第16話 関係の終焉
次の日の昼休み、僕は携帯で優奈に呼び出された。あまり気は進まなかったが放置するというわけにもいかないだろう。身を引きずるようにして待ち合わせ場所の体育館裏へと向かった。
「志堵瀬君……昨日なんで蒼井さんについていったの」
彼女は静かな口調で僕に尋ねたが、どこかピリピリしたオーラを放っていた。やはり怒っているのか。しかしなんでと言われても、なんでだろう。
「……自分でもよく分からないよ。体が勝手に動き出してたっていうか……」
「志堵瀬君、彼女はおかしな人間だって分かってる?」
「あぁ……」
それは以前から分かっていた。みぞれは鬼畜でドSな女王様気質の女だ。
「それに志堵瀬君と彼女の繋がりなんてお金でしかないんだよ?」
「それは……そうかもしれないけど……」
「けど?」
何だろうこの感じ。僕はそこまで責められなければならないことをしているのだろうか。これはみぞれと僕、二人の問題なんじゃないのか。どうして優奈はそこまで口を挟むのだろう。
「っていうかさ、ちょっと思ったんだけど、どうしてそんなに僕のことを気にかけるのかな」
「え……?」
「いや、別に迷惑とかそういうわけじゃないんだけど。むしろありがたいんだけどさ。確かに僕は倉木さんにキャンセルの能力の使い方を教えてあげたかもしれないけど……ここまでやってくれるなんて思わなかったっていうか……」
僕の言葉にしばらく彼女は無言で僕のことを見つめていた。
「えっと……倉木さん……?」
「……そんなことも分からないんだ。志堵瀬君って鈍感なんだね」
彼女は一度目を瞑り深く深呼吸した。
「私ね、志堵瀬君のことが好きなの」
唐突で予想外すぎるその言葉に僕の鼓動は急激に加速し始めた。
「え……な、何言ってるんだ。嘘だよそんなの」
「……嘘なんかじゃないよ」
彼女はまっすぐな目で僕を見たままそう言う。
「僕たちはこの前までほとんど接点なんかなかったはずなのに……」
「私はちょくちょく志堵瀬くんには話しかけてたつもりだけどな」
「それは……」
言われてみればそうかもしれないが。
まぁ、それを言えば僕も全然接点なんてなかった彼女を好きになっていた。そんなに関わっていなくても人を好きになってしまうということはあるのかもしれない。
「最近特にそう思うんだ。まぁキャンセルのことがきっかけになってないと言えば嘘になるかもしれないけど」
しかしやはり何だか信じられない。僕は……何か騙されているのではないか。
「で、でもさ、僕は盗撮なんかした上に人を殺したことまであるんだよ。とても倉木さんにふさわしいような男とは思えないけど……」
「そんなのもう気にしてないよ。前にも言ったけど男の子なら女の子の体に興味があるなんて普通のことでしょ? それにあの殺人は蒼井さんの自業自得だよ」
「それは……」
「志堵瀬君。いい加減信じてよ。たとえ志堵瀬君にどんな過去があったとしても私の気持ちは変わらないよ」
彼女はまっすぐに僕のことを見続けていた。
「……分かった」
そこまで言われると信じる他なさそうだ。しかしいいのだろうか。こんな奇跡が僕に起こってしまうなんて。こんな僕が学校のアイドルである彼女に好かれているなんて。
「それで……志堵瀬君はどうなのかな。私の事どう思う?」
「え……」
これはここで僕も好きだと答えれば僕は彼女と付き合えてしまうということなのか。そんなことありえない。でも、だとしたら僕はこの告白を断ってしまうのか? いや、それはもっとありえない。僕はずっと前から彼女が好きだったのだ。
しかしその時ふと頭に浮かんだのは目の前にいる優奈のことではなく、みぞれの姿だった。
いやいや僕は何を考えている。なぜ彼女の姿が浮かぶ。こんなチャンスを逃したら一生後悔するに決まっている。僕はそれを振り払うように左右に頭を振った。
「えっと……志堵瀬君?」
そして目の前にいる優奈をまっすぐに見つめた。
「ぼ、僕もだよ! 僕はずっと前から倉木さんのことが好きだったんだ!」
その言葉に彼女はパッと顔を明るくさせた。
「良かった……!」
「わっ」
そしていきなり僕に飛びついてきた。彼女の腕が僕の背中に回っている。これは僕も抱きしめ返していいのだろうか? 別に構わないはずだ。だって優奈は僕の彼女になったのだから。僕は優奈の体にゆっくりと手を回した。彼女の体は細く、そして柔らかかった。
こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。人を殺してしまったはずの僕にこんなことが訪れてしまっていいのだろうか。まぁ、その彼女は今普通に生きているのだが。
彼女は僕のことを好きになったきっかけはキャンセルだと言った。盗撮や殺人がなかったことになっただけでなく、こんな恩恵まで受けてしまうなんて。そしてこれからもこの能力がさえれば僕は人よりも随分と有利に人生を運ぶことが出来るはず。なんと素晴らしいことだ。本当にキャンセルの能力さまさまだ。
「ねぇ、志堵瀬くん」
「うん?」
しばらくの抱擁のあと、彼女は僕の胸から頭を離し、少し上目遣いで僕に顔を向けてきた。
「これでもう蒼井さんとはデートなんてしないよね?」
「え……?」
「それとも志堵瀬君には私だけじゃなくて蒼井さんも必要なのかな」
「い、いや、そんなことはないよ」
一応あれはデートではないのだが、まぁ彼女から見ればそう見えるのも仕方ないか。
「僕は倉木さんがいればそれでいいよ」
そんなことを言われれば、そう返すしかないだろう。
「本当に? そう言われるとなんだか嬉しいな」
何だか僕はその時軽い違和感を覚えていた。付き合い始めて、最初にする話がそれなのか。案外彼女は嫉妬深い性格ということか。でも、まぁいい。それもきっと僕を思ってくれてるからこそ出てくる言葉なのだろうから。
しかし、その時僕はある事に気付いた。
「あ、でもまだお金は結構余ってるんだよな……」
そうだ、僕は彼女と競艇で勝った三十万円を使い切る約束なのだ。まだそれは全然消費しきれていない。余ったお金をどうすればいいだろう。
「そっかぁ、そうだったね……じゃあ、そのお金、彼女の目の前で全部捨てちゃえばいいんじゃない?」
「え……?」
「そうすれば志堵瀬君は彼女から解放される。もう奴隷みたいに彼女のいうことなんてきかなくていい。どうせお金なんてキャンセルの力ですぐに増やせるんだし。だったらそれでいいじゃない」
「そ、そっか……」
それはかなりもったいない気もするけど、彼女のいう通りお金ならまた増やせる。二五万円を失ったところで僕にはほぼダメージなどない。
「やってくれるよね?」
「……あ、あぁ」
「ありがとう。じゃあ私、その様子見てるから」
彼女はそういうとまた僕に身を寄せてきた。
なんだろう。これは彼女として普通の反応なのだろうか。今まで誰とも付き合ったことがなかった僕にはイマイチわからないが。なんだか優奈はみぞれを思った以上に敵として認識しているように思える。むしろ逆に執着していると言ってもいいレベルだ。
しかし、これが彼氏になるということなのかもしれない。きっと中途半端な行動はとってはならないのだ。こうなったら彼女に言われた通りにやるしかないだろう。
日曜日、僕はバスで山を下り、人気のない波止場へとやってきた。海風が冷たい。十分ほどその場で待っているとみぞれがそこへ姿を現した。
「珍しいわねハジメ君、あなたが集合場所を指定してくるなんて。こんなところで何かするのかしら? 何もないように思えるけれど」
彼女を見ると海のずっと向こうを見据えているようだった。
「あの、みぞれさん。今日は話したいことがあってあなたをここまで呼んだんです」
「話……? 何かしら」
僕の言葉に彼女はこちらに目を向けてきた。
「もうこんなこと、やめにしたいんです」
「こんなこと……?」
「僕とあなたであのお金をパーッと使うことですよ」
彼女は風に吹かれる髪を右手でかき上げた。
「……ハジメ君、約束は約束よ。まだまだあの時のお金は余っているはずよね」
「これですか……」
僕はお金の入った封筒をポケットから取り出し万札を引き抜いて彼女に見せた。
「それって……もしかして全額下ろしてきたの?」
「えぇ……」
彼女は軽く眉をひそめている。
「どうして?」
「どうしてって、それは……こうするためですよ!」
僕はお金をグシャリと握り締め海に向かって投げ捨てた。
「あっ……」
みぞれは足場ギリギリまで行って海面を覗き込んだ。
「な、なんてことをするのハジメ君。お金がもったいないじゃない」
「……もう僕は嫌なんですよ。あなたの言いなりになるのが。奴隷でいるのが……みぞれさんとはもう関わりたくないんだ。僕の前から消えてほしい」
すると彼女は僕に目を向けた。そのまま何も言わず僕を見続けている。僕はそのまっすぐな視線に耐え切れず目を逸らしてしまった。
しばらくの沈黙が訪れた。ふとみぞれに視線を戻すと、彼女は見たこともない顔をしていた。ギラギラした笑顔でもつまらさそうなポーカーフェイスでもない。その表情は少し寂しそうに感じられた。
「そう……ハジメ君、お金がなくなってしまったらあなたと一緒にいる理由はもうない。どうやらあなたとの関係はここまでのようね」
彼女は踵を返して数歩歩き、
「でも……」
またコチラを振り向いた。
「何だか悲しいわね。正直あなたにここまで嫌われているなんて思っていなかったわ。私はもう少しあなたと一緒にいてもよかったのだけれど……」
なんだか返す言葉が見つからず、僕はその場に立ち尽くしていた。
「それじゃあね。さようなら、ハジメ君」
そういい残すと彼女は本当に去っていってしまった。もうそこから振り返ることはなかった。
彼女の姿が見えなくなると優奈が近くの古びた建物の影から現れて、僕の元へと歩いてきた。
「おめでとう志堵瀬君、それでいいんだよ。あんなイカレた女とは縁を切っておいて正解なんだから。これでやっと奴隷の状態から開放されたね」
彼女はにっこりとした笑顔を僕に向けてきた。
「あ、あぁうん……」
「ふぅ」
彼女は思いっきり手を上に上げて背伸びをした。
「はぁ、なんだか私おなか減っちゃったかも。なんか一緒にごはんでも食べに行かない?」
「……そうだね」
僕は優奈と二人でイタリアンレストランに行き昼ごはんを食べた。彼女は何だか上機嫌で、お金がなくなってしまった僕の代わりにお金を支払ってくれた。きっとこれからは彼女とこういう幸せな毎日を送ることになるのだろう。
でも何かが頭の隅に引っかかっていた。ふとした瞬間にみぞれの最後に見せたあの寂しそうな顔が頭に浮かんでしまう。果たして彼女にここまでする必要なんてあったのだろうか。あまり負の方向の感情なんて人に見せないはずの彼女が目に見えて寂しさを表情で表していたのだ。これはきっと彼女にとって相当なことだったのではないか。
本当にこれで良かったのだろうか。僕の選択は間違っていなかったのだろうか。
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