第17話 2年前に死んでいた
月曜の朝、バスを降りると、そこに優奈が立っていた。
「おはよう」
「お、おはよう」
二人で並んで歩く、学校への道。
彼女は今日も抜群に美しかった。学校でも随一の美しさを誇る彼女と僕が付き合っているなんて、なんだか今だに信じられないことだ。
気のせいか、周りを歩く生徒から視線を感じるような気がする。今は僕たちが付き合っていると、みんなにはまだ知られていないと思うが、そのうちバレてしまうだろう。そうなると周囲から僕は羨望の眼差しを受けること間違いなしだ。
しかしそんなことを考えながらも、教室にたどり着いた僕の視線はみぞれの席へと向けられていた。その席にはまだ彼女の姿はない。自分の席に座ってからも、僕はその席へと目を向け続けた。
まだ来ないのか……。
もう始業時間の五分前だというのに彼女はまだ姿を現さない。いつもなら彼女はこんなにギリギリに学校に来るということはなかったはずだが。普段ならそれでもあまり気に留めることなどなかったかもしれないが、昨日あんなことがあったせいでどうも気になってしまう。
もしかして学校を休むつもりか? それってもしかして僕のせいなのだろうか? いや彼女は精神的にタフな人間のはずだ。僕程度がどうしようと彼女にはそんなこと関係ないはず。きっと今日は少し遅れているだけだろう。
「ん……?」
その時、教室に現れた田中がさも当たり前のようにみぞれの席へと座った。しかも自分の鞄を机の横にかけた。一体何を考えているのだあいつは。ポケッとした表情であくびをしている。
しかしおかしなことはそれだけではないようだった、始業時間近づくにつれ、僕は大きな違和感に気づいた。
何やってるんだみんな……?
座る席を間違えているのが田中だけではないようだった。しかもそれに誰も突っ込んだりしない。みんな寝ぼけているのか? しかし全員が寝ぼけるなんてそんな馬鹿なことがあるわけがない。僕は席を立つとみぞれの席に座ったままの田中に声を掛けてみた。
「おい、何でお前がそこに座ってるんだ?」
「はぁ? 寝ぼけてんのかお前は。ここは俺の席だぞ」
真顔でそう返されてしまった。他のみんなもそうだ。当り前のような顔をしていつもとは違う席についている。なんだこの状況は。僕が知らぬ間に席替えが行われてしまったとでもいうのか。しかし席が替わっているのは一部だけ。なんでこんな中途半端な形で席替えをするのだ。
「え……」
よく見るとどうやら席が替わっているどころの話ではないようだ。別のクラスだった奴がなぜかうちのクラスにいた。朝のホームルームがあったというのに、そいつは何食わぬ顔でクラス内に溶け込んでいた。
そして結局みぞれが登校してくることはなかった。というか、その別のクラスの奴のせいで席は全部埋まってしまっているのだ。彼女の席の分がなくなってしまっている。
こんなことはありえない。ホームルームが終わると僕は教壇の上の座席表に目を通した。
そこで判明したことはやはりおかしいのは僕のほうだったということだ。現在の席と座席表は食い違っている部分は何もない。みぞれはうちのクラスから消えてしまっているようだった。
この僕だけが気付いている異常事態。さすがに分かる。これはキャンセルによるものだろう。でも僕はそんなことが変わるキャンセルなんてした覚えなどないのだが……。
その時、教室後方に優奈の姿が目に入った。彼女に相談するべきだろうか。しかし彼女は何事もなさそうに周りの友達と会話しているようだった。これはどういうことなのだろうか、彼女は世界が書き換わってしまっても記憶を引き継ぐことが出来るはずだが。もしかして彼女はこのことに気づいていないのだろうか? だとしたらすぐに相談してしまうのは早計かもしれない。もうちょっと自分だけで今の世界を調査してみるべきかもしれない。
昼休みになると僕は教室を出て、ひとり校舎を詮索に出かけた。
みぞれは僕の教室からいなくなってしまった。一体どこにいってしまったのだ。他のクラスにいるのか? 一人名前も知らぬクラスメイトがうちのクラスにいたのだから、この学校は少し全体的にシャッフルされてしまっているのかもしれない。
僕は各教室に立ち入り彼女の姿を探し、いなければ教壇の上に置いてある座席表を見て回った。しかし全クラスを回ってみたが、みぞれの姿も名前すらも見つけることは出来なかった。少なくとも彼女はこの学校からいなくなってしまったということなのか。
僕は一つの疑惑を捨てきれていなかった。僕はこんな影響が出そうなことをキャンセルなんてした覚えはない。だとすれば必然的にもう一人のキャンセル能力者がやったと思うのは当然のことだ。優奈はごく自然に教室で振舞っていたのであまり疑いたくはなかったが、やはりこれは彼女が何かをキャンセルした結果なのかもしれない。
放課後、僕は優奈をいつもの体育館裏へと呼び出した。
「倉木さん」
「どうしたの? 志堵瀬君」
彼女は僕と顔も合わさずなんだか軽くふてくされた様子で自分の髪を指先でいじっていた。
「一つ聞きたいことがある」
「……何」
「倉木さんがこの状態を作り出したのか」
彼女はしばらく間を開けたが「……そうだよ」となんだか渋るような様子でそれだけ答えた。
やはりそうだったのか。しかしクラスのメンバーが変わってしまうほどのキャンセルなんて相当な変化だといえる。なぜ彼女はそんな大きな変化を伴うようなキャンセルを僕に相談もなくやってしまったのだ。
「……いったい何をした」
「え……?」
「何をキャンセルしたって聞いてるんだ」
僕が一歩足を踏み出し軽く強めの口調で問いただすと彼女はやっと口を開いた。
「ねぇ、志堵瀬君、この前私の家に来た時、私の机の上にあった写真のこと覚えてる?」
写真? そういえば彼女の机の上には兄とのツーショット写真が置かれていた。
「覚えてるけど……それが、どうかしたのか?」
「お兄ちゃんね、今遠くにいるっていったじゃない?」
そういえばそんなことも言っていた気がする。
「あれね。半分嘘なんだ」
「嘘……?」
「うん。実はお兄ちゃんね、二年前に死んじゃったの」
「え……」
僕はその言葉に衝撃を受けた。そういえばあの写真、優奈の見た目が幼いと思っていたが、そういう理由があったからだったのか。最近の写真なんて飾ろうにも飾れなかったのだ。
「あの時のお兄ちゃんの年齢と同じになっちゃうなんてとっても不思議な感じだった。お兄ちゃんはずっとお兄ちゃんだったはずなのに。何であんなやさしいお兄ちゃんが死ななくちゃならなかったんだろう。いや、きっとやさしすぎたんだ。やさしすぎたせいでお兄ちゃんは死んじゃったんだ」
話がいまだに見えない。
「一体何で今そんな話を……」
「お兄ちゃんはね、ある人を助けようとしたの。そしてその人を助けるために死んじゃった。……いや、殺されてしまったの」
「こ、殺された……?」
「そう。私はね、その直前でお兄ちゃんとケンカしちゃって……そのせいでお兄ちゃんはあの人の元に向かった。私がお兄ちゃんとケンカなんかしていなければ、お兄ちゃんは死ぬことなんてなかったはずなのに……」
優奈が何をキャンセルしたのか、さすがに僕も察することが出来た。もうそれしか考えられない。
「それってつまり……」
「そうだよ。私はあの時喧嘩したことをキャンセルしたの。そしたらね、お兄ちゃんが生き返ったの!」
「へ、へぇ……そ、それは良かったね」
それは過去を大きく捻じ曲げてしまう行為だった。しかし僕も同じようなことをすでにしてしまっている。何かを意見することは出来なった。
「うん。志堵瀬君がこの力をくれたおかげだね。本当にありがとう」
「いや……」
「当たり前にお兄ちゃんが家にいるなんて……私、今とっても幸せだよ」
確かに優奈にとっては良かったで済む話かもしれないが、事態はそう単純な話ではないように思えた。
「……でもさ、なんでそれで僕達のクラスメイトが替わってしまったんだ?」
僕の言葉に彼女はふっと言葉を失い俯いてしまった。決して目を合わそうとはしない。なんだろうこの態度は。なんだか僕に対してやましいことでもあるような態度だ。
そうだ彼女はさっき気になる発言をしていた。彼女の兄は誰かに会いに行ってその人を助けようとしたために殺されてしまったのだと。
「一体、君のお兄さんが助けた人物って誰なんだ……?」
「……誰って、志堵瀬君、君も大体察しついてるんじゃないの?」
「まさか……」
「そうだよ、蒼井さんだよ」
「じゃ、じゃあ……今みぞれさんは……」
「そうだね……残念だけど、今はもうこの世にはいないんじゃないかな」
彼女は風で吹き上がった髪を片手で後ろへと押し返した。
「な……」
その瞬間、視界がグワングワンと歪み出した。みぞれがもうこの世にいない? 彼女には昨日会ったばかりだというのに。
「な、なんてことをしたんだ……!」
僕は優奈に近づいてその肩を掴んだ。
「そんなの……しょうがないじゃない」
彼女は僕から目を逸らしたまま、ぼそりと呟いた。
「くっ!」
みぞれはもうこの世にはいない。死んでしまったというのか。一体どうすればいい。このままでいいはずがない。なんとか彼女を復活させる方法はないのか。
「そ、そうだ。キャンセルだ。キャンセルすれば……」
僕が下を向いて考え込んでいると優奈がグリンと顔を傾かせて僕の顔を覗き込んできた。
「キャンセル……? キャンセルって一体何をキャンセルするつもりなの?」
「え……何をって……」
「蒼井さんはもう二年も前に死んでるんだよ。志堵瀬君と出会うずっと前にね。志堵瀬君が何かキャンセルして、それで彼女を生き返らせるなんてこと出来るの?」
「それは……」
そうだ、僕がキャンセル出来るのは自分の過去の行動だけだ。当時みぞれに関わりのなかった僕の行動をいくら変えようとも彼女の生死が変化するとは思えない。
「ねぇ、志堵瀬君、もうこれでいいじゃない」
「な、何を言ってるんだ」
「だって、彼女は志堵瀬君を奴隷にしようとしていたような女なんだよ」
「それは……そうだけど……」
「志堵瀬君は私がいればそれでいいって、言ってくれたじゃない」
彼女はそう言って僕のことを抱きしめた。
「だからさ、志堵瀬君に悪影響しか与えない彼女のことなんてもう忘れて、私と一緒に幸せになろうよ」
僕はしばらく色んな思いが頭の中を駆け巡っていたが、
「……ごめん、ちょっと心の整理がつかないんだ。今日は帰るよ」
結局彼女から離れ踵を返して歩き出した。
「志堵瀬君……」
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