第2戦

風岡さん、振り返る。



   ◇



 長くも短い夏休みが終わり、再度夏服み袖を通したまだ猛暑日の続く9月初日。


 教室の顔ぶれはもちろん変わらないが、顔色が変わった人たちが数名いた。

 サッカー部なんかは夏休みの極暑の中毎日のように外で活動するものだからもう真っ黒になっていた。クラスのサッカー部のイジられキャラがお前だけ部活じゃなくて海行ってたんじゃねーの? って揶揄われている。


 そんな会話が行われている教室の中央から少し外れると、夏休みが終わって鬱な雰囲気を漂わせている女子たちが宿題終わった? と抜け殻みたいなテンションで話している。


 それに交じって、2学期開始に伴って1日部活から解放されたことを喜んでいる言葉も節々で聞こえてくる。


 すぐ後方では愛すべき友人を中心に2学期としてこれから私たちを待ちかねているイベントの話をしている。

 といっても文化祭と体育祭っていう、定番のイベントのことだけど。


 そんな他愛もない話題の隙間からちらほらと『夏期講習』という単語が聞こえてくる。そんな耳の痛い言葉を押しのけるように私は自分の席に一直線で向かった。


「おっすー。緋咲! 夏終わっちゃったけどどんな感じよ」


 おっすー、と返しながら自分の席に鞄を下ろしてすぐに会話に合流する。


「どんな感じって、何が?」


 んふふ、とクラスメートが変に妖しく笑う。


「カレシ」

「あら、素敵な話ね。聞いて欲しいのかしら?」


 ふっふっふ、と愛すべき友人とその愉快な仲間たちがまばらに笑い出す。

 ちなみに麗はこのグループの中にはいない。

 あの子は静かにするのが好きだから。私はこっちの賑やかなところと麗のところを行ったり来たりしている。


 麗はこういう話に関しては犬に食わせとけとしか思ってないから折り合いが悪いのよね。

 あたしは野次馬精神旺盛だから好きだけど。


 息は会わずとも一致団結して意味深に笑っていた目の前の愛すべき友人たちは、突如としてタガが外れたようにドン! と私の後ろの席の机を叩いた。


「誰だよ夏は恋する季節とかほざいたクソ野郎!」

「詐欺罪で訴えんぞコラァ!」

「慰謝料請求すっぞちくしょう!」


「荒んでるわねぇ」


 大和撫子に、とは言わないけれどその対応はますます夢が遠ざかる一方だと思うわよ? とか言って追い詰めるのはやめておこう。

 というか貴方たち部活に追われてたんだから無理もない話でしょうに。

 二兎追うものは一兎も得ずってやつよ。

 あと彼女たちの部活が男女共同じゃないのも一因だろう。チア部は10割女子だ。

 そんなチア部の部員が野球部の人と付き合い始めたって噂もちらほら聞くけどね、って話をしたらこの子たちどんな顔するのかしら。般若が可愛く見えそう。

 第一、彼氏つくってどうする気よ? って聞きたい気持ちもあるけど荒れそうなのでこの場では流しておく。


「あー、ちやほやされたい」

「生きてるだけで偉いねって言われたい」

「勉強して偉いでちゅねーって言われたい」

「それ煽られてね?」

「勉強は無駄ですよって悟られたい」

「それカルトっしょ」


 友人たちが華のJKじゃなくて荒んだオジサンみたいになりかけてるのは、とりあえず夏の暑さのせいということにしておこう。


 大事なのよね。意外と。

 自尊心とか矜持とかを自律させておくためにも異性の目っていうのは大事。

 夏休みの間はそういう目も減るから本性が滲みだしやすい。


 まぁ、あたしの可愛さはそんなものじゃ減らないけど。


「緋咲、何余裕ぶっこいてんのよ。見てなさい。すぐにこっち引き摺り下ろしてやるんだから」

「地獄だと自覚してるところに呼ばないでくれない?」

「知ってんのよ。どーせ、あんた抜け駆けするんでしょ。知ってんだから」

「そーよ。いーい? 緋咲。抜け駆けしたらおこぼれよこしなさいよ」


 ……なぜか私に白羽の矢が立ってる?

 まぁ、それはしょうがないわね。そこはどうしても温度差が出てしまう。

 だってあたし、彼氏いらないし。


「言っとくけど、あたしも別に何もないわよ?」


 両掌を振る私に、小乃花が「え?」ときょとんとした顔で呟く。


「あんた、祭りの日、あれから何もなかったの?」

「ないけど。ないってラインでも言ったじゃない」


 なになに何の話? と群がる愛すべき愉快な仲間たちだったが、「まー、イケメンじゃないからなー、アイツ」という小乃花の一言で瞬時に興味をなくす。

 私はとりあえずその愛すべき友人にあははと苦笑いを返しておいた。

 普段ジャニーズばっか見てると感覚がマヒするけど、あの男は良い方だと思うけどね。なんて言ったところでヒートアップされても困るのでこの話もなしで。


 小乃花に言った通り、本当に何もなかった。

 せいぜいパックに詰められた8個入りの西の食べ物を半分ずつ分けただけ。

 個数も金額も。

 あとは適当に歩きながらアイツの食べ歩きに付き合ってただけだった。

 一応デートを名目に同行してたから、何をするにも大体一緒にいたけれど、でもあの男は『デート』の本来の形を知っているだろうから、それと比べると、ほんと、何もない。 


 すぎた話はさておき。

 2学期初日とくれば、もちろん始業式が行われる。


 私はダレた友人たちに軽めの発破をかけて体育館へと向かった。


 体育館はもちろんだけどクーラーなんてついていない。

 窓やらドアやらを全開にして、大型扇風機を回して入るけれどそんなのよりクーラーが設置されている教室の方がずっと極楽だ。


 そう思っているのはもちろん一部の人間だけってことはなく、みんながみんが集合時間ギリギリに教室を出るので廊下は大渋滞と化していた。


 幅の限られている廊下を抜け、体育館に出るとそれまでの窮屈感があっというまに溶けていく。


 朝礼の隊形は背の順だ。

 愛すべき愉快な友人たちは体育館に着くなり私たちから離れて前の方へと歩いて行く。彼女たちのほとんどが小柄だから。

 あの子たちが小柄というよりは私たちが背が高いっていうべきなのかしら。

 でも160は大きすぎではないわよね。ごろごろいる背丈でもないと思うけど。


 私がそのぐらいで、小乃花がもう少し大きい。

 そして麗はもっと大きい。

 彼女は170手前まであるはず。その身長を持ってして、活かさない部活に入っているのはちょっと勿体無いと思うような、思わないような。


 騒がしい代表の小乃花と寡黙代表の麗が友人になった理由は実はこの背の順だったりする。


 大体の自分の場所に並びながら小乃花と朝のニュースで特集されていた最近デビューしたてのアイドルの話をしていると、ぽんぽん、と肩を叩かれた。


 朝練帰りの麗が交流したのかと思い、目線を上げる。

 だけど私を叩いた人の目線はそれよりもう少し上だった。


「おはよ」


 そっちだとそんな律儀すぎる挨拶するらしい。

 わざわざ肩まで叩いて。


 突然のことだったけれど、努めて平静に「おはよう」と返す。

 これでも結構驚いてる。


「幸村じゃん。あんたから絡みに来るなんて珍しいこともあったもんね」

「そう?」

「あれっ。俺は? 見えてないの?」

「そんなブサイク面眼中にないわ」

「なんだよ鼓、お前しばらく見ねぇうちに目が悪くなったんか?」

「あんたこそしばらく見ないうちに顔が悪くなったわね」

「顔が悪くなるって何!?」


 肩を組まれて連れてこられたのか、肩を組む形でついてこられたのか。

 どっちか分からないけれど政宗くんの腕を肩に乗せながらわざわざやってきた幸村は騒がしくなったその友人の腕を粗雑に肩から落とした。


 重かったらしくその肩をぐるりと回してから彼がいう。


「風岡さ、今日部室開ける? ってか、来る?」

「え? ……行かない予定だけど」


 ウチに限った話ではないだろうけど始業式の日は午前中で授業が終わる。

 そのあと残るとなれば時間的には昼食を挟むことになる。

 そこまでして特に何もしていない部室に行く気はない。行っても仕方ないもの。


「まぁ、そうだよね。分かった」


 小乃花に言い負かされている政宗くんを置いて退散しようとする彼に「あんたは行くの?」とくってかかるように声をかける。


「いや? 風岡が来ないなら俺も用ないよ」


 用っていうのは今聞いてきた部室に来るかって話の先にあるもののことのことかしら。

 でも今まで始業式も終業式も何回か迎えてるんだから私が行ってないことは知ってるはず。行ってないから幸村が行ってるのかは知らないけど。


 それにしてもわざわざ確認するって、相当の用事ってことなんだろうか。

 でも生憎、彼に呼び出される理由に心当たりがない。


「……」

「……」


 数秒特に会話もなく見つめ合う。


「……あれ? まだ何かある?」


 尋ねると、「いや」と相手が苦笑混じりに一言。


「今そっちから引き止めなかった?」

「……」


 引き、とめたかもしれない。

 いや、引きとめた。私が引き止めた。

 背を向けた幸村に声をかけた。


「ごめんなさい。でも、もう行っていいわよ」

「……」


 彼は当惑気味に数回瞬きをして、そのまま首を捻りながら今度こそ退散していく。

 なんだこいつ、って思われたでしょうね。今のは確実に。


 やっちゃったなぁ。

 ちょっとごまかすの下手になったんじゃないの? あたし。


 雑踏にため息を隠しながら、つい数秒前までいた奴のその後の動向を見送る。

 幸村はその足で自分のクラスメートが集まっている方に向かい、その途中でとある生徒に声をかけられる。


 幸村と去年同じクラスの人だったはず。


 その人と数回会話をしたのち、同じクラスの女子数人に絡まれる。

 その会話がちょっと聞こえてくる。

 髪伸びたんじゃない? 

 そう言われながら襟足を背後から撫でられる。

 幸村が髪長めなのは今に始まったことじゃないからイジられる要素ではあるでしょうね。男にしては長いもの。結べるぐらいあるんだから。


 話に区切りがつくと女子たちが自分達の並ぶ場所へと向かう。

 その中の1人が少しだけ残って幸村と少し話し込む。


 それが終わると今度は幸村の方からクラスの男子の群れに飛び込んでいく。

 それはもう和気藹々と楽しそうなことで。


 何度でも繰り返すけど、あの男は物静かなんかじゃない。

 あの姿が猫かぶってるのか素を薄めているのか分からないけれど、本来の自分からかけ離れた姿というわけでもない。


 多少の差異はあれど根本はもう変えられない。

『幸村』という人間は多分よく喋るしよく笑う人間だ。


 そう考えると、私に見せていた無愛想な姿はむしろ『幸村』ではなかったのかもしれないと思わないこともない。


 そう思ったきっかけはあの日だ。

 8月10日。

 夏祭りがあったあの日。

 幸村が変わらざるを得なくなったあの日。


 あれからざっくり20日経った。

 高校2年ともあれば来年に控えている受験に向けて準備、なんて段階では遅いぐらいだ。それでもずっと机に向かっているわけではない。


 夏季休暇という空き時間の出来やすい環境が著しく罠だった。


 ぼんやりするとあの夜のことを思い出す。

 幸村に『お友達』と縁切りするよう促してしまったこと自体はこれといって後悔はしていない。大それたことをしてしまったなとは思うけれど、最後の決断をしたのは本人だ。

 その一点に全ての責任があると断言するほど転嫁する気はないけれど、でも本人がそういった行動に出たということは当人の考えにもあったということなのだから間違いだとは思っていない。

 選択の一つだった。


 それはいい。

 問題はもう一つの方だ。


 そっちは不仲ではなさそうだったし、そっちの縁切りは果たして幸村が望んでいたことなのかは全く分からない。


 もう一方。

 つまり、『元カノ』の方のことだ。


 もともと終わった関係で点と点だけ残った状態だったのか。

 幸村が地元を離れたことにより散り散りになりそうだったところで決別を選んだのか。

 あの瞬間こそが離縁だったのか。

 一幕を見せられただけではどれとも取れない。


 円満に終わっていて、あの時にはすでに何でもない他人に戻っている状態であったのならいいのだけれど、そうじゃなかった場合。


 知らなかったとはいえ、人様の彼氏になんて馴れ馴れしいことをしてきたのか。

 あの男のことはどうでもいいけど、顔も知らない『ウメさん』に申し訳ない。


 色恋以上のことが同時展開していたのにそこで躓くのかって私も思わないことはないのだけれど、でも仕方がない。


 このことばっかりは絶対の線引きがない。

 個人の道徳に委ねられてしまっている以上悩みの余地でしかない。


 そしてタイミングを逃してしまった以上もう一回その話を蒸し返すわけにもいかない。


 元カノの話を振るとか、そんなの『貴方に興味があります』って言ってるようなものじゃない。

 あいつに興味はないわ。ないわよ。

 あってたまるものですか。

 面白がってたことは認めるけど。


 そう。これは私の立ち位置の話。


 というかその類のことには一応人並み以上に荒波立てないようにって気にかけてた以上、意識の外側でそれに反することをやっていたかもしれないっていうのが、なんか嫌。


 誰も知らないし誰も見てないけど、これが他人の目に入る状態だった場合そういうことをしかねない女だと思われても仕方ないことをしていたという事実が嫌。


 本人がその情報を出していなかったのだからもちろん除外されてるだろうけど、全てを知った以上全てを知っていた幸村がそう思っていてもおかしくないと思えてしまう状況を自分で作り出してしまったことが嫌。


 隙を見せたみたいで嫌。

 嫌といってもそんな全力な嫌悪じゃなくて、ほんと、やっちゃったなぁぐらいの感覚ではあるんだけど。


 そんなちょっとひっかかるぐらいの感覚ではあるけれど、ちょっとはひっかかるものだからつい、さっき、失敗した。

 変に態度に出た。


 この人は少しぐらい親しい距離感に身を置いても相手にとって問題ではない。そう思って引き止めて、件のこと思い出して少し私が身をひいた。


 勝手に距離を詰めて勝手に距離を取った。


 そんなの、『なんだこいつ』って思われるわよ。

 今回ばかりはあいつが正解。私がされてもおんなじことを思うもの。


 思うけど、こっちだって『なんだこいつ』って思ってるわよ。


 なんなの。

 なんで急に話しかけてきたの。

 いや、別に話しかけるのは普通のことだけど。


 今まで、だって「うわ、なんか来た」みたいなリアクションしてたのよあいつ。


 大体ね。

 そんな感じだったやつに急に心開かれてもこっちだって戸惑いってものがあるのよ。


 なんなのあいつ。

 私のこと、もしかして友達だと思ってる?


 いや、そんな言い方すると私が冷血みたいだけど。そうじゃなくて。

 いいのよ。別に。個人がどんな趣味趣向を持っていようがどんな思考を持ち合わせていようが。いいのよ。そこは咎めないわ。


 咎めないけど私は男女間の友情が成立するという宗教を信仰していない。


 別に幸村がその宗教を信仰してても構わないわ。そこは個人の自由ですもの。思想の自由の範疇よ。


 でも私はそれを信じたことがないから常に一定を保ってきたし、保たなくていい相手にはちゃんと突き破った対応をした。


 そうやって線を引いてきた。

 自分にも他人にも。


 とかいって幸村に馴れ馴れしくしてたじゃないかって?

 だって、靡かない確信があったから。

 こういうとちょっとマゾいけど。


 じゃあ私に慣れてきた幸村が靡きそうかというとそうとも思わないけど。

 そうやって色々と固まりそうにない思考をごちゃごちゃとごねた夏休みであったのだけれど、結論に近づいたりはしていない。


 表面化したのはただただ私が幸村との距離感にきょどってるっていうだけ。

 ……なんか、男性に慣れてないみたいで私としても不満なんだけどね。


「……眠そうね、麗」

「眠い。眠さで死ねる」


 若干呂律が回ってないような気がする彼女に雑談を振って自分の意識を逸らす。

 なんであいつを通して自分を見つめ直さなきゃいけないのよ。勝手にやってるだけだけど。

 あたしは今日も可愛い。それだけが揺らがなければいいのだ。




   ◇




「……」


 始業式の翌日から無情にも授業は平常運転を迎える。

 自堕落な生活から急に椅子に齧り付きなさいって言われても急だと思うんだけれど、もう少し猶予くれてもよくない?


 夏休みの余韻すら与えられることなく午後までの授業を終え、私は部室の前に来ていた。

 いつものことだ。


 まったく。なんで身構えないといけないのか。


 身構えるといと強張ってるみたいだけれど、どっちかというと何が出るか予想がつかなくて困惑しているといったところだ。


 そうなのよね。

 わたし、幸村がどういう人かは知ってるつもりだけど同じクラスになったことはないし、1年何もしないまま同じ部室で過ごしてきたけどそれは幸村であって幸村ではない人だったわけだし。


 わたし、幸村のことよく知らないのよ。


 だから、今更になって人見知りでもしてるっていえばあながち間違いではないかもしれない。

 あんまりしないほうだけれどね。人見知り。

 しないけど、どのくらいのテンションで接すればいいかは差し引きするでしょう。その段階まで下がってきてるのよ。あの男。


 なんで2年目の付き合いになる男にこんな気を遣わなければいけないのか。

 それでいて、向こうはもう隠し事がないから気を遣ってこないんでしょう?


 わたし、人に合わせることはできるけど合わせることしかできないから出方がわからないと困るのよ。

 人間関係において後手にならないと動けないみたいなの。


 変なところ臆病なのよね。

 誰の遺伝なのかしら。ママ? それともパパ?


 お父さんかなぁ。そんな気がする。


 家族といえば、あいつ、夏の間は一回も実家に帰らなかったのかしら。

 氷上くんと中学が近いみたいな話はしてたから県外ではないはず。なら最低でも数日ぐらいは帰ってるかもしれない。


 その辺りの話を振ればなんとかなるでしょう。


 適当な算段を立てて私は部室のドアを開ける。


 ガラガラという引き戸の音に、頬杖をつきながら本を読んでいた幸村が目だけをあげる。


 それからちらりとさらに視線を上げてドアの上を見る。

 そこにかかっている時計を見たんでしょう。


「今日遅くね? 日直?」


 あんたに会うための心の準備よ。

 とはいえず。


 ほんと、フランクになったわね。こいつ。

 今まで一瞥よ? 一瞥したらいい方だったのよ?


 いつもの席に鞄を置いて椅子に座ると幸村と視線の高さが合う。

 だから前髪の奥のその両目がちゃんとこちらを見ていることがよくわかる。


 今まで見てくるようなことなかったくせに。

 それがあるせいで相手の視線の動向を気にせざるを得ない。


「ちょっと教室で喋ってただけよ」

「あっそう」


 なんで聞いといてその反応なのよ。

 興味があるのかないのかどっちなのよ。


「なぁに。そんな用事ならもっと早く来れたんじゃないのってことかしら」

「いや? っていうか、俺が言えることじゃねぇけど、風岡ここくる意味なくね? お前なんで毎日来てんの」

「それ答えたら貴方が毎日ここに来てる理由教えてくれるの?」

「理由も何もねぇけどな」

「暇だから寄ってるの? わざわざ鍵を開けて?」

「そう。時間潰してんだよ」

「家で潰せばいいじゃない」

「一回家帰ってまた出かけんのだりぃだろ。帰るついでに寄るんだよ」

「どこに」

「買い出し」

「……スーパーの夕方の値引きの話?」

「そうとも言う」


 言うらしい。

 なんだろう。この。なんか………うん。そうね。

 とりあえず私もよくやるわ。それ。

 ここで適当に時間潰して、帰ってからいくのよ。


 いつも最寄り駅まで徒歩だけどそういうときはたまに自転車できたりする。

 でもほとんどは一回家に帰ってから着替えて出掛けてるかしらね。私は。


 なんか、解散後似たようなことやってるの、なんというか。……なんて言うんだろう。むず痒い。


 でもそれ毎日である必要なくない? あんたの近所のスーパー毎日通ってるの? 家に冷蔵庫あるでしょう。


 ……あぁ、これはとっても悪癖。悪い癖。

 この男が何好んで買ってるのか気になる。

 でも多少の線引きはするって決めたから。散々立ち入ったからもうこの辺にしておくって決めてるから。


 じゃなくて。


「それなら毎日時間潰す必要ないでしょう。何か理由があったんじゃないの?」

「……」


 幸村がやれやれといった調子でため息ほどじゃない息を吐き出す。


「ほんと、お前聞いてもタメにならねぇことよく聞いてくるよな」


 話すこと自体は問題ないけどなんで私がなぜ聞いてくるのかに疑問がシフトしたらしい。

 なんでって。


「好奇心と話題探し以外に聞く理由はないわよ」

「いいだろ。探さなくて」

「なによ。私とお喋りしたくないですっていう宣言?」

「そうは言ってねぇけど」


 言ってないらしい。

 ……言ってないらしい。


「……」


 私は口を閉じる。閉じて考える。

 考えながらもう1人の私を召喚する。


 別に私おかしくないわよね? の返事が欲しくてもう1人の私に頼る。


 この人、普通に、深い意味なく人として、同年代の人間として、これといった意味なく私のこと好きよね?

 話しやすいぐらいには思ってるわよね? これ。それは自惚れじゃないわよね?

 もう一人の自分に私はそう尋ねる。肩でも揺さぶる勢いで。


 あんなに一学期の私に間遊ばれてたのに、そんなことある?

 一応遊んでた自覚しかないのよ? こっちからすれば。

 無理もないでしょ。つんけんされてたとはいえ、話しかける時と場合で対応が違うのよ? この男。そんなの話しかけるに決まってるじゃない。そんな面白いことそうそうないじゃない。


 話しかけられるのは好きなのかしら。

 嫌われたかったわけじゃないけど、でも面倒とかうざったいとか騒がしいとかそういう評価されても文句言えないと思っていたのだけれど。


 あながち幸村も同種の人間ってことなのかしら。だから欠点に見えないとか?


 相変わらずよく分からない。


「そういえば、貴方。何か私に用があるんじゃなかった?」


 昨日そういう名目で話しかけてきたはず。


「あぁ、それ?」


 言いながら幸村がごそごそと鞄の中に手を突っ込む。

 話、というわけではなさそう。


 それもそうか。

 話で済むならあの場で良かったものね。

 となると何か渡す用事があったとか? ……何か貸してたっけ。私。

 幸村に何か貸したことあったっけ。そもそも。


 ないわよねぇ、と結論付けたところで幸村がそれを取り出す。


 本だった。

 ただしカバーがついているので何の本なのかは分からない。

 でも彼から貸し出される本には一つしか今のところ心当たりはないというか、心当たったのがそれしかないというか。

 ようやく思い出したのがそれ一つしかなかったともいえるのだけれど、カバーがついているので正誤は不明だ。


 でも手に持った時の大きさがどうやらそれっぽい。


 というのも。

 8月に本屋で少し話した例の本だ。


「持ってきたけど、読むの? お前」


 そこまでしてもらったら私の意欲がどうのこうのって話も出来なくない? だって持ってきてるじゃない。貴方。


「その話覚えてたのね」

「まぁ、なんとなく」


 なんとなく、本棚見てたら思い出したって?

 ふうん。

 本棚見てたら、そういえば風岡が読みたがってたなぁって思い出して、鞄に入れたってこと? 昨日も言ってたから、2学期初日から持ってきてたってこともありえるわけでしょ?


 私に貸すためにわざわざ持ってきたんでしょ?

 もしかしてその話した日に鞄に入れてたりした?


 まぁ、でもこの人ノートも貸してって言ったら貸してくれるし、それと同じ感覚なんでしょう。いや、それが普通だと思うけど。


 あれ。私、ひょっとしてこの男が親しみやすくなった結果何か企んでるんじゃないか、みたいなありえない幻覚に警戒してる? 

 大丈夫よ、私。今更罰ゲームで告白とか、そういうお遊び流行ってないから。


 そうやって嫌煙して失敗しかけたでしょ。中学の頃。

 お高く留まってる。何故かそう思われたことがあった。

 今思えば、思春期特有の羨望と同義の妬みだったのだろうけれど。


 幸村にそういうの警戒するだけ無駄だ。

 だって、素の彼はいわばこの学校で私以外と接点ないのだから。


 どこまで行ったってこの幸村と話したことは私と彼だけで完結するものだ。

 私と彼の話でしかない以上、そこに誰の思惑も入る隙間はない。


 あっても、彼の思惑のみだ。


「何日貸してくれる?」


 幸村の手から本を受け取る。

 新書サイズの小説より大きい本。表紙がちょっと硬い。


「別に何日でも。俺はとっくに読んでるし」

「ほんと? だいぶ遅くなるかもだけど、問題ない?」

「ねぇな。つーか、読めんの?」

「なによ。日本語読めます? って話?」

「大外れだわ。読むタイプじゃないだろ。そういう奴って本見るだけで、うげぇって顔するじゃねぇか」

「……」


 否定はできません。


「す、するけど。でも、読む。読んでみるわ」

「あっそ。じゃあ睡眠導入剤にでもしてくれ」

「……」


 名案になってしまうかもしれない発言はやめてもらいたい。


「あの、一か月で返却するのすら難しい読書初心者なんだけど、許してくれる……?」


 本に自分の身でも隠すかのようにして、ひょっこり覗き込むように尋ねる。

 人に貸そうかと提案できる程度には彼も評価しているらしいこの本を盾にすれば少しはマイルドな反応にもなるでしょう。


 未知の領域過ぎて正常値が分からない。

 普通の人はどれくらいで一冊を読み切るんだろう。多分1日で読み切るのも数時間で読み切るのも『読む』ということに焦点を当てれば難しいことではないんでしょう。

 単純にその集中力が私にはある気はしないけれど。


 集中力がないとは思ってないけど、やっぱり苦手なものに対してはすぐに切り上げたいって気持ちになっちゃうわよね。どうしても。


 はぁ、と幸村は何とも言えない頷き方をする。


「別に俺は読み終わってるからいつでも」

「数ヶ月越しでも?」


 私の暗い冗談に幸村がはは、と笑う。


「まぁ、読むだけマシなんじゃね?」


 そこまで緩い条件で貸してくれるならちょっと頑張ってみようかしら。

 なにより、わざわざ貸すつもりで持ってきてくれたみたいだし。

 そんなうっすらとはいえ情熱感じちゃうと少し誘惑されちゃうわよね。面白いのかもしれないって興味が湧いちゃう。


「ね、ね、幸村」

「あ?」

「もう帰っても平気? まだ残る用事ある?」

「は? はぁ。もう俺の用事は済んだから帰っていいぜ。呼びつけて悪かったな」


 しっしっ、と手を払いながら幸村が顔を背ける。勝手に変な勘違いしといてそれはない。


「違うわよ。私が帰っていい? って話じゃなくて、あんたもよ。幸村ももう帰ろうと思えば帰れる?」

「あ? ……まぁ、極論言えばここですることはねぇからな。居る意味はない」

「じゃあ、帰ろ? 早く帰りましょ?」

「よく分かんねぇけど帰りたきゃ先に帰れよ。引き止めねぇよ。別に」

「えぇ? 1ヶ月で忘れちゃったの? いつも一緒に帰ってたじゃない。貴方がいないで私は誰と帰ればいいのよ」


 小乃花も麗も遅くまでやってる部活ガチ勢だから偶然出くわすなんてことはない。テスト一週間前なのに部活をやってるなんて平気であり得る2人だ。


 とりあえず私のそんな言い分が少しは効いたのか、幸村は重たげにしながらも腰を上げ、出していた自分の本を鞄にしまう。それを正面に私も今借りたばかりの本をしまい込む。折れないようにそれ分の隙間を開けてから丁寧にしまう。


 よし。これならいいでしょう。

 帰ってる最中にカバーの端の端が少し折れてしまう恐れがあるかもしれないからいつもよりは慎重に鞄を持とう。丁重とまではいかないけど。少しは鞄に優しくしとこう。


 預かるなんて聞いてなかったからいつも通り物が多いままの鞄なのよね。

 でもそれがかえってお互いを固定しあってるからぐちゃぐちゃになることは少ない。

 なんでこんなに多いんだろうって不思議に思うこともあるけど、改めて確認すると必需品ばかりなのよ。不思議なことに。


 しまい忘れたものがないかを確認してから鞄のチャックをしめ、肩に背負う。


「……」

「……」


 支度が終わり、顔を上げると彼と目が合った。

 幸村はそのまま部室の鍵を指先で遊ばせながら特に声をかけてくることなく出口に向かう。


 どうやら懇切丁寧に鞄にしまい込んでいるところを見られたらしい。

 借り物なんだから丁重に扱うのは普通でしょうが。

 そう思う一方で当人にその一部始終を見られていたというのはどこか気まずい。


 ……いいけどね。別に。

 別にいいけど。別に、あんたのだから丁寧にしまったわけじゃないっていうのは分かっといてちょうだいよ? 勇士くんから借りたって大事に扱うんだから。


 尤も。早く帰りましょ、って提案した時点でで私が今借りたものに関して前向きな気持ちでいっぱいなのはバレてそうではあるけれど。








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