サマーバケーション③

【<<<風岡】


   ◇




 人が多すぎるからどうせ席が取れないでしょ、と思っても実際行ってみるとなんとかなったりする。


 9割以上埋まっているフードコートを4人で彷徨うこと数分、ちょうどタイミングよく席が空くのを見つけ、空いた瞬間にぞろぞろと全員で近寄った。


 このご時世だと、鞄や上着、ペットボトルや商品の入った袋などを置いとくだけで席を取ったこととみなされる。それを利用して4人全員で席を離れることも可能ではあるけれど、する必要もないので2人ずつ席を立つことになった。


 というのも、別に私の提案ではないのだけれど。


 席に着くなり、肩に提げていた鞄を自身の前に持ってきた幸村が「先行ってこいよ」と私の方に向かって手を払った。


 私たちは席順を意識していなかったけれど、もしかしたら勇士君はわざとその席に行ったのかもしれない。彼はあっさりと幸村の横の椅子を引いた。

 幸村は何も考えずに多分1番近い席を取ったと思う。

 ソファーと椅子の組み合わせでもないからどこも同じ。

 お好きな席をどうぞ、という状況で各々荷物を下ろしたところでその幸村の発言である。


「あ、じゃあ先輩方からどうぞ」

「いいのいいの。行ってこいって言ってるんだから、レディファーストさせてもらいましょ」


 腰を落ち着けようとする雫の背をぽんぽん、と叩きながら「いいのよね?」と再度確認すると、スマホから顔を上げて幸村が頷く。


 スマホリングに指を通したり、指そのものにリングを既に通してたり。

 指を圧迫されるのが好きなのかしら。この男。


「なに」

「べつにぃ」


 反った親指に銀色が随分と似合いますこと。

 それが分かっててつけてそうなの。なんか、ちょっとむかつく。


 いいわよ。

 女の子は全員席から離れるから。

 かっこよくみせられる相手は全員席立つから。


 なんて思ったところで我が身を振り返る。

 私も誰かに見せたくて可愛い服を選んでいるわけではない。

 私が私を可愛くしたくてやってることだ。


 幸村だって自分のためにやってるのかもしれない。

 少なくとも髪は自分のためにやってるみたいだし。


「緋咲さんは何が好きですか?」


 背を押していた雫が振り返りながらそう尋ねてくる。

 そうよ。あんな男のことはさておいて可愛い後輩とのデートを満喫しなければ。


「そうねぇ、なんでも好きなんだけど何にしようかしら。雫はもう決めた?」

「……今、これに目を惹かれているところです」


 そう言って雫が立ち止まったのは方々で見かけるオムライス屋さんだった。


「……」


 私の後輩、もしかしなくても可愛いのでは?



 ・

 ・

 ・



 可愛い後輩の無自覚な策略にまんまとはまり、私は気付けば彼女と同じくオムライスを注文すべく最後尾に並んでいた。


 フードコートお馴染みの『しばらくお待ちください』の証明としてブザーを受け取り、私たちは席に戻って談笑していた男達の元へ帰った。


 2人して内側を向き、氷上君は身振り手振りを交えて会話をしており、幸村は腕を組みながらも常に口角を上げていた。


 仲はいいのよね。やっぱり。


 私たちが戻ると、氷上君が「おかえんなさい」と手を挙げ、それに反応した幸村が顔をあげる。


「何にした?」


 幸村の問いに私たちは揃って並んだお店を指差す。

 指の先を見るや否や、「わぉ、女子っぽい」といっそ反射神経勝負でもしてるのかって速さで氷上君が呟く。


「氷上もあれにしとけば? さっき悪くないって言ってたろ」

「まぁ、普通に好きっすからね。俺、割とお子様ランチのあのプレートに載ってるメニュー好きなんすよ」

「あぁ、似合いそうだわ。旗」

「それが1番子供向けじゃないと思いません? 子供国旗分かんないっすよ」


 そこ気にしながらご飯食べてるお子様、だいぶませてると思うけど。


「変な話してないで、もう行っていいわよ。お留守番ありがとう」

「ブザーは?」

「取りに行くのに3分もかからないと思うけど、4人で待つ?」

「それもそうか」


 いいながら幸村が立ちあがる。

 何度か見たことある表面の黒い長財布を後ろのポケットにしまい、適当に椅子をしまう。それに倣って氷上君も立ちあがる。彼は元から財布をポケットに入れているし、ケータイも大体は手で持っている。

 逆に何を鞄にしまっているのか、細やかながらも尽きない謎だ。

 モバイルバッテリーかしら?


 身軽で羨ましいとは思うけど後ろに財布をしまうのってちょっと不用心で私には出来そうにない。


 落としてたり盗られたりしたらどうしようって背後ばかり気にしてしまいそうだ。

 それとも落としたり盗られたりしたら感覚で分かるんだろうか。……まぁ感覚が鈍い箇所ではないとは思うけど。


「センパイ、何にします?」


 氷上君の声は大きいので少し遠ざかってもまだ聴こえる。一方でもう片方の声はそうでもない。


 もともとの声量が大したことないのかも。

 そう考えると至近距離で話してくる理由がわからなくもなくもな……いや、分からないわ。

 とりあえず通る声ではない。


 だから後輩の問いに対して彼が何を答えたのかは分からない。

 帰ってきて、ようやく分かる。


 その間、もちろん私たちの分も出来上がったためブザー返却は返却した。

 まだ湯気の上がる美味しい匂いのもとをテーブルに置き、待つか待たないかを雫と少し話し合う。


 でもせっかく作ってもらったものを冷まして食べるのは愚行なのかな、とか実りのない会話をしていたところで男性陣が戻ってきた。丁度良く時間をつぶしてしまったらしい。


 お両手に持ったお盆をテーブルの上に揃っておく。


 2人ともお店は違うようだけど、深いお皿なのは共通している。

 そしてトッピングが器内のものを覆い隠すぐらい載せられているのも共通。


「……」


 知っていることではあるけれど、男性陣の胃袋の大きさは私たちとは違うんだなぁと改めて思わされる。


 私も少食ではないつもりなのだけれど、そんな具沢山のラーメンとお肉山盛りの丼ものは食べきれない。


 見てるだけで満腹になりそうな逸品を前に、氷上君が「いただきます!」と手を合わせる。そして丁寧に並べられたはしとスプーンのうち、後者を選び、私の3口分ぐらいを一気に頬張る。

 よく口に収まること。齧歯類よろしく袋でもあるのかと疑いたくなる。


 そんな後輩の横で、幸村は長めの髪に指を通す。

 そういえばプラネタリウムで椅子に着いた際にゴムを外して以降、髪を結んでなかったわねこの男。

 手櫛で地毛に近いらしい色の髪を整えながら、低い位置で一つに束ねる。


「結んでる方が楽なんすか?」


 口いっぱいに詰めていたものを綺麗に飲み込んでから氷上君が尋ねる。


「楽というか、放置してると口に入ってくる」

「あぁ、なるほど」


 まぁ。前屈みになれば髪は垂れてくるものだから仕方ないわね。

 ……え? 色は違うけど長さは普段と変わらないんだから、学校にいる時はどうしてるのこの男。普段から結んでる? そんなまさか。

 だって見たの今日が初めてのはずだもの。


 それどころかこの男がゴムを手首につけてることところすら学校では見かけていない。


 学校にいるときは髪食べてるの? 

 そんな直接的な聞き方はしてないけれど、その旨を尋ねてみると一蹴された。


「耳にかけてる」


 とのこと。


「家ではどうしてるのよ」

「結んでる」

「切ればいいじゃない。似合うと思うわよ?」

「黒の短髪?」

「そう。爽やかに見えるわよ。きっと」

「中身とあってねぇんだよ」

「……それ自分で言う?」


 ぱき、と割り箸を綺麗に割って最後に彼が食べ始める。

 それでいて、1番初めに食べ終わったのは不可思議なことに幸村だった。


 そういえば、私のお父さんもそうだったなぁ、と適度に思い出す。

 最近は仕事で夜が遅いから一緒に食卓を囲んではいないけれど。




    ◇



 空腹を満たし、午後のターン。

 さてどうしたものかと全員が口を揃えたが、誰からも妙案は出ずぶらぶらと歩くことにした。


 ここにいるのが愛すべき友人達だったら迷いなくウインドショッピングに誘うのだけれど、まだ趣味趣向も知らない男性陣をそれに付き合わせるには行かない。


 友人と服屋に行って服を選んでもらうのは楽しい。全部買うだけの財力がない分、合わせることしかできないから冷やかしのようになってしまうけれど。


 私にしかできないコーディネートを友人に施し、私もその逆をしてもらう。

 そういうことを雫としてみたい気持ちはあるけれど、彼女がファッションに強い関心があるかは分からない。


 ここにいる面々は半数以上が同じ部活動の肩書をもってはいるけれど、集った人間ではないから趣味趣向はバラバラだ。


 それを教え合うショッピングでもいいのだけれど、そもそもショッピング自体人を選ぶものだからなんとも言えない。


 幸村とか実は人混み嫌いそうだし。

 そう言うのを考え出すと我儘なんて言えなくなる。


 あとで愛すべき友人を誘うか、1人でこよう。

 そんなふうに思うお店を数軒通り過ぎ、気まぐれにエスカレーターを登ったり降りたりしながら散策していると、本屋にたどり着いた。


 ここも人を選ぶ場所ではあるけれど、服よりは寛大であるはず。


「……寄ってみる?」


 そう思っての提案だった。

 私みたいなのと、あと多分氷上くんも好きじゃないだろうけど雑誌とかは眺めてるだけでいいものだから。……氷上くん、雑誌読むかしら。


 とりあえず雫と幸村はなんとかなるでしょう。


 幸村の趣味の一つは本を読むことのはずだろうから。

 直接そう聞かされたことはないけど、普段から読んどいてそうじゃなかったら詐欺もいいところだ。


 そんな魂胆で試しに隣にいる男に小さく尋ねてみると、「じゃあ」と答えじゃないような受け答えだけ残して店内に入っていく。


「雫は本読む方?」

「読む方……というほどは読まないですね。幸村先輩ほどは読まないです」

「ってことは読むには読むのね」

「月に1冊ぐらいですけど」


 それでも偉い。

 若者の読書離れみたいな話聞くことあるけれど、もはや耳が痛いだなんて思わないほど開き直ってしまってるから偉いの一言に尽きてしまう。


「勇士君は読まないわよね」

「読みますよ! 漫画は」


 期待通りの返事でなにより。


 そんなやりとりをしながら私たちは幸村のあとを追った。

 彼が真っ先に足を止めたのは店の入り口で本を平積み置かれているところだった。


 本は読まないけれど、そこに置かれているのが話題の新作であったり映像化が決まったりと世間の注目を集めやすいものであることは流石にわかる。事実、帯には月曜10時ドラマ化決定! と書かれているものもある。


 幸村がその帯が巻かれた本を手に取り、くるりと背面を見る。


「面白そう?」


 聞くと、幸村は首を捻りながら私にその本を渡してくる。

 自分の目で確かめろ、ということかしら。

 そこまで言うのならと私も背面に書かれたあらすじを読んでみるが、目が惹かれたのは帯の配役の方だった。


 注目したい俳優さんの名前はなさげ。

 でも知らない人の名前もあるし、興味本位で見てみようかしら。


 あらすじによると医療ドラマらしい。


 医療のことは詳しくないけれど、その手の作品ってしっかりわからない人も引き込める構成になってるからついつい見ちゃったりするのよね。


「で、これお買い上げかしら?」

「いらない」


 ばっさりと断られ、私は手にあった本を彼にではなく元の場所に戻した。


「幸村、そもそもドラマとか見るの?」

「見ない」

「そんな気がするわ」

「なら聞いてくんな」

「『見てる』っていう意外な返事が聞きたくて聞いたのよ」


 もしかしたら毎週欠かさずテレビの前でスタンバイしてる可能性だってあったじゃない。


 そんなことは全くないらしい奴の後ろについてく。結ばれた髪がまったく揺れない。


 後方を振り返るとあの2人は別のコーナーを見ているようだった。

 体育会系のように上下関係を強いる気はないけれど、ずっと年上といるのは楽ではないでしょう。私は特に声をかけずに奴の後ろをついて行く。


 小説なんてもう何年振りに見たんだろう。

 それぐらい私にとっては敷居の高いものだ。


 中学の頃、映画をノベライズした恋愛小説は読んだのが最後のような。他にも読んだっけ? ……読んだ?


 記憶にございません。


 あれ。そもそも私、その小説最後までちゃんと読んだっけ。


 私がそんなことを突然思い出したのは、そういうコーナーに足を踏み入れたから。

 小説が原作ではない作品を小説化したものがいくつも並んでいる。きっと私が本屋で1番タイトルを多く知っているのはこの場所になるだろう。


 そこで足を止めてしまったものだから、先を歩いていた幸村が戻ってくる。

 そして棚に並んだラインナップを見て、「あぁ」と一言。

 読む読まないはさておき、ニュース番組のエンタメコーナーで取り上げられたり、CMで見かけたりすることはあるだろうから幸村も知っているのだろう。


 と思ったが。


「お前が好きそう」


 とのこと。

 知ってる、という反応ではなく、足を止めた理由に納得したらしい。


「そうね。大体見てるわ」


 というか、私の性格から判断したのかもしれない。

 悪かったわね。ミーハーで。その場だけ楽しければ良しと思う節は確かにあるわよ。


「あ、でも。これはタイトルしか知らないわ」


 そう言いながら、私はとある一冊を指さす。

『寺崎さんと数匹の高校生』。見てないからどれほど面白いのかを私は知らないけれど、この作品で主演俳優と女優に火がつき、今でもその2人は引っ張りだこのご様子。


 これを機に私も見てみようかしら。今更だけど。


「あー、それ」


 幸村が手に取る。

 表紙は何度も見た映画のポスターだった。


「見るなら原作にしとけ」

「あ、やっぱり?」


 そう。全部が全部ではないけれど、たまにある話。

 作品を違う媒体に移そうとして失敗するやつ。漫画の実写化とかだとよく騒がれてるイメージがある。

 原作ファンからすれば思うところがあるのかもしれないけれど、私とかは映像化してようやく作品に触れようと思うからいいきっかけをありがとうって感じなのだけれど。

 まぁ、それもミーハーの楽しみ方よね、とは思う。


「映画だと詰めが甘ぇんだよ。簡単にできるとこだけ掘り下げるから伏線も雑だしな」


 嘆く幸村に触発されて、私は彼の手のなかにある本を覗き込む。

 背面につらつらと書かれているあらすじを適度に読みながら記憶に大きな齟齬がないことを確認。


『寺崎さんと数匹の高校生』と言う作品は原作は少女漫画なのだけれど、少し他の作品とは異なっている。主人公は男子高校生で、確かバスケ部。そのマネージャーの寺崎さんに惹かれてアプローチを仕掛けるけど、その過程でなんとなく彼女に彼氏がいることに気づいてしまう。そして彼氏は誰なのかと探しだす。

 ドタバタラブコメって触れ込みがあったはず。


 見どころなのはその主人公が気づき始めたあたりから寺崎さんの目線が混じりだし、人目を掻い潜ってその彼氏との交際を続ける描写が増えていく。途中まではその彼氏が誰なのかは読者にも明かされない。

 ミステリーというほどではないけれど、ちょっとした謎解きを見る側も楽しみつつ。だがそれも途中で明かされ、後半は『学校』という誰もが通ったことのある場所でどれだけ人に気づかれないように恋人を独り占めするか、というのをまじまじと見せつけられる。

 寺崎さんというキャラクターがクールな分、後半の甘い破壊力が凄いとネットで話題になっていたのは知っている。


 見ようかと今し方思ったけれど、当時見る気があまりなかったから愛すべき友人から大まかなあらすじは聞いてしまった。ネタバレは受けていないけれど。


 幸村の言う伏線とはそのちょっとした謎解きのことを言っているのだろう。


 ………ん? ちょっと待って?


「幸村、見たの?」

「炎上してたから見た」


 味気なく答えながら奴は本を棚に戻す。


「その口ぶり、原作も読んだの?」


 少女漫画なんだけど。


「借りた」

「誰からよ」

「内緒」


 そんな一言で済ませて奴は踵を返す。

 なんでそれでおしまいにできると思ったのか。できるわけないじゃない。


「ちょっと」


 つん、と奴の腕を指で刺す。


「お母さんに借りたとか?」

「公開されたの去年だぞ」

「……」


 つまり、家はすでに出ている、と。

 今みたいな長期休暇で帰った時に読むとかもあるだろうけれど、その答え方は多分暗に違うと言っている。


「……クラスの人ってこと?」

「……」


 返事はなし。


「……なんでヒミツなのよ。そこまで話しておいて」


 今までの経験から私が食い付かないはずないってそろそろ分かるじゃない。

 小出しにした時点で話してもいいな、って少しは思ったってことなんじゃないの? 知らないけど。


 とはいっても、男の人からすれば少女漫画こそ敷居が高いでしょう。

 何を読んでも個人の自由だけれどなんていったって『少女』と冠しているものだもの。女性向けコンテンツは女性に向けて作られているものだ。男性が触ってもいいけれど、面白いと思われるような作りはしていないですよというお触れだ。それに手を出すと言うことはそういう見解がありますよということ。

 方々に理解がある方が利点だとは思うけれど、周囲と違うと人って指さしたくなるから。

 それを踏まえるとこの男が口を重くするのも分かる。


 なんて引き際を見極めたあたりで、奴が「ん?」と首を傾げる。


「いや、別に口止めされてねぇからいいのか」

「……どういうこと? 貸し借りしてることを誰にも言わないで、って言われたってこと?」

「いや? いつも他に人がいない時狙われてたから、向こうが知られたくないのかと思ったけど別に口止めはされてねぇなって」

「……人がいない時?」

「部室行く前に捕まえられてた」

「……ふうん」


 つまり、私のところに来る前に捕まえられてたと。


「だぁれ? その子」

高無たかなし


 高無。

 幸村のクラスの子だ。もちろん、女の子。


「それ、幸村から貸してって言ったの?」

「いや。貸そうかって言われたから、なんか流れで」


 流れで借りるの?

 少女漫画を?

 私の提案は断固拒否の姿勢なのに?


 ……ふうん。へぇ。そうなの。


 他の子にそう接するなら私にもそうしなさいよ。まったく。


 私のこと、断っても怒らない相手だと思ってるわね? さては。

 気を悪くしないことに味を占められてる? 


 まぁ、しないからいいんだけど。

 もうそう言う奴だって思ってるし。


 気づけば、先程の作品への興味はまた薄れつつあった。

 もう愛すべき友人にネタバレを聞いてしまおうかしら。


「……お前、口軽いっけ?」

「え? 何よ急に。軽かったら、貴方のあることないことベラベラ喋ってるわよ?」

「まぁ、それもそうか」


 ……もしかして、今のも一応伏せとけっていう、そういう前振り?


「言わないわよ。別に。だって幸村が私に話してくれたことだもの。私だけのものよ。誰にも気軽にあげたりなんてしないんだから」

「あっそ」


 それだけで締めくくり、本棚の物色を始める。

 ゆっくりと歩きながら、そのまま角を曲がり次の棚へ。


 まったく。

 違うでしょうが。

 今のは私にもあんたにだけ話す機会をちょうだいってことじゃない。


「あ」


 拗ねる私なんて露ほども知らず。

 幸村にしては弾んだ声を出す。

 こっちのことなんてお構いなしなんだから。そりゃそうだろうけど。


「もう、どうしたのよ」


 1人で楽しんでないで私も混ぜなさいよ、という気持ちを込めて、ずいっと横から身を乗り出す。


 幸村が手に取ったのは文庫より大きいのも。新書、とか言うんだっけ? 

 新書って何。

 大きさの違いって認識でいいのかしら。


 文庫本より大きな本が並べられている棚から幸村が一冊の本を取り出す。

 その左隣を見ると同じタイトルが3冊並んでいた。

 タイトルは同じだけれど背表紙の色が違う。作者も同じとなると。


「新刊?」

「そう」


 すげぇ待ってた奴、と続けた幸村の顔は嬉しさを微塵も隠していなかった。

 それを横顔でしか見れなかったのが凄く惜しい。


「買うの?」

「多分」


 声をかけても顔はこちらに向けてはくれず、ぺらぺらと中身を確認し始める。


 横から奴を夢中にする本をじっくりと観察する。

 目につくのは表紙だ。イラストがあしらわれている。

 そのイラストが少し癖のあるものだった。抽象的なものではなく間違いなく人であるし、塗り方に特徴はあれど部分を独特な色で塗ってみたりという強すぎる個性もない。例えば肌を赤色強めで塗ってみたりだとか、そういうものはない。肌は肌色だし、髪は黒だ。

 ただ、絵柄が特徴的だった。違うイラストでも『この人が描いた』と一目でわかる絵柄。なんだろう。私に絵心はこれといってないからそういう観点からの総評は難しいのだけれど……全体的に丸みを帯びていると言えばいいのかしら。


 そこまでまじまじと見入ってしまったのは、単純に私がその絵に惹かれていた証拠なのだろう。

 幸村が黙ってこちらを見ること数秒。そうされるまで気づかなかったぐらいだ。


「なに」


 そしていつもの一言。

 いや、なにって。こっちの台詞なんだけど。

 なんであんなにわくわくしてたくせに急に冷却されてるのよ。

 素敵なイラストね、っていう浅い感想すら憚られる温度にすることないじゃない。


 そこでふと気付かされる。

 本なんてものにまったく詳しくはないけれど、こんな現代的、というか標準的なイラストを用いられているこの小説が果たしてこの男の趣味と一致しているのか。


 私が左手をくるっと裏返すような動きをして、裏表紙を見せてと暗に伝えてみると、幸村は何も言わずに応じてくれた。

 だがそこにあったのはバーコードと値段のみ。1200円だそうで。

 中々張るお値段じゃない? それ。


 じゃなくて。


「それ、どんな話なの?」


 幸村は棚にあった同タイトルの本を取り出し、表紙を捲る。

 その内側にあらすじが書かれていた。

 ……そこに書いても見えないのだけれど。それにはどんな企みが?


 違う文化の人間が考えることはまるで分からない。


 とりあえず差し出されてしまった手前、というか自分から頼んだ手前、それに目を通す。

 ふむふむ。なるほど。

 こういうカテゴライズも同表現していいのか分からないぐらい縁遠いのだけれど。これは学園ものって言っていいのだろうか。

 主役はどうやら高校生らしい。私たちと大体同じね。


 それぐらいなら難しくはないかしら。

 なんだか分厚そうだけど、まぁまぁまぁ。


「……」


 改めて手の中の本を見る。

 再三になるけれど、私は本を読まない。

 小説が大体このぐらいの分厚さで、これぐらいの分厚さなら何ページね、なんて目測で分かることはこれっぽっちもない。


 だから比較できるぐらいの分厚さと言ったら、参考書ぐらいだ。英単語帳とか。そういう。かっこつけていうのなら実用書。


 あれを読み物と換算するのは読書家と対局の私にもどうかと思うけれど、参考書は1ヶ月で読み終わったりはしない。反芻するから当たり前だけど。

 それを念頭に置いて考えてしまうと、私はこの本を読むのにどれぐらいかかるんだろう。読書する習慣がない分平気で1年ぐらいかかりそう。10ヶ月ぐらいは読むことすら忘れて過ぎるんでしょうね。簡単に想像できるわ。


 そんなことを片隅で考えながら、私は本を閉じる。


「幸村、これ今の家にあるの?」

「は? ……あるけど」

「あら好都合。私が貸して、って言ったら、貸してくれる?」


 流れで借りるんでしょう? 流れで貸してよ。

 そんな思惑がどこまで通じたのかは知らない。ただあっさりため息をつかれたので何かしらの思惑は通じたのかもしれない。

 ……そんなことないわね。この男のよく見る仕草だわ。


「9月な」

「ほんと? 楽しみにしてるわ」

「読まねぇだろ、どうせ」


 ……まぁ、その否定はできないけれど。

 この男、9月までその約束覚えててくれるかしら。


 忘れてそう。

 私も忘れてそう。


 ちなみに。

 幸村お得意のコーナーで、彼は『帯刀伝』なる書籍を手に取っていた。

 刀の話なのかと思ったけれど、小松帯刀という人物の話らしい。嬉々として教えてくれた。

 今日1番楽しげな顔だったかもしれない。







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