永町さん、掃除する。
◇
「あ、いいんちょ、部活行く?」
帰りのHR後、鞄を肩にかけたところでそんな風に声をかけられた。
私と同じ部活の人はこのクラスにはいないはずなんだけどなぁ、と思いながらもその声に「行く」と答える。
「じゃ、一緒に行こうぜ」
ドアのところで待っていてくれた彼の傍まで行くと、そのまま肩を並べて歩き出した。
「氷上君、私よりマメに通ってない?」
「どーだろ。もしかしたらそうかもしんねェな。まぁ、行っても何もしてねーけどさ」
まぁ、そういう部活だもの。本当ならあの2人も毎日部室に行く必要はないんだろうけれど、なんでかあの2人は今のとこ皆勤だ。
「あ、でも委員長は掃除してるんだっけ? じゃあ手伝うわ」
「え? それは悪いからいいわよ」
◇
部室のドアを開けると、2人は相変わらずだった。
本を読んでいる幸村先輩に緋咲さんがひたすらちょっかいを出す。今日は何で困らせていたんだろう。
「幸村センパイ、ちわっす」
先輩は本から顔を上げて彼を見る。
「お前いつまで来るんだよ」
「いつまでだって来るわよ。楽しくて良いじゃない」
「なんでお前が答えんだよ」
緋咲さんが立ち上がり、氷上君の後ろに回ると彼の肩に手を乗せ、氷上君の横から顔を出すと彼を見上げる。
緋咲さんが美人だからなのか、氷上君の顔がだらしなくなってる気がするけれど、仕方ないような気がする。緋咲さんはそういう魔性があると思うから。
「緋咲さんの許可も出たんで、明日も来ます!」
びしっと敬礼する彼に、「来んな来んな」と虫でも追い払うかのように手を振る。
「えぇ? あ、じゃあセンパイ、肩でも揉みましょうか?」
「気持ち悪ィから触んな」
「まだ触ってませんけど!?」
「勇士君、勇士君。今中学の頃の話してたんだけど、幸村の話、何かない?」
「そりゃあもう! めっちゃくちゃありますよ!」
「だからお前中学違ェだろうが」
俺が1年の頃の話なんすけど――と話し始める氷上君に先輩の手が伸びる。
そのまま腕をとられ、背後に回される。技名は知らないけれどよく見るものだ。なんともスムーズで、思わず見とれてしまう。
「ぎゃぁああッ!! センパイ! 腕!」
「腕がどうした。ちゃんと生えてるぞ」
「折れる! ねじ曲がる! タコの足みたくなる!」
「なるかアホ」
「勇士君、ギブ? ギブ?」
「緋咲さん、煽んないでくださ――イッテェ!!」
氷上君の割れるほど悲痛な声が室内に響く。内情を知ってるからなんともないけれど、これ端から見たらなんて思われるんだろう。緋咲さんは楽しそうに勇士君の脇腹を突いてるし。それに、この声はきっと廊下まで聞こえてるだろうけど、先生が聞いていたりしないだろうか。
「あ、あぁ! そうでした! 俺、今日掃除の手伝いしに来たんすよ!」
幸村先輩が少し力を緩めると、氷上君は私の姿を見るなりそう叫んだ。
「お前が掃除? されるほうだろ」
「勇士君は散らかす方が得意でしょ?」
「センパイ達ひでぇ!」
「まぁチャレンジ権はあげるけど、雫さんの仕事増やしたりはしないでよ?」
「任せてくださいよ! 俺、こう見えて掃除の鬼っすから」
「鬼ねぇ。桃太郎の出番はなさそう」
くすりと笑う緋咲さんのその一言を背に、氷上君が袖を捲る。尤も、今夏服で半袖を着ているので捲れる袖の面積なんて限られてるんだけれど。
氷上君は脇差し、基、箒を掃除用具入れから取り出した。ここは他の教室と違ってそこまで設備が恵まれていないので少々年季の入った箒だ。それを見た途端彼は一瞬棒立ちになっていたけれど、気を取り直してその箒を手に取る。
先ほどまで氷上君で遊んでいた2人は観戦に入るらしく、いつもの指定席に座った。
「別に手伝ってくれなくてもいいのよ? これは私が好きでやってることだし」
「よせやい委員長。男が一度やるって言ったんだからやるんだよ」
「何よその話し方……」
調子良いとこあるのよね、彼。
「まぁいいわ。女に二言もありません。厳しくいくわよ」
「バッチ来いや!」
「じゃあまず掃きます――の前に、窓を開けます」
箒を構えていた彼の肩ががくんと下がった。仕方ないじゃない。埃っぽくなったら嫌だもの。ただでさえ先輩達がいるのに。
「よっしゃあ! 窓全開じゃあ!」
スッパーン!と彼が片方の窓を力一杯横にスライドさせる。その勢いで少し跳ね返ってきた窓を今度はしずしずと向こうに押し返す。
そうなるって分かってたでしょうに……。
私は片方の窓を限界まで開けた彼の横に立ち、両方の窓を掴んで中央に寄せた。
「なんでメンドクセー開け方すんだよ」
「危険がないからよ。先生方もこうやって開けてるわ」
「真面目かよ!」
「事実、貴方たちがキャッチボールしてた雑巾が外にダイブしたことがあったでしょう?」
「あんなもん、窓空いてたらどう空いてたって飛ぶもんは飛ぶんだよ!」
「飛ばさない努力をして、っていうか、雑巾は投げるものじゃありません!」
あのとき、下の花壇でお花を見てた家庭科を受け持っている年配の女先生の悲しげな顔がどうしても忘れられない。
そりゃそうよ……きっと、あの先生のことだから生徒達の賑やかな声も楽しんでいたに違いないの。いつも放課後に家庭科部の部室から帰宅する生徒達の様子をにこにこと見てる人だもの。好きな生徒達の声を聞きながら、好きな花を見ていたら上空から雑巾が降ってくるなんて……慎ましく言って悲劇。
「いいんちょ、もしかしてまだあのときのこと怒ってんのか? 悪かったって!」
「……本当に悪いと思ってるなら、雑巾をボールに見立てて箒でバッティングする貴方たちの流行の遊び方やめてくれる? 振り回すと危ないし、箒も折れかねないし、言わなくても分かってるだろうけど箒の使い方間違ってるし。掃除の時間が長引いて困る人もいるのよ?」
「困ってるヤツ? 誰それ?」
きょとんと首を傾げた彼の耳を引っ張る。
「鍵当番の人よ!」
「イテェ!――だからさぁ、最後のヤツが鍵しめることにしようぜ、って俺言ったじゃん? なのにさぁ!」
「あれは、貴方が鍵しめたときの有様のせいでしょう!? 窓全開で、後ろのドアも開いていて、結局教頭先生が閉めてくれんじゃない!」
「それは悪かったって! 俺こう見えて反省してんだぜ?」
「……、」
「……なんだよその目。信用できねぇってか?」
「だって……信用できるようななにかをしてくれたことあった?」
「……、」
「……、」
私達はそのまま静かに相手の目をじっと見据える。
ここで意見を曲げた方が負け、そんなルールを定めたことは1回だってないけれどそんな気がした。
そのままいがみ合っていると、くつくつと笑い声が聞こえてきた。
「氷上、『格下』に手ェあげたら、そこの窓から突き落とすからな?」
幸村先輩が悪い顔でそう口を挟む。初めて見るような、不敵にも見えるニタリとした、でもからかうような笑み。
名指しされた彼は、ぎょっと肩を竦めた。
「しないっすよ! センパイの前でそんなことしたらマジ自殺行為じゃないっすか!」
頬杖をついたまま忍び笑いを続ける先輩を前に、氷上君は掃除機を怖がる猫のように逃げ出した。
そしてしゃっしゃっと掃き掃除を始める。
「悪い顔してるわねぇ。あ、その顔写真に撮ってあげようか?」
「お前も暇なら掃除したら?」
「『格下』ってどういうこと? 『弱い相手』ってこと? へぇ。いいこと聞いちゃったぁ」
「誰もお前が適用されるとは言ってねーからな」
「なんでよ、よく見て? あたしのこと。どこからどう見てもか弱くて可愛い女の子じゃない」
「鏡みてこい」
「毒林檎食べさせるわよ」
……そういえば、今日の幸村先輩は本は出しているけれど読んでいる姿は見ていない気がする。いつもしている読書を差し置くほど楽しいことがあったのかしら。
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