見えない彼の顔は1学期の頃毎日見ていた顔そのものだった。
真顔にこれといった違いはないはずなのに、不思議と冷たい雰囲気のある横顔だ。
数日とはいえいくらか柔和になった表情を見せつけられたせいか、少し怖く見える。
だけどそれは私の主観でそう見えるのか、本当に怖い顔をしているのかは見分けがつかない。
「まぁ、結果から言うと、なんつーか……解散? って形になりました」
「解散?」
問い返す幸村と同じように私も内心その言葉を繰り返す。
どんな形であれその人たちにとって、その形態は『友人』だったのでしょう? 友達が『距離を置く』ではなく『解散』ってそんなことある?
「うーん……。解散は、やっぱ違うかも」
「まとまったから来たんじゃねぇのかよ。それとも、昨日今日決まった話か?」
「そうなるんすか……?」
「俺が知るかよ」
知ってたくもねぇわ、と続けて吐き捨てる。
「俺、ここ最近までまたあいつらのとこいたんすけど」
「……お前、良く戻れたな。あいつらのことボコってたよな?」
「まぁ。でもそれは今に始まったことじゃないんで。それに、戻ったってか、まぁ……俺が勝手にひっついてただけなんすけど」
「……」
幸村は相槌も打たず、ぴしりと正座をしたままの勇士くんを見下ろす。
「……お前がどうしようが知ったことじゃねぇけど、利の有る奴らじゃねぇだろ。あのクズどもは」
頬杖をついてた手の爪をいじりながら幸村は抑揚なく呟く。
大して、勇士君は「あはは」と気のよさそうな気の弱そうな笑みを浮かべる。
「まぁ、どうしようもないやつらっすよ。でも他人面できないんすよね……」
「……」
「センパイも身に覚えがあるっしょ。あいつら、全員独りが怖い奴らなんすよ」
「だからって他人を心中に巻き込むんじゃねぇ」
「まぁ、それは正論なんすけど」
「で。それが解散したって?」
「解散っていうか、更正っていうか……」
「は? 全員捕まったか?」
「いえ。そうじゃなくて。……センパイ、津々良さんに妹さんがいるのは知ってますか?」
ツヅラ。
そういう音であったかを100%覚えているかと聞かれるとそこまでの自信はないけれど、この流れで出てくる女の子の正体はなんとなく察しが付く。
「……まぁ。中学同じだしな」
「あー。確かにウメさん学区外の中学行ってましたね。センパイ、ウメさんと話したことあります?」
「なんで?」
「あ、いえ。ウメさんがどういう人かご存じかなぁ、と思って」
再び頬杖をつく幸村。先程と同じ姿勢のはずなのに私の方につむじが向いてる。
「……容赦のない奴」
「あ、知ってるんすね。そうなんすよ。容赦ないし、手加減もないし、甘くもないし、隙もないし、みたいな。なんかなんでも一人でできそうな強い人なんすけど。あー……、えと、センパイ、祭りの日の話って……」
勇士くんの言葉が途切れると、他所を向いていた幸村が視線を戻す。
そして勇士くんが伏目気味に私を見ているのに気付くと「知ってる」と愛想なく一言。
「あ、え!? 緋咲さん知ってるんすか!?」
「不思議とね」
「あ……じゃあ、いっか。そんで、8月の祭りの日、センパイ来なかったじゃないっすか」
幸村がまたこちらに頭部を向ける。その顔の向きのまま無言でこくりと頷く。
「そのあと、まぁ、なんか、ウメさんに俺ら怒られまして。怒られた? ……怒られてはないか。泣かれたんすよ。よく分かんないっすけど」
「……」
「『お前らがバカやってるせいでひどい目にあった』って。まぁ、そのあと散々お説教くらいまして」
「……」
「アホやって時間無駄にするぐらいならウチで溜まってあたしの護衛と機嫌取りでもしろ、と言われまして」
ふ、と幸村が少し笑った気がする。
その言い回しに覚えでもあるんだろうか。それとも単純にらしいと思っただけなのか。
「んで、俺はウメさんの家から出禁をくらったって感じっすね」
「出禁? お前何したんだよ」
「何もしてないっすよ! なんか、ウメさんにお前はいらんって言われて! 理由聞いたらお前は比較的まともだからって。……褒められてんすか? これ」
「知らね」
「まぁ、そんな感じでなんかウメさんに全部持ってかれたっすね。すごいんすよ、あの人。自分の兄貴に『あたしを甘やかす金でも稼いで来い』つって、バイト探させてるみたいっすよ。他の奴らも『あたしがテストでいい点とれるように面倒見ろ』ってことで、勉強強いられてるみたいです」
「面倒見ろって……あいつ普通に賢くなかったか? バカだった記憶ねぇんだけど」
「え。そうなんすか? 成績とかそういう話はしたことないんで。ってか、俺ウメさんとあんま話したことないんすよね。センパイも知っての通り学校違かったし、偶に俺らの方に顔出してましたけどテメェらより優先する奴がいたっていいだろって蹴っ飛ばしてましたよ。兄貴を」
「あっそ。んで? その傍若無人っぷりに全負けして真面目な学生始めたってか。あいつらが?」
「まー、無理っすよね。『あたしを泣かせた責任取らずにとんずらしたら死んでやるから』とか脅されたら」
「いや、脅しつったって、冗談に近ぇじゃねーか。それを真に受ける奴らか? 識字率低いのに」
「真に受けたっていうか。受け入れるしかなかったんすよ。すごかったんすよ、ウメさん。いやもうほんと、情緒ジェットコースターだったんですから。女心は……なんでしたっけ雨模様? なんて比じゃないぐらいだったんですから。異界の空でしたよあんなの!」
「すげぇなお前。何言ってんのか分かんねぇわ」
……女心と秋の空って言いたいのかしら。
雨模様って。ただのマリッジブルーの類似品じゃない。
「まぁ、泣き喚いたり静かに落ち込んでたりすごかったってことっすよ。なんで泣いてたのかはさっっぱり分かんない上に教えてくれなかったすけどね。そんな感じで、ウメさんの八つ当たりエンドです」
勇士くんはそう言い括って、最後に彼らしくなくきっちりと頭を下げて今日はそのまま部室を出て言った。
彼曰く、教室でやり残したことがあるらしい。
断りの常套句だが、この時期の突発的クラス内会議には私も心当たりがあるのでおそらくそれだろう。
◇
「……」
帰宅後、制服から部屋着に着替えた私はソファーに寝転がり、テレビをBGMにし、一人きりのリビングを満喫していた。
特にこれと言ってすることもない。課題は学校で終わらして来たし、それ以外の勉強は……まぁするべきなんでしょうけどしたくない日もある。ごろごろしてたいだけの日もある。
クッションを肘の下に敷き、肘をついて寝っ転がったまま本を開く。
誰かさんに借りた本だ。まだまだ序盤から脱してない。
本読むのって難しいわね。
新しい情報を仕入れながら今までの状況をちゃんと把握しておかないといけないなんて。これただの学園もののはずなんだけど、私この調子じゃ一生ミステリ読めないんじゃ……?
本読む習慣付ければ現代国語の成績が少しは伸びるのかしら。
それともこういう現金なことを考えるような人に結果はついてこないのかしら。
なんて、読んでたはずなのに脱線しちゃうのが駄目なのよね。
でも脱線させないとやってられない。
そういう実りのない仮定の話やらたらればの話でも膨らませてないと、すぐに今日やたらと耳に浸透させられた名前をすぐに思い出してしまう。
ウメさん。
勇士くん曰く、夏のあの日以降泣きじゃくってたらしいウメさん。
顔も知らない人なのに気を抜くとその人に背後をとられている。
勇士くんの言い方が大げさだった可能性は否めない。けど、残念ながらあの子は嘘をつくのが下手だ。だから、あったとしても少し盛っているぐらいだろう。
ということは、『泣いていた』という事実は揺るがないということ。
泣いてたんですって。
幸村とおそらく最後に通話したであろう日以降に。
といっても、私にはその日が本当に最後の通話かは分からない。
例えば幸村が普通にウメさんの番号を覚えていたとか。その逆であったとか。そうすれば変わらず接点はあるままだ。
もしそうだったら、今頃幸村はウメさんに電話してるかもしれない。
もう会わないとか、なんかそういう距離の取り方はしていたけれど気持ちが変わらないなんで断言できるはずもなく。
何が最善なのかは分からない。
それでも、幸村からの最後の頼みを彼女は彼女なりの形で果たそうとしているのだろう。
後は頼んだ。
そう言われたから、それを引き継いだだけ。
関わったことのない人種だし、実際文字通り関わっていないから未知の存在ではあるのだけれど、それでも人を動かすのって簡単なことではない。
無茶振りでも自暴自棄でも結果を作れたのならそれが大義だ。
彼女は幸村の言動を汲んだのだ。
彼からの決別に啼泣しながらも。
「……」
元カノさんが自分からの最後の電話受信後に泣き続けたって話を聞いて、当の本人は何を思ったんだろう。
幸村が彼女に電話できないという可能性を否定しきれない以上、その逆の可能性を抹消することはできない。
それでも、なんとなく、あの男は今思ってることを誰に言わずに過ごしていくのだろう。仰々しく言うと、墓までもっていく、というやつだ。
彼はそれができる人だ。
当人に一生告げることなく終わらせるのだろう。
それが未練に化けたりしないんだろうか。
……でも、いいなぁ。
そういう自分じゃない誰かの存在が行動理念になってるって。
それほどまでに気の置けない存在と出会えるっていうのは単純に羨ましい。
そう言ってしまうと愛すべき友人たちを信頼してないのかって話になりかねないけど、そうではなく。
ほら。私、男女間の友情っていう宗教否定派だから。
付き合う前もそうだし、付き合ってからもそう。いや、そもそもそういう流れになってしまってる時点で友情の域は出てるのか。
でもどこかの彼と彼女も元カノ元カレの関係なら友情ではないのか。でも別れてるのだから、残ってるのはただの情だけなんだろうか。
私はなにも男女間の友情を信じてないだけで、恋人同士の信頼を甘く見ているわけではない。
そういう人たちの2人にしか出せない雰囲気やら関係性というのは憧れに近いものを一応抱いてる。これでも少女だった時期がある私だもの。彼氏がいたこともある私だもの。
時折見かける両親の『長い付き合い』というべきか阿吽の呼吸というべきか。そんな円満な様子を見てそういう家族を自分も持ちたいと思うぐらいの願望はある。
……それでも学生恋愛は無駄だと思うけどね。
長持ちしないっていうのもそうだけど、だってそもそも年頃なんだもの。周りの意見にすぐ振り回されて、すぐ感化されて、自分達主体の関係じゃなくなるのなんて簡単だ。
そんな未熟な存在があるべき姿まで昇華できるとは思えない。
だから、無駄。
経験にはなるんでしょうけどね。
でも残念ながら私は恋に恋する節はあるかもしれないけど、恋多き女ではない。
私は開いていた本を閉じ、スマホ画面に指を滑らす。
そして文を入力し、深く考え出す前にそれを小乃花にメッセージとして送りつける。
明日おすすめの少女漫画貸して。
なんとなくそういうものを読みたい気分だった。
参考文献を摂取しないと――言い換えるのなら他人に置き換えてしまわないと、私にしか当てはまらない結論が出てしまいそうだった。
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