サマーバケーション⑦

 お祭り気分な人の群れに戻ってきた私たちはとりあえず人の流れに逆らわず、もう片方の端まで行くことに決めた。


「結構歩くんじゃねぇの?」

「そうね。何分ぐらいかかるかしら」


 そんな形式のような会話をしながら、幸村にすいっと内側に回される。


「……」


 慣れてる風なのがちょっとムカつく。

 でも前に彼女がいてそれぐらいの気配りができなくてもそれはそれでなんかムカつく。


 別にこの男に彼女がいたことはどうでもいいのよ。

 いや、意外ではあるけれど。今聞いたら少しは答えてくれるかしら。

 でも興味はあるけどお祭りでする話ではないような。でも日を跨いでまでするのもどうなの。気になりますって言ってるようなものじゃない? それ。


 気になるんだけどね。


 気になると言っても、幸村がどういう子に興味があるとか、そういう気になり方とはまた違う。

 私が中学の頃失敗しているから、もしかして同士なんじゃないのか、とか。

 そういう気になり方。


 でもなんとなくだけど、違う気がする。


 男の人が外側歩くとか。

 なんてことないシンプルなことだけど、私は『元カレ』にそうされた記憶があまりない。あまり、というのはカレに対しての辛うじての敬意であって、それを取っ払ってしまうと『ない』の一言に尽きる。

 あの人が慣れていないとか、そこまで考えるほどの余裕が私といる時になかったとか。そういうのだったら文句は何もないけれど、多分そういうものではなかったと思う。


 あの人は、自分で言うものではないけれど、『私と付き合えている』という事実しか見ていなかったから。


 風岡と付き合えている。


 当の本人からすれば私のどこがいいのかよく分からないけれど、当時の彼らからすればそれはとても良いことらしく。

 付き合って欲しいと言われて了承した時はとっても派手に喜んでくれたものだった。

 それが嬉しかったから私も良い彼女になろうと思ったりはしたけど、結局その事実は元カレのステータスの一部でしかなかったのだから虚しい話だ。


 だから、ついうっかり、いいなぁとか思ってしまう。

 私もそういう扱いをされたかった。


 幸村の元カノみたいに。


 してたのかは、定かではないけれど。

 でも一緒に帰る時もそうしてくるから、多分もう癖になってるんだと思う。


 そう。放課後のこの男は学校を出ると私を歩道側に回す。


 何も言わずに突然肩に手回されて場所移動させられるのは驚くけど、でも一々「こっち歩いて」とか言われるのもまた違う。


 今まで特に気の止めてなかったけど、不思議な話ね。

 元カノに培われたものなのかもしれないと思うと、なんだかムカつく。


 うまくいってたんだろうなぁ。きっと。

 私のところとは違って。


 ……あたし、元カレになにしてもらえたっけ。


 思い返そうとしたところで、視界に突然手が差し込まれ、それが上下に揺れる。


「気分悪くしたか? 変な話でもされて」


 そんなことを冗談めかしに言われる。


 変な話というのは、もちろん数分前までしてた話のことでしょう。

 させたのは私なんだけどね。


「いいえ。ちょっと前のこと思い出してただけ」

「前?」


 そう。元カレのこと。


 って答えても別になんの支障もなかったんだろうけど、やめた。

 これ以上あの人のこと思い出してセンチメンタルになったところで、対照的に幸村のことが浮き彫りになるだけだ。


 良くも悪くも、他人に気遣えるそういうところ、好きかもしれない。


 そんなことを思ってもどうにもならない。

 悪い人じゃないのはこれまでの付き合いである程度測れたつもりだ。

 だから、奥歯で噛み潰しておくことにした。


「なんでもないわ。それより幸村、デートなわけだけど、どうする? 手、繋いでおく?」

「そこまでの人混みじゃないだろ」


 ふうん。

 ……ふうん。


「……幸村、元カノさんと手繋いだことある?」

「……」


 彼の目だけが私の方に向く。

 他所行き用の髪色の下からその目が一瞬だけこちらを見た。


「……時と、場合と状況による」


 あぁ、やっぱり。

 なんだか慣れてそうな返答だったものね。大したことだと思ってなさそう。


 いいなぁ。

 ……あれ。いいものだっけ?

 あの人と手を繋ぎたくはなかったからなぁ。引っ張られるだけだったから。


「この話、いくらお前でも楽しくねぇだろ。楽しいか?」

「そうねぇ……。貴方が少し恥ずかしそうにしてるのは見てて楽しいわ」

「分かってんなら聞いてくんじゃねぇよ」

「でも『デート』で他の人の話するのは減点よ」

「させられたんだよ」


 あーあ、と襟足を邪魔そうに触りながら幸村がやっつけ気味に呟く。


「アイツらにも言う気なかったのに」

「中学の話?」

「そ。氷上も知らねぇぞ」

「え。付き合ってた子がいること? そうなの?」

「中学違ぇからな」

「……もしかして、ピアスその子に開けてもらったとか」

「あ? これは自分で開けた。ピアッサーで」

「あ、そなの?」

「そう。慣れてたつもりだったけどすっげぇ痛ぇの。やんねぇほうがいいぞ。マジで」


 慣れてるって痛いのにってこと? 中学の頃の件で?

 何その話。心に来るんだけど。

 慣れるほどの頻度だったってことでしょ? つまり。何その話。


 とか1人内心慄く私のことなんて気付かず、幸村はむしろいつもより軽い調子で続ける。


「まぁピアス付けたかったからいいんだけど」

「結構持ってるの?」

「それなり? つっても一応校則で禁止だから増やしても付ける機会ないから大した数じゃねぇな」

「今日はつけてないじゃない」

「アイツらと来てんだぞ。付けるかよ」

「今、あたしだけよ?」

「持ってきてねぇんだよ」

「問題はそこだけなの? よっぽど好きなのね」

「光物が? まぁな」

「あら既視感。鴉なのかしら」


 視界の隅で幸村の肩が揺れる。

 見ると、手を口元に当ててくつくつと笑っていた。


「あ。でもこっちは付けてるぜ。好きだから」


 そう言いながら口を抑えていた手を親指を頂点にして広げる。

 その根本には銀色のリングがある。


 前にあっていた時にも付けていた。その時とデザインが同じかまでは分からない。

 分からない。けど、今ので分かることは一つ。


「幸村、貴方、なんか……今日はおしゃべりね」

「あ?」


 だって今まで身に付けてるもの見せつけてきたりしてこなかったわよ。

 そんなに詳しくは知らないけど。

 でも付けてるなぁと思って見てたら「視線がうるせぇ」とか言われたわよ。


「もうお前に隠すことねぇしな。それともなに、俺が静かな奴だとか思ってたわけ?」

「それは、思ってないけど」


 幸村がクールな奴だっていう話は聞いたことない。

 見た目でそうかもしれないって思って、話してみたら案外気さくな奴だったって話は聞いたことある。

 そうなのよ。だから、人相のいい顔ではないけど怖いって印象を持ってる人はいないと思う。


「思ってないけど、自分のこと話したがらない人かと……」

「話したがらない人やってたんだよ。割と楽じゃなかったんだぜ? 口軽い方だから」

「うそ。貴方口は軽くないでしょ」

「軽いんだよ。なんでも喋る」

「そこまでいうならこの前のこと教えてよ」

「あ? どれ」

「あたしのこと。なんて噂してるのよ。そういう話してたわよね?」

「あぁ、それ。政宗見てりゃ分かるだろ」

「その言い方だと、悪口ではなさそうね。安心したわ」

「男が寄ってたかって女の話してたら8割そういう話に決まってんだろ」

「決まってるかは知らないけど……。それで? 幸村くんも参加してるわけ?」

「俺? 俺は話したがらない人やってっから参加してません」


 そう言いながらひらひらっと片手を適当に振る。

 口数も増えたけど、仕草もなんだか軽率になったような。


 今の恐ろしくラフな幸村を見てるといつも自分のためにかっちりさせてたんだなぁと改めて思わされる。


 何言っても不機嫌そうな顔しかしなかったような奴よ? また面倒なのが絡んできたって顔で申し立てるような奴よ?


 口開くのすら億劫です、みたいな態度してたくせに身軽な身振り手振り交えて話すんだもの。


 多重人格か何かなの? って思う私、別におかしくないわよね


「便利に自分の個性使いこなしてるみたいで何よりだわ。ところでさっき私にはもう隠す必要ないみたいなこと言ってたけど、流石に話の中身までは私にしてくれないわよね?」


 聞きたいわけではない。

 なーんだ結局なんだかんだ言って隠し事あるじゃないの、っていうくだりをしたいだけ。


「は? お前の話ってこと? だから参加してねぇって」

「あたしの話もそうだけど。普通にそういう話全般も。例えば、女の子の好みとか」


 そう聞くと、特に表情を翳らせも曇らせもせず、ただただ首を傾ける。


「そういう話をお前としてもなぁ」

「あら、差別?」

「差別ってか、お前」


 親指で私を指差す。

 私も真似て自分を指さす。


「そういう話好きじゃねぇだろ」

「……」


 そう言われて目を瞬く。

 今までの感覚からだろうか。

 それとも件の『私の話』の中にあるんだろうか。

 風岡はあんまりそういう話に乗ってこないぞ、って。


「まぁ……あんまり乗らないわね。自分にその話が回ってくると困るのよ」

「あることないことどころかあることしか出てこないから?」

「そうねぇ……そうとも言うかも」


 はは、と幸村が軽く笑い飛ばす。

 嘲笑よりは自嘲かな。尤も、そんな蔑みのニュアンスは感じられないけど。

 要は私にではなく自分自身に奴の関心が向いていた。


 きっと心当たりがあるんでしょう。

 あるでしょうね。幸村の親愛ならお友達こと政宗くんはそういう話好きだろうから。

 ゴシップ好きそうだもの。私の騒がしい愛すべき友人と同じ。


 ……そういえば小乃花なら連絡ないわね。冷静になればすぐ「今どこ!?」って電話してきてもおかしくないのに。


 まぁ、こないものを心配しても仕方ない。

 向こうから送ってこないってことはスマホを見てないってことなんでしょう。そんな中私から送って気づいてもらえるかどうか。


 後人混みでスマホを使うのは危ないし、幸村を誘った手前私が他のことしてしまうのは申し訳がない。


 そういうことにしておこう。


「ねぇ、幸村。お願いがあるんだけど」


 呼ぶと、屋台に目移りしていた幸村が潔く振り向く。

 目をちょっと大きくして、表情だけで「ん?」と語りかけてくる。


「あたし、たこ焼き食べたい」

「勝手に食えよ。どっかにあったぜ?」

「でも、あたし8個も食べれないから、半分こしてほしいの」

「めんどくさい食い方するな」

「デートみたいでいいでしょう?」


 尤も、それはある種の一般論であって私はそれをしたいと思った人と会ったことはないけどね。




   ◇



【氷上】


 とうとうこの日が来た。


 センパイが離脱した。


 ダチの誰かがとうとう折れたかって愉快に笑ってやがる。

 それに便乗して周りが罵声を重ねていく。


 折れたかって。馬鹿かよ。

 馬鹿だったわ。


 センパイが諦めたんじゃない。

 センパイに見放されたんだ。俺たちは。

 あのお人好しのセンパイに。


 やっとあの人は見放す決心をしたらしい。


 こいつらはまだ遅刻だと思ってそうな感じだけど、俺にはそういう確信しかなかった。

 センパイはもう二度と来ない。


 何があったんだろう。

 つい数十分前に「行くな」っていうラインを俺は受け取っている。


 受け取った時には俺はもうオトモダチのところにいたわけだけど。


 その時はまだここにくるつもりだったはずだはずなんだろう。

 いつも通りのことが起きるはずだった。


 今この場には俺外して7人いる。

 7対1で完敗するザマを今日もお送りするはずだったのに。


 そんだけ喧嘩で負け越してるのにこいつらが懲りずに先輩を呼び出す理由は一つだ。

 必死こいてるセンパイを笑いたいだけ。


 自分で言うのもどうかと思うけど、グレるような奴らには全員そう陥るような理由がある。

 ここの連中はどいつもこいつも自分が大事じゃない。

 だからセンパイに殴られて血まみれになろうがアザまみれになろうが気絶させられようがダメージにはならない。


 そういうタチの悪い集まりだ。

 まぁ、この場にいる俺が言うんだから間違いないけど、掃き溜めってやつだ。


 俺はこの中でもハブられてるほうだから個人の深い話は知らないけど、まぁ自殺を考えてたやつも中に入る。

 でもおっかなくてできない。

 でも人生無駄にしたい。

 そのうちサツにしょっ引かれるんじゃねーかなって。そう言う夢を見てるキチガイもいる。


 そう言う連中と自分の親友が連み始めたら、そりゃ、ほっとけないって思うのが人間の心情なんだろう。

 センパイが俺らを相手にしていた理由はただそれだけだ。

『俺ら』を諦めさせるために呼び出しに応じていた。


 説得なんて領域はとっくに行きすぎたから、もう肉体言語しか残されてない。

 そんなカッスカスの人脈だった。


 でもセンパイは、今日、呼び出しをブッチした。


 もうお前らなんてしったこっちゃねーってことだ。

 それなのに俺には「行くな」って言ってきたんだから、お人好し確定なんだよなぁあの人。


 行かない決心したのと送信した時間、どっちが先なのか知らねーけど。


「氷上、アイツにヘンな入れ知恵したんじゃねェの?」


『リーダー』に声をかけられる。

 別に誰もそんな呼び方しちゃいないけど、立場はそれだ。

 そいつが取り仕切ってる。

 取り仕切るってことは誰も反発しないってこと。

 その理由は一つ。


 この人が単純に年上だからだ。

 2個上。


 だから今高3のはず。

 学校に行ってるのかは知らねーけど。


「何言ってんすか。俺が何か言ったところで言うこと聞いてくれるやついるわけねーじゃないスか」

「じゃあなんであいつ来ねェんだよ」


『リーダー』の顔面に青筋が見えるような気がする。

 センパイは律儀な人だからそう長く遅れてくることはない。

 だが今日に限ってはまだ来ない。

 それが今のこの人を苛立たせているらしい。


 もう意味わかんねぇよ。

 呼び出して来ないからキレるって。


 そりゃ知り合いに来てって言われてくるのは普通だけど、来たところで散々なことされるって分かってたら来ねーわフツー。

 それが。なに。

 なんで来ねェんだ? だと?


 なんでいつまでも絶対に来るって確信があったんだコイツ。

 これは頭沸いてますわ。


「どーします? 津々良サン。祭りに来てるか探します?」


 祭りはこの河川敷の……なんだ。どっちだ。上りか? 下か? そのどっちかでやっている。

 目と鼻の先ってやつだ。

 まぁそうだよな。こいつらの中にはパクられたい願望強いやついるもん。


 リーダー基津々良さんがそういう人かは知らないけど。


 センパイ捜索班を作るか作らないか。

 そんな話をしていると、ジャリ、という積極的な足音がして俺たちは背後を振り返る。


 連中の振り返る時の素早さったらえげつねぇ。

 センパイかもしれない。

 そんな考えがあったからだろう。


 でも、やっぱりセンパイではなかった。

 あーあ、と落胆するやつがいてもおかしくない結果だが、オトモダチはむしろ気を引き締めるような顔をする。


「幸村は来ないよ。もう一生」


 ジャリ、とサイド石が擦れる音がして、その人はその場で立ち止まった。


 半袖のパーカーに、デニムの短パン。そしてサンダル。

 部屋着のまま出てきましたみたいな格好をした女子だ。


「なんで優芽がそんなこと知ってんだよ」と津々良。

「逆に知ってちゃいけない理由って何」


 チッ、と津々良が舌打ちをする。

 この人に反発して痛い目に会わないのがこの女子だ。


「あーあ。マジ最悪。つまんねェ兄貴のせいでまたウチのお友達が減ったんだけど」

「友達? なんだそれ」

「うっわ。識字率ひっく。友達って言葉も知らないわけ? もうちょっとアタマ使ってあげれば? 使い方知らないだろうけど」

「優芽、お前アイツと仲良かったのか?」

「だったら何」

「呼べよ。お前が呼んだら、来るんじゃねェの?」

「耳詰まってんの? それともついてないの? 一生来ねーって言ってんだろ。仲良かったからアタシに言ってきたんだよ」

「だからァ」


 苛立ちに任せて津々良さんが自分の太ももを引っ叩く。

 そのまま掴みがかっていきそうな雰囲気だったが、津々良さんの足は数センチ動いただけ。


 まぁ、無理もない。


 グズ、と例の女子が鼻を啜る。

 露出されきった腕で両目を擦る。


 津々良優芽。

 まぁ、苗字からお察しの通り、『リーダー』の妹だ。

 津々良さんはこの人に強く出られない。

 可愛いとかそういうのももしかしたらあるのかもしれないけど、この人が自暴自棄になってしまうと良くないことが起きるらしい。


 メンヘラとかじゃなくて。

 なんか、津々良家の親父さんがやべぇ人らしい。

 酒癖とか、女癖とか。そういう意味で。


 妹の方は今2年。

 2年ってことは、……歳は17とかか?


 まぁ、成人手前の女の人ですよ。

 んで、家にはいろんな意味で女に手を出す野郎がいると。


 ……まぁ、そういうことである。

 向こうからすればどっちの暴行でもいいのだろうし、どっちの暴行も起こり得る。

 それだけがリーダーの懸念だ。

 妹が自棄になって親父に自分を売ることが多分何よりも怖い。サツに見つかるよりも。


 妹さんの方と話したことあるから何となく分かるけど、あの人自身はメンヘラとかから縁遠い人ではある。

 ムカついたらちゃんと悪態をつく人だ。折れるような人ではない。

 ただ、彼女本人がそういうことから縁遠くても、彼女の環境がそのすぐ真横に置かれている。


 起こり得ない。

 そう断言できないってことなんだろう。


 まぁ、優芽さんの行動力はえげつないから。

 俺らの中で何人優芽さんにはっ倒されたことあんだろ。


 この人もつえーんだなぁ、これが。

 ……多分、親父さんに抵抗するための腕力なんだろうけど。


 そういう、いろんな意味で強い人だ。

 強いし、強がれる。


 そんな人が隠さずに人前で泣き出すって言うんだから、ゴミクズな俺らでも狼狽える。


 機嫌取りではなく、滅多に起きない同情心やら配慮からオトモダチがしきりに「何かあったんすか」と声をかける。

 面白いぐらいにおろおろと。


 でも答えてはくれなかった。

 優芽さんは強いから。

 強気でいられる人だから。


 ただただ、定期的に兄貴の胸板をぶん殴り続けた。

 音的に痣できてんじゃねーかなって思う。ドスッ、ドスッ、ってぐらい重い。

 それで心臓の上を叩かれている。

 妹の八つ当たりとかではなく、一個人の恨みとも見える攻撃だ。


 この2人、別に仲良くねーしな。そりゃ遠慮なく殴りもするか。


 優芽さんは強い人だ。

 強くて、強引な人だ。


 おかげで今日はこのまま流れ解散になった。



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 ・

 ・



 正直祭りではしゃぐ気分じゃなかったけど、祭りが開かれてるエリアを通らなければ駅には行けない。

 もちろん駅に行く道が1本しかないはずないから別の場所から行けば通る必要はないんだろうけど、最寄りでも何でもない駅周辺のことを知ってるはずがない。


 かといってわざわざスマホ取り出して別の道を調べるほど遠ざけたいわけでもない。


 なんとなくブルーな気持ちで両サイドに屋台を構えた道を歩いていると、なんとも空腹をそそる匂いがしてくる。

 きゅうりとかチョコバナナとか絶対匂いしないだろ。綿飴もか?

 ってなると焼きそばとかイカ焼きとか、そういうソースの匂いなんだろか。

 わっかんね。混ざってるし。


 嗅覚をずっと刺激されていると腹が鳴った。

 晩飯食ってねーけど、でも多分家にあるしな。


 今日の祭り行くのかって、親に聞かれて行かないって答えちまったしなぁ。


 とりあえず帰るか。

 油売ってオトモダチ共に見つかってケチつけられるのもだるいしな。


 まだ花火があがってないから帰る気配の人は見かけられない。

 むしろ駅から人の群れがまだまだ来るぐらいだ。


 それを逆走し、屋台の最後尾、見方によっては最前列まで来ると、目の前にいた小さな女の子がバタン! と勢いよく倒れた。

 というか、転んだ。


「……」


 手に持っていたらしいかき氷が見事に地面にぶちまけられている。

 そこだけ雪でも降ったみたいな。

 ……そうでもねーな。いちご味だと思われるシロップのせいで雪っぽくはない。


「おチビ、だいじょーぶか?」


 横にしゃがんで声をかけると、その小さな女子がのっそりと立ち上がる。

 幸い、めかし込んでる浴衣はちょっと汚れたぐらいで穴が空いたりとか布が擦れたりとかはなさそうだ。


 でも道路だからなぁ。ここ。

 痛ぇんだよなぁ。アスファルトで擦れると。


 俺も覚えがあるから分かる。

 そりゃ、そんな顔もしたくなるってもんよ。


 浴衣で見えてないところが怪我してるのか、目の前で絶賛溶けようとしているかき氷にメンタルやられたのか。

 ぐしゃっ、と目の前の女子が顔を歪める。


 おいおいおい。

 なんだ。厄日か?

 なんで1日で、ってかこんな短時間で女子の泣き顔2回も拝まないといけねーんだ。

 俺に泣き止ませるセンスはありませんよ。いやマジで。


「お、おい。どっか痛いとこでもあんのか?」


 ぶんぶん、と目の前の女児が首を横に振る。

 ツインテールもいい感じに揺れて少し怖い。これあたったら痛ぇんだよ。


 女児は両手で目を擦ると、目の前で転がる紙製の入れ物を指差す。


「あー……」


 かき氷が入っていた入れ物だ。デフォルメされきって可愛さ半減したペンギンが印刷されている。

 氷に刺さっていたあのストロー製のスプーンもお生憎様地面に転がっちまってる。


 かき氷っていくらだ? 200円ぐらい?

 それぐらいなら貧乏学生でも買えるんだけど、これ買ってあげたら俺不審者になりません?


「お兄ちゃんにおこられる……」

「にーちゃん? にーちゃん、怖ぇの?」


 ううん、とまたツインテールを振り回す。


「……やさしい」

「じゃあ大丈夫だろ。つーか、そのにーちゃんは? 一緒に来てんじゃねーの?」


 女児は首を前に倒す。

 まぁ、来てるわな。

 来てるのに、今この場にいないと。


 ふむふむ。なるほど。


「……もしかして、迷子か?」


 女児は控えめに首を前に倒す。


「……」


 迷子になって、きょろきょろしてたらこけたとか。そんなとこか。

 ……あれ、俺がぶつかって転ばせたとかじゃねーよな? 


 にしても、踏んだり蹴ったりだな。このおチビ。


「にーちゃんのケータイの番号とか分かるか?」

「お兄ちゃんのはわからない……」

「家電かぁ。そこにかけてもなぁ」

「ううん。お姉ちゃんのならわかる……」

「……」


 なんだその差。

 好き嫌いの差か? まぁ、同性のきょうだいの方が付き合いやすいわな。

 俺、きょうだいいねーけど。


「俺の使ってねーちゃんにかけるか?」


 後ろのポケットからスマホをとりだして女児の前に差し出す。

 この前玄関で落としてバッキバキに割れた液晶画面がいい感じに個性を爆発させてやがる。

 おそらく、母ちゃんにバレたら怒られる。


「でも、知らない人と話しちゃダメって……」

「ねーちゃんに言われてんのか?」

「ううん。学校の先生」

「おー。それは絶対守っとけ? でもな、こんだけひとがいるところで悪い人悪いこと出来ねーから」

「もくげきしゃがいるから?」

「そー。賢いなぁ、おまえ」


 与太話してる間に『保護者』が来てくれたりしねーからって期待してたんだけど、そんな運がいいことは起きなさそうだ。


 つーか、このぐらいのガキンチョってどれぐらいお子様扱いしていいのかわかんねぇ……。

 つっても精神年齢は俺もこのぐらいだしな。なんなら最近の小学生の方が賢かったりするだろ。知らねーけど。


 そもそも、俺、子供得意じゃねーし。

 あれっ。俺子供得意じゃねーじゃん。


 ガキンチョと戯れた記憶とかねーわ。

 懐かれた記憶も無い。


 そう思うと変に緊張してきた。

 子供は素直って言うからなぁ。どっかの誰かみたいにバッサリ言ってきたらどうしよ。

 根に持つわぁ。友達じゃないって言われたヤツ。

 言うぅ? そんなこと。思ってても言わんくない??


 あー、でも委員長、子供の扱いうまそうだなぁ。子供は好きだろ。親身になって話聞いてくれるおねーさんとかって。


 じゃあ親身になって話聞いてやればいいのか。

 まっかせろ。通信簿に『人の話を聞かない』なんて書かれたのははるか昔のことだぜ。


 あれから成長してっから。俺。

 ちゃんと10センチは伸びてっから。


「まぁ、とりあえず電話してみろよ。泣くほど困ってんだろ? そんな女の子にイジワルできるほど俺肝据わってねーから」


 はえ? と女子が首を傾げる。


「きもってなーに?」


 キモッテナーニ……だと?


「……なんか、あれだよ。あれ。腹の中にある何かすげえやつだよ。内臓ってやつ」

「それ、消化管のひとつ?」

「……おぉん? おまえムズカシイ言葉知ってんな?」

「最近学校でならった」

「マジか。俺習ってないわー」

「……? おにいちゃん、学校行ってないの?」

「行ってるわ!」


 曇りなきまなこでひでえこと言うんじゃねえ!

 高校入ったばっかの頃は行ってなかったけどな! うるせ! 学校から来んなって言われたんだよ!


「学校は行った方がいいよ。見識が広がるから」

「お、おぉ……。誰に言われたんだそれ」

「お姉ちゃん」


 ……つまんなそうなねーちゃんだな。


「んじゃ、そのねーちゃんに電話かけてみ? 案外すぐ会えるかもしんねーぞ」

「……」


 躊躇いがちな女児に俺はケータイを突きつける。

 使い方がわからない、ってことはないらしい。


 ってか、このご時世こんくらいのお子様でもスマホ持ってるもんじゃねーの? 

 俺は持ってませんでしたけど。


 目の前のガキンチョは俺のスマホを両手で受け取ると、ゲーム機でも握るみたいに両方からスマホを手で包む。

 俺はタッパが大したことないから、手の大きさも大したことはない。

 最近機種のちょっと大きめのやつをおかんが持ってるから試しに握らしてもらったけど、親指が画面を横断できなくて詰んだ。

 詰んだし萎えた。


 やっぱ片手で操作したいんだよなー、って思って今使ってるのも少し小さめのにしてる。

 そんなスマホでも女児の手には大きいらしい。


 両手の親指でポチポチと入力すると、スマホを変わらず両手で掴んだまま耳に当てる。


 プルルルルル、っていう着信音が無駄にデカく聞こえてくる。

 俺が音量を最大にしているせいだな。

 流石に耳に当てるのはうるさいらしく、少し離している分むしろよく聞こえる。


 しばらくその呼び出し音が続いた。

 賑やかな背後からの音があるが、まだまだ着信音が聞こえる。


「ほんっとごめん! どこにいる? ……おけ、じゃあそっち向かうわ。麗もいる? ……はえ? いない? あんた今誰といるの?」


「いらないって、悲しいこと言うなよ!! 逸れた俺が悪かったけどさ!? 瑞木もいんだろ? ……え? なんで。何、お前今ボッチ? ……ハァ!? なんでそこ2人!? 今すぐ変われ!」


 すぐ近くをやたらと声のでかい男女が通り過ぎていく。

 2人とも随分と早歩きで、なんか颯爽と人混みに消えていった。


 女の方が一瞬だったから空目だったかもしれないけど美人に見えた。気がする。


 そんな2人が通り過ぎても呼び出し音が止まない。


 そこからまだ諦めずに呼び出しを続けると、ようやく鳴り止んだ。

 とうとう切れたのかと思ったが、直後女児が表情を少し明るくして俺の顔を見つめてきた。


 繋がったんだろうな、と思うまでもなく「もしもし!」と先ほどまでどこかおどおどとしてた女児がはきはきと喋り出す。


「お姉ちゃん?」


 きょうだい水いらずの会話を聞くのもよくないと思って、俺は適当に視線を飛ばして周囲を見渡す。

 きょうだいってか、姉妹か。


「ここ? ここ……どこだろ。え? このケータイ? これは知らないお兄ちゃんの。……え? 変わればいいの?」


 そんな女児の言葉が聞こえてきて、俺は慌ててそっちを向き直る。

 変わるんですか? 俺が?

 内心でそう言いながら俺は自分を指差して目を丸くして見せる。


 そんな間抜けな俺に女児はスマホを両手で差し出してくる。


「……」


 この電話の向こうには知らないこの女児のねーちゃんがいるのか、と思うとそりゃ緊張する。

 ウチの子になにかしましたか、とか言われたらどうしよ。


 泣かせましたとは言わないようにしよ。


「……もしもし」


 ガッチガチの硬い声でスマホの向こうの相手に声をかける。


『ご迷惑おかけして申し訳ありません。その子の姉です。大変図々しくて恐縮なのですが、今いらっしゃる場所をお教え願いませんでしょうか』


 女の声だった。

 ねーちゃんなんだから当たり前なんだけど、そのことしか情報が入ってこなかった。かしこまりすぎて何を言われたのかさっぱりだった。

 俺の知ってる日本語じゃねぇ。

 俺の知ってるやつはもっとフランクなやつだぞ。辞書でも読み上げてんのかこのねーちゃん。


「えーっと……、なんつったら言いんでしょうね……」


 なれない言葉を使いながら似たような景色ばっかの周囲をまた見渡す。

 先ほどよりも細かいところに目を配ってはみるが何を言えばわかりやすい目印になるのか。

 ここが公園とかなら門みたいなとこですとか言いようがあったんだろうけど、すぐそばにあるのは住宅地だ。


 家がありますって言って通じるか?

 祭り周辺じゃないとこも家しかねーぞここら辺。


 屋台の名前言ったって複数あるんだろ? どうせ。


 だが説明しないことには始まらない。


「一応目の前にベビーカステラ屋があるんですけど、これじゃ分かんないっすよね」

『そうですね……。川からは離れていますか?』


 川。祭りの会場は河川敷周辺なのでもちろん目と鼻の先にある。

 ってかその川の脇通って俺は祭り会場まで戻ってきている。


 そして、1番駅の近いところまで歩いてきている。


「川からは1番離れてるんじゃないっすかね。屋台のアタマっす」

『1番離れてる……』


 相手の声が遠ざかる。近くに誰かいるんだろうか。

 噂のにーちゃんか?


「うた!」

「あ、お兄ちゃん!」


 女児が俺の背後を指さしたかと思うと、俺の死角から1人の男子生徒が飛び出してきた。


 同じ男なんだが、何をどうしたら『爽やかさ』って出るんだろうな。

 颯爽と出てきたからか? 


 そんな感じのやつだった。

 ねちっこくなさそうというか。話しやすそうというか。人見知りしなさそうというか。人懐っこそうというか。明るそうというか。


 声が高いからか? 


 あぁ、声が高いからかもしれない。


 そう思ってそいつの背丈を確認してみると、俺よりちっこかった。

 俺の目線の高さにそいつの頭がある、みたいな。


「妹がお世話になりました」


 ぺこ、とそいつが頭を下げる。

 妹と言ってるので兄貴なんだろう。まぁ兄貴じゃない奴がこんなに出張ってきたらキモいけど。


『もしかして、今迎えがきましたか?』


 耳元から声がして電話中だったことを思い出す。


「あ、きましたよ。弟さんらしき人が」

『そうですか。よかったです』


 かっちりした電話越しの女の声がそこだけ感情的になる。


『お忙しいところすみませんでした』

「あ、いえ。暇なんで」

『お時間取らせてしまって申し訳ありません。それでは……失礼いたします』


 あ、はい。

 そんな返事を返せたか、つられて失礼しますって返したか。


 相手は少し間を空けてから通話を切った。


 それから女児に「おにいちゃん、ありがとう」と言われて、俺たちは解散した。


 解散というか、兄貴が女児連れて祭りの方に戻っていった。

 ねーちゃんたちのとこに合流するんだろうか。

 んで、これからきょうだいで花火でも見るんかな。仲良いきょうだいだな。


 年頃のきょうだいがそこまで仲良いもんかね。


 まったく。きょうだいで来てるやつもいるし、カップルで来てるやつもいるだろうし、ダチ同士で来てる奴もいんだろ。


 なのになんで俺だけなんか変なやつと時間無駄にして、今ぼっちで帰ろうとしてんだろ。


 つら。

 帰って宿題やろ。


 今、俺にしては珍しく宿題をやる気しか起きない。

 大したこと考えられるアタマしてねーけど、何も考えたくない。


 この先のこととか考えたくない。


 センパイが無事離脱して、その後のこととか考えたくない。

 あの人はもともと部外者だ。でも俺は内部者だ。


 つっても、あいつら俺に興味ねーからライン全部無視すれば自然解消できるだろう。きっとできる。

 できちまう。

 その程度の奴らだ。

 俺の中学3年間なんてそんなもんだ。


 どうにもならないほどしょーもない。


 しょーもないけど、近場の3年間はそれが全てだ。

 縁切りをすれば、それがなくなる。


 そうしたらきっと俺がいなくなる。


 別にいいけど。

 だってしょーもないから。


 ブー、とポケットに入れたスマホが震える。


 俺のスマホを鳴らすやつはアイツらしかいない。

 なんとなく分かるよな。

 こういう考えしてっから俺はアイツらといること自体に反発を感じても苦痛を感じないんだろう。





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