風岡さん、世話を焼く。
◇
人間が多面的な生き物だっていうのは自分を振り返れば誰だって気づく。
だから、普段ムードメーカーの氷上君が暴力的だってことに驚く理由はないし、真面目を装えるからって暴力の対比にいるなんて思わない。
思わないけど、でもやっぱり『暴力』って響きは距離を置きたくなる。
置きたくなるけど、私はあの二人と距離を置きたいとは思わない。
それがどういう心理なのかはあまりぱっとしない。
他の誰も知らないことがあるとなんだか優越に浸れる、という心理だったりするんだろうか。そんな短絡的なものだとしたら少し嫌だ。自分本位な結論すぎる。
そんな渦中の人物である勇士君と幸村は『アイツら』を『この前のところ』に呼び出した。
あの沈黙の時にそんなことを言っていた気がするだけなので確信は薄い。
この前のところっていうのは、多分神社だ。
残念なことに、私の最寄りでの出来事だ。家からかけ離れているわけでもない。
そんな距離の出来事を『知らない』で通せってあの2人は言った。
「……」
まぁ、難しい話ではない。
学生という集団に属する身である以上、見て見ぬ振りをする機会は大なり小なりある。
私にもある。
幸いと言っていいのか分からないが、他人の好意を見て見ぬ振りでやり過ごしたことがある。関係ないものだって決めてかかって、なかったことにした。
それでいいのよ。
だって、乱闘騒ぎなんてなくていいものだもの。
それを必須にする必要のないご時世だもの。距離を置くのがいいことで、それを勧めてくれた当の本人たちは心がある方なんだから甘んじるべき。
私がすることは寂しい冷蔵庫の中身を思い出してこの足でスーパーに行くこと。
働いてクタクタになって帰ってくる両親のために美味しい料理を作って置くこと。
それがいいこと。
でも、残念ながら私は優等生じゃない。
物理の成績は誇れるものだけど、生憎と歴史は大の苦手。
人間はそんな多面的で方々から引っ張られておきながら決められるのは一つしかない。
なんて不都合ばっかりなんだろう。
そんな哲学未遂の深くないことを柄にもなく考えながら、家の玄関を開けた。
◇
声が聞こえる。
声だけが聞こえる。
虐げることを目的にしているわけではないであろう罵詈雑言。つまりは威嚇。
それを放つのは聞いたことのない声、だけじゃなかった。
何処かの誰かの口が上品じゃないことは毎日放課後に顔を見合わせてるから今更なこと。
でも、不思議。
まるで別人。
私は境内に続く階段の上の方で腰を下ろし、膝の上に腕を重ねておいた。
そのまま息を潜めて境内から落っこちてくる声を拾う。
当事者同士で分かりあっていることもあるため一から全てがわかるわけではない。
ただ相手の「ようやく見つけた」という旨から始まった幸村という不良に対する敵意の言葉から推察できることもいくつかある。
やっとみつけた。
探したぜ。
それらから推測できるのは彼らは幸村を探していたということ。
だけど見つからなかったから勇士君が巻き込まれた。そこの経緯の詳細は分からないけれど部室でそう話していた。
なんだその見た目、と笑われているのは髪の毛のことみたい。
そういえば元々、というより地毛が茶髪だったはず。
どうりで見つからねぇわけだ、とかも言われている。
それらに対して幸村の返答は聞こえてこない。
代わりに噛み付くのは勇士君の声。
顔見知りなのは当たり前だけど、それ以上の関係性は見えてこない。
敵対してる、というのは安易に前提として考えても問題ないだろうけれど。
だからって、探してまで殴りたがる理由ってなによ。
探されるほどまでのことを、幸村がしたってことなんだろうか。
恨まれるほどの喧嘩をしたってことなんだろうか。
そうはみえないんだけどなぁ。
っていうのも、私の願望でしかないんだろうなぁ。
そんなことを考えながら膝の上に組んだ腕を乗せて、背中を丸める。
聞こえてくる幸村の声は、話題の中心のくせにごくごく偶に。ちょっとだけ。
あの男は話したくないことは頑なに話さない。
答える気のないあの男の返答は、私をあしらうときよりも雑だ。
会話する気はまるでないらしい。
じゃあ、喧嘩しにきただけじゃないの。それ。
階段の隅に縮こまって、意識するまでもなく息をひそめる。
聞こえていた暴言が痛々しい音にやがて変わった。
幸いなことに、私の両親は共働きでありながらもちゃんと私のことを溺愛しているし、お互いのことも娘が呆れるぐらいには大事にしている。小学校の頃も中学校の頃も教室内で大喧嘩が起きたことなんてないし、格闘技とも縁がないものだから、殴り合う音なんて初めて聞いた。
きっと無縁でいいことだ。
痛そうだって思うし、怖いなとも思う。
そんな浅い感想が出るぐらいでいい。それ以上はなくていい。
……勇士君は、それに馴染み切った幸村に憧れていたんだっけ?
なんて言ってたっけ。そもそもまだ聞いたことなかったっけ。
いろんなところから切り口を入れてみても、結局壁みたいに邪魔するのはあの男の内側なのかもしれない。
しばらくして。
静かになった境内から2人だけ出てきた。
確認するまでもなく顔に怪我を作っている勇士君に幸村が肩を回している。いつかも見た光景も、確かこんな感じだった。
「センパイ、歩けますって。少し休めば多分きっと」
「で、眠りこけるんだろ? どうすんだよ、あのクソ共の方が先に目ェ覚ましやがったら。あいつらの脳みそ発酵してっから後先考える機能腐り落ちてるぜ? まぁそれでサツがもってってくれるっていうなら置いてくけど」
「センパイ、容赦ねぇっす……」
「容赦あるから帰ってやるんだろうが」
二人三脚みたいにして階段を2、3段降りた2人は会話を切り上げ、一点を見つめる。
一点。もちろん、階段に腰を下ろしていた私のこと。
「……緋咲さん?」
「緋咲さんよ」
私は傍に置いていたそれを抱え上げ、2人の近くまで寄る。
「こんなとこで何してんすか……」
「何って、これ見て察しない?」
私は持っていたものを胸よりも上に上げる。
今持っているのは家に戻って取ってきたそれと、スカートのポケットに入っているケータイと家の鍵だけ。
私の両親はお父さんの方が料理が上手くて、お母さんはいまいち。下手でもないけど上手くもないって言うと良いイメージじゃないけど、普通ということ。それは料理の腕の話で、包丁捌きは今でもお父さんが止めに入ることがある。出来る人に言わせると見ていられないらしい。それに加えて過保護なものだから、いつ指を怪我してもおかしくないようにと絆創膏だけでなく救急箱がある。休み以外料理するのはほとんど私だから出番はほとんどない。たまにお父さんが風邪薬を求めて開けるだけ。
そんな救急箱にお付き合い願った。
「そんな顔で電車乗りたくないでしょ?」
そう聞くと、幸村は勇士君に視線を向けた。
幸村も無傷ではないけど、勇士君のは目立ちすぎる。……血もついてるし。
「ほっぺも冷やした方がいいんじゃないかしら」
そういう怪我は盲点だった。
どちらにせよ氷を持ってくることは出来ないから手立てはないけれど。
「いや、というか、なんで緋咲さんがここに!?」
つけてきたんすか? と声を小さくしながら嫌そうな顔をする勇士君の額を叩く。
「前もここで会ったの忘れたかしら」
「あー……そんなこともあったような?」
「曖昧ねぇ。幸村は覚えてるでしょ?」
まぁな、と勇士君の腕を担ぎ直しながら。
そうよね。私に興味を持たれた原因だもの。忘れられてたら足りないからもっと絡んで良いってみなすとこだったわ。
そんなことはさておき。
「勇士君、どこ怪我してるのよ。顔と?」
「多分……脛とか肘あたりも。引きずられたんで」
へらっと笑って見せるけど、そんな表情見せられても安心できないわよ。引きずられたって何?
見せて見なさいよと勇士君の袖をまくろうとしたら、幸村に声で制される。
「お前がいるなら尚更引いた方がいい。顔見られたりしたらめんどくせぇから」
「……」
境内はまだ静かなままだ。
どういう状態なんだろう。気を失うまで殴ったとかなんだろうか。
そんな考えがよぎったけど、とてもじゃないけど聞けない。そんなことをしているこの2人を想像なんてしたくない。
それとも、気を削いだだけでのんびりしていたら境内から出てきたりするんだろうか。
階段の上を見上げていると、目の前を幸村の手で遮られる。
「首突っ込まなくていいんだよ」
さっさと降りろ、と軽く肩を叩かれる。
相変わらず敵対していた人達と幸村の関係は分からないけど、もしかして、同じ中学に通っていた生徒という可能性もあったりするんだろうか。
仲違いをしたかつての友人とか。
「……そんなにこの場所から離れたいなら、そうね、私の家でも来る?」
境内から目をそらし、先に階段を下りながら2人に尋ねる。
「緋咲さんの……家!?」
「……気持ち悪いな、お前」
幸村のその一言は、もちろん私にではなく妙に食いつきの良かった勇士君に対してのものだった。
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