永町さん、割り出す。
幸村先輩の伝言で氷上君を部室に連れて行った次の日、彼は学校を休んだ。
彼が休んだその日、私は部室に行かなかったから彼と一緒に『あの日』どこかへ向かった幸村先輩が登校していたのかは知らない。
でも一日空けて登校してきた彼の顔を見て、きっと先輩も休んだだろうなと勝手ながら判断した。
氷上君の顔は均一の肌色ではなかった。
どこかしら赤みがあったり、なんなら青かったり。
顔は誰しも左右均等ではないにしろ均等ではなさすぎる造形に変貌していた。
後ろのドアから入ってきて、私が自分の席から振り返っただけで一目瞭然な怪我ではあった。1日寝たぐらいじゃ怪我が完治するわけがない。それでも休んだということはもっと酷かったのかもしれない。
それに、きっと腕とかもまた怪我しているんだろう。
クラスの誰かの「何だその怪我」という少し緊張感を孕む声に彼は威勢よく、むしろ声を張って一言。
「階段から落ちた!」
一体何人がそれを信じたことやら。
だがもの言わさぬ勢いで、彼は「聞いてくれよ、あのな?」と近くの友人の肩に腕を回す。そして階段から落ちた時の経緯を詳しく話し出す。
どうやら目の前の素敵な女の人の制服が危なかったらしい。
……制服が危ないってなに??
就業の身であることの分かりやすい証明のどこが危ないのか。
そりゃ、年齢層や所属組織は丸わかりだけど。
口から出まかせの適当なことを言って勢いで乗り切ろうとしてるのかと思いきや、話を振られた周辺男子は顔を寄せ合って密談を始める。
「……」
よく分からないけどそういう雰囲気から何となく話の流れを察する。
登校して初っ端から女子禁制の話に話を咲かせられるのなら心配はなさそうだ。
それはそれで問題だとはとても思うけど。
次の週から定期試験なのにそんな調子で大丈夫なんだろうか。試験という存在がどれぐらい抑止力になるのかは知らないけど。
一応まだ土日があるとはいえ期末テストは5教科だけではなく副教科も入ってくる。教科によってはどこを出すのか教えてくれるし、どう言う形式で出すのかまで教えてくれた先生もいる。できる人は前日に少し目を通すだけで満足な点数を取れてしまうのかもしれないし、捨て教科と判別する人もいるかもしれないし、土壇場でなんとかなると思う人もいるかもしれない。正直私もそっちはそこまで身構えていない。
ただ、話を聞いていなければこれっぽっちも点数が取れないのもきっと事実だ。つい話を聞き逃してしまった人や寝てしまった人は慌てて他の人に範囲や出題箇所を聞いていたり慌てていたのも見かけたことがあるし、私自身聞かれたことがある。
最近上の空だった彼がどんな調子なのか。勝手ながらの懸念をしつつも、「もう知らない」という気持ちが顔を覗かせる。
だってあの話を聞いた感じ、幸村先輩本人は認知してなかったじゃない。氷上君が勝手にやってたことでしかなかったじゃない。
自分の本分を蔑ろにしてまで一役買わなければならない理由がなんなのか。
そんな感じで外装を固めながら、あの日のことがどうしようもなく尾を引いている。
望まぬことをしてしまったこと。独断を先行させたこと。なにより、1番質が悪いのはきっと私は彼のためになると思っていたこと。
そんな自分を見つめては試験明けの部室に行く日を思って少し憂鬱になっていた。
◇
「委員長」
部室に行こうと思っていた日の放課後。
背後からそう声をかけられて鞄を担ぎながら振り返ると、3歩ぐらい離れたところに氷上君がいた。
「……どうかした?」
自分の声が硬いのがよくわかる。
そんなわけではないのに、不機嫌を訴えているようで嫌だ。
「……部室、行かねぇ?」
そう言いながら氷上君は僅かに垂れている前髪を触る。
「……行くわ。ちょっと待って」
机の上に並べたものを鞄の中に整頓しながらしまう。
忘れ物がないのを確認して鞄を締め、肩にかける。
行かないこともできるけれど、そろそろ掃除をしなければ。
尤も、緋咲さんも期を見てしてくれているみたいだけど。
本人は言わないだろうけれど、あの人は意外と部室を大事にしている。というか、彼女が単独で名前だけとはいえ部員をかき集めたのだから、あの部活自体ある程度の思い入れはあるのかもしれない。
それは今はさておき。
掃除の件もあるけど、わざわざ氷上君から声をかけてくれたのだから彼の話を聞くべきだ。
なんて思いながら、双方何も言わずに歩だけを進める。
昇降口へと流れていく生徒達の流れとは真逆の校舎の最奥へと進んでいく。
天文部だからかは知らないけど、私たちの部室は屋上に1番近い。
教室が並ぶ2階、3階を越え始めると人が急に減る。
階下から聞こえてくる女子生徒達の笑い声を聞きながら薄暗い階段を登っていると、「あのさ」と氷上君が数段下で口を開けた。
「この前のことだけど」
彼にしてはらしくない鈍い言い方に私は振り返る。
そして、氷上君がいるところまで数歩降りる。
「その、委員長に乱暴して悪かったなって………ちっか!」
塩らしく俯いていたかと思いきや、横にいる私を認識すると急激に壁際まで後退した。
ゴチン、という鈍い音が私の耳までしっかり届いてきた。
「ちょっと、大丈夫?」
「痛いだけ。へーきへーき……」
「氷上君、落ち着きがないから気をつけてよ?」
「それ、よく言われんだよな……」
「……前も言ったけど、もっと自分のことに気を回したら?」
後頭部を摩っていた氷上君はその手を止め、覗き込むように私の顔を下から見上げる。
「それ……センパイのことばっかり首突っ込むなって、意味?」
トーンの下がった声に、私は返答できず、首だけで頷く。
氷上君と幸村先輩に何があったのかは知らない。どっちの味方をするというつもりもない。けど、緋咲さんは幸村先輩の肩を持たないにしてもあの人の方に耳を傾けるだろうから、私は氷上君の話を聞きたい。
関係値の遠近もあるだろうけれど、氷上君に影響を与えているのは先輩だ。
「……それ、センパイからも言われたなぁ」
「……え?」
「俺が委員長にやらかした話したら、やり返されてさ。んでその時に言われた」
「……、やり返されて?」
なんでそんなことに。
「そうそう。俺、マジビビったからこれはマジで謝った方がいいなって……。え? こんな言い方したらセンパイに脅されたから謝ってるって思われね? 思う? 委員長」
「……」
「だよなぁ!?」
失敗した! と氷上君が階段に蹲る。
頭をぶつけた時以上の反応を見せる氷上君に、私は中腰になりながら尋ねる。
「別にいいじゃない。私が幸村先輩をどう評価してようが、氷上君には関係ないでしょう?」
「ねぇけどさ。そりゃ、出来る限りいい人って思われた方が嬉しいじゃん?」
「そうかもだけど……。でも、きっぱり言うけど、いい人の最終手段は暴力じゃないから」
「あー、やっぱそこだよな!? 他はちょっと怖ぇ人でなんとかなるもんな!?」
……正直なところを言うと、幸村先輩に怖いという印象を抱いたことはさほどない。
氷上君を睨みつける時の目に少しはそう感じたことあるけど睨む時の目は誰しも怖くなるものでしょう。
緋咲さんに遊ばれている姿は怖くはないし、そもそもは柔らかい表情の動かし方をする人ではあったし。
普通の人なんだなって思わないこともない。
とある一点以外。
「センパイは別に元々は喧嘩する人じゃなかったんだって。俺らが手ェ出させたの」
「……『俺ら』?」
「そう」
階段に腰を下ろした彼は髪をぐしゃぐしゃといじる。
ワックスであげている前髪を全部下ろしながら話を続ける。
「委員長には言ったっけ? 俺が髪染めてるって」
「聞いたと思う」
「俺もそんな気するわ。そうそう。俺は普通に黒いんだよ、髪。茶色いのはセンパイ」
氷上君は前髪を引っ張りながら言う。
「そんで、前髪長くて、チビで、ひょろくて、ちっせぇの。中学の頃の俺って。アタマも良くねぇからさ、気づいたら変なのとダチやってた」
チビでひょろい。
そういう氷上君の話を聞きながら、氷上君の背丈を思い出す。
そうだったっけ。
私よりは大きかったと思うけど、でもそんなこといいはじめれば私より背の低いクラスメートはいないのだからあてになる物差しではない。
話す時そんなところに気を配って見てないから分からない。今隣を見ても、座っているせいで測れない。
というか、あまり人が来る場所ではないけれど、階段に座るのはいかがなものだろう。通行の妨げになるし、階段はそもそも座る場所じゃない。
でもそんなことを気にしていて話を聞き逃すほうが失礼だから、私はそっと氷上君の隣に腰を下ろした。
掃除当番はいるのだろうけれど、隅には埃が溜まっている。そんな薄暗い階段で彼は顔を伏せたまま話を続ける。
「初めはそいつらの言うこと普通に聞いてたんだよ。つっても、あれだぜ? 放課後遊ぼうぜとかそういうの。そうやってつるんでるうちに、なんかこいつら俺の意見聞かねぇなって思うようになってさ。口出ししたことがあんだよ。俺はその日無理とか、嫌とか。そしたら、次の日から露骨に無視されるようになった」
その話を聞きながら、氷上君の最寄りを思い出す。
私の最寄りとは距離があったはず。だから当たり前なんだけど、私の中学時代にはそんな面影の人がいなくて、どこか作り話のように聞こえる。
「俺、気弱だからさ。それが耐えれなくて。あと、あれ。女子ほどじゃねーのかもだけど、男もグループみたいなのあんだよ。いつメンってやつ。それがもうできた後だったからさ、どこにも入れなくて、俺、なんでか頭下げでまた前の奴らのとこ戻ったんだよ」
「……」
「そしたら、多分その味を占められたんだろうな。……要はパシられるようになったんだよ。なんか買ってこいとか。なんかしろとか。あー、面白ぇのは宿題やってこいってやつな。俺、やったんだよ。でも正答率悪くて2度と頼まれなかったわ。あいつらも先生に叱られたし。まぁ、ざまぁって本気で思ったよ。……そう思う時点でどっちもダチだと思ってなかったんだろーな」
こんな個人的なことを私が聞いてしまっていいのだろうか。
言いたくない話だろうに。
私が、幸村先輩のことを悪く言ったから白状させてしまっているんだろうか。
そんな人たち、本当にいるんだろうか。
「そういや委員長はこっちの方住んでんだっけ? じゃあ知らねぇか。俺の地元、結構治安悪くてさ。暴走族とか普通に走ってんだよ。夜。そん中でも俺がいた中学は特別悪かった。あ、ちなみにセンパイは隣の学区な。そっちはあんまり悪い噂聞かなかったはず。だからさ、まぁ……あったんだよ、イジメみたいなやつも」
ぴし、と体が硬くなる。
話には聞いたことがある。増えているらしいってニュースとかでも取り上げられるし、弟達も先生にいじめはないかって聞かれたことがあるらしい。
でも、私の身の回りではなかったから。増えてると言われても、危機感はなかった。
架空のもののような不透明さがありながらも、高校入学する前はそれに少し怯えていた。
「俺はさ、っていうか俺のダチやってた奴らがやべー先輩達に——あ、こっちの先輩は幸村センパイじゃない方な。ウチの学校のやべー奴ら。俺の一個上の人たちのこと。そいつらと仲良くなっちゃってさ。んで、俺、もう断れねぇから、近くにいたんだよ。つっても、俺は空気だったんだけどさ。……いや、まぁいじめられてる奴に比べたらずっとマシな扱い受けてたんだろうけどな?」
「……」
「そんで……うわ、俺説明下手だな。えっと、俺ら側に、数人部外者がいて。その中の1人が隣の中学——要は幸村センパイが通ってた中学のヤツだったんだよ。センパイの結構な友達だったらしい」
「……」
「んで、そいつが……そいつとかあいつとかばっかだな」
「……Aとかでいいわよ」
「あ、なるほど。んじゃセンパイのダチをAってことにして……。そんで、そのAってやつはさ、なんかセンパイのこと……嫌いだったんかな。あれは。よく分かんねーけど、俺のダチが暇してるっていいだしたらAがじゃあムカつくやつボコろうぜつって、呼び出したんだよ。センパイを」
なんとなく、私はそこら辺で氷上君の方から正面に顔を逸らした。
そんな私が見えていない彼は変わらず続ける。
声の抑揚を暗くさせずに続ける。
「そんで……まぁ色々あった気がするけど、要はハメられてキレたセンパイが俺ら全員潰したんだよ。俺が言うのも変だけど、あーゆー奴らってまとまってれば強ぇって思ってっからさ、あっさりセンパイ1人に全員しめられて、大人しくなった。俺はそれをチャンスだと思ってそいつらと距離取ったんだけど、あいつらはそれからずっとセンパイのこと恨んでんだよな。意味わかんねーけど。恨むも何も悪いのあいつらってか俺らじゃん。そりゃセンパイに脳味噌発酵してるって言われるわ」
以上があらましらしい。
そこまで言うと、氷上君は前髪を無理やり持ち上げた。
「センパイはそんな奴らから逃げるために髪染めて、身なりまで変えたのに……。まぁ、俺のせいなんだけどさ」
「……そう思うのに先輩に近づいたの?」
「違う違う! あれ、これも言わなかったっけ? 俺があいつらに呼び出されて負けてたらセンパイが助けてくれたって話。そんで緋咲さんに見つかったって話」
3人の馴れ初めの話だろう。
氷上君と幸村先輩の地元がちか近いのは話の流れから分かったけど、実は緋咲さんの地元も近かったとか、そういう話なんだろうか。
「それがなかったら俺はセンパイに会う気すらなかったんだよ。……追っかけてはきたんだけどさ。いや、だって、あいつらがまたセンパイに手ェ出すんじゃないかって思って。俺からすれば身内なわけよ、あいつらは。だから身内の不始末止められたらなぁ、って……」
「……」
「まぁ普通に力で負けたけどな」
言葉が出て来ず、沈黙を返す。
いい人の最終手段は暴力じゃない。
そうは言ったけど、最終手段として暴力に転じるしかなかったのだろうという話なのも、総じてそういう可能性が大いにあり得るということも分かってはいる。
でも私自身がそれを容認しておきたくはない。
弟たちにそういうことはしてほしくないから。
「……あれっ。なんで委員長に謝ろうとしてんのに愚痴聞いてもらってんだ?」
なんでこうなった? と不可思議そうに顎に手を当てる氷上君を横目に私は立ち上がる。
先ほど前髪を下ろした姿を見たせいか、私を見上げるその表情が少しあどけなく見えた気がした。
「……今日は、一旦お開きにしましょう」
眉尻を下げる氷上君に私は努めて明るく声をかける。
どうやら彼は断るのが苦手らしいから。
「この流れで謝るのも取ってつけたようなものだし、それにね、氷上君」
私が数段上がると、彼も重い腰を上げた。
「氷上君が幸村先輩のことで譲れないところがあるみたいに、私にもどうしても腑に落ちないところがあるの。それは多分とりあえず今この場で分かり合えるものではないから、どうしようもないと思うのよ」
振り返らずに階段を登っていると、後ろから重ならない足音が付いてくる。
「だから、私がいうのもものすごく変だけど……謝ってくれなくていいよ。謝るって、過去の行為を取り消すものだろうから。だからね、氷上君。私も……貴方の気持ちを何も考えてなかったこと以外、謝れる気がしない」
ついてくる足音が一瞬止まる。
「……委員長、変わった考え方するな」
「……最近上の弟が反抗期なのよ」
逃げの考えなので振り返らずに答える。
平行線になりそうなものはそうやって折り合いをつける。
私が悪いことでいいからこのことは平にしてしまおう、って。
弟でもそうやって何とか同じ家で過ごせてるのだから、クラスメイトなら尚更何とかなるはず。
たかだかクラスメイトだもの。
全面から親しくなれなくても別口から親しくなる方法はあるでしょう。
◇
それから話をせず、部室に向かった。
正確に言うと、話す内容が見つからなかったのも正直なところあるが、それっきり氷上君と目が一度も合わなかったから気が引けた。
そんな私たちとは違って、緋咲さんはいつもと変わらない様子で入ってきた私たちを手を振って迎えた。彼女の手の位置が正面の机に少しはみ出していたので多分先輩に話しかけていたのだろう。
「勇士君。もしかして元気ない?」
緋咲さんのその問いに対して、氷上君は先ほど見出した前髪を整えるように撫でながらいつもより苦く笑った。
「あと知らないの緋咲さんだけなんで、あれなんすけど。俺、結構根暗なんすよ。今ちょっとそういう時期っすね」
「あら、嫌なことでもあった? あたしでよければ聞くわよ?」
「大丈夫っす。大体のことは寝れば忘れるんで」
「あー、ちょっと分かるかも」
なんて話をする2人のすぐ横で、幸村先輩は表情を変えず本に視線を落とし続けていた。
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