春川くん、出会う。



 ◇



 ウチの学校には各学年の成績上位者で構成された特進クラスというものがある。

 他のクラスよりも良い成績を取るようにと先生に圧力をかけられるが、煩わしいと思うことがあっても妥当だと思っている。まず、入試のレベルから違うのだから。


 レベルが違うというと嫌みったらしいが、特進の方は少し難しいこともやるので他のクラスと時間割も大分変わってくる。放課後に1時間多くやったりとか。

 そのせいか、他クラスとの交流はほとんどない。

 けど、僅かながらも他クラスと交流できるとも言える時間がある。

 複数クラス合同の体育と、もう一つ。

 数学だ。


 残念ながら今年の1年の数学のレベルは褒められるものではないらしい。僕じゃなくて他が。なのでプレッシャーをかけるために、数学の時間だけは他クラスも含めた上で、テストの成績順にクラスを振り分けることになった。


 僕は数学がまぁまぁ出来るので、一番上のクラスになった。当然だけどね。

 そのクラスのほとんどが同じクラスの人――というわけにはいかなかった。やはり文系理系と得意不得意が別れるので、文系は割と低いクラスの方に行ってしまった。

 まぁ、その人達は本当に数学が出来ないらしいので、むしろ安堵してたけど。


 僕が『彼女』をつけたのは、その数学の時間の時だ。



 ◇



 元々『彼女』の噂は聞いていたのだ。

「他クラスにやばいレベルの問題児がいるらしいぞ」と。やばいレベルって、語彙力どうしたって言いたいところだけど、話を聞くに語彙力が吹っ飛ぶほどに問題児だった。


 まず、遅刻常習犯だ。

 1限に出ていることの方が珍しく、大体は2、3限の途中から登校してくるらしい。ひどいときは午後から出てくる。もっとひどいときはそのまま来ない。

 自由奔放といえば聞こえは多少良いだろうが、人としてどうかしてる。そんな『彼女』は自分の好きな授業以外は基本的に寝て過ごし、起きている場合は内職がほとんどらしい。学校に来る意味あるのか、疑問だ。野生の動物と変わらなくないか?


 続けて、上履きを履かない。

 基本的に靴下で校内の生活をしている。

 いやはや、全くもって考えられない。靴下って。汚いでしょ。

 ちゃんと『彼女』も上履きは持っている。よく校内で転がっているのを目撃されているし、僕も一度だけ階段の隅に転がっていた片足の上履きを見たことがある。その時はまだ『彼女』の存在は知らなかったけれど。


 教師陣もそんな彼女に頭を抱えているらしいが、本気で怒られているところを見たことはない。

 どうも「愛すべき馬鹿」というやつらしいのだ。

 コミュ力は高く、女子からも男子からも人気はある。クラスの中心で引っ張っていくタイプではあるらしい。

 まぁ他クラスのことをどうこういうつもりはないけどさ、問題児とそうやって馴染むのは理解できない。噂を聞く限りかなり自己中心的だ。だって、寝坊したらもう来ないんでしょ? やっぱり人としてどうかしてる。


 そんな存在はクラスの違う僕の耳にも入ってきた。

 どの人なのかも知ってる。見かけたこともある。上履きを履いている姿は見たことないけれど。


 常に人に囲まれていて、常に回りを笑わせている。

『彼女』自身も常に笑っている。常に楽しそうだ。それはもう煩いぐらいに。

 ぐらいっていうか、煩い。自分たちだけの場所じゃないってことを弁えた方が良い。


 髪型は結べるけれど、短め。

 高い箇所で結ばれた尻尾がいつもぴょこぴょこ揺れている。


 僕はそんな『彼女』と卒業するまで話すことはないんだろうなと思っていた。関わりたくもないしね。

 だから、まさか1年の1学期のうちに出会ってしまうなんて予想外だったのだ。



 テスト明け、初めての授業。

 ちなみに、午後だ。


 シャー芯の補充をしていると声をかけられた。


「ねぇ」


『彼女』の顔には、何故か絵の具がついていた。頬に赤や青、緑。捲られた袖には筆を洗った水でもかけたのか、変に色がついている。そこから覗く腕にも黄色や茶色の絵の具が。

 首筋にまで絵の具がついているのはどういうことなんだろう。


「これ、席順ってどうなってんの?」


 彼女が教室内を見渡す。

 ぴょこぴょこ揺れる尻尾の先にも絵の具がついていた。


「自由だって。空いてる席に座って良いらしいよ」

「空いてる席? じゃあ、ここは?」


 彼女は僕の隣を指さした。

 一番後ろの窓際から二列目。僕は一番窓際。

 まさかと思いながら僕は答える。


「空いてるよ」


 彼女は無愛想に「そ」と答えると、案の定その席の椅子を引いた。

 机に配られて1ヶ月ちょっとしか経っていないはずなのに、何故か既にボロボロの教科書とヨレヨレのルーズリーフの束を投げた。筆箱はないらしく、シャーペンが単品で転がった。


 そんな乱雑した机の上に、彼女は腕を枕代わりにして伏せた。


「……、」


 やっぱり上履きは履いていない。

 彼女の履いている靴下は学校指定のものではなく、運動部が部活中に履くようなくるぶしソックスだった。それ、ほとんど裸足と同義じゃないのか。

 それどころか、女子はセーターかベストの着用が決められている中、『彼女』はワイシャツ一枚だった。腰にセーターは巻かれているけれど、着なければ意味が無いのでは。

 それに、確かさっき声をかけられたとき、彼女は胸元にリボンをつけていなかった気がする。こちらもつけるように決められているのに。


 なるほど、問題児ね。

 なにをしたらここまで制限なしでいられるのか、もはや不思議だ。ありえない。人格を疑うね。

 もう寝息を立ててるし。


 このまま席が決まってしまったら嫌だな、と考えていたらチャイムが鳴った。

 次は席を変えようか。でも窓際の隅っこに座れる機会って意外とないからキープしたいとも思う。


 窓の外を見ながらそんなことを思っていると、先生が入ってきた。

 教卓につき、持っていた教科書類を置き教室内を見渡し――あちゃぁと額に手を当てた。


 目線は僕、の横。


「おーい、野生児、起きろ」


 30代前半の男性教師がそう言うが、隣から依然と寝息が聞こえてくる。

 まさか、このままじゃ僕が起こす羽目になるんじゃ?なんて身構えていると、まさかだった。


「悪いが、起こしてくれないか」と僕を見ながら申し訳なさそうに先生は顔の前に片手を立てる。


 いや、関わりたくないんですけど。ぶっちゃけ触りたくもないんですけど。絵の具まみれだし。

 そうは思ってもここで断ったら僕の方が問題児認定されかねない。それは面倒臭い。


 僕は彼女の机を雑に揺らした。

 彼女がむくりと身体を起こす。


 顔を上げた彼女の前髪は逆立ったり変な方向を向いたりと散々だった。

 まだ眠たげな、もはや開いていないとも言える目でこちらを見てくるので、僕は前を指さした。

 彼女の顔がそっちに動く。


「起きたか?」


 先生の問いに彼女はこくりと頷いた。


「よし、始めるぞ」


 初めての授業と言うこともあり、先生はまず黒板に自分の名前を書いた。

 僕はすでに知っているので教科書を手に取り、今日やるであろう箇所を開く。


 隣は大欠伸をしながら、大きく伸びをしていた。

 そのまま少し立ち上がったかと思えば、椅子の上に胡座をし始めるではないか。


 ……女子、なんだよね?


 ふと先ほどの先生の言葉を思い出す。

 野生児。


 あぁ、野生児か。

 そりゃ、女子じゃないな。


 とりあえず、席を変えよう。


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