第4話 あやまち

「来たわねハジメ君」


 週が開けた月曜の放課後。今日も今日とて僕は彼女に逆らえずこの倉庫へと呼び出された。


「みぞれさん……」


 ちなみに彼女の呼び名だが、名前で呼ぶように強制された。自分が名前で呼んでいるのだからそうでないとバランスが取れないのだとか。


 僕はとぼとぼと彼女の元に近づいていった。彼女はやはり自信に満ちた顔を僕に向けている。


 僕はこれまでの奴隷生活で疲弊していた。これでこの倉庫に呼び出されるのは四日連続だ。


 土曜は彼女と一緒に夜の公園へと出向き、僕は彼女を背中の上に乗せて四つんばいになり公園内を歩き回った。犬の散歩をしにやってきた近所の住民を彼女が発見すると僕はその犬に威嚇するように命令された。僕がやけくそで犬に向かって吠えるとその飼い主は犬を抱き抱えて一目散に逃げていった。


 日曜は倉庫内の椅子に体をロープで固定されてひたすらくすぐられた。僕は爆笑していたが、本当にあれは笑えないほど苦しかった。呼吸困難で意識を半分失うほどだった。本当の意味で拷問である。


「今日は一体僕に何させる気なんですか……」


 これ以上こんな日が続くとなると僕は精神的にも肉体的にも限界がくるかもしれない。


「そうね……ハジメ君、今すぐここで全裸になりなさい」


「は……?」


「聞こえなかったのかしら?」


「ぜ、全裸とか、そんなこと出来ませんよ!」


「ハジメ君、なぜ私がこんなことをあなたにさせると思う?」


「……僕にはあなたの考えなんて微塵も分かりませんよ……」


 強いていうなら彼女の頭がおかしいからだろうか。


「それはね……」


 僕はビシリと鼻先を人差し指で刺されてしまった。


「あなたに奴隷としての自覚が足りないからよ」


 僕はその近すぎる指先に気圧され一歩引いてしまった。


「奴隷としての……自覚?」


「そう。奴隷っていうのは昔裸で売り買いされていたものなのよ。まずそこから始めないとあなたはいつまで立っても本物の奴隷になんてなれっこないわ」


「ど、奴隷になんて僕は全然なりたくなんてないんですが……」


「そうなの? じゃあ辞めればいいのに」


 意外にも簡単に彼女はそう答えた。むしろなぜ辞めないのかと不思議そうにしている。


「え……? いいんですか? 奴隷をやめて」


「えぇ。みんなに盗撮したことを告白すれば私のいうことを聞く必要なんてなくなるわ。奴隷なんていつでもやめれるじゃない」


「くっ……!」


 何を出だすかと思えば。結局それって僕を解放する気なんてないってことじゃないか。


「そんなこと……出来ないですよ」


「あらそう? 私は本気で言っているのだけれど」


 確かに彼女は冗談を言っているようには見えない。いや、彼女はそもそも冗談なんて言わないタイプなのだ。冗談にしか聞こえないことでも全てが本気なのだ。


「だったら早く脱ぎなさい、奴隷、辞める気ないんでしょ?」


「で、でも……」


 当たり前だがそんなこと恥ずかしすぎる。


「もう、面倒ね。私が脱がしてあげるからそこに立ってなさい」


 彼女は僕の傍に寄ると胸のボタンに手をかけ始めた。


「え……!」


 彼女の手際は妙によかった。あっというまにワイシャツのボタンが全部外されてしまった。そして次に彼女の手が向かったのは僕のズボンのベルトだった。


「ちょ、ちょっと待ってください! わ、分かった! 自分で脱ぎますから!」


 ワイシャツとその下のTシャツを脱ぐ。上半身裸になってしまった。しかしこれで終わりではない。今度はズボンだ。一度革靴を脱いでベルトを外し、ファスナーを下ろしてズボンを下ろした。


「……これでいいですか」


「何を言ってるの。私が言ったのは全裸よ」


「ぜ、全裸……」


「大丈夫よ、ちゃんと着替えは用意してあるから」


 何かに着替えさせるのが目的ならパンツまで脱ぐ必要があるのだろうか。しかし彼女には何を言っても無駄そうだ。そもそも僕がやってる行為には意味などまるでないのだから。


 彼女はやはりこちらを向いたままだ。言ったって後を振り向いてはくれないだろう。僕は仕方ないので彼女から距離をとり背を向けてパンツを自分で下ろし完全に裸なった。


「こっちを向きなさい。着替えをあげるから」


 僕は股間を手で隠しながら彼女のほうを向いた。その手には何か布のようなものがある。


「これが着替えよ」


 投げられたものを片手で受け取った。よく見るとそれは目の部分だけ穴の空いたニットのマスクだった。


「な、何ですかこれ。着替えって、ただのマスクじゃないですか」


「いいからそれを被りなさい」


 彼女はムチをこちらに向けた。


「クッ……」


 片手で被るのは難しそうだ。僕は再び彼女に背を向けてそのマスクを被った。


「こっちを見なさいハジメ君」


 僕が再び彼女に体を向けると、


「ぷはははは! これで頭かくして尻隠さずって奴ね!」


 みぞれは心のそこから爆笑しているようだった。学校の中で彼女がこんなに笑っているところを見たことがない。いつもつまらなさそうな顔をしているのに。そんなにこの光景がおもしろいのだろうか。


「も、もういいですか」


「何言ってるの、むしろこれからが本番よ。一体何のためにそんなものをあなたに被せたと思っているの」


「……これ以上何をしろと」


「そうね、近所をちょっと回ってきてもらいましょうか」


「は……?」


「あのコンビニまで行って戻ってきなさい」


「む、無茶苦茶だ! そんなの犯罪じゃないか!」


「犯罪……? 今さら何を言っているのかしらハジメ君。そんなこと言ったら盗撮だって立派な犯罪なのよ」


「それは……そうですけど……」


「安心して。全力で疾走していけばあなたのことなんて誰も気にとめないわよ」


 どこにも安心出来る要素がない。気に留めないはずがないだろう。


「ここが正念場よハジメ君。これを乗り越えればきっとあなたは立派な奴隷になれるはず」


「うぅ……」


 当たり前だがこんなことやりたくない。しかし僕にはいうことをきくしかないのだ。これ以上に盗撮がみんなにバレてしまうことの方がマズいのだから。


「やるのやらないの?」


「やりますよ……」


「じゃあ、走ってるときをこれで録画してきてね」


 彼女は床に置かれた大型のスーツケースの元に向かいそこから何かを取り出した。


 彼女から渡されたのは僕が盗撮に使用したビデオカメラだった。どうやらズルなんて出来ないらしい。


「じゃあいってらっしゃい」


 彼女が笑顔で倉庫の入り口まで見送ってくれた。


「くッ……くそぉッ!」


 外に出ると僕はカメラを手に走り出した。もはや陰部を隠している場合ではない。そんなことをしていれば速度が落ちてしまう。全力で走りぬけ、早いとこ全てを終わらせるしかない。


 偶然というべきか、走る道に人らしい人の姿は見えなかった。いける。もうすぐコンビニが見えるはず!


 僕が若干の楽観視を始めたその時だった。前方にあるオシャレな家の扉が開いた。誰か出てくるのか。ここまで運よく誰にも出くわさなかったというのに。


「え……?」


 僕はその出てきた人物の姿に衝撃を受けた。あれはまさか……


「え……?」


 僕の足音に気づいたのか、その人物はコチラを振り向いたようだ。やはりその人物は倉木優奈だった。


「きゃ、きゃああああ!?」


 そして彼女は次の瞬間、絶叫を上げた。


「くぅッ……!」


 その場に固まったままの優奈を横目に僕はコンビニに向かって全力で走り抜けた。


 彼女は家が学校に近いとは言っていたがまさかこんなところに住んでいるなんて。しかもタイミングが良過ぎる。僕は彼女に裸を見られてしまった。本当は僕が見る側だったはずなのに。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 マスクによって顔は見られていないが、バレてはいないだろうか。大丈夫だと信じたい。


 コンビニの前まで来ると僕は即座にUターンして元いた倉庫を目指した。帰り際には優奈の姿を見かけることはなかった。そりゃあそうか。こんな変態が辺りをうろついていれば一人で出歩くなんてことは怖くて出来ないだろう。


 倉庫にたどり着くとみぞれが興奮した様子で出迎えてくれた。


「よくやったわね。いい絵が撮れてるわよハジメ君!」


 彼女は僕のカメラを奪い取りさっそく中身を確認している。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 久しぶりにこんなに全力で走った気がする。僕は椅子の上に置かれていた自分の服をすぐに着ることにした。


「あら、倉木さんじゃない。偶然ね。ぷぷぷ、見て彼女の視線! 完全にあなたの股間に目がいってるわよ!」


 僕は彼女の言葉を無視し、椅子に座りこうべを垂れていた。


「倉木さん、あんなところに住んでいたんですね……」


「えぇ、彼女と私は同じ中学なのよ。知らなかった?」


「え、そうなんですか?」


 その割には二人がまともに話しているところを見たことがない。二人はあまり仲がよくないのだろうか。まぁ常識的に考えて優奈もこんな頭のイカれた女とは付き合いたくないのだろう。みぞれの本性を周りの人間がどれくらい把握しているのか知らないが。


「ふふ、よくやったわハジメ君、これであなたは私の立派な奴隷になれたみたいね」


 まさか、これが始まりだとでも言うのだろうか。僕の体と精神は始まりどころかそろそろ終焉を迎えそうなのだが。これ以上彼女の言いなりになっていけば僕は一体どうなってしまう。こんなの、たとえあの盗撮がバレないにしても、いつか別件で捕まってしまうに決まっている。


「じゃあ送信送信っと」


 彼女はまた自宅に僕の写真を送っているようだった。まずい、脅しによって更に脅しの材料が増えていく。完全な悪循環だ。彼女はもしかしたら僕を一生こんな状態にさせておくつもりなのか。このままでは駄目だ、早くなんとかしなければ。でもその方法が思いつかない。誰にもこんなことを相談するわけにもいかないし。


「あ……間違っちゃったわ」


「え……?」


 彼女の口から不穏な言葉がこぼれる。見ると何だか彼女には珍しく手をわたわたさせていた。


「間違ったって……一体何をです?」


「あ、あははは……間違ってクラスの女子グループにあなたが更衣室に入ってる時の写真送っちゃったわ」


「は……?」


 ドクリと心臓が大きく唸るように鳴った。僕は席を立ち目を大きく開けたまま彼女の元へと近づいていった。


「う、嘘ですよね……?」


 そうだ。どうせ僕をからかうために嘘をついたに決まっている。


「あ、あははは」


 彼女は苦笑いをしたままその場を動かない。


「か、貸してください!」


「あ……」


 僕は彼女から携帯を奪い取った。画面を見ると、クラスの女子達が使っていると思われるチャットルームの画面が開かれていた。その一番下には確かに僕がプールの更衣室に侵入した時の写真送信されていた。そしてその写真には既読が五つもついている。


『何これ、どういうこと?』


 次の瞬間、最新のメッセージが表示された。どうやらそのメッセージを送ってきたのは先ほど見かけたばかりの倉木優奈のようだった。


 めまいがしそうだ。何だかこの現実と自分の頭の中の認識する現実が乖離していくような、そんな感覚に捕らわれた。


「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だッ!」


 僕は片手で爪を立て頭をわしゃわしゃとかきむしった。


「ちょ、ちょっとハジメ君落ち着いて」


 携帯を持つ手が自分の意思とは関係なくカタカタと震えていた。こんな状態でどう落ち着けというのだ。


『志堵瀬君だよねこれ』


『てかこれってこの前出回ってた写真と同じじゃない? プールの女子更衣室でしょ?』


『とりえず保存した』


『盗撮したのが志都瀬君ってこと?』


『学校に言うべき?』


『てか蒼井さん、なんでこんな写真持ってるの?』


 複数のクラスメイトの女子から次々と新たなメッセージが書き込まれていく。


 僕は画面から目を離し天を仰いだ。手から携帯がすべり落ちカランと音が鳴った。


「お、終わった……全部」


 ばら撒き事件によって誰かが更衣室を盗撮していたんじゃないかと誰もが疑っていた。あんな写真があれば僕がその犯人だと確定したようなものだ。よりによってその事実を優奈に知られてしまうなんて。


「わ、悪かったわよ。そんなつもりじゃなかったの」


 僕は首をグリンと回し、みぞれに目を向けた。


「お前……のせいだ……」


「え……」


 そうだ、なぜ僕がこんな目にあわなければならない。数々のあんな意味不明なイジメに耐え抜いてまで秘密を守り通そうとしたはずなのに。全ては水の泡だ。


「お前のせいで僕は――ッ!」


「グッ!?」


 僕は彼女の首を両手で掴み、そのまま壁に押し付けた。


「や、やめ……」


 自分でも信じられないほどの力がわいてくる。メリメリと指が首に食い込み、彼女の足先が地面から離れた。


「全て終わったんだ! もう、みんなから白い目で見られてしまう! 誰からも信頼なんてされない! 倉木さんから気持ち悪い、おぞましいって思われてしまう! 全部全部お前のせいだ! お前がいなければこんなことにはならなかったんだぁーッ!」


 しばらくみぞれは僕の腕を掴んだり引っかいたりしてバタバタと暴れていたが、気づけば、おとなしくなっていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 僕が力を抜くと、彼女はその場に力なくドシャリと倒れてしまった。


「え……?」


 見下ろしてみると、彼女の首が不自然なほどの角度に傾いてしまっている。


「みぞれ……さん?」


 僕は慌ててその場に腰を下ろすと彼女の上半身を起こし、肩を掴んで揺らした。


「みぞれさん! 起きてください!」


 彼女は首がすわっていなかった。全身から完全に力が抜けてしまっている。僕はその頭を両手で掴み、間近で彼女の顔を見てみた。その目は閉じるでも開くでもなく中途半端な状態で、どこまでも果てしない遠くを見つめているようだった。


「ちょっと……う、嘘ですよね、みぞれさん」


 僕の言葉に何の反応もない。僕はとっさに彼女の口に耳を近づけてみた。


「い、息してない……」


 いや、息を止めるくらいなら誰にでも出来ることだ。まだ冗談でこんなことをしている可能性はある。僕は彼女を床に仰向けに寝かせてその胸に耳を押し付けてみた。


 息を殺して耳に意識を集中させる。駄目だ。鼓動音は聞こえない。心臓も止まっている。


 僕は恐ろしくなって、立ち上がり、数歩後に下がった。


「し、死んだ……のか? ぼ、僕が殺したっていうのか」


 そんな馬鹿な。殺すつもりなんて全然なかったのに。


「はッ……!」


 ボーッとしている場合じゃない。そうだ蘇生だ。心臓マッサージと人口呼吸をすれば彼女はまだ息を吹き返すかもしれない。僕はそう思って再び彼女の前へと立った。


 とりあえず心臓マッサージだろうか。やり方がよく分からないが、とにかくやってみよう。彼女の上に馬乗りになってみる。次に胸の中心辺りを両手で押さえ、体重をかけて押してみた。すると結構胸が凹んだ。こんなに強く押していいのか。分からないが、力が足りないよりいいだろう。僕はその動作を数十回繰り返してみた。


「どうだ……!?」


 もう一度心臓の鼓動を確かめてみるが反応はない。


「くそ……!」


 続いて人工呼吸だ。まさか僕の初キスがこんな形になるなんて思いもしなかった。いや、そんなことを考えている場合ではない。今度は彼女の頭の横に膝をつき、前かがみになって口に思い切り息を吹き込んでみた。横目で彼女の胸が少し盛り上がるのが分かった。とりあえず肺に空気は送り込まれている。


「い、生き返れ!」


 それから僕は何度も何度も心臓マッサージと人口呼吸を繰り返した。


「生き返れよぉッ!」


 しかし駄目だった。彼女が自力で再び動き出すことはなかった。さっきまで水を得た魚のように得意げに僕に命令していたはずなのに。


「う、うそだよこんなの! 目を覚ましてくださいよぉッ!」


 心臓マッサージのせいか、焦りのせいか体全体が熱い。それにも関わらず手が震える。涙がポロポロとこぼれ落ちていく。


「ぼ、僕が悪いのか……?」


 僕はその場に立ち上がった。


「い、いや違う! そうだ、これは僕のせいじゃない! みぞれさんが全て悪いんだ! みぞれさんが僕の写真をみんなに送るから! ぼ、僕は悪くなんてないんだぁッ」


 僕は恐ろしくなり彼女の遺体をその場に放置したまま踵を返しその場から走り出した。




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