第3話 奴隷

 授業中、僕は窓際の席に座る蒼井みぞれの姿を見た。僕には未だに彼女の言った意味をよく理解していなかった。奴隷とは一体どういうことなのだろう。彼女は一体僕に何をやらせるつもりなのか。しばらく自分のパシリにでもなれということだろうか。


 そんなことを考えていると、ポケットに入れていた携帯が震えた。机の下で確認するとどうやらみぞれからのメッセージらしかった。彼女とはあの階段裏で連絡先を交換させられたのだ。


『××××、××××。放課後この座標に来なさい』


 再び彼女の席へ目を向けると彼女もこちらに視線を向けていた。ニヤニヤと口角を吊り上げながら嫌らしい目つきで僕を見ている。僕は再び座席の下に視線を落とした。


 この二つの数字の羅列は緯度と経度ということか。座標で場所を指定してくる人など初めて見た。一体ここには何があるのだろう。携帯で調べてみると、そこは学校からそんなに離れた場所ではないようだった。おそらく二十分も歩けばたどり着けるのではないか。何か建物があるようだったが、名前すら表示されず一体それがどんな建物なのかはまでは分からなかった。


 放課後になると彼女はホームルームが終わった途端に鞄を手に持ち教室を出ていってしまった。指定場所に向かったのだろうか。


「行ってみるしかないか……」


 今日分かったことは彼女は思っていた以上の変人で何をしでかすか分からない人物ということだ。あんな写真わざわざ大量に印刷して学校にばら撒くなんて、まともな人間の所業ではない。また写真がばら撒かれ、その内容が今日見せられた、僕が更衣室の中で自撮りしている写真だという光景が容易に想像出来てしまう。それだけは絶対に防がなければ。とりあえず今は彼女のいう事を聞く他なさそうだ。


 学校を出て携帯を見ながら二十分ほど歩き、僕は指定の場所にたどり着いた。そこには何だか古びた鉄骨造の倉庫のようなものがあった。何だか危険な匂いがする建物だ。彼女はこの中にいるのだろうか。


 正面に見える引き戸に手を掛けるとガリガリと引っ掛かりながらも何とか開くことが出来た。入ってみると錆付いた鉄骨とそれに支えられたトタン屋根という単純な構造で中はスッカラカンの建物のようだった。床のコンクリートはひび割れてその隙間からは所々雑草が生えている。薄暗いその空間の奥には木製のテーブルセットが置かれてありそこにはみぞれの姿があった。


「よく来たわね志堵瀬君……いえ、ハジメ君」


 彼女は何か編み物のようなものをしていたようで、それを机の上に置いた。


 それにしてもなぜか僕は名前で呼ばれてしまった。まぁ、他に下の名で呼んでくれる女子などいないし、悪い気はしないが。彼女は椅子から立ち上がり、自信に満ち溢れた笑顔で腰に手を当てて、まっすぐにこちらを見てきた。


「ここはいったい何なんだ……?」


 僕は彼女の元に歩み寄りながら質問してみた。


「さぁ……よく分からないけど倉庫のようね」


「よく分からないって、勝手に入ったってことか……?」


「えぇ、でも大丈夫よ。ここに私はずっと昔からよく立ち入ってるけど、一度も誰かが入ってきたことなんてないもの」


 それって不法侵入ってことじゃないのか。


「さて、こちらに来なさい。ハジメ君」


 彼女は左手をコチラに向けて、指をウェーブするようにして手招いている。


 なんだか右手が彼女の背に隠されているのが気になる。一体何を隠し持っているのだ。僕は少々不安を覚えながらも仕方ないので言われるがまま彼女の元まで歩いた。


「こんなところに呼び出して……一体僕に何をさせるつもりなんだ」


 次の瞬間、バチンという音と共に僕の腕に激痛が走った。


「痛ッ!」


 どうやら、彼女の背後に隠されていたのは短めのムチだったらしい。


「な、何をするんだ!」


 少し背中を曲げ打たれた部分をもう片方の腕で押さえる。ビリビリと痺れるような強い痛み。これ、絶対彼女自身は自分で試してみてないだろうという気がした。試していたらこんなに強く人を叩けないだろう。


「ハジメ君。あなた、自分の立場をまだ理解していないようね」


「立場……?」


「あなたは何かしら? 言ってみなさい」


 立場って、まさか今日言われたことを言っているのか。


「ど、奴隷ってこと?」


「そうよ、あなたは私の奴隷なの。奴隷はご主人様に敬語を使うのが当然だわ」


「え……」


 僕をムチで叩いた理由はそこだったのか?


「さぁ、あなたは何かしら? もう一度言ってみなさい」


「ど、奴隷……です」


 僕はしばらく間を開けたあと、仕方なくその言葉を口にした。


 何だろうこの茶番は。一体何の意味があって彼女がこんなことをするのか全然理解出来ない。


「よく出来たわね。これからは私を敬う心を決して忘れちゃいけないわよ」


「こ、これってもしかして学校の中でも使わなきゃいけないん……ですか」


「何言ってるの。そんなの当たり前じゃない」


「お、おかしいだろそんなの! 絶対二人の関係に変な疑いを持たれてしまうじゃないか!」


「え……? 何か言ったかしら?」


 彼女は再びムチを振り上げて言った。


「い、いえ……何でもありません」


 最悪だ。彼女はもはや変人という言葉の枠には収まらない存在のようだ。想像以上にイカれている。こんなことなら有り金全部を渡した方がマシだった。


「さて、それじゃあさっそくだけどハジメ君。奴隷としての初仕事をやってもらおうかしら」


「仕事……?」


 一体何をやらせるつもりだ。


「ハジメ君、あなた煙草吸ったことある?」


「煙草……? いえ、ないですけど……」


「そう。なら買ってきてくれる? 近所のコンビニに売っているはずよ」


「え……そんなのバレたら僕停学になっちゃいますよ!」


「ふーん」


 彼女は僕に近づき人差し指を僕の顎に当ててきた。


「私のいうこと、きけないのかしら? だとしたらどうなるか、分かっているわよね?」


「う……」


 そうだ。彼女のいうことをきかなければ盗撮のことがバラされてしまう。それだけは防がなくてはならない。バレれば全てが終わる。みんなに軽蔑される。倉木優奈に気持ち悪い、おぞましいと思われてしまう。


「わ、分かりましたよ……」


「ふふ、初めから素直にいうことを聞けばいいのよ」


 彼女は僕の顔から手を離した。


「で、でも、僕今制服着てるんですけど。この格好じゃさすがに買いにいけないですよ」


「それなら問題ないわ。ちゃんと変装セットは持ってきているから」


 彼女は踵を返すとテーブルの元へと歩いた。その横に大型のスーツケースが横倒しになっているのが目に入った。彼女はそれを開けると中からシャツとジーンズらしきものを取り出した。わざわざこのためにそんなものを用意したのか?


 彼女は取り出したシャツとズボンを僕に差し出してきた。


「さぁ、これに着替えて」


 僕がそれを受け取ると、彼女はじっとそのまま僕を見つめていた。


「……着替えるんであっち向いててくれませんか」


「いやよ。どうして私があなたに命令されなきゃならないの」


 みぞれはてこでもその場から動かせそうになかった。


 僕は仕方なくその場で用意された服に着替えた。視線を感じる。なんだこの羞恥プレイは。


 着替えが終わると僕は出口のほうへと向かった。すると出口まで彼女は同行してきた。


「銘柄は何でもいいわ。ライターは持っているから買ってこなくていいわよ」


 それにしても彼女はタバコなんて吸うのだろうか。そんなヤンキーだったとは。


 倉庫から出た僕はそこから十分ほど歩いた先にある最寄のコンビニへと立ち入った。ここは学校からもそれなりに近い。僕は高校生だとバレずに煙草を購入することが出来るのだろうか。


 レジの上に数々の銘柄の標本が立ち並んでいる。一体どれにすればいいのだろう。というかこれは結局僕がお金を支払うことになるのか。あとでお金など返してもらえない気がする。


「た、たばこ、二十四番で」


 店員は若い男だった。かなりぎこちない注文だった気がするが、僕は特に何も言われることはなく煙草を購入することが出来た。顔を合わせないようにしていたが、学生服ではないとはいえ僕は未成年に見えると思うのだが。見てみぬフリをしたのだろうか。


「……買ってきましたよ」


 倉庫に戻ってきた僕はポケットから煙草を取り出し、彼女に差し出した。


「そう。じゃあそれ吸ってみて」


 彼女は手にしていたライターを僕に差し出した。


「え……! な、何で僕が?」


 みぞれが吸うんじゃなかったのか。


「私はそんなもの吸いたくないわよ。あなたが吸ってる姿を見てみたかっただけなんだから」


 一体何がしたいんだこの女は。理解に苦しむことばかりだ。


 僕は仕方がなく封を開けてタバコを一本取り出してみた。


「吸いながら火を付けるのよ」


 言われた通りにやってみる。


「う……! ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ!」


 しかし火がつき煙が肺に入った瞬間に僕は煙草を口から離してしまった。どうやら慣れない煙に体が拒否反応を示したらしい。


「ぷはははは! おもしろいわよハジメ君!」


 気づけばみぞれが携帯のカメラでパシャパシャと僕の姿を写真に納めていた。


「ちょ、ちょっと何してるんですか!」


 僕は彼女の携帯に手の平を向けて撮られることを防ごうとした。


「大丈夫大丈夫! ただの記念写真だから!」


 そんなことを言いながら彼女は素早く携帯を操作し始めた。


「送信送信っと」


「って! 誰に送ってるんですか!」


「え? 大丈夫よ、自宅のパソコンに送ってるだけだから」


 僕は苦虫を噛み潰したような顔をしてみぞれを睨みつけた。


 彼女は僕の事を奴隷と言った。昔の奴隷とは一体どのような待遇だったのだろう。もしかしたら単純に労働者だったのではないかという気もする。こんなの奴隷というか、ただのイジメではないのか。自分のやってる行為に何の生産性も感じられないというかなんというか、彼女の遊びに付き合っているだけのような気がする。


 なぜ僕はこんな女に目をつけられてしまったのだろう。自分の不運を嘆くばかりだった。




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