第7話 始めてのキャンセル

 すぐにまたこの道を登ることになるなんて思わなかった。二人の刑事を後に従えるようにして僕は山道を進んでいった。


 一時間以上の道のりを歩き、ようやくたどり着いた。少し不自然に盛り上がり、落ち葉の数がそこだけ少なく、土が露出してしまっている。ここで間違いない。


「そこです……」


 僕は立ち止まり彼女の居場所を指差して言った。


「彼女は……そこに埋めました」


「そうか……」


 歳がいっている方の刑事が僕の肩にポンと手を置いた。すぐに若い刑事が携帯でどこかに連絡を始めた。


 僕はその約二時間後、山を降りたと同時に手錠を掛けられ逮捕された。


 警察署に連行された僕は取調べを受け、洗いざらい話したあとで署内にある留置所へと入れられた。四畳半の広さでトイレと洗面台、他には敷布団が畳まれて置かれているだけ。一人で何もすることがなく、ただ自分のやってしまったことを後悔することしか出来ない。それはまさに地獄だった。


 次の日、親との面会があった。面会室には母さんだけでなく、長いこと見ていなかった父さんの姿があった。警察官の立会いのもと二人との面会が始まった。


「ハジメ……」


 久しぶりに会ったにも関わらず、父さんと話すことはほとんどなかった。本当はもっと報告したいこともたくさんあったはずなのに。僕の重すぎる罪の前にはどんな話題も打ち消されてしまっていた。


「どうしてこんなことに、うっ、うっ」


 母さんはひたすら嗚咽を上げていた。そりゃあそうだろう。僕は盗撮したあげくに人まで殺してしまったのだ。二人の様子に僕の心は強く締め付けられた。


 面会が終わると、また僕は部屋で一人になった。


 いつもなら携帯でいくらでも暇を潰すことが出来たはずなのに。本当に何もやることがない。何かをして自分がやってしまったことを紛らわしたいのに。


 ついつい考えてしまう。きっと僕がやったことは大きなニュースになるに違いない。いつも他人事だと思って見ていた色んな事件と同じように、あの休みの日の昼間によく見ていたワイドショーでも取り上げられるに違いない。みんな僕を畏怖し笑いものにするのだろう。闇を心に抱えた凶悪な少年だとか報道されるに違いない。でも僕はそんなに凶悪な存在なのだろうか。そうは思えない。つい数日前まではただの善良な一市民にすぎなかったのだ。自分が凶悪な人間なんて思ったことはない。むしろそれなりに正義感はあったりしたはずだった。あれは仕方がなかったんだ。ついカッとなって気づいたら彼女が動かなくなっていただけなんだ。


 僕はおそらく倉木優奈の通報によって捕まってしまったのではないかと思う。彼女は今僕のことをどう思っているのだろう。僕のことを信じてくれると言ってくれていたのに。僕は彼女の心を裏切った。人を殺すなんて気持ち悪い、おぞましいどころの話じゃないはずだ。


「う、うううう……!」


 その日の夜、僕はついに溜め込んでいたものが爆発していた。


「何でだよ! 何でこうなるんだ!」


 敷き布団を無茶苦茶にかき回す。転げまわりコンクリートで出来た壁に思い切り何度も頭をぶつけた。そうでもしないとやっていられない。もうこのまま頭がぐちゃぐちゃに潰れて死んでしまえばいいとも思った。


「うるせえぞ!」


 別の収監者か。怒鳴り声が聞こえてきた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 本当にどうしてこんなことになってしまったのだろう。盗撮が彼女にバレてしまったから? 彼女が僕を奴隷にしようとしたから? 彼女がみんなにあの写真を送信してしまったからか。


「うぅ……」


 僕は壁に頭をこすり付けながら強く願った。やり直したい。あの平穏な日々に戻りたい。もし彼女を殺してなかったら。盗撮がバレてなかったら。そもそも盗撮なんてしていなかったら。


 たった数日の出来事で僕の人生は終わった。そしてたった数日の出来事だったというのに、そんな時間さえも僕には戻すことが出来ないのか。


「うぐぅっ……」


 後悔。頭の中にはそれしかない。涙がボロボロとあふれ出てくる。あの出来事さえなかったことに出来たなら……。そんなこと無駄だと分かっていても、僕にはそう願う他なかった。


「戻してくれ……あの時のことをキャンセルしてくれぇッ!」




「ハジメ、起きなさい」


「うーん……?」


 何だろう。大きな声で呼びかけられた。明るい。もう朝なのか。目を開け声が聞こえたほうを確認すると部屋の入口に母さんの姿があった。


「は……?」


 意識ははっきりしてきたが、僕は目の前の光景を理解することが出来なかった。


「な、何で母さんがここにいるんだ?」


 僕は警察に捕まって留置場の中にいるはずなのに。こんなところで面会なんて出来るはずがないのに。


 いや、どうやらその認識は間違っているらしかった。周囲を見渡すとそこは留置場なんかではなく、僕の家、僕の部屋だった。


「はぁ? 何寝ぼけてるの」


 母さんは昨日嗚咽を上げて泣いていたはずなのに。今の母さんは僕に対して軽い呆れ顔だ。あの絶望の感情など完全に忘れさっているように見えた。


 なんだこの状況は。一体どうなっている。まさか本当に僕は寝ぼけているのか?


「もう起きる時間とっくに過ぎちゃってるわよ」


 言われて枕元に置かれた目覚まし時計に注視した。確かに、いつも起きる時間を大幅に過ぎてしまっている。このままではバスに乗り遅れてしまいそうだ。本数が少ないため、次のバスでは学校に遅刻してしまう。


「ま、まずい!」


 僕は頭を混乱させながらも速攻で身支度を終えると家を飛び出した。


 バスの時間にはギリギリ間に合った。バス中ほどにある一人掛けの席に座ったあと、僕はようやく少し落ち着きを取り戻し、このわけの分からない現状についての考案を始めた。


 この状況は一体どういうことだ。僕は確かに昨日の夜まで留置所にいたはず。警察に捕まってしまったはず。それなのに気付いたら家にいるなんて。いつの間にか釈放されたのか? いや、そんな馬鹿な。僕は殺人を犯したのだ、そんな簡単に釈放なんてされるはずがない。


 だとしたら全ては誰かが仕組んだどっきりだったとか? いや、それもない。彼女は確かに死んだ。呼吸も心臓も止まっていた。あの死体のリアリティは作れるようなものではない。それにこんなドッキリ、誰が見ても楽しめるものではないだろう。


 だとしたらなんでこんな事になってしまったのだろうか。


 ぱっと思いついたのは、僕が過去に戻ってしまったのではないかということだ。漫画やアニメの中ではよくある話だ。自分の意識が過去の自分に憑依する。タイムリープというやつだ。


 つまり僕はまた人生を再びやり直すことが出来るのか? 普通に考えればそんなことあるわけはない。でも事実ありえないことが今起こっているのだ。だとしたらこんな荒唐無稽な話でも信じるしかないだろう。


 それで、それを信じるとして一体どれくらい過去に飛ばされてしまったのだろうか。僕は自分の携帯で日付を確認してみることにした。すると画面には九月一五日と表示されていた。確か僕が体験したはずの昨日は九月一四日だったはず。つまりこれは過去に戻っているわけではない? しかし、この現実が変わってしまっているのは事実。ということは時間は変わってはいないが、この世界が変わってしまったということなのか?


 学校最寄りのバス停でバスを降りると僕は外の空気を思いっきり吸ってみた。


 この現実感。これは夢ではないだろう。僕は警察に捕まっていない。どうやらこの世界は本当に変わってしまったらしい。


 しかし、捕まっていないという部分以外はどうなっているのだろう? それを全て確認し終わるまでは安心出来なさそうだ。というのも、捕まってはいなくても、僕の記憶と違っているのは本当にそれだけで、もしかしたら僕はみぞれをこの世界でも同じように殺してしまっている可能性があるからだ。


 もしかしたら今あの山には彼女の遺体が埋まっているかもしれない。あの倉庫の中に彼女の遺体が放置されたままという可能性もある。だとすれば僕は結局警察に捕まってしまう可能性が高いだろう。それでは捕まるまでの時間が少しずれたというだけでほとんど意味がない。


 家には日記がある。それを見れば多くのことを確認できたのかもしれないが、遅刻ぎりぎりに起きて勢いで家を飛び出してしまったので今はそれで確認出来ない。


 まぁ、とりあえず学校には行かなくてはならないことだし、教室に行けば全ては判明することだろう。もしみぞれが僕に殺されていないのなら、彼女は生きている状態で登校してくるはずなのだから。


 学校にたどり着くと僕は自分の席についた。どうやら母さんと同じように、捕まってしまったはずの僕が学校にやってきたという事を気を留める人間は誰もいないようだった。


 それは安心したが、蒼井みぞれは果たして来るのか来ないのか。彼女の姿は今教室内にないが、これはただ単にまだ来ていないだけなのか、それとも……。


 しばらく教室の扉の方にチラチラ目を向けていると、とある人物が僕の目に入った。それは倉木優奈だった。彼女はその場で立ち止まり、丸い目をして僕を見た。つい視線が合ってしまったので思わず目を逸らしたが、彼女はそのあとも一人その場で固まっているようだった。


 なんだろう。僕を見て驚いている? 他の人は何の問題もなく僕を受け入れているはずなのに。もう一度そちらにチラリと目を向けると、彼女は周囲を見回しているようだった。そして一瞬また僕に視線を向けたあとで自分の席へと向かっていった。


 彼女の席は僕の席の斜め後ろにある。もしかしてまだ僕に目を向けているのだろうか。わざわざ振り向いてそれを確認するのは少し気が進まない。


「!」


 倉木優奈の挙動には違和感を覚えたが、次に教室に現れた人物によってそんなものは全て吹き飛んでしまった。


 そう、その人物とは蒼井みぞれだ。彼女はどこかつまらなさそうな顔をしながら僕の座る席の前を通り過ぎ窓際にある自分の席へと向かっていく。


 肩に届かない程度の明るい色をした髪。切れ長で鋭い目。細く長い足、大きな胸。それはとても綺麗な姿だった。




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