第12話 もう一人の能力者

 月曜日の朝、僕が学校にたどり着き、下駄箱に手を突っ込んだときだった。


「ん……?」


 何かそこには上履きではない手触りがあった。取り出してみるとメモ書きのようなものが折り曲げられて入っていた。拡げてみると、


『放課後、体育館裏で待っています。倉木優奈』


 まさかの倉木優奈からのメッセージのようだった。なんだこれは。もしかしてイタズラか。


 教室に入ると優奈の姿があった。彼女は僕の視線に気付くと僕の元までやってきて、


「おはよう志堵瀬君」


 満面の笑みで挨拶をしてきた。


「お、おはよう」


「メモ書きみてくれた?」


「あぁ……」


「そう。大丈夫かな、今日」


「うん、まぁ」


「良かった、じゃあよろしくね」


 どうやらイタズラなんかではなさそうだ。一体彼女が僕に何の用だろうか。わざわざそんなところに呼び出すということは教室内では話せない内容ということだ。


 最近彼女は僕によく意味もなく話しかけてくる。これはもしかして今日までの布石だったりするのだろうか? まさかのまさかとは思うが、僕は彼女に告白をされてしまったりするか。


 そして放課後になると、優奈は僕に一瞬目を配りながら教室から出ていった。よし、これは何がなんでも彼女の元に向かわなければならないだろう。


 しかし、僕が下校する準備を終えた時のことだった。


「ハジメ君」


「ん……?」


 みぞれが僕の席の元にやってきた。


「今日ちょっと行ってみたいところがあるんだけど」


「え……っと」


 しまったどうしよう。今日も誘われてしまうとは。今までさんざん僕は彼女のイエスマンとして過ごしてきたわけだが……。


「すみません、ちょっと今日は予定が入ってまして」


 僕は多少の恐怖心を抱えつつも彼女の誘いを断ることにした。実際そうなのだから仕方ない。


「あらそうなの。ならいいわ」


 彼女は案外簡単に僕の元を去っていった。何かしらの罰が待っているかとも思っていたが、全然咎められることはなかった。


 約束の場所である体育館の裏に出向くと優奈が携帯をイジりながら待っている姿が見えた。


「あ、志堵瀬君」


 彼女は僕の姿に気付くと携帯をしまい僕に手を振った。


「遅れてごめん」


「ううん、全然」


「えっと……今日はどんな用だろ」


「あ、えーっと、それはね」


 僕が尋ねると倉木優奈は少し戸惑った様子で口ごもった。


「私、志堵瀬君に大事な話があってきたんだ」


「大事な話……?」


 その瞬間、僕の心臓はその回転数を上げ始めた。


 こんなところに人を呼び出して大事な話だなんて。僕は期待してしまっている。だって、最近彼女の僕に対する反応はどこか普通ではなかったからだ。まさかやはりあり得るのだろうか。彼女が僕に告白してしまうなんてことが。


「志堵瀬君……覚えてるかな。あの時のこと。いや、覚えてるはずだよね」


「あの時……?」


 一体いつの話をしているのだろう。それだけ言われても全然分からない。僕と優奈の間に何か思い出深い話なんてあっただろうか。


「私には確信がある。だって私、最近ずっと志堵瀬君のこと監視してたんだから」


「は……?」


 いきなり話がわけの分からない雲行きの怪しい方向へと向かいだした。何だ監視って。これから僕達の馴れ初めの話が始まるんじゃなかったのか。


「ぼ、僕を監視? 一体なんでそんなことを……」


 それじゃあまるでみぞれみたいじゃないか。なぜみんな僕のことを監視したがるのだ。


「志堵瀬君。君、蒼井さんのこと、殺したはずだよね?」


「えっ……!?」


 その言葉を聞いた瞬間、視界が一瞬ぐにゃりと歪んだ気がした。


 そんな馬鹿な。なぜ彼女がそんなことを知っているのだ。みぞれは現在生きているはずなのに。さっきとは別の理由で僕の心臓はさらに加速し始めた。


「な、何を言ってるのかな……僕がみぞれさんを殺しただって? 全然意味が分からないよ。現に彼女は生きているじゃないか。生きてる彼女を僕がどうやって殺したっていうんだ?」


 とりあえず認めるわけにもいかない。僕は彼女の真意を読み取るためにも話を掘り下げてみることにした。


「さっきも言ったけど、私には確信があるの。言い逃れしようなんて考えないでね」


 彼女は一息ついて何かを思い出すようにゆっくりと目を閉じた。


「私の記憶では蒼井さんは志堵瀬君に殺されて、志堵瀬君は警察に捕まったはずだった。でも、その数日後、なぜか志堵瀬君は普通に登校してきた。それだけじゃない。死んだはずだった蒼井さんまでもが学校にやってきた。私、それ見て死ぬほどびっくりした。その時志堵瀬君に問い詰めようとも思った。でもなんとかギリギリ踏みとどまったの。だって、こんなにありえないことが起こったのに、周りの人はごく当たり前にそれを受け入れてるみたいだったから」


 僕は彼女の話を聞いて当時のことを思い出した。そういえばみぞれが復活した日、確かに優奈は僕の事を驚いた顔をして見ていたような記憶がある。その時はみぞれが復活した衝撃のせいであまり気にとめなかったが。まさかあれはそういう理由だったのか。彼女にも僕と同じように世界が変わる前の記憶があるというのか。


「私は志堵瀬君のことが恐ろしかった。人殺しが同じクラスで普通に授業を受けているなんて……。でも、私思ったの、この変わってしまった世界の志堵瀬君は悪い人間じゃないのかもしれないって。だって蒼井さんは生きているんだから。志堵瀬君も周りの人と同じように、あの事件の記憶がないかもしれない。おかしいのは私の記憶かもしれない」


 僕も自分がおかしいのかと思っていた。彼女も同じような悩みを抱えていたのか。


「だからその日から私は志堵瀬君を観察してみることにしたの。そしたらすぐにおかしいのは私の記憶じゃないんだってことが分かった。志堵瀬君の近くにいると異常なことが何度も起こったから。志堵瀬君が映画館に入ったはずだったのに志堵瀬君が変な叫び声を上げた瞬間に私が志堵瀬君の家の前にいきなりワープしたり。競艇で志堵瀬君は何度も負けてるはずなのにどんどんその賭け金が増えていったり……」


 本当に僕をずっと監視していたようだ。今までキャンセルしたことが大体バレている。


「そう、この世界は志堵瀬君の都合がいいようにどんどん書き換わっていってる。もうこれは志堵瀬君が意図的にそうしているとしか思えないよ」


 僕は彼女の言葉に押し黙っていた。これではもう言い逃れなんて出来そうもない。


 どうする。殺人を犯した記憶なんて彼女の中から消し去ってしまいたい。なら彼女に知られないように色々とキャンセルを試みるか? いや馬鹿か僕は。そんなことをしても無駄だ。何をキャンセルしたところで彼女にはキャンセルする前の記憶が残ってしまうのだから。他の何をなかったことに出来ても彼女の頭に刻まれた記憶だけはもう取り消すことなんて出来ない。


「志堵瀬君は蒼井さんを一度殺してる。そしてその原因は盗撮したこと。そうだよね?」


 もう十月も半ばを過ぎ、大分気温は下がってきているはずなのに、ジトリと粘つくような汗が体中から溢れ出てくる。


 そうだ。彼女にこれまでの記憶が全部あるということは、僕が盗撮犯だということもバレてしまっているということだ。なかったことにしたはずだったのに。一番知られたくなかった相手からその記憶を消せていなかったというのか。


 彼女は僕のことを軽蔑している。気持ち悪い、おぞましいと思っているに違いない。


「……ねぇ倉木さん」


「何……?」


「何でそんなこと僕に話す気になったんだ」


「え……?」


「倉木さんの言うとおりだ。確かに僕はみぞれさんを殺した。そんな相手にこんな話をしたらどうなるか分かったもんじゃないって思わないのか」


「……そうだね、確かに最初は恐かったけど、今はそうでもないかな」


「え……」


「何かこれまで話してきて、志堵瀬君からはそんな狂気じみたものは感じられなかったっていうか……なんだか志堵瀬君ってとっても普通っぽいし」


 安心してくれたならそれは嬉しいことかもしれない。でも普通っぽいって、それはいいことなのだろうか。


「だから余計に気になったの。なんで志堵瀬君が蒼井さんを殺しちゃったのか。よかったら詳しい真相を教えてくれないかな」


 つまり彼女がこうやってカミングアウトしてきた理由は好奇心からということか。


 話すかどうか少し迷ったが、まぁ、別に今更隠す必要もないことか。彼女には殺人がバレてしまったが、この世界で彼女がそれを言いふらすという事もないだろう。だって殺した対象であるみぞれは生きているのだから。そんなことを周りに伝えても彼女が奇人扱いされるだけだ。


 彼女に知られてしまっているのはもうどうしようもない。だったらもういっそのこと全てを話して楽になろう。あの事件は全てを自分の中に秘めておくのはツラいものがあったことだし。


「分かった……話すよ」


 僕はこれまでのことを話した。盗撮しようとしてみぞれにバレ、奴隷として扱われていたこと。結局その時の写真をあの女子チャットグループに送信されてしまったこと。それをきっかけに気付けば彼女を殺してしまっていたこと。そのあと警察に捕まったが、キャンセルの能力に目覚めて全てがなかったことになってしまったこと。


「ちょっと待って。じゃああの時の裸マスクの男って……」


「あ……」


 そうだ、そういえばあの時僕は優奈にその姿を偶然見られてしまっていたのだった。


「そ、そうだよ。……あれは僕だ」


 恥ずかしい。彼女には僕の全てを知られてしまった。


「それはあんまりだね……最低だよ」


「……そうだよね。僕は……最低だ」


 確かにそのくらいでカッとなって人を殺してしまうなんて、今考えれば僕は最低だったかもしれない。彼女に軽蔑されてしまっても仕方のないことだ。


「志堵瀬くんのことじゃないよ。蒼井さんのことだよ」


「え……?」


「いくら盗撮したからって、そんな扱いヒドすぎる。裸にして近所を一周させるなんて……」


「そ、それはまぁ」


「そのあげく結局志堵瀬君の写真をみんなにばら撒くなんて……志堵瀬君のことを怖がってた気持ち、今の話聞いて完全に吹き飛んじゃった。そんなの彼女の自業自得じゃない」


 優奈の口からは意外な反応が出てきた。


「そ、そうかな……、僕は盗撮したというのは本当なわけで」


「もういいよ。そんなこと」


「もういいって……僕のこと気持ち悪いとか思ってないのか?」


「……うん。盗撮したとはいえ、結局未遂だったんでしょ? それに男の子ってそういうの見たいものだし……別に志堵瀬君は気持ち悪くなんてないよ」


 優奈は僕に笑いかけてくれた。僕の負の部分を全て知ってしまったというのに、僕はまさか許されてしまうというのか。やっぱり彼女は思った通りの天使なのかもしれない。


「それにしても最近ずっと思ってたんだけど、不思議だね」


 僕は彼女の言葉に首を少し傾げた。


「……不思議って、何が?」


「志堵瀬君は蒼井さんのことを殺してしまうほど恨んでたんじゃないの? そんな彼女と今は毎日のように一緒に仲良く遊んでるなんて……」


「それは……」


 確かに言われてみるとおかしなことだ。あの状態、仲良く遊んでいると言われてもそれほど間違っていないかもしれない。でも、彼女にそう思われてしまうのは何となく嫌だった。


「べ、別に仲がいいから一緒にいるわけじゃないよ。僕は脅されてるだけなんだ」


 今度は彼女の方が首を傾げた。


「え……? でも今回は志堵瀬君盗撮しなかったんだよね。それがなんでまた彼女に脅されてるの?」


「それが……」


 僕は競艇に通っていたことがみぞれにバレてそれをネタにお金を強請られていることを優奈に話した。


「へぇ……」


 彼女はどこか軽蔑した目をしているような気がした。きっと僕がズルをしてお金を儲けてしまったことを咎めたいのだろう。と、思ったのだが、


「やっぱり彼女って最低な人間だね。世界が変わっても結局志堵瀬君を脅すなんて」


 その目は意外にもみぞれに向けてのものだったらしい。何故だか知らないが、彼女は僕に都合のいい解釈をしてくれる。それは嬉しいことかもしれない。


「あ、あぁ。そうだね……」


 しかしみぞれは最低な人間か。客観的に見ると確かにそうなのかもしれない。僕から大金を強請っているのだから。でもなぜだろう。最近はそこまで負の感情を彼女に対して抱けない自分がいた。


「はぁ、それにしても何だか志堵瀬君と話せてすっきりした」


 優奈はその場で両腕を上げて背伸びをした。


「……僕も倉木さんに話せて、少し気が楽になったかも」


 きっとこんなことは同じように記憶を引き継げる人間にしか話すことは出来なかっただろう。殺人がバレてしまっていたことには最初動揺したが、彼女は思ったよりも理解を示してくれているみたいだし、これでよかったのかもしれない。


「ねぇ志堵瀬君。実は今日、志堵瀬君にはもう一つ話したいことがあるの。あ、話したいことっていうか、お願いしたいことかな」


「えっと……何かな」


 すると僕はいきなり両手を彼女の両手によって掴まれてしまった。


「そのチカラ、キャンセルする能力の使い方を私にレクチャーしてほしいの」


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