風岡さん、口を挟む。


 ◇



 人畜無害そうなやつ。

 まだ幸村をそうと思って疑わなかった頃、この部室は重くもないが軽くもない空気しかなかった。まるで塾の自習室のような空間だった。人がいるけれど親しくする理由はない上にどこか殺気立っているような。

 まぁ殺気というのは大袈裟だけど、でも馴れ合うつもりは一切ないと態度で体現しているかのような、トゲトゲした雰囲気でいっぱいだった。

 でも今思えば、それはあいつが本性を隠すことに忠実だった故の壁だったのだと思う。そして、多分それと同時に話しかけてくるなと間違いなく思っていただろうなぁって今の私は想像する。頼まれて映画研究会で演技をする身だからちょっと分かるのよ。自分と離れた性格を演じるのって常に意識しておかないとボロが出そうだって。事実ボロが出てしまった幸村からもう前の時のような棘は感じない。別の棘に生え変わっただけだから棘は生えてるんだけどね。


 丸い性格を見せつけてた時の方が人を寄せ付けにくくて、口が悪くなってからの方が親しみが出た。


 今の部室は、そのどちらのパターンでもない。

 態度が粗暴になってから、初めての『棘』を見せつけている。


「……」


 私はなかなか肝っ玉の据わった女子だと自負してたんだけど、今はどうしたものかと模索せざるを得なかった。お節介を働かせてはいけない雰囲気だって、空気を読んでわかるなってレベルじゃなくて、まるで本能が口を封じにきていた。


 いつもの席に座った幸村は、椅子を机から九十度回し、壁際に立たされた氷上君を凝視していた。


 昨日、幸村から勇士君を引っ張ってくるよう伝令を受けた雫は、見事勇士君を捕まえてきた。

 普段はさながら大型犬とでも言えそうな勇士君はその時ばかりは手負いの狼だった。だけどピリピリはしてなくて、手負いの上にずぶ濡れの狼だった。

 雫にこっぴどく叱られたのかと少し思ったのだけれど、彼女も彼女でどこか気まずそうにしていたからきっと違う。何があったのかしら? なんて口を挟む間も無く、幸村の事情聴取が始まった。


 始まったと言っても、それは開幕という意味の始まったで、自供はない。つまり黙秘権の行使を続行している。幸村はそれでも構わないと言わんばかりに、窓の外に視線を飛ばしてみたり、爪の様子を確認してみたりとこの空間で唯一動き続けている。でも気長に待ってやる気はないらしく、視界には絶対に勇士君を捉えている。


 私と雫は、勇士君がきた時に幸村から帰れと言われたけど、残ることを選択した。

 野次馬精神が働いたのよね、という理由ではなく。

 第三者の監視的な視線を置いておくべきだと判断した。なんなら精一杯怖がってやろうとすら思った。アンタたちがやってることって女子を怖がらせる暴挙なのよって思わせることが抑制になるんじゃないのかなっていう安直な考え。


 そんなこんなで残ってはみたけれど、さすがのこの二人も学校内で暴力沙汰を起こす気はないはず。勇士君はすでに一回謹慎を食らっているし、幸村は今までの苦労が水の泡になる。

 でもするわけないでしょと笑い飛ばせないのは、そこはかとなくその可能性を感じてしまうから。


 幸村がどこか諦めに近い達観をしている。ほんとうに、なんとなくだけど。

 それこそ、最悪謹慎ぐらいどうってことないぐらいの気概を感じる。感じるだけかもしれないけど。そう言う考えに直結する人なのか、私は知らないからなんとも言えない。


 石でも抱えたような重さを感じてから30分ほど経った頃、幸村は机に頬杖をつきながら、一言、何かを言った。


 急なことだったというのと聞きなれない単語だったからから何を言ったのかは聞き取れなかった。でも多分どっかの学校名のような気がする。最後に「中学」と言っていたし、それに続いたのは「だった連中か」だったから。


 〇〇中学だった連中か。


 それを聞いてすぐに私は視線を勇士君に滑らした。

 勇士君は慄くように目を大きく見開く。30分ほど考えた結果その結論に達したのか、実は初めから検討はついていたのか。

 幸村は「やっぱりな」と鼻の近くに皺を寄せつつ鼻で笑った。


 それから忌々しそうな舌打ちをしながらケータイを取り出したかと思いきや幸村はそれをまたポケットにしまい、氷上君のほうに手を伸ばした。


「貸せ」


 さっと勇士君は後ろのポケットに手をあてる。


「じゃあオマエが送れ。この前のところに行ってやるからそっちも雁首揃えろって」


 そう言って急かすように手を払う。


「送るわけないじゃないっすか! それが向こうの狙いっすよ!?」

「全部潰せばもう来ねぇだろ」

「でも何人いるか分かんないし」

「でも、俺に用事があるんだろ? 俺も今連中に用件ができたしな。都合がいい」

「……」


 ハァ、と幸村は重たいため息をつきながら自分のケータイを取り出した。画面をスクロールすると、諦めたようにまたポケットにしまい勇士君に視線を戻した。

 彼は彼で変わらずケータイを手でポケットに押し込んだまま。


「……ダメっすよ、幸村センパイ」

「安心しろ。全員潰す」

「あ、いや……そこはあんまり心配してないんですけど」


 そういえばタコ殴りにされてた勇士君を幸村が助けたって話があったはず。

 今だとそれが具体的に何人だったのかが気がかりなところ。一体何人の恨みを買ってるのか。


 それが得には思えないのだけど、と言ったら今のこの二人は私に敵意を向けるのかしら。


「……あの、幸村先輩」


 横に座っていた雫が、背を丸めて小さく挙手する。


 幸村はほんの少し、なんなら気持ちだけ少し表情を柔らかくして、首だけを回して「ん?」と疑問符を投げかける。


「どうして幸村先輩の問題を氷上君が肩代わりするみたいな状況になってるのかが分からないんですが……」

「……あぁ」


 すこし躊躇うような間を空けてから。


「アイツら頭悪ィから俺が見つけらんねぇんだと思うぜ」


 そう言いながら目にかぶるほど長く、黒を更に黒で染めたような髪を指先で引っ張った。


「そこをどういう経緯でかはコイツが吐かねェから分かんねェけど、まぁコイツも連中の顔知ってっからな。んで、俺を遠ざけた、と」


 つまらねェ真似しやがって、と幸村が睨むと、勇士君は表情を軟体生物のように緩めながら頭部に手を回す。雫が口を開いたことで少し場の緊張感が解けたのかもしれない。もしくは、笑える余裕を少しは見せることによって勇士君本人が解かそうとしてるのか。

 案外、そのふにゃふにゃな表情はどういう顔をすれば幸村を宥められるか分からないという意味だったりして。


 それがなくても人の緊張感ってそこまで長続きするものじゃないし、案外潮時なのかもしれない。


「それで、勇士君。アナタは幸村のために喧嘩をしてるってことなんだろうけど、毎日怪我してるってことは勝てないってことかしら?」


 ぐ、と勇士君が言い淀む。


「勇士君、マゾいわねぇ」


 なんか前も似たようなことを言ったような。


「違いますよ!」


 前はどういう返答をされたのか思い出せないので、私は首を傾げ続ける。

 それを疑惑だと判断したらしい勇士君が念入りに訂正し始めたけど、まぁそこら辺の真偽は置いといて。


「それに、これが幸村個人の問題なら本来勝手に口出ししてる勇士君に拒否権はないはずよ。アナタがどんなに頑張っても個人の問題を解決できるのは当人だけだもの」

「そうだ、諦めろ」

「……」


 口で説き伏せる努力をする気はないらしい。

 喧嘩ってやっぱり肉体言語だし、幸村って実はそういう男なのかも。


 口を挟んといてあれだけど、氷上君はそれで陥落した。

 どういう心の変化があったのか。

 彼もなんだかんだでやっぱ肉体言語が好きなのか。

 それとも自分の限界をとっくに感じていたのか。


 とりあえず。

 幸村と勇士君が口を揃えたのは、女子たちは何かあった場合は知らないで通せという旨だけだった。




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