サマーバケーション⑥

【>>風岡】


 それから。

 私主催の8月2日の天文部ゲリライベントは無事終了した。


 雫に直接聞いたわけではないけれど、あの子はいつも早く帰ることを心掛けている。

 なので3時半ごろに解散した。

 本屋寄って、最後に私おすすめのジェラート店に寄って、解散。


 甘さで勝負するフレーバーもあるけど、全部が全部甘いわけではない。

 あたしのおすすめは二味のジェラートを頼んで、その上にチョコチップとか生クリームとか、クッキーとか、デコレートできるものをてんこ盛りにするメニューなのだけれど、そこまですすめるのはやめておいた。


 ちなみに、ジェラートとアイスの違いは乳脂肪成分の違いらしい。

 高いのがアイス。低いのがジェラート。

 ちなみにシャーベットと違いを比べるときに必要になるのは乳固形分。

 ふうん、とは思うけどちょっと何言われてるのかは分からない。

 家でそういうの作らないからなぁ。


 暑さもあってか、3人とも乗り気になってくれたのはありがたかった。

 それとも3人とも人が良くて、内心では「はぁ?」と思いながらもそれを顔に出さなかっただけかもしれないけれど。



        ◇



 夏といえばアイス、基、氷菓以外の風物詩もある。


 そういえば最後に浴衣を着たのはいつだったかしら。

 地方の祖母の家に行った時が最後だった気がする。

 不仲になったわけではないけれど、ここ最近は帰っていない。


 これといった理由はないから、何で帰っていないのかも正直私はよくわかっていない。

 でも、お盆とかの時期になるとお母さんが実家に電話しているのは見かける。


 ……そういえば、何回ももてなすのが大変だから来るときはまとめてきて欲しいっておばあちゃんが言ってたような気がしないこともない。小学生ぐらいの頃の記憶なのでぼんやりとしているけれど。


 そんな覚えがあるから、勝手に風岡と春川で予定が合わないのかなって勝手に思ってる。


 でも高校受験のときとかは両親だけじゃなくて私の都合も含められただろう。


 これから先もっと私が忙しくなることを考えると今のうちにまた言っておいた方がいいんじゃないのかって思わないこともないけど、そこはもう両親に任せる。


 祖母の家はそこそこ大きい。絵に描いたような田舎の家だ。

 庭があってちょっと畑があって、みかんの木があった。

 そこで浴衣を着せてもらって、虹輝と一緒に夏祭りに行った。


 子供が少ないから初めて会った人たちにも可愛がられて楽しんだのは覚えているけれど、何をしたのかはあんまり。

 虹輝とリンゴ飴を分け合ったのは覚えているけれど。

 一人っ子なものだから、そう言う時ぐらいお姉さんぶりたくてほとんどあげちゃったのよね。あと、あの子リンゴ好きだし。


 だからというわけではないけれど、夏祭りに行くとなんとなくリンゴ飴を買い続けている。


 私にとってはそれが夏祭りの代名詞だ。


「おっまたせー!」


 8月10日。

 夕方6時過ぎ。


 混雑する駅前で浴衣姿の人混みを眺めること数分。

 待ち合わせをしていた愛すべき友人達が構内から現れた。


 友人2人は活発な部活に入っているため夏休みのスケジュールの8割が部活らしい。そんな部活終わりの2人と合流して、ここら辺で1番大きな夏祭りにいくという約束は6月ごろからしていた。


「部活お疲れさま。大丈夫? 疲れてない?」

「それとこれは別よぉ。せーっかくのザ、夏! みたいなイベント逃すとか人生枯らすようなものじゃない」


 愛すべき友人1号こと小乃花のそんな発言に友人2号の麗が心底心外そうに顔を歪める。

 といっても麗の表情は落ち着いているから皺が寄るほどではない。


「なによぉ、そのぶちゃいくな顔」

「ウチ人混み好きじゃない」

「えぇ? あんたのとこ部員何人だっけ?」

「200?」

「群れじゃん」

「ずっと200人行動するわけないでしょ。馬鹿言ってないで行くならさっさと行こう」


 歩き出す麗の後を「今馬鹿って言わなかった?」とだる絡みしながら小乃花が続く。

 そんな2人の後ろ姿を見ながら私は改めて首を傾げる。


「小乃花、あんたなんで着替えてきたの?」


 2人とも部活があったことは間違いない。

 その証拠に麗は部活の必需品を背負っているのだけれど、小乃花はご丁寧に私服に着替えてきている。

 この子の家、学校からもこの最寄駅からも近くはないはずなんだけど。どうやって時間を割いたのか。

 ……まぁ、この子ならコインロッカーに荷物を預けてトイレで着替えるぐらい平気でするだろうけど。


「なんでって」


 あんたねぇ、と愛すべき友人が肩を落とす。


「せーっかく、今年、新しい夏物買ったのに着る機会がまったくないのよ!」


 まぁ、部活があるものね。


「差別だと思わない!?」

「あたしに言ってる?」

「ったりまえでしょ?」

「あたしだって2人が遊んでくれないから私服着る機会が少ないのよ」


 折角天文部で出かけた後買い物欲求に任せて新しいスカートとサンダル買ったのに。

 今日は汚れる可能性が大いにあり得るのでお披露目会は次の機会に。


「あたしも遊びたいぃいい!」


 そう叫びながら麗にだる絡みしていた小乃花が私にくっついてくる。

 夕方とはいえ夏で暑い。そうは思いながらも彼女を受け入れる。


「今年カレシとデートしてないんだけどぉ!」

「あんた今フリーでしょ?」

「そうよぉ! おひとり様でなんか悪い!?」

「そんなこと言ってなぁい。てか、なんであんた部活終わりなのに元気有り余ってるわけ?」


 仮にも運動部のはずなんだけど。この子。

 日中体動かし続けてまだここまではしゃげるテンションどこで補充してるのよ。ほんとに。

 祭りの雰囲気に当てられてるのかしら。

 それは大いにありえる。この愛すべき友人なら賑わいごとの空気で酔えそうだもの。


 合コンしたい。デートしたい。

 そんな人生枯れてるようなことをぼやく愛すべき友人を引きずりながら歩くこと数分。

 ようやく出店の列の先頭が見え始めてきた。

 ここまでも十分混んでいたが、ここから一気に人口密度が跳ね上がる。


 道路の両側に出店がずらりと並び、店主の活気あふれる声や学生のはしゃぐ声ですぐ傍で嘆く友人の声が相対的に小さくなる。


 まぁ、それ以前に。


「さぁて! 食べ尽くすわよ!」


 愛すべき友人は切り替えの鬼なのでそうそう長く同じ話題はしないのだけれど。

 すっかり立ち直って意気揚々と財布を片手に握りしめているもの。


「あ。帰り際のあたしに綿飴買ってけって言ってくれない?」

「いいけど。先に買ったらだめなの?」

「妹への土産よ」


 なるほど。


 綿飴ね。

 それも夏祭りの代名詞になり得るものよね。

 私も嫌いじゃないのよ。でも割り箸にくっついてるぐらいの量がせいぜいになっちゃった。子供の頃はそのぐらいの量食べてもまだ食べたいって思ってた気がするけど、もう袋入りの綿飴は1人じゃ食べきれなくなっちゃった。


 この子も姉妹で分けたりするのかしら。


 出店を見ながら歩いていると、ちらほらと同じ制服の子を何人か見かける。

 みんな部活帰りに寄っているらしい。

 でも楽しいわよね。部活終わりに部活仲間とそのまま遊びに繰り出すのって。

 今そういうことができる部活に入っていない私がいうのもどうかと思うけれど。


「あれっ。もしかしなくても、風岡じゃね?」


 あら、とうとう知ってる顔に出会したかしら。

 そう思って周囲を見渡すと、先に声の主を見つけていた愛すべき友人が「あぁ!」と声をあげる。

 彼女の声は隣の教室にまで聞こえてくるぐらいの声量なんだけど、この場所だとそう大きく聞こえない。


「出た!」


 小乃花が指差す方を見ながら私も内心同じことを呟く。

 尤も、彼女が見てる相手と私が見ている相手は違うけれど。


「なんだその言い方! ってか、お前じゃねぇんだよ! お呼びじゃねぇ!」

「あっそう。お呼びじゃないなら見なかったことにして次行くわ」


 行くわよ緋咲、と愛すべき友人が私の背に周り私を押し始める。

 背に負っている大きめの荷物が邪魔にならないようにと端を常にキープしてる麗に助けの目を向ける。

 でもいなかった。

 よくみると、2、3件離れた屋台でかき氷を買っている。

 もう。自由人ばっかなんだから。ほんと類友だわ。


「待て待て待て! 風岡は置いていきな!」

「俺たちもお前のこと置いてっていーい?」


 わざと間延びした声で彼の友人が横槍を入れてくる。


 すんませんした! と彼の友達——政宗くんがぺこぺこと頭を下げる。


 反対側から歩いてきて声をかけてきてくれたのは政宗くんと瑞木くん。

 この2人は幸村のクラスメート。というか、彼の所謂いつメンというやつ。


 なので、残念ながらこの2人に連れられて幸村がひょっこり顔を出してもおかしくはない。

 というか、既にいる。


 2人の少し後ろに他所行き用の幸村が立っている。……イカ焼きを頬張りながら。

 奴が頬をふっくらされるほど詰め込んでるせいかしら。イカ焼きが美味しそうに見える。

 いや、もとから美味しいけれど。

 なんか食べたいなぁという気持ちになってくる。


 そんな喋れないほどもぐもぐしてる奴はさておき。


「久しぶり、政宗くん。お元気?」

「ったりまえよ。お裾分けできるぐらい余ってるぜ」


 背が高い彼は私と話す時ほんの少し身をかがめる。

 私の顔をよく見るためだとか言ってたけど……うん、あながち否定しきれないからなんとも。彼からそう言う扱いはずっと受けてるので。

 もちろん手放しで「可愛い」って言ってくれるから悪い気はしないのだけれど。


 悪い気はしないけれど、連呼されるのはなんか違くない? って思っちゃうのはなんでなのかしらね。何事もやりすぎはよくないっていう例かしら。

 何はともあれ政宗くんはそういうタイプの人。


「なぁなぁ風岡。折角会ったんだし、一緒に回らね? 俺と」

「6人で? 私はいいわよ」

「んー。俺は2人でもいいわよ?」


 政宗くんがくねっと体を捻らせる。

 一応彼とは去年1年間同じクラスだったのだけれど、その時からもちろんこんな調子だった。

 ひょうきんな人なのよね。


「ばーか、断られたら引くんだよ」


 そんな彼の二の腕をぽか、と瑞木くんが殴る。


「気は済んだでしょ。ほら、負け犬はさっさと退散しなさい」

「誰が負け犬だ。それより、鼓」


 鼓。小乃花の苗字だ。

 彼女を指差しながら政宗くんが変に改まった顔をする。


「お前その服肩のサイズ合ってねぇぞ」

「はぁ? 馬っ鹿ねぇ。これは、オフショルダーっていうんですぅ」

「知ってますぅ。俺のこと舐めないでくださいー」

「舐めないわよ。ゲロ不味で腹下しそうだもの」

「まさかの物理」


 やいのやいの出口のない討論を始める2人を尻目に私たちは置いていくかどうするかを目で話し合う。

 その後方の男は、そんなことよりスマホの方が大事らしいけど。


「あれ。なんか増えてない?」


 そこにいなくなっていた麗がまた合流する。

 ストローで作られたスプーンで氷の山をシャキシャキ砕きながらすぐ隣で霰もない会話を繰り広げる2人をこれといった感想もなさそうな顔で見つめる。


 ほんと、霰もない会話をこんな人通りの多いところでよくもまぁ……。

 そういうのは女の子のささやかな秘密にしておきなさいよ。オフショルダーを着る時その下に何を着てるとかそういう話は。


「どうする幸村。あいつ置いてく?」


 瑞木くんの問いに幸村はスマホから顔をあげる。


「いいんじゃない? 同類だと思われたくないし」

「なー。何聞いてんだあいつ」


 あはは、と苦笑いしかできなくなる。

 ほんと、ごめんなさいね。ウチの子の方も躊躇いなく赤裸々にお答えしちゃうような子なのよ。そういう身も蓋もなければ裏も表もないとこ好きなんだけどね。私は。

 もちろん限度はあるけど。


「で、この後は戻る? 進む?」


 瑞木くんが幸村を見ながら前後に指を振る。


「あ、ほんとに置いてくの?」


 置いていくというか、人の波に流されて少しずつ遠ざかっているからどっちかというと置いてかれてるのは私たちの方だけれど。


「あとで合流すればいっかなって。いいよな?」

「いいでしょ。つーか瑞木。悪いんだけど、風岡借りていい?」


 屋台のそばに設置されている簡易ゴミ箱に幸村は結えていた竹串を捨てる。

 捨てながらそんな突拍子もないことを言う。


「……へ?」

「え? ……いいもなにも、風岡、別に俺んじゃないから本人に聞けよ」

「聞くけど、先に一旦別行動でもいーい? っていう確認」

「いいよ、俺は別に。じゃあ花火の場所でもとっとくわ」

「おけ。風岡は?」

「え」


 え?

 何がどうなって、どうしてこの流れになったのかさっぱり分からないのだけど。

 なんで幸村に誘われてるのか微塵も分からない。


 政宗くんと私の愛すべき友人をセットにさせておくことで私に用事が発生したの?

 自分で考えといてあれだけど、この理屈何も理解できない。


 というか、今までこの男、私のこと『風岡さん』って呼んでなかったっけ?

 今絶対に関係ないそのことぐらいしか頭に入ってきていない。


「よく分かんないけど、行ってらっしゃい。緋咲」

「よく分からないのに送り出さないで……」


 そりゃ断る理由はないけど。

 でも、断る理由がないからって受ける理由もないのよ。


 そう言うと拒絶してるみたいだけど。

 ……もしかすると、何か企まれてる?


四十崎あいさきはどうする? 回ってくるなら、背中の楽器見てようか? 俺でよければだけど」

「あー……。こいつよりどっちかっていうと鞄の方を見てて欲しいかな」

「いいよ。といっても、あれか。俺の場所わかんないと取りに来れないし、一旦場所探すか」

「りょー。んじゃ、緋咲。また後で」

「あ、はぁい……」


 四十崎こと麗に手を振られ、とりあえず私も振り返す。

 瑞木くんが花火の場所取りをして、その瑞木くんに私の愛すべき友人が荷物を預けるっていう構図は分かったわ。とてもわかりやすい。


 依然幸村の宣言は何も分かってないけど。


 え?

 私誰と来たんだっけ?


 すごい簡単に散り散りになるじゃない。

 させたのは私、というか幸村な気がするけど。


「……ちょっと、どういうつもり?」


 お行儀よく並ぶ屋台の間を抜け、人混みから離れたところにさっさと退避したやつを追いかけてその二の腕をつん、と突く。


 不承不承よ? 今回に限りは。

 この男が悪いとか嫌いとかではなく、私は愛すべき友人と遊ぶために今日という日をわくわくしていたのに。


 あるのよ。一応。

 対女子用の装いと、対男子用の装いが。

 もちろんどっちも手を抜いたりはしないけれど、どこに力を入れるとか変わってくるのよ。


 小乃花とかは派手なもの好きな方だから私も彼女に合わせて色の濃いアイシャドーとか使ったりするのよ。

 でもそういうのが所謂男ウケの良い色かはまた別だっていうのは重々承知してるんだから。


 爪もそう。


 幸い今日は夏祭りで人が多い受けに暑いから汗かいても崩れないようにナチュラルメイクだから派手にしてないし、爪も白寄りの青だから気を衒ってるものではないけど。


 というか、私の顔で気を衒ってるものは合わないからしないけど。


 違うのよ。そうじゃないのよ。

 どうせなら万全のあたしを見て。

 ちゃんと可愛くしてるけど、あんたに合わせた可愛さは施してないんだから。


「このままふけるから、あいつらにテキトー言って誤魔化しといて」

「……はぁ!?」


 想定外の細やかな不満が事前にあったせいか、人当たりの良い態度から急に人柄を悪化され、生意気なことを言われると少しは声も荒げたくなる。


「自分が何言ってるか分かってる?」


 プラス。そういう人じゃないと思ってたばっかりに尚更。


 バックれるような人だったの? それは知らなかったわ。


「……このまま帰って、なに。お家でゴロゴロする気?」


 じゃあなんで来たのよ。

 友人2人が可哀想じゃない。

 断る理由に使われる私が悲惨じゃない。


 不満を渦巻かせる私に、奴は「いや?」といつもの調子で答える。


「殴り合ってくる」


 それも、いつもと同じ調子で。

 これといった抑揚もなく。文面でも読み上げるように淡々と。


「多分ただじゃ済まねぇから、悪ィけど、俺が聞いたらあいつらがどこいるか教えてくんね? 避けて帰るから」

「……」


 それは、怪我した顔面を友人に晒すわけにはいかないからってこと?

 そうよね。今ままでの努力が報われないことになるものね。


 あの2人がそれで離れていくような人なのかは知らないけれど、他でもないあんたが嫌がるんだものね。なら、あんたは自分の気持ちに従うしかないでしょうよ。


 でも、それ。

 あんた。

 人付き合いをうまく行かせるために化けてるんじゃないでしょう。

 化ける前の自分と縁を切るためにやってるんでしょう。


 じゃあ。結局報われない努力じゃない。


 私はどこか遠くを見つめる幸村の手を掴む。

 そっちで昔のお友達が待っているのかしら。

 随分と近くにいるのね。でもそっちから来ないってことは非道をしている自覚はあるのでしょう。

 なら、問答無用でこの男のお人好し具合に漬け込んでるんだわ。


 呼べば来るって。


「……勇士くんは?」

「知らね。まぁ、あいつはもう用済みだろ」


 そうよね。そういう話だったわよね。

 彼らの『お友達』は幸村を見つけられないから旧友の勇士くんをパイプにしようとしていたんだものね。

 もう今の姿格好がバレてしまった以上、勇士くんに呼んでもらう必要はないはず。


 じゃあ、『お友達』が待っているであろう場所に勇士くんはいないってことでいいのよね?


 幸村の口ぶりからは本当に知らないことしかわからなかったけれど。

 幸村が知らないだけで、もしかしたら勇士くんは呼び出しに応じてしまっているかもしれない。


 そう考え出すと、その可能性がどんどん濃くなる。

 だってあの子はこの件に関しては捨て身になれるし身を張れるし慣れないことだって出来てしまう。


 幸村を呼び出した、という事実だけがあの子を呼ぶ餌に十分匹敵するし、事実呼び出されている。


 なら、逆に。

 幸村には行ってもらうしかない。


「……」


 分からない。

 分からないけど、今日という日を選んだ以上、向こうは用意周到なんじゃないのか。


 耳の奥であの日聞いた罵声が嫌な反響をする。


『お友達』は幸村をひどく目の敵にしていた。

 分からない。

 でも暴力を容赦なく選べる人間が、それ以上のことに躊躇する理由があるとは思えない。

 今度こそ、幸村をただじゃおかせない算段があったら?


 そうでしょう。

 軽い口ぶりだったけど覚えてるんだから。

 刃物を突きつけられたとか、そういう話を彼らは冗談抜きで話していた。


 仮に勇士くんが先陣切って乗り込んでいたとして。

 彼1人ではどうにもならない状況であったとして。


 私は目の前の男を手放して良いんだろうか。


 そんな考えを揺さぶるように、奴が私の手を振り解こうと揺する。

 どうして良いのか分からない。

 ただ、私は反射的に反対側の手に奴の手首を握らせていた。


 ハァ、とため息をつかれる。

 なによ。そんなことしたって平気で振り払えるぞってこと?


 でしょうね。私は非力だもの。


「氷上は来てない」

「……」


 私は自分の手が掴むそれから顔をあげる。


「帰らせた。話が拗れるから」


 そうなる道理は知らない。

 あぁ、でも、そうかも。

 あの罵声に、氷上くんは標的にされていなかった。


 そっか。


「じゃあ、幸村も行かなくて良いじゃない」

「……」


 返事はなし。


 選択の余地なんてはなっからないのか。それともその逆なのか。


「……別に、好きじゃないでしょう?」

「……」

「……それとも、それを了承できるぐらい貴方にとって大事な人なの?」

「……」


 いや。


 彼の声が落ちる。


「言ったろ。絶縁目当てだって」


 私は深く頷く。

 覚えてる。

 喧嘩してるんだから縁切りがしたいんだって。


「良いことなんかあったもんじゃねぇ。この先一生人に囲まれるのがトラウマのままだったら、あのクズ共も同じ目に合わさねぇと気が済まねぇよ」

「……」


 私は黙って俯く。

 きっと比べものにならないでしょうけど、私にだってそうやって離縁した過去の友人が何人もいる。


 本当に些細なことだった。

 それでも高校ではそういう失敗は絶対にしないって、自分に言い聞かせるぐらいには根強い傷だ。


 私も人付き合いで人並みの挫折はしている。

 それだけ言ったら、軽蔑されてしまいそうだけど。


 そんな彼を突き動かすのは切実な縁切りと手軽な報復のようだ。


 たいした力も込めず、見せかけでしか引き止めていないような私を側に、幸村は無言を貫く。

 行かせない体をとりながら、私はどこかでどうして引き止めているのかを自問している。


 危ないから。

 良くないから。


 そんなの私に言われるまでもなく自覚していることでしょうよ。

 危ないなんて、彼はその身を持って知っているだろうし。


 それに、危なかろうがそうでなかろうが自分がそうするしかないならするしかない。


 私は真面目じゃないから不正不平を正そうとは思わない。勧善懲悪だって私がすることじゃない。

 私を言い訳にしてでも向かわなければならないっていうなら、私が止められる大義はない。


 学生なんだもの。

 間違うために生きてるようなものよ。今なんてのは。

 どうせ大人になれば全部昔話になるんだから。


 きっと今ある縁の殆どが切れて、そのうち思い出に埋れていくのよ。大人になってからの方が先は長いんだもの。いつか全部大したことなかったって振り返らなくなる日が来る。


 彼にとっての私がそうであるように。

 私にとっての彼がそうであるように。


 でも私を言い訳にした以上、やっぱり口は出させてもらおうと思う。


 いつか無くなるものなら今なくなったって良いじゃない。

 そもそも、離別が目的なんでしょう?

 だったら不都合はないはずだ。


 逃げることだって選択の一つに加算したって良いはずだ。

 殴り合うことは否定しないから。その代わり、私を捕まえた代わり、候補を一つ増やさせてもらう。


 嫌だったらこんな遠回しなことをせずに瑞木くんたちにも直接「ふける」って言えばよかったのよ。

 そうよ。貴方の失策よ。


 私を介した罰よ。

 私がでしゃばりって知ってるくせに。


 私が、どうして口を挟まないって思ったのか、改めて考え直してもらうしかない。


 やがて分かった分かった、と投げやりに奴が手を揺すった。

 離れろという忠告を無視し、なんなら手に力を込めてやる。


 ここからはもう幸村個人に判断をしてもらうしかない。


 同い年の女の腕力ぐらい引き離せることでしょう。

 そんな微力な静止で動じるようなら彼の中に行かない意思の方が強くあり続けたということだ。


 そう。

 彼にとって私はそんなもん。


 考えに値するかも危ういそんな因子だ。


 そして。

 幸村は私に掴まれる左手の制御を手放し、右手でスマホを取り出した。


 私に位置からはなんの操作を行なっているのか全く見えない。

 でも指を動かしスムーズに操作をしたかと思うと、しばらくどこかの画面で停止させた。操作していた時間より画面を見続けた時間の方が長かった気さえする。


 それから、一回画面の中央付近をタップしたかと思うと、ゆっくりとそれを右耳に近寄せる。


 電話。

 誰に?


 噂の『お友達』にだろうか。


 幸村を無碍にする輩だ。どんな奴なのか一回ぐらい顔を拝んでやりたい。怖いけど。

 そんな気持ちと好奇心からちょっとだけ奴の電話の音を盗み聞こうと私も耳を寄せる。


 なんだてめぇ、ぐらいのニュアンスで幸村に睨まれるけどお生憎様、右手はスマホで左手は私に占拠されてるせいで物理的に遠ざけることもできない。

 身体を少し引いたって無駄なこと。


 しばらくして聞こえてきた「もしもし」という声に私は奴のスマホを二度見した。


「俺。幸村」


 返ってくるのは、女の子の声だった。


 え?

 女の子と喧嘩してたの?


 なんて一瞬考えて慌てて首を横に振る。

 そんなことはない。

 見てないけど私は実際に聞いている。

 幸村が対立しているのは複数の男だった。それは間違いない。


「そう。薫」


 聞こえるのは周りの騒がしさもあって、細やかな音だけ。

 声の粒は聞こえないけれどかろうじて声の高さは聞こえる。


 声の高い男の可能性もないことはない。

 電話だと声が変わるから真っ向から否定はできない。


 でも。


「津々良、お前祭り来てんの?」


 相手が何かを言う。

 直後、幸村の顔が手軽な嫌そうな顔に変わる。


 嫌悪というほどではないしもちろん恨みというほどではない。

 でも私に苦言を言うときとも違う。

 痛いところを突かれた。

 そんな顔。


「あ? ……お前そんなダルい奴だったっけ?」


 相手が何かを言う。

 対して幸村が「あーあー」と発言を面倒くさそうに遮る。


「で、優芽、お前祭り来てんの?」


 ウメ。

 その名前の音で、相手が女の子じゃないほうが難しい。


「あぁそう。なら、あのクズのとこ行ってくんね? お前になんか言われれば引くだろ」


 相手が何かを言う。

 聞こえもしないその声に耳を傾けることに専念してしまうとその子と幸村の関係値を推測できる余裕がない。


「あと、この連絡先消すから」


 相手が何かを言う。

 偶然、ここは聞こえた。


 二度と私にはかけてこないってこと?

 彼女の問いに間髪入れず、幸村は「そう」と答える。


「必要ねぇだろ」


 そうね、と彼女。

 かけてこられると思ってなかったし、と。


「俺も繋がるとは思わなかったわ」


 そこから、双方しばらくの沈黙。


「悪い」


 微かに、幸村が唇を食む。


「あとは任せた」


 お疲れさま。

 その言葉を最後に彼女の声が一切聞こえなくなる。


 幸村はその無音をしばらく耳に当てていた。


 なんの会話かは大した察しもつかない。

 中学の頃の関係者なのだろう。

 それが分かったところで、そんなの分かっていないのと同じだ。


『今』の関係者じゃないなら必然的にそういうことになるもの。

 昔からの付き合いのある人ね、って。


 私は幸村の手をそっと離し、一歩後退した。


 なんとなく、気軽に触ってはいけないような気がした。

 今更だけど。


 あの子がどういう子かは知らないけれど、私より幸村に近いのは明らかで。

 幸村の対応も私より親身なものだったから、そこに私が寄ってはいけない。


 こちらのそんな考えを気にせず。

 スマホを顔から離した幸村はそれを軽く左右に振りながら私に顔を向ける。


「風岡、ラインの消し方知ってる?」


 遠くから祭囃子が聞こえる。

 子供のはしゃぐ声が聞こえる。

 若者の笑い声が聞こえる。

 屋台の活気のある声が聞こえる。


 人々の熱気が集うこの場所で。

 目の前の男はほとほと冷めた顔でそう言う。

 色のない顔で言う。


 そんな顔するならそんなことしなきゃいいのに。

 そうさせるように加担したのは私がそう思ってしまうのは幸村に悪いのだろうけど。


 だから。


「知ってるわ」


 やってあげる。

 その意を込めて手を差し出すと、幸村は後腐れなくスマホを手放した。


 操作をしながら「ねぇ」と尋ねる。


「さっきの子、だれ?」

「元カノ」


 あぁ、やっぱり。

 そう思う反面、受け取ったスマホを落としかけるぐらいの衝撃ではあった。


 いたの!? と食いつきたい気持ちは存分にある。

 でも相手がそんなテンションではない。


「そう言ったら怒るだろうけどな」

「なんて?」

「勘違いすんなって」


 なぁにそれ。

 私は努めて明るく答える。


「はい。これを押したら全部消えるわ。それぐらい自分でやりたいでしょう?」


 操作を進めたスマホを差し返そうと、私は画面を表示させたまま自分の手のひらに乗せて幸村の方へと出す。

 幸村はその状態で、受け取らずに指先一つで『本当に削除しますか?』の『はい』を容赦なくタップした。


「……」


 これで彼のスマホから中学の頃の痕跡は全て消えた。

 さらに言えば今のクラスメートの連絡先も全部消えた。

 それどころか入れていた場合は家族のものも容赦なく。


『削除しました』


 その文言だけを表示するスマホを受け取ると、それ以上のことはせずズボンの後ろのポケットに仕舞い込んだ。


「また登録し直すんでしょう?」

「まぁ。ないと困るからな」

「そうよね。そしたら、ちゃーんとあたしにも新しいの教えてよ?」

「あ? いらねぇだろ」

「なんでよ。この前交換したばっかりなのに」

「もう使い道ねぇし」

「あるわよ。あたしの暇つぶしの相手になってちょうだい」

「アホくさ」


 一言で片付けられた。

 まったく。

 自分で言うのも変だけど、私の連絡先ってそう安くないのよ?


 それにどうして私から求める形になってしまっているのか。

 解せない。

 消した方が手動の復元をするために聞いて回るのが普通のはずなのに。


 いいけど。別に。


「このあとどうするの? 幸村。もう抜ける必要も無くなったでしょう?」

「ねぇな。……瑞木と合流するか」

「それもいいけど」


 あたしは幸村の鼻先に人差し指を立てる。

 自分で言うのもあれだけど。

 というか、そういう立ち振る舞いを心がけてるからこそ自分で言わせてもらうけど。


 同性ならともかく、私は異性に『特別』を設けたりはしない。

 聞かれた場合は平等に答えるけれど私から連絡先は教えない。

 他の子がいるなら考えるけど私単体への遊びのお誘いは平等にお断りする。


 誰かのものにならない。

 誰かのもののような態度を取らない。

 そうすると必然的に、あたしが男の人に割り当てる時間は極限しかない。


 だからその場合のあたしの時間は安くない。

 でも今日は特別。


「折角だしデートしましょ」

「は?」

「夏休み入る前言ったじゃない。『デートは今度』って」

「その時言ってやったろ。1人でしてろって」

「そう言わないの。人混みの楽しみ方を教えてあげる」


 そう言うと、そう言わせるだけの心当たりがあったらしく幸村は言葉を詰まらせた。

 人混みは嫌い。

 そう言ったのは自分だから。


「それで? してくれるの?」


 幸村はため息をつく。

 いつもの自分を納得させるようなものではなく、後悔でもするかのように重々しく。


「分ぁったよ、すりゃいいんだろ」

「あら素直なことで」

「なんなら俺から誘ってんだよ。これでお前1人で帰したら俺がクズになるわ」


 そういえばそうだったわね。

 先に面貸せって言ってきたのはそっちだったわ。

 あぶないあぶない。あの置いてけぼり感を忘れるところだった。


「それで。行きたいとこは?」

「んー。とりあえず回りましょ。あたし、まだ来たばっかなのよ」

「マジか。……とりあえず一周しとくか」


 紆余曲折あったが、ようやく今日の本分が楽しめそうだ。

 本分は愛すべき友人たちと回ることだったけれど、私からも提案してしまった以上楽しまないとだし、楽しませなければ。


 こうなってしまった以上幸村に付き合わないと彼の顔を潰すことになっちゃうものね。











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