第15話 どっちつかず
その日の放課後、
「さて、ハジメ君行きましょうか」
みぞれは当然のように僕の席の元へとやってきた。
僕の斜め後ろにはみぞれの席がある。そこから何か鋭い視線が飛んでくるのを僕はひしひしと肌で感じていた。しかし視線はもちろん目の前からも向けられている。
優奈の言い分も分かるが、僕には今のみぞれがそこまでの悪人にも見えない。結局どうすればいいのか、僕は決めかねていた。
「どうかしたのかしら?」
みぞれが首をかしげて尋ねてくる。するとその時背後でガタリと席を立つ音が聞こえてきた。
「あ……」
僕の煮え切らない態度にシビレを切らしたのか、優奈が僕の席の前までやって来た。みぞれの前へと立ちはだかる。そして優奈は言い放った。
「ごめんなさい蒼井さん。志堵瀬君は今日私と用事があるから」
まさか普段おしとやかな優奈がこんなことまでするとは思っていなかった。
みぞれは少しの間真顔で優奈の目を見つめたあとで、僕に視線を切り替えた。
「……そうなの? ハジメくん」
「え、えーっと……」
僕が返答に困っていると、優奈が振り向いてコチラに目を向けた。
「そうだよね? 志堵瀬くん」
優奈の視線は冷たく、そして鋭かった。
「あ、あははは。そ、そうなんですよ」
僕はみぞれに向けて頭を軽く下げた。
「ごめんなさい蒼井さん。また明日ということで」
少し頭を上げ、みぞれの顔を覗き見る。
「……そう。分かったわ」
みぞれは何だかつまらなさそうな顔をして踵を返し一人教室を出ていった。
良かったのだろうかこれで。さっきのあのつまらなそうな目、何だか久しぶりに向けられた気がする。最近はずっと自然な笑顔で話しかけられていたはずなのに。
「あ、ちょっと待ってて志都瀬君。私一回ロッカーに荷物預けてくるから」
「あ、あぁそうなんだ」
優奈はそういい残すと教室を出ていってしまった。
その瞬間に気づいた、何だか僕はクラスのみんなから注目を浴びてしまっているようだった。
「お、おいおいハジメ……」
「え……?」
教室の後方から田中がやってきて声を掛けてきた。
「お前、一体なにしたんだよ……」
「えっと……何って……」
あんなドロドロ展開を披露してしまえばそう聞きたくなるのも無理はないか。
しかし、正直に言ってしまってもいいのだろうか。僕がみぞれにお金を強請られているのだと。そんなことを話せばみぞれはクラスメイトからバッシングを受けてしまうことになるかもしれない。まぁ、事実みぞれが悪い部分もあるのかもしれないが……。
「僕は別に何もした覚えはないんだけど……」
ただでさえクラスで孤立しているみぞれをみんなの敵にはしたくはなかった。仕方ないので僕はとりあえず話を誤魔化すことにした。
「はぁ? 嘘つけよ。っていうか蒼井さんはまだしも、いつのまに倉木さんと仲良くなってたんだよお前は」
「まぁ……それは最近かな」
「はーぁ、何でお前みたいな地味な野郎がそんなモテるのかねぇ。全然意味がわかんねーよ」
「い、いや、ちょっと待て。僕は別にモテてるわけじゃないぞ」
「あぁ? そうなのか?」
しばらく言葉を濁しながら田中と問答していると再び優奈が教室へと戻ってきた。
「じゃ、行こっか志都瀬君」
「あ、あぁうん……」
僕達はクラスの注目を浴びながら教室を二人で出ていった。
「あれ……?」
校舎を出ると彼女は真っ直ぐ校門へと向かって歩き出した。
「どうしたの?」
僕が立ち止まると彼女は踵を返して僕を見た。
「あ、いや、そういえばキャンセルの練習ってどこでやるのかなって」
「あー」
「また体育館裏でやるのかと思ってたけど」
「うーん、まぁ、あそこだとずっと立ちっぱなしになっちゃうし、人に見られちゃうかもしれないじゃない?」
まぁ、言われてみると確かにその通りだ。あの光景はほとんどキスをしているようにしか見えないだろう。人に見られるのはマズいかもしれない。
「だから私の家とかでいいんじゃないかな」
「え……?」
「駄目……? 歩いて二十分くらいだから結構近いといえば近いと思うんだけど」
「い、いや全然いいんだけど」
「じゃ、行こっか」
彼女の家はその前を何度か通ったことはあった。しかしもちろんその中に入るのは初めてだ。まさかこんな機会がやってくるとは。
優奈の家へと向かう途中、彼女はとある家を指差した。
「あ、ちなみに蒼井さんの家、あれだよ」
「え……そうなの?」
「知らなかったんだ? ずっと一緒にいるから知ってると思ってたけど」
みぞれの家は平屋で木造のこぢんまりとした年季を感じる住居だった。何だか勝手にお金持ちのようなイメージを持っていたのだが違うのか。いや、よく考えたらあまりお金遣いは激しくはないし、そんなものなのかもしれない。今彼女はこの中にいるのだろうか。
そして僕達はそこから更に五分ほど進んだ先にある優奈の家へとたどり着いた。
中に入ると、そこは二階天井までの吹き抜けになっていた。高い位置にある窓からは光が差込み明るく開放感な空間で、生活感があまりないと言っていいほど綺麗に片付けられていた。
「お邪魔しまーす」
僕は靴を脱ぐと遠慮がちに廊下へと上った。
「あ、親は二人とも今仕事だから全然遠慮なんかしなくていいよ」
彼女の部屋は吹き抜けにある階段を上り廊下を進んだ先にあった。
六畳ほどの彼女の部屋は白を基調とした家具で統一されていて壁は淡い青の花柄だった。そして所々に小物や観葉植物が主張しすぎないほどに置かれてある。
「ん……?」
僕はその時、見てはいけないものを見てしまった気がした。机の上に優奈と見知らぬ男、二人で写っている写真が立てかけられていたのだ。
「あ、その写真?」
僕の視線に彼女は気づいてしまったらしい。もしかして彼氏なのか。以前佐藤が優奈には彼氏なんていたことがないとか言っていた気がするが、あれはやはりデマだったのか。
「あ、い、いや、別に詮索するつもりなんてないんだけど」
「それ私のお兄ちゃんなんだ」
「え……あ、そうなんだ」」
彼女はその写真たてを手にとって見つめ始めた。
僕は安心した。兄なら問題ない。
「お兄さんもまだ帰ってきてないんだ?」
彼女は何だか、その言葉に数秒の間を開けた。
「……うん。今は遠くに行っちゃってるから」
「へぇ……?」
一緒には住んでいないということか。大学に行って一人暮らしをしているとかそういうことなのだろう。それなら写真を飾ってあるのもまぁ頷ける。僕は彼女が机の上に置いた写真にもう一度目を向けてみた。その時気付いたのだが優奈の顔が今より幼いように思える。最近の写真ではないのか。
「じゃ、さっそくだけど一回やってみよっか」
「え……?」
気付けば彼女はソファーの上に腰掛け僕を見つめていた。一瞬、やるって何を? と思ったがそれはもちろんキャンセルのことだろう。
彼女はいつの間にか小さなメモ書きを一枚手にしていてそれを破った。
「来て……志都瀬くん」
「う、うん……」
僕は優奈の隣に座り彼女の顔に自身の顔を近づけていった。
次の日の木曜。昨日僕はみぞれに『また明日ってことで』と話してしまった。その言葉通りみぞれは放課後になると僕の席の前へとやってきた。
そしてみぞれがやってくるなら優奈もやってくる。これでは昨日とまったく同じ状況ではないか。なんだか心臓に悪い。もしかしたらこれから毎日こんなことが続くのか?
「ハジメ君、今日は」
みぞれは目の前に立ちはだかる優奈を無視するように僕に話しかけてきた。
「あら、ごめんなさいみぞれさん。今日もちょっと志堵瀬君は私との先約が入ってるんだ」
「あら……そうなの?」
優奈が振り向き僕を見た。二人の視線が同時に向けられる。
「え、えーっと……まぁ……そうかな」
そんな約束などしていないが。そう言えと優奈の目が言っていた。とにかく優奈は僕をみぞれと接触させたくないらしい。
「そう。ちなみに何をしに行くのかしら」
みぞれも何かを察しているのか、話を掘り下げてきた。困った、何か言わなければ。
「え、えっと……東山神社に紅葉でも見に行こうかと」
そこは学校から歩いて十分程度の場所にある長い階段を上った先にある神社だ。
「あらハジメ君、奇遇ね。私も見に行こうかと思ってたのよ、東山神社に紅葉」
「え……」
「ちょ、ちょっと何嘘ついてるの蒼井さん」
優奈とみぞれはお互い向き合い、二人の視線がぶつかり合った。
「私は嘘なんてつかないわよ」
優奈に比べ、なんだかみぞれは余裕そうというか、何を考えているのか分からないポーカーフェイスをしている。
「どうするの? どっちを選ぶの志堵瀬君」
二人で話しても埒があかないと思ったのか、優奈が僕に目を向けてきた。それに続いてみぞれも僕に視線を向ける。
「え、えーっと……」
眉をひそめ、不機嫌そうな優奈。冷たい無機質なポーカーフェイスのみぞれ。どちらの視線も恐ろしい。僕は蛇に睨まれたカエルのように動けなくなった。脂汗がジトジトと全身から滲み出てくる。これはどちらを選んだところで結局地獄を見そうだ。
「も、目的が同じなら三人でいけばいいんじゃないかなぁ……」
気付けば僕はそんな言葉を口にしていた。
三人で歩く落ち葉が絨毯のように敷き詰められた道。僕は死ぬほど後悔していた。三人の間にはほとんど会話などない。みぞれはあまりいつもと変わらないように見えるが優奈は何だか目に見えて機嫌が悪そうだった。
階段を上り、僕達は神社の境内へとたどり着いた。
「ね、ねぇ見てよ二人とも、すごい綺麗だよ紅葉が」
振り向くと、二人は紅葉のことなどまるで目に入っていないようで。バチバチと火花が見えそうなほどに視線をぶつけ合っていた。
「ねぇ蒼井さん」
「何かしら?」
二人が僕を無視して会話を始めた。
「あなた、志堵瀬くんからお金を巻き上げてるんだって?」
「……別に巻き上げてるわけじゃないわ。一緒に使っているだけよ」
その言葉に優奈はみぞれへと一歩足を踏み出し、二人の距離は目前まで迫っていた。
「何開き直ってるの……? そんなの犯罪じゃない。もうそんなこと止めなさいよ!」
「ちょ、ちょっと二人とも……!」
僕は二人の側に駆け寄って宥めようとした。
「そうね。確かに相手が嫌がっているならばそれは犯罪と言えるのかもしれないし、やめるべきなのかもしれない。でも、合意のもとなら問題なんて何もないんじゃないかしら?」
みぞれが僕に視線を向ける。続いて優奈も僕に目を向けた。
「え……」
「……志堵瀬くん、どうなの。ここではっきり言っておいたほうがいいんじゃないの。もう迷惑だからこんなことはやめてって」
「え、えっとそれは……」
一体どうすればいい。確かに優奈の言うことは正しいのかもしれない。客観的に考えればこんな生活おかしいとは思う。
「ハジメ君。知っているかしら? ここから更に階段を上っていった先にはもっと紅葉が綺麗に見れる広場があるのよ。そしてそこにはおみくじが買える謎の機械が置かれているのよ」
彼女は僕の横を通り過ぎて神社の社の奥にある階段に向かって歩いていってしまった。
「え……み、みぞれさん……?」
僕が踵を返しみぞれに体を向けると、優奈が側に寄ってきて僕の肩にぽんと手を乗せた。
「志堵瀬君……追いかけなくていいよ。あっちから離れていってくれるみたいだし。きっと犯罪だって言われて彼女ビビったんだよ」
どんどんみぞれは離れていく。なんだかここで彼女を追わなければ、もう彼女とは縁が切れてしまう気がした。
気付けば僕はみぞれの姿を追いかけ彼女の上る階段を駆け上がっていた。
「えっ……!? 志堵瀬くん?」
後方で優奈の驚いたような声が聞こえる。しかし、僕は止まらなかった。
「ま、待ってくださいみぞれさん!」
するとちょうど踊り場にいたみぞれが振り向いて僕を見た。
「あら、ハジメ君。あなたももしかしておみくじ引きたいの?」
「は、はい……お金も使わなきゃならないですし」
「そう。じゃあ行きましょうか」
僕達は二人並んで階段を上り、上の広場へと足を運んだ。その時なんだか恐ろしくて後を振り向くことは出来なかった。
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