サマーバケーション⑤

【春川>>】



 夏休みに入ったところで夏休みが始まった実感はまるでない。

 というのも、特進クラスの生徒は夏休み中に夏期講習というカリキュラムが組まれている。もちろん40日ぐらいある夏休みの全てにあてがわれているわけではないけれど、終業式を行った翌日から開始されるので実感がこれっぽっちもない。


 それでいて夏季課題は出ているのだから抜かりがないというかなんというか。

 僕は男だから花のJKには当てはまらないけれど、でもそういう表現が同年代に適応されているのだから少しぐらい浮かれたい気持ちはあった。


 というより、高校受験から解放されてまた勉強漬けなのが居た堪れない。


 勉強をするために生きてるんだろうか。

 いいんだ。それでも別に。それが目的たり得るのなら別に。

 でも不思議と日常に味がしない。

 時間を無駄遣いしている気分になる。


 そう思うのなら電車内の通学時間も生かせばいいのにと思わないこともない。

 ないけれど、ただ窓の外の見慣れた景色を見遣っていた。


 夏休みが明日のは学生だけだ。

 制服を着ている人の数が少し減ったように見えるけれど、でもそれだけだ。

 スーツを着こなす大人達の数は変わらない。


 減ることしかない夏休みをどう過ごそうか。

 考えれば何かしら思い浮かぶだろう。でもその先で夏季課題と夏季課題試験が待ち構えている。


 なら今日もペンを握るしかない。


 そりゃ好きになれるはずがない。

 何をしたところでずっと先で待ち構えてるんだから。学生のうちは。

 趣味に没頭しようとも、そのさきでずっとこちらを見据えている。


 別に、親に強要されたりしてるわけじゃないんだけどね。


 アナウンスが響いて電車のドアが開く。


 ぞろぞろとなだれ込んでくる人の群れ。

 仕方がないことだけれどすぐそこどころか密接できる距離に他人がいるのは気分が良くない。


 鞄を自分の方に強く引き寄せ、車両の隅に縮こまる。

 すぐそばから他人の匂いがする。いい気分はしない。


 そんなところに。


「あれ? 虹輝くんじゃん」


 気安く名前を呼ばれたりしたもんだから、うんざりした。

 こんな場所で個人を特定できそうなものを易々と口にしないでほしい。

 制服を着てる時点でどこの生徒かは丸わかりなんだから。


 このご時世通関通学中はイヤホン常用が当たり前にすらなりつつあるから聞いてる人の方が少ないんだろうけど、聞かれてるかもしれないと思うと気が滅入る。


 だから返事をしなかったのだが、彼女はそんなことではめげないし、そもそも気づいてるかも怪しい。


「ハロハロー。虹輝くん」


 顔覗き込まれながら目の前で手を振られる。

 ここで無視を決め込んで彼女だけを変人に仕立て上げても良かったのだけれど、無視を続けた結果なにをしでかすか分からないのでしばしば応答することにした。


 といっても伏せてた顔を上げて彼女を視界に捉えただけだけど。


「あ、もしかして寝てた?」

「寝てないけど。なんか用?」

「うん。見かけたから声かけた!」


 それ用じゃなくない?

 さっそく反応してあげたことに後悔してきた。


「虹輝くんはなんで学校行くの? 部活?」

「違う」


 入ってはいるけど。

 そういえば出かけてるんだっけ。あの面々で。

 緋咲さんの顔を立ててとも考えたけど、夏期講習と重なってたので断った。

 2年生はまだ夏期講習がないらしい。3年生は強制とか、そんな噂を聞いた。真偽は定かではないけれど。


「そなの? じゃあなんで?」

「なんでもいいでしょ」


 ふーん、と彼女はそっけなく答える。

 大した興味がないなら聞いてこなくていいのに。


「あたしはね、部活なの。あれ? 虹輝くんに何部か教えた事あったっけ?」

「さぁ」


 あったかもしれないし、なかったかもしれない。

 記憶に残ってるのは運動部ではあったってことぐらい。それ以上の記憶はない。


 けど覚えてないのなら相手も同じぐらい興味がないのだろう。

 こちらに何を話したのか覚えてない。


「あたし、実は競泳部なの」

「ふうん。朝練とかは?」


 運動部ならあって当然だろう。

 そんな偏見での問いだったが、彼女は大きく目を逸らす。

 あるらしい。

 あるらしいし、出てないらしい。


「君は出られないだろうね」

「で、出る時は出るもん! いっつも出てないわけじゃないし!」

「でも本来ならいっつも出るものなんじゃないの?」

「……そうともいう」


 そうとしか言わないと思うけどね。


「もー、毎日部活でちょっとやんなっちゃう」


 彼女が電車のドアに背を預けると、ガタンとそのドアが揺れる。


「そう思うなら入らなきゃいいのに」

「ね!」


 いや、そこを同意されても。

 そう思うからこっちは入る気はなかったのだし。


「でも好きだから仕方ないね。大会でたいし」

「インターハイ?」

「そ!」


 万年文化部の僕には聞き馴染みはあるけど実態がよく把握できていないが、夏の大会といえばこれしかないと思っている。

 運動部生の当面の目標はその大会に出ることなんだろうか。


 そもそもウチの学校は何の部活が強いのかとか全く知らないけど、彼女の言う『出たいし』というのは予選も含めてのことなんだろうか。

 そもそもインターハイに予選はあるのか。

 あるか。

 競泳に予選があるのか、の方が不透明だ。僕にとっては。


 でも聞くほどの関心はない。

 あるんだろうなぁ、で片付けてしまっても後腐れがない。


「虹輝くんは? 夏、何か予定ないの?」

「君には関係ないでしょ」

「ないけどさぁ。どっか遊びに行くならあとで感想聞こうかなって」

「なんで」

「楽しかったよ、って話ならあたしも行きたいから」


 そう言ってこちらを向く彼女。

 その大きい瞳がやたらと目につく。

 パーソナルスペース内に彼女が侵入してきたことはもう数回あるけれど、そういえば大体は授業中だったから僕はノートか先生の方しか見ていなかったような。


「あ!」


 大して思い出せることでもないので彼女の大きな声にあっさりと思考が途切れる。

 電車内で目立つ声出すのやめてくれる? 同類だと思われたくないんだけど。

 そんな僕の内心を押し除け、彼女は自分のスマホの画面を「見て見てー!」と僕に見せてくる。


 見て見ても何も顔の前に持ってきておいてよく言う。

 こっちの意思なんてまるで関係ない所業だからね。


 そんな感じで僕の視界に飛び込んできたのは画像のようだった。

 背景はキッチンだろうか。調理後片付ける前なのか少し散乱している。

 そして、肝心の中央に写っているものはケーキだった。


 ドームケーキだ。


 裾に半分に切られた苺が埋め込むようにびっしりと並べられており、生地を隠す生クリームはスプーンで模様がてら綺麗に整えられている。

 そして、頂点にも苺が花のように飾られている。


「誰が作ったの」

「あたし! お母さんが誕生日だったから!」


 頑張ったんだよー、とにへにへ笑いながら自慢される。

 まぁ、したくもなるだろう。下準備から数えれば何時間かかることか。


「これね、実は中にも苺入ってるんだよ」

「苺でゴリ押ししすぎじゃない?」

「やっぱり? でもねー、あたし、味が混ざるの好きじゃないんだ。果物でもなんでも」

「でも君のためのものじゃないんでしょ? お母さんも嫌いなわけ?」

「んーん。お母さんは何でも食べる」

「なら」

「でも一切れしか食べない。4分の3はあたしが食べたから、実際はあたしが食べたかったケーキってことかな」

「……」


 なら、まぁ、いいのか。

 人に作るんだったら自分よりその人のこと優先にすべきでしょ、って思ったんだけど。


「すごいでしょー」

「うん。普通に凄いと思う」

「え」


 何だその絶句。

 表情やら感性が豊かなせいか濁点までついてたんだけど。


「虹輝くんって、人のこと褒められたんだ……」

「馬鹿にしてるでしょ僕のこと」

「ううん。馬鹿にはしてないよ」

「何その含みのある言い方」

「血も涙もないってやつかと思ってた」

「……」


 どうやら彼女は人を見る目がないらしい。

 心外でしかない。

 自分で言うのも変だけど、僕は感情豊か極まりないと思うんだけど。

 ……でも緋咲さん程ではないか。


「虹輝くんは人が作ったもの食べられる人?」

「何その質問。大概のものは人が作ったものだと思うんだけど?」

「えー? たまにいない? 手作りダメって人」

「あぁ……」


 いるね。

 何が入ってるか分からないから怖いって人。

 話には聞いたことあるし、正直理解はとてもできる。そう言われると何入れられてるか分からないから怖い。

 だって隠し味みたいに表面に出てこない味があるぐらいなのだから味覚として捉えられないものが混ぜられても気づけるはずがない。

 そう考えると、今食べたものに得体の知れないものが入ってることをどうしたって否定できない。


 僕はそこまで潔癖ではないし、血も涙もあるので。

 うわっ無理、とまでは思わないけれど、それが考慮できてしまうから人に作らせるよりかは自分で作るって考えにはなる。


 まぁ、母親にたいしてそんな警戒心はないから平日はそんな考えになることもないけど。

 あと僕の場合は母さんが料理得意じゃないっていうのもある。

 何年ひぃひぃ言いながら玉ねぎ切ってることやら。凍らせれば? って言ってるのに。

 味付けとかに不安のある人じゃないけど、単純に手を切りそうとか火傷しそうって意味で危ない。


 母さんのお姉さんである緋咲さんのお母さんには機会がある度に「貴方に包丁は持たせません」と言われるぐらいだ。


 そう言う人に任せるぐらいなら自分がとは思うけど、逐一思ったりはしない


「別に何とも思わないけど」

「へぇ、いがーい。虹輝くんって潔癖かと思ったのに」

「……」


 まぁ、少しはその毛はあると思うけどさ。母さんにも言われたことあるし。

 でも絵に描いたような潔癖症ではない。

 公共の、それこそ電車の吊革を持てないとか、そういうことはない。

 バランス崩して他の人に接触する方が嫌だからね。


「じゃあ今度お菓子作ってきたら食べてくれる?」

「……」


 潔癖じゃないって言った手前少し矛盾してしまうような気もするけど、大して知らない人の手作りをもらうのはなんだか。

 何が入っているんだろうと言う疑問はないけど、何を企んでいるんだろうと訝しくは思う。


「とりあえず、断っておくよ」

「え!? なんでよ」

「なんでって……。君、そういうことして次の日学校に遅刻するんでしょ? 勘弁してよ。君の素行の悪さの一因に僕を加えないでくれる?」

「う……」


 ってかウチの学校、お菓子の持ち込み許可されてたっけ。

 そりゃめくじら立てられるほどの違反行為じゃないけどさ。先生に目をつけられるのは普通に嫌だからね。ただでさえ彼女は目をつけられているのに、近い関係の人とか思われたらそれも心外だし。


「自信あるんだけどなぁ……」

「……」


 とか何とか言ってるけど、まぁ僕の方が上手いだろうね。





  ◇




「あら? 今日は虹輝が作ってくれるの?」


 学校の夏期講習はほぼ毎日のように行われているが、流石に通常授業をみっちり行ったりはしない。午前中で一応終わる。

 そのあと自主参加性の補講があるけれど、僕はそれに参加はしていない。

 勉強すればするだけいい、っていうのは違うと思うんだけどね。


 それだけやって成績に反映されるなら特進が普通科に負けるわけがない。

 意外と部活も勉強も出来るって人はいる。ああいう人は時間配分がうまいのだろう。


 そうは思いながらも朝聞いた話か気まぐれか、なんとなく無駄に時間のかかる料理をしたくなった。

 母さんは大体3時過ぎに夕飯の買い物に行くからそれより前に作り始めてしまえば食材を無駄に買い込んでしまうと言うこともない。

 先に連絡入れておけばいい話なのだろうけれど、……まぁそこは親離れをしたい年頃ということで。


「何作るの?」

「唐揚げ」


 えぇ、と驚きなのかただ単に感嘆なのか分からない声を母さんがあげる。

 それから。


「唐揚げって作れるのね」


 と、なんともへんてこなことを言う。

 そんな料理の『り』の字も知りませんみたいな反応しないでくれる?

 得意じゃないってだけで一応できるでしょ。危なっかしいだけでそこに目を瞑れば人並みにはできるでしょ。


「でもなんで急に?」

「気分」

「ふうん。いいことでもあったのね」


 よかったじゃない、と母さん。

 僕が言うのもどうかと思うけれど淡白な人だ。

 いや僕が言うべきなのか。

 似ているところがある場合それは間違いなくあの人の遺伝だろうから。





    ◇



【<<雨水】



「ヒナぁ! 聞いて聞いてぇ!」

「んぁ? なにー?」


 部活も終わり、テレビを見ながらソファーで寝転がっているとお母さんがすっ飛んできた。


 ずっと水泳やってるから体力に自信はあるけれど、でも朝から夕方まで泳ぎ続けると流石にガス欠。晩御飯までぐーたらしてたい。


「見て見て! ママのお友達からのラインなんだけどね? ほらぁ!」


 もー。

 なんでこんな元気なの? お母さんも仕事終わりでしょー?


 元気が有り余ってのお母さんが見せてきたのは画像だった。

 美味しそうな唐揚げが写っている。

 いいなぁ唐揚げ。今日のウチの晩御飯はなんだろう。


「美味しそうだね」

「ね! 虹輝君が作ったんですって!」


 すごくない!? とお母さんの歓声。

 そう言われると、あたし、唐揚げの作り方よく知らないなぁ。唐揚げってスーパーとかで買うものっていうイメージなんかあるよね。コンビニでも売ってるし。


 というか。


「え。虹輝くん?」

「虹輝君。え? ヒナ、あなた虹輝君とお友達って言ってなかった?」

「うーん……うん!」


 お友達じゃない気もするけど、でもあたしはお友達になりたいからいっかな!

 でも流石にこの話をしたら虹輝くんには引かれそうなので伏せ。


 さすがにちょっとあれだよね。

 虹輝くんはあたしが虹輝くんのお母さんとあたしのお母さんがお友達なの知らないだろうから。


 知ってるのかな。


 向こうもあたしん家みたいに「実はあんたたち2人昔会ってるのよ」みたいなこと言われてたりするのかな。

 言われたところでそうですか、としか反応できないとは思うけどね。覚えてないし、その頃のこと仮に覚えてたとしても性格とか諸々変わってしかないだろうから当時のような雰囲気にはならないだろうし。


 そう考えると言ってもなぁ、ってなっちゃう。


 向こうもそう思ってたらいっそ面白いんだけど、まぁいっか!


「お母さん、明日仕事はー?」

「なによ。あるわよ」


 目をじとりとさせながら答えられる。


「何時に帰ってくるの?」

「知らなーい」


 そんな子供みたいな答え方されても。

 一応弁明しといてあげると、あたしがもっと小さい頃は「仕事行ってくるね」ってちゃんとした格好で出かけていたのだけど。あたしが分別つくぐらいの年頃になると「仕事行きたくなぁい」とか駄々っ子みたいなことを言うようになってきた。


 あたしも学校行きたくないし、似たもの親子だなぁって他人事みたいに思う。


 ……まぁ、お母さんは遅刻したことないけどね。

 あーだこーだ言いながらも毎日決まった時間に出ていく。


 とは言っても、出張とかが多いから家に帰ってくること自体が少ないからあたしがお母さんの身支度を見ることはほとんどない。

 あたしがよく寝坊してるから尚更見てない。


 あたしはお母さんに「ふーん」と返事をしながらスマホでレシピを検索する。


 明日、何か作ろう。なんとなく。

 お菓子がいいかな。甘いの好きだし、オーブンで焼いてる時のいい匂いが好き。

 膨らんでるのを見てるのもなんか好き。なんかわくわくしない? あんまり同意してもらえたことないけど。


 そうやって作ったお菓子を食べながら、そうだなぁ……海外ドラマでも開拓しよっかな。











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