春川くん、勝ち誇る。


 ◇


 数学の時間の席は自由だ。

 だが、自由とは言いつつも何度か回を重ねれば不思議と指定席になってしまう。

「この席は前に人が居たから座らないでおこう」みたいな風潮はどこにでもある。


 他でもないここにもある。


 結局、いつもと同じ席に座る。

 空いている席がないこともないが、あと空いているのは一番前の列全部と、真ん中らへんだ。別にそこに座っても良いのだけれど、なるべく人の傍に居たくない僕からすれば中央はあまり好ましくない。中央だけが空いているだけで、その近くには人が居るのだ。友達と座っているので正直煩そう。

 あとは最前列。

 問題は別にないのだけれど、たまに内職をする身としては好ましくない。


 結局、窓際の一番後ろだ。


「ねねねね、教科書みして!」


 そんでもって、隣は『彼女』だ。

 初対面時のあの愛想のない表情がウソみたいに、彼女はあっという間に噂通りの姿に早変わり。

 遅刻常習犯で忘れ物常習犯。


「また忘れたの?」


 何よりもたちが悪いのは無視が通用しないことだ。


「うん」

「学習能力ないね」

「というか、なくしたのかも」

「そんな汚い鞄じゃなくなりもするでしょ」


 彼女は何故か移動教室の時も鞄ごと移動する。自分で鞄の中に何が入ってるのか把握できてないくせに、それ意味あるの? ほんと理解できないことばかりだ。


「汚い? そう?」

「鞄が可哀想だよ」


 僕がそう言うと、彼女は自分の鞄をぎゅっと抱きしめて「ごめんね」と謝る。本当にそう思うのなら整頓してあげなよ。

 まぁ、彼女にそんな生活能力があるとは思わないけどさ。


「もしかしてこんなかに数学の教科書あるかも!」


 そう言って、彼女は鞄の中身をひっくり返す。

 ドササササ!

 ……今授業開始1,2分前なんだけど。しかも僕の横でやんないでくれる?


 彼女の鞄の中から出てきたのは教科書が数冊と、ぐしゃぐしゃになって数えられないプリントが数枚と、お菓子のごみが山のように。


 チャイムが鳴り、入ってきた担当の先生が、床にぺたんと座り鞄の中身を整頓し始めた彼女を見て眉間に手を当てた。


「あまみず、お前なにしてんだ?」

「あ、せんせ。お気になさらずー」

「気にはするけど、とりあえず早く片せよ?」


 彼女は「はぁい」と手を上げて、散乱したものをまた鞄に入れていく。

 それ整頓じゃなくない? そのまま入れるんだったら出した意味なくない?

 まぁそんなこと言ってあげないけどさ。


 彼女の周りが落ち着いたのは、授業が始まってから10分ほど経ったあとだった。

 鞄を机の横にかけると、彼女は迷いなく自分の机を僕の机にひっつける。

 教科書を見せなければいけないのも嫌だけれど、まず右側に人が居ることが嫌だと最近気付いた。僕は右利きだ。右側の肘を曲げると、そこには彼女が居る。当然ぶつかる可能性があるわけだ。彼女にぶつかってしまうと字が書けない。歪んだ字でノートをとるのなんて論外だし。

 小さな事かもしれないけど、意外とこのイライラは募りに募る。まぁ、こんなことで怒り散らすほど僕は子供じゃないけどさ。


 先生はずっと問題を解いてばかりじゃ集中力が続かないだろう? ということで、いつも2,3分雑談をする。

 その時間に彼女が「ねぇねぇ」と僕の肘をつついた。


 先生の雑談を聞いてないのは事実だけど、だからといってその時間を彼女の話にあてたいわけでもない。話したいのならその2人で話せば良いのに。


「春川君って下の名前なんて読むの?」

「僕、名字教えたっけ?」

「ううん。上履きに書いてあるの読んだだけ」

「あっそ。漢字出来なさそうなのに読めるんだ。意外だね」

「凄いでしょ? あ、でねでね? 下の名前なんて読むの?」


 僕の下の名前――虹輝。


「嘘つくのは良くないよ。漢字読めないじゃん」


僕がそう言うと、彼女はむっと口を尖らせる。


「じゃあ勝負! この漢字を『正しく』よんでみよ! そしたら春川君の方が上だって認めてあげる!」


 小学生の喧嘩みたいな常套句使うなよ。みっともない。

「よしのった」とも「みしてみろ」とも言ってないのに彼女は僕のノートの隅に何かを書き出した。


「……」

「どうよ!」


 彼女が胸を張る。得意げなその顔はまんま小学生だし、もはやガキ大将だ。木登りしてそうだよ。やっぱり女子じゃない。


「読めないよ」


 彼女が勝ち誇った顔をする。

 僕は間髪入れずに言葉を繋げる。


「君の字は下手くそすぎて読めたもんじゃないからね。これ以上綺麗に書けないだろうけどさ」

「書けるもん!」


 頬を膨らませた彼女が先ほどと同じだと思われる字をその下に書いた。

 硬筆のように一画一画置くように。筆圧が濃いせいか、バキバキとシャー芯が折れる。そんなシャー芯も可哀想だけど、それを書かれてる僕のノートが悲惨だ。自分のに書いてよ。これじゃ消しても残るじゃん。


「どうだ!」


 彼女が再び胸を張る。ところでリボンもなくしたわけ? 君の家どうなってんの?

 それはともかく。

 書かれた字はこう。


 雨水。


「……、」


 で、この字をなんだって? 『正しく』よんでみてだっけ?

 よんでみて――呼んでみて? それとも読んでみて? まぁどうでもいいか。


 僕は少し考える。

 どちらも小学生で習う漢字だ。それをこんな時に持ち出してくるって事は、普通の読み方じゃないはず。


「――うすい、でしょ」


 そう言った後の彼女の顔を見て僕は勝利を確信した。


「なんで分かったの!? この学校でその読み方出来る人あんまり居ないのにぃぃ!」


 そういえば先生も『あまみず』って読んでた気がする。

 というか訂正を入れないのは奇妙な話でしょ。気に入ってるのかその誤読。

 

 僕の場合は僕の母さんの知り合いに同じ名字の人が居るから知ってただけなんだけど、わざわざそんなことを言う必要はない。


「で、読めたらなんだっけ?」


 彼女はふいっと余所を向いた。

 自分から言い出しといてなかったことにするって、やっぱり小学生だ。精神年齢が低い。


 だが、このときの彼女の勝利条件が実は一つある。

 彼女の下の名前を僕に読ませることだ。まぁ、その時は僕の下の名前が読めたらね? と刃向かうけれど、でも僕の名前はさほど難しくないと思う。


 彼女の下の名前。

 雛希。


 友達の多い彼女は、大体「あまみず」か「ひな」と呼ばれている。

 その名前だけ一人歩きしていて、意外とフルネームは知られていない。

 名字に至っては全くの別物だし。


 また今回のことがあったら嫌だし、誰かに聞いておこうかな。

 ふくれっ面をしながら僕の教科書を読む彼女を見ながらそう思った。

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