風岡さん、見守る。

「……だっさ」


 以上がテスト明けに顔を出してくれた後輩の顔を見た時の幸村の第一声である。


 あれからほぼ1週間たった。

 幸村の方はテスト期間中の見ない間に傷らしい傷は消えたらしい。すっかりいつも通りだ。対して勇士君はまだうっすらと痣が残っている。

 怪我した直後を見ている私に言わせれば、随分と治ってはいる。だけどたかだか1週間程の経過だ。まだ少し痛々しい。


 というか勇士君に至っては『あの日』以前からちょこちょこ怪我をしていたので体の方も参っているのでは? どこから治せば良いのか分からないでしょ。細胞の方々も。


「いや、センパイが治りすぎでは?」

「お前が治らなすぎだろ。ってか、だっせぇな」

「さっきも聞きましたが!?」

「まぁ骨いわしてねぇだけよかっただろ」

「そういう怪我はないっすね。ってかセンパイ、骨折ったことあるんすか?」

「ない」

「あーやっぱりぃ」

「刺されかけたことはある」

「あー……」


 そんなこともありましたねぇ、と妙にしみじみしだす勇士君。

 私はその話を傍で黙って耳を傾ける。


 この2人はどの程度の付き合いなんだっけ? あれ? そこらへんの話でたっけ?

 中学が違うことは散々聞いたけど。


 ……というかやっぱり聞き捨てならないわ。

 刺されかけたことあるって、どういうこと?

 いや、言葉の通りだろうけど。なにしたらそんなことに巻き込まれるのよ。

 刺される、ということはもちろん対象物は刃物になるわけだけど、それ自体はどこにでもあるから実際起こりえない話ではない。

 ない、けど。


 この場にいる2人がそんな場面に遭遇したことがあるって、そんな奇天烈なことある?


「勇士君、今はそういうこと関わってないんでしょうね?」


 私が聞くと、幸村は黙って勇士君を見上げる。

 彼の指定席は向き合って座ってる私と幸村のすぐ横。所謂お誕生日席に当たるところにずっと立っている。空いている椅子の方が数多いんだから使えば良いのに。

 もちろん勧めたのよ? 勧めたけど彼的には床にそのまま座る方が楽らしい。ちょっとよく分からない。


「ないですよ。テストはちゃんと受けました!」

「手応えはどう?」

「……」


 あはは、とのこと。

 まぁその点に関しては何事がなくても芳しくなさそうだけど。


「幸村はどう? いつも通りいい感じかしら」

「急に矛先向けてきやがったな……」


 横向きに座っていた幸村が首から上をこちらに捻る。

 既に何かを察して眉を少し潜めているのが気に食わない。


「ね、また勝負しましょうよ。負けた方が罰ゲーム。どう?」

「前もやんなかったか? それ」

「やったかも」

「で、負けてなかったか? お前」

「今回は分からないじゃない」


 いつも通り自信あるもの。ふふん。

 と思ったところで、瞬時に思い出す。

 試験問題には大体問題集と似たり寄ったりの問題が出るんだけど、最後の問題は初見だったので点が取れている確証がない。点とれる問題をしっかり出してる分、冒険された気がする。模試からとってきてるんじゃないかしら。


「……ちなみに幸村。満点とれてそう?」


 声を潜めて尋ねる。

 その最終問題だけ自信がない。ほかも計算ミスしてる可能性は存分にあるから100点だとは思っていない。


「日和んならやめとけ」

「え。とれてそうなの!?」


 そう尋ねると、声量を変えずに「いや?」と少し首をひねる。

 いつも通りしれっと。


「……」


 こういうとこあるのよね、こいつ。

 なんというか、吹っかけてくるだけというか。一定のところで引いていくというか。


 まぁいいわ。明日にでもきっと返却されるだろうから、明日また点数聞いてやろ。


「……あの、ところでセンパイ」


 呼ばれた幸村がそちらの方を向くのとほぼ同じタイミングで私も氷上君に視線を戻す。

 彼は気付かないうちにその場に座っていた。よく見かけるのは壁に背を預けてた感じの緩い体育座りなんだけど、何故か正座だった。

 そこまでじゃないけどしばらく雫が掃除しにきてないから綺麗じゃないわよ、この部屋。


「あ? なに」

「あ、いや……。センパイ、中学の頃、関係ない人威圧したことありますか?」


 幸村は視線を少し上に飛ばす。

 しばらくそうした後、顎を引く。


「関係ないってのはなに。通行人とかそういうヤツ?」

「え。えぇっと……クラスメートとか?」

「あぁ、そういうの。されたことならあるぜ」

「はえ? なんでですか?」

「忘れた。というか、お前。やったのか」

「……」


 幸村は組んでいた足を解き、前のめりになって氷上君に責め寄る。

 そしてもう一度真っ正面から「やったのか?」と。


 横からなのでもしかしたら勘違いかもしれないが、いつもより態と目を見開いている気がする。

 まだ浅いところだろうけど、この人はそういう怒り方をするらしい。


 わずか数秒ほどそうしたかと思うと、息を吐きながら俯く。

 それからやれやれ、なのかは本人にしか分からないけど少し首を横に揺らしながら椅子の向きを氷上君の方に向けて、どっぷりと背もたれに身を預けた。


「で?」


 横暴な態度で端的に聞き返すと、氷上君はもぞもぞと動きながら視線をあちらこちらに飛ばし、控えめに首を傾げた。


「なんかあるから聞いてきたんだろ。なんだよ」

「あ……、えと、その……」


 氷上君は小さくまとまったまま己の罪を告白し始める。

 力に物言わせたことと、突き飛ばしたこと。


 へぇ、氷上君ってそういうことが他人にできた人なのね。

 なんて浮かんだ感想は薄い蔑視なのか鈍い一驚なのか。


 普段の彼からは予想付かないからそんな浅い感想なんだと思う。だって普段の彼はあれやこれやと言いくるめられそうな感じなんだもの。将来詐欺に合わないか心配、みたいな人柄。

 純粋無垢は言い過ぎだけど。


 幸村は鵜呑みにしたのか、それとも既に自分の目でそういうことが出来るところを見ているからなのか、「へぇ」と短く吐き捨てながら少し首を擡げる。


 そしてのそり、と立ち上がった。

 そんなに腰が重たいことってある? なんてことを顔にださず内心で茶化す。


 次の瞬間。

 ドン! という音が鋭くもない上に単発でしかないその音が部室内を掌握していた。

 開けていた窓が小さくガタガタと揺れる。多分私もその瞬間はそんな感じだった。


 幸村が氷上君の横の壁を蹴った音だ。

 足の裏で壁を踏みつけるように蹴った。


 華奢ではないけど制服のズボンが緩く見えるぐらいの太ましくない足でよくもまぁそんな音が出せたわね、というのはのちの感想。

 その時は何が起きたのかはかろうじて分かってはいたけど、何のためにそんなことをしたのかがさっぱり分からなくて2人の様子を見ていた。というよりもはや視界にとらえていただけだった。


 気が気でない私と違って、ある程度予測していたらしい勇士君は音に驚いた以降は微動だにしない。


 蹴った本人はこれといった表情を見せずに足を下ろし、また椅子に腰を下ろす。


 今度は音なく勇士君の頭を叩き、ぐいっと指でどこかを見るように指す。

 どこか。

 私だった。


「こういう反応が普通なんだよ。こういう相手に、お前、どうするつもりだって?」

「……謝るつもり、でした」

「あぁ、そう。威嚇してスンマセンした。水に流してまたよろしくしてください、って?」

「………」

「まぁ当事者の意見は知ったこっちゃねぇけど、どう思うよ。水に流せません。できるわけねぇだろ頭沸いてんのかって言えると思うか? ちっせぇことで手ェあげるやつにンなこといったらもっとひでぇ目に合うって、思わねぇ? つーか、合ったことあんだろ、オマエ」


 あります、と勇士君は小さく頷く。


「フツーお断りなんだよ。ンなやつとまたよろしくすんの」


 ……そうっすね、と勇士君。


「オマエがなんでそんな成りしてる上に俺なんかのことに首突っ込んだのかは知らねぇけど、得なんざねぇからやめちまえ。そんなこと。というか、やめろ」


 顔を伏せていた勇士君が顔をあげる。

 驚いて、というのとはまた違う。現在の自分を否定されたからとか、そういうのじゃない。

 そう思うのは私も幸村に視線を持っていかれたから。


『俺なんか』っていう響きがやたらと耳についた。

 それだけじゃない。最後の『やめろ』がひどく切実だった。


 この場の全てを力でねじ伏せておいて、本人の意思は下手に出る。

 そんなちぐはぐ具合に恐怖心が薄められていく。


 そこにいるのは限りなく幸村に近い彼だ。

 不意に浮かんだ自分の感想が何も分からない。


 どこにいても彼はいつだって彼そのものだ。


 全くもって変な話である。


「……センパイがやめろって言うなら、やめます」


 静かにそう呟いたかと思うと、勇士君は再度沈んでいた顔を髪を乱す勢いでガバッと上げる。


「でも髪は染め直さないっすよ!」

「そこは死ぬほどどうでもいいんだよ」


 的はずれな断固拒否を示す勇士君に毒気を抜かれたのか、幸村は机に肘を付く。


「……悪い。やりすぎた」

「へ? あ、大丈夫っす。気にしないんで」

「……オマエから言う台詞じゃねぇぞ、それ」

「はえ?」


 気の抜ける勇士君の声を傍目に幸村は頬杖だった手を額に当てる。

 

 毒気を抜かれたのは私も同じだ。

 もう置物みたくなってなくてもいいだろうか。


「風岡」


 そんな私を見透かしたかのように幸村が声をかけてくる。


「なぁに」


 私がそう答える前から幸村は自分の制服のポケットに手を突っ込み、そこからこの部屋の鍵を取り出す。


「後任せた」


 それだけ言うと、鞄を雑に引っ掴んで一直線に部室を出て行った。

 テスト明けだというのにあの鞄の中には複数種類の教科書や参考書が入ってる。そんな重たげな鞄を重たくなさそうに持ち上げて、こちらには目もくれずに足早にいなくなった。


 案に、ついてくるなと言われた。


 ある程度身勝手な推測を働かせながら、私は私と同じく残された勇士くんを視界に入れる。

 彼はぴしゃりと閉められたドアを指差しながら「今日は追いかけなくていいんすか?」と私に尋ねてくる。

 勇士君は私がいつも幸村と一緒に帰ってるのを知ってる。一緒に、というより私が勝手について行ってるだけだけど。


「鍵任されちゃったから、仕方ないわ」


 それより、と話を切り替える。


 頼まれてないし、勇士君にそのつもりがあったのかは分からないけど、私がそうしておきたいからする。


「テスト前からなんか変だと思ってたけど、雫にそんなことしてたのねぇ」


 気まずそうに髪の毛を触る勇士君にそんな話を振って、ここで足止めをしておく。


 もしかしたら勇士君は幸村にまだ話すことがあったかもしれない。でも幸村はこれ以上の対話を拒否した。


 そういうのは前からどうしても見過ごせない性分だ。

 人間、どうしたって自分の心の柔らかい部分は話してくれないから正誤判定はできないけど、私はそれなりに他人の心境に敏感なつもりだ。


 幸村から少し昔の話を聞いてから、冗談抜きでこの話はせっついていいものではないとひしひしと感じている。

 本人の中でも折り合いがついていないのかもしれない。そんな話を他人からどうのこうのと聞かれたら、煩いと反感を買うだけだ。

 自分ですらどう思っているのか分からないんだから。


 そんな風に自分の尺度で見てしまってる。

 だからとても言えやしないけど、幸村にとって勇士君はありがたくない存在だったりするのかもしれない。

 どうなんだろう。


 でも、聞けないなぁ。


 あの人のことは疎ましいですか、なんて。

 親しい間柄になったって「そんなことないよ」って返す質問だもの。

 その上、自分でそう答えてしまった以上周りにそう思っていることを裏付ける態度を見せなければいけない。


 学校から近くの駅までは大体10分。電車がどのくらいでくるのか分からないけど、適当に10分見積もれば来るだろうと仮定する。それぐらいの時間があれば幸村はきっと電車に乗ってもう追いつけない場所まで行けるだろう。


 私は20分と少し、勇士君をこの場に拘束した。


 それから勇士君と部室を出て、流れで一緒に帰った。

 先に帰っていいよとも言ったけど、結局数分の誤差しかないと駅で鉢合わせて謎の気まずさを感じるので流れで。


 その間、共通の話題である誰かの話だけは絶対にしなかった。

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