風岡さん、拗ねる。


 ◇


「勇士君、何その顔。猫にでも引っかかれたの?」


 放課後。雫と一緒にいつもの如く部室にやってきた勇士君の頬に大きめの絆創膏が貼られていた。それと口元にも一枚。


「聞いて下さいよ、緋咲さん!」


 バン! と勇士君が軽く机を叩く。

 頬杖をついていた目の前の幸村がチ、と舌を鳴らした気がした。


「俺、チャリ使ってるんですけど。今朝めっちゃ猛スピードのチャリとすれ違ったらバランス崩しちゃって! そのまま近くにあった塀ブロックに顔面擦ったんすよ!」


 超痛かったっすよ! とまた机を叩く。

 幸村がなにやら被害状況を顔で訴えているけど、今の勇士君には届きそうにない。


「勇士君、もしかしてドジっ子?」

「今の話のどこからドジっ子って話になるんすか!」


 どこって。猛スピードでつっこんでくる対向車というか自転車を無難によけれなかったところかしら。だってそんな明らかに危ないのが正面から来てたら、最悪止まってでもよけない?

 まぁ、勇士君の性格なら最悪挑みそうだし挑発とかすぐ乗りそうだけど。


「そういえば、今日二年生で体育があったのってどのクラスですか?」


 席についてなにやらノートを広げていた雫が話に加わる。古典の教科書も開いているし、本文を写してるのかも。


 この子は最近掃除してすぐ帰るのではなく、来た日はゆっくりしてから帰るようになった。やっぱり先輩二人がいる部室に長居はしたくなかったのかもしれない。活動らしいことはしてないけど、後輩とこうやって話す機会があるのは純粋に嬉しい。目の前のもう一人の先輩はそんなことよりも本しか眼中になさそうだけど。なんて薄情な奴かしら。


「私のとこと幸村のとこよ」

「えっ。じゃあ、今日保健室に運ばれたのって」

「私のクラスの人。そういえば私もよく知らないのよね、頭でも床に打ったの?」

「センパイ、まさか肘鉄でもしたんじゃ……!」


 ハッ! と態とらしく息を呑んだ勇士君の頭部に、幸村が手にしていた本が垂直に振り下ろされる。とてもスムーズな動きでただのチョップかと思ったが、部室に響いた固い音が明らかに人体同士の接触音ではなかった。


「痛いッ……」と氷上君が頭を抱えてその場に蹲る。


「テメェの鳩尾に喰らわせてやろうか」

「もう……別のを喰らって腹一杯なんで……いいっす」

「あっそ」


 成敗し終えた幸村は再び本を開き読書に戻る。

 まだ痛そうに蹲る勇士君に「氷貰ってくる?」と雫は眉を下げながら尋ねる。


「いや……だいじょぶ」


 そんなか細い声で言われても痩せ我慢なのはばればれ。

 雫は少し腰を浮かせて、少し考えてからまた腰を下ろした。そしてシャーペンを握り直しまたノートに向き合う。偶にちらちらと勇士君の様子を確認する。ほんと、心配性。

 私は彼女の代弁もかねて勇士君に声を掛ける。


「ほんとに大丈夫? 勇士君、女の子の前だからって意地張るほうがかっこわるいわよ?」

「いや、マジで大丈夫っす」

「まぁ、幸村の一撃で沈んだ時点で若干かっこわるいけど」

「はうっ!? 頭よりメンタルケアを……!」


 今度はグッと心臓を抑えたまま蹲る。

 陽気というか、ノリがいいというか、底抜けに愉快な人だと思う。

 どこかの幸村とは大違い。


「で、どうなの? 幸村」


 声を掛けると、うんざり気味に「何が」と声だけ返ってくる。視線も返しなさいよ。


「接触事故?」

「知るかよ」

「なんでよ、見てたんでしょ?」


 何も答えずに、幸村はページをめくる。

 これは、見てなかったと決めつけても問題なさそうだ。

 あの騒動が起きたとき、男子側のコートにいたのが全員ウチのクラスだって言うのは知ってる。コートに入っていない生徒は、応援というか観戦することになっている。


 最近うすうす気づき初めてきたけど、この嘘つき優等生、手を抜けるときはとことん抜いてる。やるときはちゃんとやって、やらなくてもいいことはやらない。このメリハリつけれる感じとか切り替えが上手いところとか、要領がいいところとか、なんか本当に優等生っぽくて腹立つ。


「観戦しないで寝てたりしてたわけ?」

「あんな騒がしいところで寝れるか」

「へぇ、幸村って意外とデリケートなのね。どこでも寝れるのかと思ってたわ」

「神経図太いお前と一緒にすんな」


 いつ私が神経図太いことしたのよ。

 ……まさか、へこたれずに幸村に話しかけてたことをそう評価してるんじゃないでしょうね? やめてよ。せめてお喋りでちょっと煩いっていう評価にして。無神経みたいじゃない。


「でも、私、意外とどこでも寝れるのよねぇ」

「電車の中とかは?」


 勇士君がその場に座ったまま、顎を机の上にのせる。両手はその脇に添えるようにちょこんと置かれている。


「実は立ったまま寝れるのよ。だからいつでもどこでも寝れるの」

「……緋咲さん、間違っても満員電車の中で寝たりはしないで下さいよ?」

「なんでよ」

「そんな無防備晒してたら触られますよ!?」

「勇士君の変態。そういう目で女の人見てるわけ? すけべ」

「心配して言ってるんですが!?」


 ねぇセンパイ? と勇士君に同意を求められた幸村は「はぁ?」と鼻筋に皺を寄せながら勇士君に目を遣る。私と話すときは顔上げないくせに。

 というか、さっきみたいに「何が」っていう反応じゃないって事は話は聞いてたってことかしら。


「はぁ? って何よ。私に魅力が無いって言いたいの?」


 幸村は「は?」とさっきより低い声で私に目を向けた。暗に魅力があるかよと言いたいようだ。というか、そんなトゲトゲした視線はいらないわ。

 まぁまぁ、と勇士君が間に入る。


「緋咲さんは魅力的っすよ。だーから気をつけてって話してるんじゃないですか、ねぇ? センパイ?」

「あのなぁ、こういう要領のいい女はそういうの躱すのもでっち上げるのも上手ェから、テメェは自分のアタマの心配でもしてろ」

「もう手遅れっすよ」

「誰がテメェの成績なんざ気にするか。中身じゃねーよ、外の話」

「やったの誰だと思ってんですかぁ!」

「あ? やらせたのどこのどいつだよ」

「ここの俺です」


 すいませんでした、とビジネスマンのようなきっちりとしたお辞儀をする勇士君だが、幸村の視線は既に本に戻っている。

 私は足を伸ばして幸村の足を爪先で蹴飛ばしてやった。

「何」と苛立ち気味に幸村が顔を上げる。


「べっつにぃ」と私はむすっとしながら答える。

「意味も無ェのに蹴っ飛ばしてきたのか。足癖悪いな」


 私はまた幸村の足を蹴飛ばす。

 今度は声に出して反応はせず、首を捻るだけだった。


 何よ、さっきの褒めたようで全く褒めてない私の評価。

 そりゃこの男が普通に心配することは期待してないし、むしろそんなこと言い出した日には私の目が飛び出してしまいそうだからやめてほしいけれど、だからってこの仕打ちは……まったく、失礼しちゃう。

 幸村の知り合いと重ねられたのか、幸村の中の一般論なのか知らないけど、私はそんな女じゃないんですが。私を見なさいよ、私を。

 しかもさらっと流したし。一言で片付けるんじゃないわよ。勇士君との話の方が多いんじゃないの?

 私ともそれぐらい話しなさいよ。


 つんつんつんつんつん、と爪先で幸村の上履きを突く。


 ハァ、と盛大にため息をついた幸村が本を伏せるようにして置き、「何?」と少し声を大きくしながら身を乗り出す。

 その顔を態とたっぷりと意味ありげに見つめ返してから「別にぃ」と顔を逸らす。


「おい氷上。このめんどくせぇ女の相手してやれ」

「え? あ、うっす。緋咲さんが俺でよければ」

「こういうお喋りは話を聞いてやらねェとすぐ拗ねる」


 がつん、と幸村の足を蹴飛ばす。

 だから、あんたの中にいるその比較対象誰なのよ。というかそう思うのならあんたが相手しなさいよ。私が毎日声かけてるの分かってるくせして代用たてるんじゃないわよ。私はアンタをご所望なの。

 いい加減分かりなさいよ。そんでもって少しは折れなさいよ。


「いいわよ、勇士君は雫みたいに古典やってて。私、幸村とにらめっこするから」


 きっ、と幸村を睨む。私の唐突な発言に理解が追いつかないのか、幸村は少し目を見開く。そういう何気ない普通の表情をもっと私にもみせろって言ってるのに。口にはしてないから言ってはないけど。

 同じ部活なのに他人行儀の仲とかはつまらないから嫌。同じ部活の人とは分け隔て無く接するって決めてるし。その方が楽しいって中学の頃知ったんだもの。青春してる! みたいな感じはなくても身内でわいわい盛り上がりたいじゃない。


 それに。

 いつかは正面陣取ってても一切顔上げられなかったけど、今度はリベンジしてやるんだから。


 私は少し身を乗り出して、両方の手で顎を支えながら幸村の顔をじっと見つめる。

 幸村のピアスの跡がいつもよりくっきりと目に入る。


 心外だけど幸村の言葉を借りるときっと私のこれは『奇行』なんだろう。それを繰り返されて少し苛立っていた幸村は本を本格的に閉じ、私の挑発に乗った。

 三白眼で私を見ながら頬杖をつく。頬杖はこの男の基本スタイルだ。


「更年期か何か? 情緒どこに捨ててきたんだよ」

「失礼ね。私の情緒はちゃんとハウスしてるわよ」

「じゃあなんだ。怒ってんのか?」

「あら、怒ってるように見える?」

「分かんねェから聞いてんの」

「じゃあ、怒ってるって言ったら何してくれる?」

「距離おく」

「バカ。機嫌を伺いなさいよ」

「それ火に油だろ」

「なんで」

「『なんで』? よく分かんねぇけど、俺が怒らしたんだろ? 俺が原因でキレてる相手に俺が話しかけるとか更にキレさせるだけだろ」

「本人がいいって言ってるんだからいいのよ」

「お前、こんなめんどくさい奴だっけ?」

「幸村が知らないだけで実はそうなのかもしれないわよ?」


 へー、と幸村が平坦に頷く。

 そうやって少しずつ私に興味持てばいいのに。


「ちなみに、幸村の中で私のイメージってなに?」


 幸村は頬杖にしていた手を顎の下に移動させて、視線を少し上に飛ばす。

 しばらくそうやって視線を彷徨わせたかと思うと、元の位置に戻ってきた。

 私の顔を見ながら、悪びれもなく淡々といつもの調子で言う。


「でしゃばり」

「失礼ね。そこはお世辞でも可愛いって言いなさいよ」


 ハッ、と幸村は小さく鼻で笑う。


「誰が言うか」


 あらら。

 それはとても残念ね。

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