第8話 キャンセル後の世界

 彼女は確かに生きていた。この世界では僕は彼女を殺していない。僕は安堵し、自分の席に深くもたれかかった。


 しかし大きな不安が解消されたと同時に、僕の頭に別の不安が訪れた。そうだ。僕がプールの女子更衣室を盗撮してしまったことはどうなってしまっているのだろう。周りの反応を見る限り僕は少なくとも白い目で見られてはいなさそうではあるが。


 しかし、もしかしたらみぞれにだけはバレてしまっているのかもしれない。そうだ、僕はそれをネタの脅されている最中なのかもしれないのだ。だとしたらマズい。僕は結局あの奴隷生活に逆戻りしてしまうということなのか。


 しかし自分の携帯を見ると彼女とのやりとりもないし彼女の連絡先も登録されていなかった。これはバレていないということか? いやしかし、バレてはいるがまだ彼女がそれを僕に伝えていないだけという可能性もある。


 考えても答えは出なかった。このままもやもやしたままの気持ちを抱えているのはツラいものがある。僕はそれをはっきりさせるため、思い切ってみぞれ本人に尋ねてみることにした。


 午前の授業が終わり昼休みが始まると僕は席を立ち、窓際にある彼女の席へと向かった。


「みぞれさん」


「ん……?」


 彼女は鋭い視線を僕に向けた。その顔は僕の知っている彼女のものとは少し違う気がした。なんだかゴミでも見るようなつまらなさそうな表情をしている。


 尋ねるとは言ってもこんな場所で聞くわけにもいかないだろう。


「……ちょっと話したいことがあるんです。いいですか」


「えぇ……いいけれど」


 僕は彼女を引き連れて体育館裏へと向かった。


「それで話というのは何かしら?」


「えぇと……別に大した用とかはないんですかけど……」


「……そう。大した用でもないのに私をこんなところまで呼び出したのね」


 彼女は面倒くさそうに軽い悪態をついた。早く話を終わらせたいのだろうか。


「あ、い、いえやっぱり大した用です、僕にとってはですけど……」


「ふーん……?」


「実は僕はあなたに確認しなくてはならないことがあるんです」


「確認?」


 とは言っても全てを話すわけにはいかない。彼女はもしかしたら何も知らないかもしれないのだ。それにも関わらず自ら盗撮したことを語ってしまえば結局それをネタに脅され以前の世界と同じ道を辿りかねない。なんとか言葉を濁しながら彼女から現状を聞きださなくては。


「あ、あなたは僕の秘密を知っていますか?」


 ということで口から出た言葉はそれだった。


「秘密……?」


「僕は……あなたの奴隷でしょうか」


 僕の質問にしばらく彼女は無表情のまま固まっていたが、


「ぷっ、ぷはははは!」


 みるみるうちに表情が砕け、ついには吹き出て大声を上げて笑い出した。


「志堵瀬君、あなたなかなか面白いことをいうのね。つまりそれって私の奴隷になりたいということなの?」


「え……? い、いえ、決してそういうわけじゃ……」


「そう、奴隷ね……」


 彼女は僕の言葉に耳を貸さず自身の顎に手をやってニヤニヤ顔で何かを考え始めたようだった。その表情に身の危険を察知した僕はその場を去ることにした。


「じゃ、じゃあ聞きたかったのはそれだけなんで、僕はこの辺で!」


「え……ちょっと!」


 彼女から離れ、1人きりになると僕はその場でガッツポーズをした。


「よし……!」


 どうやら僕は彼女を殺していなければ彼女の奴隷でもない、その大元の原因である盗撮をそもそもやっていないようだった。僕は全ての罪から解放されたのだ。




 その日の夜、僕は母さんの手料理を食べた。


「おかわり!」


「あら、今日はたくさん食べるのね」


「あぁ、なんだか食欲がおおせいなんだ」


「そう。まぁ高校生なんだからそれくらい食べても普通よね」


 母さんはゴハンを山盛りにして僕に渡してくれた。なんでもないことがこんなにも幸せなことなんて思わなかった。あの時はまったく手につかなかった食事がこんなにもすんなりと喉を通りすぎていく。なんだか自分の体の単純さに呆れてしまいそうだった。


 食事を終えて自室に戻りしばらく寛いだあと、僕はあの現象について改めて考えた。


「……なんであんなことが起こったんだ」


 当たり前だがそんな話聞いたこともない。本当に過去が書き変わってしまったのだろうか? いや、もしかしたらあの記憶は僕が作り出した妄想という可能性もある。もしそうなのだとしたら僕は精神病院に運ばれるべきなのかもしれない。


 でも、もし妄想なんかではないのだとしたら、その理由は一体なんだろう。そういう現象が自然に発生したのか、誰かが書き換えたのか。それとも僕自身が書き換えてしまったのか。


 僕自身が書き換えてしまったという可能性はそれなりにある。なぜなら、おそらく僕にだけに変える前の世界の記憶があるからだ。それに変わってしまったこの世界は僕にだけ都合がいい世界だといえる。もし別の人間が書き換えたのだとしたらその人にとって有益なことを書き換えるだろう。


「だとしたら、また同じことが出来る……?」


 一度出来たことなら、また出来てしまう可能性はある。ちゃんと自分の力を理解できればこれから先自由にこの能力を使うことだって出来てしまうかもしれない。


「……試してみる価値はあるな」


 過去を自由に書き換えるなんて、そんなことがもし出来るのだとしたらそれはとんでもないことだ。まだ具体的に何に利用するかは思いついていないが、色々と活用出来そうな力である。


「でも試すなら慎重にやらないと……」


 今回過去を変えたことは僕にとって大成功だったと言えるが、変に変えてしまうと、この今がどうなってしまうのか分かったものじゃない。下手すれば自分にとって最悪な人生になってしまうかもしれない。


 僕はさっそく実験をしてみるために母さんにコンビニに行くと伝えて家を出た。


 実験をするなら簡単で安全なことからだ。最悪な人生にならないやり直しがあるとしたら、それは少し前の出来事を少しだけ変えることだろう。これなら大きく人生が変わったりすることはないはずだ。


 そして家から数分歩いた先にあるT字路へとたどり着いた。右に曲がるか、左に曲がるか。僕はコンビニがある方、右の道を選択してしばらくまっすぐ歩くことにした。


 立ち止まり、歩いてきた道を振り返って見る。


「こんなことで出来るとも思いがたいけど……」


 あの時僕はどのようにして過去を変えただろう。そうだ僕は強く念じた。過去を変えたいと。ならその時と同じようにやってみよう。左だ。さっき左に向かって進んでいれば……。


「むむ……むむむむ……!」


 しかししばらく続けてみても何も起こらない。


「ぷはッ!」


 なぜか僕は息を止めていた。息を吐き出し呼吸を整える。


「駄目か……」


 いや、まだ諦めるには早い。何か他に条件があるのかもしれない。そうだ、あの時僕は壁に頭を叩きつけていた。ちょうど横をみると住宅の塀があるが……。


 辺りを見回す。よし誰も見ていない。目の前にある住居から人の気配は感じない。僕は半分馬鹿らしいと思いながらも以前と同じように塀に向かって頭を叩きつけてみた。


 ゴン! と鈍い音が頭に響く。


「つぅ……」


 当たり前だがものすごく痛い。あの時はもっと全力で壁に頭を打ち付けていたはずだが、それでも大した痛みなんて感じていなかったように思える。精神状態でこんなにも感じる痛みとは違うものなのか。


「むむむむ……!」


 痛すぎるので頭をぶつけることはとりあえず諦め、僕はしばらくその場で強く念じ続けた。しかし特に何も変化が起こることはなかった。


「やっぱ駄目だ……」


 もう辞めたい。何だか念じすぎて頭が変になりそうだ。あれはやっぱり僕の能力なんかではなかったのか。それともこれでも念じ方が足りないとかだろうか。まぁ、確かにあの時ほど後悔したことはこれまでになかったからその可能性もある。


「……まぁいいか。あの悲劇がなかったことになっただけでもよしとしよう」


 これから先の人生であれ以上の後悔なんてなかなか起こりはしないだろう。もし起こったとすれば、その時にもっと本気でやってみるのも悪くないかもしれない。




 次の日の朝、僕が学校最寄のバス停に降り立った時だった。


「あ、志都瀬くーん」


「ん……?」


 背後から僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「おはよう」


 振り向いた先にいたのは僕の憧れ、倉木優奈だった。


「お、おはよう」


「一緒に学校行こうよ」


 彼女は顔を少し傾けて笑顔を僕に向けてきた。


「え……? う、うん」


 彼女と登校が出来るなんて今日は運がいい。僕達は肩を並べて学校までの道のりを歩いた。


「今日も暑いね」


「そうだね」


「そういえば数学の宿題やってきた?」


「あぁ、うんまぁ一応は」


「へぇー私よく分かんなかったよ。志堵瀬君って数学得意なんだっけ?」


「いやぁ、別にそういうわけじゃないけど、まぁ他の教科よりはマシかなぁ」


「えーじゃあさぁあとで教えてよ」


「え?」


「あ、ごめん。面倒だよね、そんなの」


「い、いやいや全然! 僕でいいなら」


 しかも何だかそんな約束まで取り付けてしまった。なんだろうこのうまくいっている感覚は。僕は本来なら彼女に通報されてしまったはずなのに。気持ち悪い、おぞましいと思われていたはずなのに。こんなに普通に、いや、なぜかそれ以上に親しく接してくれている気がする。


 そういえば……。僕は昨日の朝のことを思い出した。その時彼女はなぜか僕を強く見つめていた。もしかして彼女は僕に気があったりするのだろうか? いや、さすがにそれは考えすぎだ。たぶん僕の頭に変な虫でもとまっていたとかそんな理由だろう。こんなに美しい彼女が僕のことなんて好きになるわけがない。僕は特に何も持たない普通の男なのだから。




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