風岡さん、気を利かせる。
◇
4月に新学期が始まり、中旬から授業が本格的に開始する。
そこから丸々1ヶ月以上授業を重ね、6月上旬から中旬にかけて今学期というか学年初めての中間試験。約2ヶ月分日数があるとは言え、初歩の初歩を学ぶことが多いため難易度は高くはない。ただし量がいささか多い。質より量というべきか。そんな中間試験を終えた6月中旬から下旬を経て、7月上旬に期末試験が待つ。こちらは授業期間が少ないのでテスト範囲は多くない。
多くないからといって、簡単だとは限らない。
「……こんなとこやった記憶ないんだけど」
「寝てたんじゃねーの?」
「失礼ね」
偶に字が歪んでいるような気はするけど、ノートはしっかり全部とってるわよ。
私は日本語というか聞き慣れない名詞をオレンジ色のペンでつらつらと書き並べられたノートに目を通す。私のノートだし、間違いなく書いたのは私だ。事実私の字だ。だが、これを書いた記憶がない。
「誰かに操られてたとか……!?」
「出た妄想癖」
私の一人芝居が目に余るのか、数学にいまいちやる気が出ないのか、珍しく幸村の言葉数が多い。私の適当な呟きにも反応してくれるので、私の口がどんどん緩くなっていく。
「失礼ね、そんな癖持ち合わせてないわよ」
「どうだか」
幸村は広げた数学の教科書に目を落としながらそう答えた。
ぺらぺらと何度もページを捲る。遡ったり、進んだり。
私はちらりと幸村のルーズリーフを覗いた。端っこの方にページ数が書かれていて、それと同じ行に数式が書かれている。書かれているのは問題だけで、『=』の先に数式はない。
「教科書貸して」
私が手を差し出すと幸村は瞬時に眉間に皺を寄せた。
そんな慣れた様に皺を寄せられても。
「飽き性かよ、自分のやれ」
「飽き性よ、だから自分のは後回し。というかそっちのほうが楽しそう」
幸村は眉間に皺を寄せたまま、しっしっと虫を払うように手を振る。
人に干渉されることが好きじゃないのか。そりゃ、邪魔されて喜ぶ人はごくごく少数だろうけれど。それにしたって拒みすぎじゃない?
そんな自分理論を更に展開させていく。
「この前ちょっと手伝ってくれた借り、返してあげるわよ」
頬杖を左手で付き、右手でシャーペンを握っているため教科書を奪い取っても幸村はすぐに奪い返そうとはしなかった 。ただ呆れたような力の抜けた目で私をじとりと見てくる。別に落書きしようってわけじゃないんだからそんな怖い顔しなくてもいいじゃない。私に何の恨みがあるっていうのよ。
「はい、ここが使うべき公式がのってるページ。使い方は分かるかしら?」
幸村の前に音を立てないように丁寧に教科書を置く。
幸村は何も言わずに、ぶすっとした顔でそのページを見た。
眉間にしわを寄せて、そのページを凝視する。
相手に喧嘩でも売るかのように、睨みつける。
普段から愛想のない奴だけど、今の顔は凶悪に近い。
「教えましょうか?」
声をかけると、幸村はぱたりと教科書を閉じる。この天邪鬼め。
「いいのかしら、優等生。そんなんじゃいい点取れないわよー?」
棘を飛ばすあたしを無視して幸村は広げていた勉強道具を片付け始める。
それを鞄にしまっていつも通り本を取り出すのかと思いきや、代わりに取り出したのは別の教科書。数学ではなく英語の問題集。
ちらりと見えた鞄の中には隙間らしい隙間が見当たらない。
教科書やノートが詰め込まれ、その隙間に筆箱類が押し込まれている。
「……真面目ねぇ」
あたしの鞄には好物の物理と気分転換の数学しか入ってないっていうのに。
文系は気が乗らないからテスト前日になるまで持ち帰っても結局開かないし。
「……」
さっきのルーズリーフとは別の紙に問題を解き始める幸村。
全然進まないあたしとは違って、幸村のルーズリーフに文字が埋まっていく。見てる私がいうのも変だけど、よく監視同然の目があって集中できるわね。
幸村の字は汚くはないけれど、走り書きをしたみたいな雑さが残っている。一画一画丁寧に書く性分じゃないんだろう。横文字である英語を見るとそれが尚わかる。ところどころ繋がってる。まぁ、英字ってそういうものだろうけど。
「ねぇ、幸村」
ハァ、とため息。
「また貸してくれない? ノート」
前回、彼のノートに助けられている。
今回もそれがあれば、赤点はきっと逃れられる。
でもこれじゃ、どっちが『不真面目』か分からない。
不良をしていたらしい幸村の方がよっぽど真面目じゃないの? 全教科で平均以上は点数取ろうとしてるんだし。というか、多分事実取ってるんだろうし。
ほんと、なんで不良なんてしてたんだろう。
まぁ、そんな話はさておき。
どうせ聞いても答えてくれないし。
「お願い」ともう一度頼むと、幸村はくるりとペンを回した。
それから指の間に挟んで先端を上下に振りながら、頬杖をつく。
幸村が頬杖をついているときに顔が穏やかなことはあまりない。
今回の頬杖もまた目を少し伏せ気味にしていた。睨むのとはまた違う不機嫌極まりないその顔も少し見慣れてきて、それがデフォルトな気がしてきた。
もともと笑うようなやつじゃないのが悪いと私の日頃の行いは棚に上げておこう。
「ダメ?」
「貸せって、いつ?」
「テスト後はいやかも」
「貸さねぇぞ」
凄まれた。
ユーモアのかける返事ね、なんて言ったら本当に貸してもらえなくなるので言わないけど。
「でもテスト当日以外なら本当にいつでもいいわ。幸村の勉強の支障にならない日で」
「……」
幸村は少し難しい顔をしながら鞄から今話していたノートを取り出す。
一体何教科持って帰るつもりなのかしら。
そのノートを私の前に差し出して、「明日返せ」と一言。
「でも、勉強するつもりだから鞄に入れてたんじゃないの?」
「明日3限が日本史だから、それまでに返せるっていうなら別に」
そう言って、ノートから手を離した。
世話焼きのところあるのよね、この男。
ぺらぺらとノートをめくってみると、前見た時と同じように分かりやすくまとめられていた。
私の日本史のノートはとてもじゃないけど人にお見せできるようなものではない。書くことはちゃんと書いてあるのよ? そうじゃなくて。私自身どこになにが書いてあるのか分からないから、本当に書いてあるだけでしかない。
じゃあ他の科目なら丁寧にとってるのかっていうと……うーん、ってところ。だって、例えば数式を解くとしてもそれに色ペンなんて使わないし、正直数式って綺麗に書いたってメモ書きみたいなところがある。あれって丁寧に書くものじゃなくて、速く解くためのものだから。
そう考えると、私のノートって、もしかして幸村に女子力で負けてるのでは?
いや、なにも幸村が4色ボールペンを使いこなしてカラフルなノートをとってるってことはないけど。せいぜい色は赤とオレンジぐらいだけど。
ノートの取り方で人の何がわかるのかってところはあるけど、でも性格はよく出る。
なんでこんな几帳面が中学時代は不真面目をやっていたのか。
むしろ、よくやれていたなぁ、なんて変な関心を抱いてしまった。
◇
「およ? 風岡じゃん。何用かね?」
翌日。1限の休み時間に2年4組に足を運んだら、入り口でそんな声のかけ方をされた。
「ちょいと人呼んで欲しいんだけど、構わんかしら?」
そう返すと、彼女は顔を上げながら大きく笑った。彼女とは去年同じクラスになっているからこれが初対面ではない。
「ノリいいねぇ、いいよ、呼んであげる。誰?」
「幸村薫をお願い」
幸村? と彼女はきょとんと首をかしげる。
なんの関わりがあるの? という疑問だろう。まぁ、私とあいつが同じ部活って知ってる人が何人いるかなんて指で数えるぐらいしかいないだろう。
その子は理由を聞かずに「ちょっと待っててねー」と窓際の方まで小走りで向かっていった。数人の男子がそこに集まっている。
確か、前も窓際で談義してなかったっけ?
彼女が声をかけると、気の良さそうな笑みを浮かべながら幸村は応答した。
声は聞こえないけど、呼ばれてるよという旨を彼女から聞くと幸村がこちらを向いたので、私は後ろに隠し持っていたノートを胸の前で掲げる。
奴は彼女に片手を上げて多分お礼の言葉を述べてから、私の方まで歩いてきた。
この男、クラスの男子とは何を話すんだろう。
勇士君といるときは無理やり昔話をさせられてるけど、でもクラス内であまりその時の話はしないだろう。じゃあ何を?
例えば昨日見たテレビとか? 呼んだ漫画とか? 今一押しのアイドルのこととか?
そういう話をなんで私とはしてくれないんだか。
その気持ちが先走って、目の前まで来た幸村の頭をつい軽く叩いてしまった。
音も出ない程度だったけど、もちろん叩かれて喜ぶような相手ではない。
「……」
でも雑な物言いをここでは出来ないから、幸村はただ恨めしそうに睨むだけだった。その顔だってあんまり出していい表情じゃないんじゃないの?
「……礼は言われても叩かれる筋合いなくね?」
「あら。幸村センパイ、地が出てるわよ」
「少しぐらい砕くのは普通だと思うけどね」
そう言いながらにこりと優等生スマイルを貼り付ける。私にはそれがもはや黒い笑みに見えて睨む顔より凶悪に見える。すごく腹黒い悪巧みしてててもおかしくない顔だもの、この男がすると。
「その喋り方窮屈じゃないの?」
幸村はちらりと後ろや前を確認してから、顔の力を抜く。つまりは部活時の少し気だるそうな表情だ。
「まぁ。口が悪いのは素だしな」
幸村は心なしか声を少し小さくする。
「じゃあそこまで猫被らなくてもいいんじゃないの?」
「どこからボロが出るか分かんねーだろ」
「……今出まくってますけど?」
「お前の場合は今更だろうが」
まぁ、確かに。今更すぎるわね。いくつ暴言を吐かれたことか。
窮屈なら辞めればいいのに。そうは思ったけど、でももう2年だ。
いきなり口調ががらりと変わったら遅めの中二病にでもなったのかと周りから白い目で見られかねない。露骨に悪くなるんだから、むしろ今から戻したら浮くだろう。
でもそれは見せかけ優等生を始めた幸村の自業自得だし、卒業まで頑張ってもらうしかない。
「あぁ、そうだ。テスト一週間前、部活動すんの?」
少し言葉を丸くしたことには触れず、私は「そうねぇ」と顎に手を添える。
「開けるって言ったら、幸村は来る?」
今度は幸村が顎を手で撫でた。
「多分?」
「じゃあ開けてあげるわ」
「なんか上からじゃない?」
だって、窮屈だって言うから。
……まさか私に当たりが少し激しいのって鬱憤晴らしてるんじゃないでしょうね?
ま、それでもいいけど。変な気を使われて壁作られるぐらいなら、少し荒削りでも本性の方が私は好きだし。気が置けないって言われてるみたいで、気分いいし。
「仕方ないから息抜き相手になってあげるわ」
なんて言ってみたら「帰れ」と取り繕わずに言われた。
まったく。
口もだけどノリも悪いのよね、この男は。
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