第14話 洗脳されている?

 日曜日、僕とみぞれは二人で中崎駅の近くの港へとやってきた。目の前には大型のクルーザーが泊まっている。


 四日ほど前に僕はこの船に乗る予約をするように彼女に命じられた。約二時間のクルーズで豪華なディナーが出されるらしい。今日は唯一パーッとお金を使っている感じがする。


「行きましょう」


 チケットを係員に手渡すと彼女は少し興奮した様子で船へと乗り込んでいった。


 船のロビーにたどり着き周囲を見てみると、そこにはカップルしかいないようだった。そしておそらく皆大人だ。ディナーではお洒落にワインでも飲み交わすのだろう。僕達は大人でもなければカップルでもない。なんだか場違い感が強かった。


 乗り込んでしばらくすると放送が流れ、船は港を発ったようだった。


「動き出したわよハジメ君、外に出てみましょうよ」


「はい」


 屋内から外に出て階段を上り、屋上のデッキへとやってきた。意外と船の速度が早く、顔にバンバン強風が当る。真下を見るとどす黒い海が広がっていて不気味だったが、陸の方は山の斜面に様々な人工の光が輝いていて美しかった。


「結構冷えますね」


「船に乗るというのにそんな薄手の服を着て来るからよ」


「確かに、少しなめてました」


 もう十一月が近いのだ。こんなに風が当れば寒いに決まっている。


「そうだわ、ハジメ君、少しの間目を瞑りなさい」


「え……何ですか」


「いいから早くして」


 一体どんないたずらをされるのだろう。まさかここから落とされるなんてことはないと思うが。僕は一抹の不安を抱えながらも仕方なく言われるがまま目を瞑った。


 すると、首に何かふわふわとした温かみのあるものを巻かれたようだった。


「目、開けていいわよ」


「これは……?」


 どうやらその正体はマフラーのようだった。


「私手芸が趣味なのだけれど、作品ばっかり増えていって身につけてくれる人がいないのよ」


 これは彼女の手作りということか。それにしてもその話、よく考えたら割と悲しい。少しは友達でも作ればいいのに。


「もしかして、僕にくれるんですか?」


「えぇ、大事にしなさいよね」


「あ、ありがとうございます」


 いつもは僕がお金を支払ってばかりだというのに。彼女が僕に何かをくれるなんて思わなかった。しかもこれはかなりの労力がかかっていそうだ。元々僕にプレゼントするために作ったというわけではなさそうだが。


「でも、みぞれさんは寒くないんですか?」


「……そうね、言われてみれば、少し寒い気がしてきたわ。何を独り占めしているのかしらハジメ君」


「って、自分が巻いたんじゃないですか」


「私にも使わせなさい」


 彼女はいきなりマフラーの端を引張り、僕の首が絞まった。


「ぐえッ……! な、何するんですか」


「仕方ないじゃない思ったよりも短かったのよ。もっと近寄らないと二人で巻けないわね」


 そういうと彼女は一度しゃがみ、手すりを掴む僕の腕の下をくぐって胸の前へとやってきた。


「え……」


 そして自分の分の長さを確保したみぞれはクルリと自分の首にマフラーを一巻きした。


「ふぅ、これでよし。さすが私が作ったマフラーね。とても暖かいわ。それにハジメ君の体が風除けにもなるし」


 彼女の背中が僕の胸に密着していた。目の前には彼女の耳がある。彼女の肩に顎が乗せられそうだ。なんだこの距離感は。ちょっと近すぎないだろうか。しかし、彼女が僕を風除けとして利用しているのならば僕はここから離れるわけにはいかないだろう。せっかくもらったマフラーを外してしまうわけにもいかないだろう。


 その時僕は自分の体の変調に気付いた。胸がドキドキする。何度も生唾を飲み込んでしまう。以前は近づいてもこんな事にはならなかったはずなのに。どうしてだろう。この小動物のような鼓動の早さが彼女の背中から伝わってバレてしまわないだろうか。それだけが心配だった。


「ところでハジメくん。残りの金額はいくらなのかしら?」


「え? えっと……」


 もちろんそれはあの競艇で当てたお金のことを言っているのだろう。


「たぶん二五万円くらいですね」


 メモ帳を見れば正確な金額が分かるが、まぁ今はいいだろう。


「そう。まだ使ったお金は五万円、されど五万円ね。三十万円もあったわけだけど、いずれ使い切る時がきてしまうのよね」


 まぁ、当所はもっと早く使い切るものだと思っていたが。彼女はパーッと使うと言っていた割には倹約家でなかなかお金が減っていかないのだ。


「またお金が増えればいいのに。でもそういうわけにもいかないものよね。ギャンブルなんてやればやるほどに損していくものなんだから」


「そうですね」


 どうやらその辺り、彼女はコインゲームで負けまくって学んだらしい。あの時の六二00枚は既に二人で使い切ってしまった。とくに彼女はコインの消費が激しく、どうやら賭け事には向いていないようだった。


「あの……みぞれさん」


「何かしら?」


 彼女は目をこちらに向けてきた。その瞬間、彼女と僕の頬が接触しそうなほどに接近した。


「えっと……その……」


 その時僕は伝えてしまいたい衝動に駆られていた。本当はお金なんていくらでも増やせてしまうということを。このままいつまでもこんな関係でいようと思えばいられるということを。


「いえ……何でもないです」


 でもそんな事どう伝えればいいのだろう。僕は以前あなたを殺して山に埋めたと正直に話せばいいのか。いくらなんでもそんな頭のおかしな発言は出来そうにもない。


「何よそれ。そういうの心がもやもやするからやめてほしいんだけど」


「……すみません」




 次の日の朝、バスを降りて学校に向かう途中のことだった。


「志堵瀬くーん」


「ん?」


 振り向くと少し後方に優奈の姿があった。彼女は僕の隣まで駆け寄ってきた。


「倉木さん。おはよう」


「おはよう」


 そういえば土日を挟んだが、彼女の能力はどうなってしまったのだろう。一応成功に導いたわけだが。


「あれからキャンセルの能力、使ってみた?」


「うん、何度もやってみたよ。志堵瀬君に言われた通り、とりあえず無難なことばっかりね。でも私、能力がなんか安定しなくて」


「安定しない?」


「うん、出来たり出来なかったりするんだ」


 僕は最初から今まで能力が安定しないなんてことはなかったが。なぜだろう、彼女は能力を与えられた側だからだろうか。


「どうすればいいんだろコレ」


「うーん、何だろうね。もっと練習すれば安定したりするのかな」


 そこであることに気づいた。意外にも僕は憧れだったはずの優奈とごく自然に話せてしまっている。以前では考えられなかったことだ。それはなぜだろうか。僕がキャンセルの能力においては先輩だからかもしれない。誰にも言えない秘密を二人で共有しているからかもしれない。それともう一つ上挙げるなら、彼女には自分の非となる部分を全部話してしまっているところだろうか。しかもそんな部分も彼女は許容してくれているのだ。


「思ったんだけどこれって、また志堵瀬くんがアレやってくれたらきっともっとうまく出来るようになる気がするんだよね」


「え……アレって?」


「おでこくっつけるやつだよ」


「あぁ、あれか」


「よかったらまた私の特訓に付き合ってくれないかな?」


 またあんなに彼女に接近できてしまうということか。それは嬉しい誤算だ。


「うん、そのくらいお安い御用だよ」


「えーっと、じゃあ今日学校終わってからとか?」


「あ……でも今日は約束があって……」


 そうだ、今日はまたコインゲームをしに行こうと言われていたのだった。


 僕の言葉に優奈はなぜか少し不機嫌そうな顔をしていた。


「ねぇ、志堵瀬くん。前からずっと思ってたけど志堵瀬君はさ、そのままでいいのかな」


「え……?」


「約束って蒼井さんとでしょ? 彼女といたって志堵瀬君は食い物にされるだけなんだよ」


「それは……」


 優奈は少し歩く速度を速めると前に出て踵を返し、僕の足を止めた。


「私ね、志堵瀬くんのこと守りたいの」


「ま、守る……?」


「うん。だって志堵瀬君にはこんな素敵なチカラをもらったんだよ。何か私からも恩返しがしたいの」


 僕は別に見返りなど求めてはいなかったのだが。というかデコをくっつけてくれるだけでそれは僕にとって十分な報酬になっているのだが。優奈は義理堅い人間のようだ。


 それにしても僕を守るか。まぁ、強請られているという点では確かに僕は被害を受けていると言えるのかもしれないが……。


「それは嬉しいな。……でも、別に大丈夫。気持ちだけ受け取っておくよ」


「え……どうして?」


「まぁ、なんか別に今の状態にも慣れちゃったというかなんというか……」


「ちょっと、ハジメ君、駄目だよそんなんじゃ」


「え……」


「そんなのハジメ君の感覚が麻痺してるだけだよ。っていうかそれって自分でも気付かないうちに彼女に洗脳されてるんじゃないの?」


「洗脳って……」


「私、そういうのテレビで見たことある。搾り取って搾り取って、でも時々優しいところ見せて……そうやって彼女は自分に依存させてるんだよ。このままじゃハジメ君、一生彼女の奴隷になっちゃうよ。それでもいいの?」


「それは……」


 みぞれはそんなことを考えながら僕に今まで接してきたのか……? あのマフラーもまさかそのために僕にプレゼントしたのか? あまりそうは思えないが。


「とにかく今日は私と一緒にいようよ。彼女の誘いを断る。そこから始めないと。分かった?」


 彼女はまっすぐな目を僕に向けてきた。


「あ、あぁ……分かったよ」


 彼女は僕を救い出そうとしているのか。確かに彼女のいうことも一理あるかもしれない。僕は気付けば彼女に能力を打ち明けさらに貢ごうとしていた。もしいくらでもお金を稼げると彼女に言っていたらそれこそ僕は彼女の一生の奴隷になれ果てていたのかもしれない。




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