風岡さん、手を伸ばす。


 ◇



「ねぇ、幸村」


 前は無視されたのだけれど、最近は「なに」と無愛想に答えてくれる。その時、大体は観念したかのようなため息を小さくつく。失礼ね。


「好きな食べ物はなんですか?」


 手をマイクのようにして幸村の前に出すと、すごく可哀想な目を向けられた。心外。


「何よその目」

「やることねェなら帰れよ。どうせすることねェし」

「私はあるわよ。アンタとお話したいの」


 すごく哀れむ目を向けられた。もしかして友達いないと思ってる? 失礼ね。いるわよ。


「で、好きな食べ物」

「ねーよ」

「それはもったいないわ。世の中美味しいものだらけよ?」

「へー例えば?」


 ぺらり、と幸村はページをめくる。


「そうね。シンプルって言われるかもだけど、うどんは意外と侮れないのよ。お家で手軽に作れるし、お店のものはそれと比べものにならないぐらいに美味! まぁ、あたしが大好きなのはパスタかなぁ。トマトソースも美味しいし、クリーミーなのも美味しいじゃない。 あとたこ焼きとかも好きよ。不思議よね。上に何かけるかで違う楽しみ方が出来るのよ? あとは、そうね、女の子はやっぱ甘いものが好き。ケーキとか、アイスとか。そりゃ体重気にしなきゃいけないのはちょっと大変だけど、でも制限がある中で何を食べるのかって決める時間は楽しくない? あ、でもデザート系クレープじゃないのもおいしいのよね。ツナとかシンプルなんだけど、そういうのって美味しいのよ。私はせっかくなら甘いものにするけどね。あ、シンプルと言えばハムチーズってすごいわよね。だってハムとチーズを重ねただけなのよ? あれ。それをパンで挟んで食べるの。これも好き。でもちょっと手抜きっぽいところがあるから偶にしかやらないけど。そういえば、世間では朝食はパン派なのかご飯派なのかって論争があるらしいわね。幸村はどっち? 私は……そうねぇ、洋食も和食もどっちも捨てがたいけれど。でも寝坊しちゃったときのことを考えると、手で食べられるパンの方がいいのかもね」

「あっそ」


 まぁそんな風に返されるだろうなとは思ったわよ。今、態と長めに話してみたんだけど、一体何割聞いてくれたんだか。

 でも聞いてもらうことが目的じゃないのでよし。もちろん聞いてもらえた方が嬉しいけどね?


「で、幸村は?」

「……」


 まだ続けるのかと目で訴えられた。当たり前でしょうが。教えてくれないと今日は帰さないわよ――というのが通じたのかは知らないが、「その中じゃ米」と投げやりだが答えてくれた。


「幸村、辛いの好きそう。甘党? それとも辛党?」

「お前脈絡って言葉辞書で引け」


 話の繋がりって意味でしょ?知ってるわよ。


「でも、意外と菓子パンとかも食べてそう。メロンパンとかお好き?」


 幸村は首を捻った。多分懲りない奴だなって呆れたんだと思う。


「じゃ嫌いな食べ物何よ。ピーマンでしょ」

「それお前じゃねェの?」

「うーん、好きじゃないけど嫌いじゃないわよ。食べられはするもの」

「あっそ」

「で、幸村は?」

「特になし」

「絶対ウソ」


 幸村が聖人君子じゃないって分かった以上、完璧人間であるはずがない。絶対に欠点として食べれないものがある、はず。


 ぺらり、と幸村がまたページをめくる。


 この朴念仁。少しは顔を上げてくれても良くない?

 ここで返事してくれるだけ優しいとか思ったら、多分幸村の思うつぼだ。


 私は頬杖をついたまま正面の同級生を見る。見方によっては冷たく映る三白眼がひたすら文字を追っている。本を右手で支え、ページをめくるための左手が次のページをぴらぴらと動かす。見慣れたからなのか、幸村が本を持っている姿はとても様になっている。

 好きなことの邪魔をされてるのに怒る素振りを見せない。それは優しいと思っても思うつぼではないとは思う。けど、なんとなく『罠』だなぁとも思う。


「ねぇ、幸村」


「今度はなんだよ」と呆れたように。


「好きな偉人さんは誰なの?」


 一瞬止まり、ずっと下を向いていた静かな目が文から離れて私を見る。

 顔を伏せたまま目だけを動かす、なんて億劫なことをせず、首から動かした。


 私はずっと幸村を見ているわけだから、当然視線が合う。

 歴史嫌いの私の口からそんな言葉が出てきたのが予想外だったのか、幸村の目は少し見開かれていたような気がする。眉間に寄っていた皺がなくなり、素の顔を久しぶりに真正面の特等席から見た――見せられた。


 けど、3秒も満たないうちにまた幸村の顔が下がる。

 待って。今私どんな顔してた? 驚いてお馬鹿っぽい顔とかしてない?


 幸村の目がまた文字を追いかける。


「西郷隆盛」


 その名前はいくら私が赤点ぎりぎりでも知ってる。……何をしたのかはちょっと聞かないで欲しいけれど。あれ、薩長同盟って坂本龍馬と誰と誰だっけ?

 あ、でもどの時代の人かははっきり分かるわよ。明治でしょ。


「……明治よね?」

「まぁ、明治だな。幕末から明治」

「よかったぁ……。西郷さんのどこが好きなの?」


 私が知ってるのは銅像があることぐらいだ。犬と一緒じゃなかったっけ?

 幸村はあまり間を開けずに答える。


「デカいとこ」

「……え、身体の話?」


 たしかふくよかな人だったはず。教科書か何かで見た肖像がもなんというか、逞しい顔つきというか、どっぷりとした頼もしさというか、そういう人じゃなかった?


 正面の幸村の身体が一瞬咳き込むように曲がる。

 何事かと思えば、ページの端を遊ばせていた左手で口を隠すようにしてくつくつと笑っていた。


「……そんな面白いこと言ってないわよ」

「今のは才能感じたわ。笑える」


 笑ってくれるのは何よりだけど、なんかその言い方小馬鹿にしてない? してるでしょ。絶対してるわよね。素敵な笑顔をありがとう。けど恥ずかしいからもうそろそろ落ち着いてくれないかしら。


「ってことは身体の話じゃないのね」

「フツーに器の話」

「そうなの? どのくらい?」


 聞くと本に目を落としたまま少し説明をしてくれた。

 幼少期のことに少し触れ、なんか聞き覚えのあるような「征韓論」とかいう話に少し触れ、重点的に話してくれたのは多分「西南戦争」の話。

 それらを穏やかな表情のまま話し続けた。本を見ているけど、多分読んではいない。話す方に夢中になってる。


「坂本龍馬さんは?」


 聞くと、幸村は少し眉間に皺を寄せて小さく首を横に振った。


「好きじゃないの? ドラマとかでよく取り扱われてない?」

「あんまり」


 その感想はどうも浅い気がする。とりあえず、功績は尊敬するが人柄がそうでもない、ということなんだろうか。

 世間じゃなにかと人気者だからなのか、幸村は控えめに否定した。


「他には?」

「あ?」


 次に挙げたのは上杉謙信だった。


「意外と有名人ばかりなのね、名前しか知らないけど……」

「さすが赤点」

「殴るわよ」


 私の反応が面白かったのか、機嫌が良いのか、幸村は「悪ィ悪ィ」と少し笑う。そう言う割に懲りる素振りなく笑い続ける。


それから、ムキになったのかあまり聞き慣れてない名前をあげた。

私は知らないから多分になってしまうけど、おそらくその人の話を幸村が始める。


「……、」


 私はその間ずっと黙っていた。

 話はもちろん聞いてたわ。でも、正直なところ良くて6割ぐらいしか聞いていなかった。そのうちの半分はあんまり理解できてない。違うの、ちゃんと聞き逃した理由がある。


 長くはなかった。私がさっきした食の話よりも短い。本のあらすじを話すぐらい手短に。

 その短時間でなんでこの話題をもっと早く振らなかったのかっていう軽い後悔が押し寄せていた。


 幸村はずっと口元に笑みを浮かべたままだった。得意げな顔をして話してる。でも少し嫌いな話になると分かりやすく口を曲げる。


「……、」


 私は手を伸ばしていた。伸ばさずにはいられなかった。

 その手を幸村の頭の上にのせる。


 すると彼の語りが止まった。

 続けてどうぞ?


「……、」

「……、」


 何を考えているのか分からない眼差しで幸村は私を見る。私もそれを見返す。

 見返しながらのせた手をわしゃわしゃと動かすと、秒ではたき落とされた。


「お前はホント何考えてんのかわかんねーわ」

「あら、そんなことないわよ」


 ちょっと、好きな話をする幸村に堪らなくなっただけ。


「減るもんじゃないし、いいじゃない」


 少し腰を上げてもう一度手を伸ばすと「いいわけあるか」と平常通りの顔で言われた。その三白眼も嫌いって事はないけどね。

 まぁ、強引なことはしないわよ。


 そんな私の目にそれが映った。

 私は手を伸ばしたまま固まる。

 腰を上げているため、幸村の頭のてっぺんが見える。


 てっぺん。生え際。


「ちょっと待って」

「おい。奇行がすぎるだろ」


 気にせずに幸村の頭を掴み、真上からそれを見る。


「……もしかして、幸村……髪の毛染めてる?」


 黒を黒で染めたかのような、無造作に伸ばされた真っ黒な髪。

 その根元は漆色と比べているせいか、やたらと淡く見える栗色だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る