第2話 弱み
次の日の朝、僕は陰鬱な気持ちで学校へとやってきた。僕のカメラは一体どうなってしまったのか。一体誰に見つかってしまったのか。
僕がそんな不安で頭をいっぱいにしながら上履きへと履き替えていると、
「あ、おはよう志堵瀬くん」
透き通るような声が僕の名前を呼んだ。振り向くと、そこには天使、いやクラスメイトの倉木優奈が立っていた。
「え……あ、あぁ、おはよう」
僕は挨拶だけ返すとそのまま教室に向かおうとした。
「待ってよ志堵瀬君。一緒に教室まで行こうよ」
それは予想外の言葉だった。
「う、うん」
そんな事を言われて断る男なんて一人もいないだろう。僕は彼女が上履きに履き替えるのを待ち、二人並んで教室へと向かった。
「今日も暑いねー」
「あ、あぁ、そうだね」
「もう朝から外歩いてきただけで汗だくだよぉ」
彼女は自身のシャツの胸元を掴んでパタパタと空気を入れ込んでいる。
「えっと、倉木さんって歩いて学校に来てるんだっけ?」
「うん。私の家ここから歩いて二十分くらいだからね」
「へぇー近いんだね」
「そう、それがこの高校選んだ最大の理由だよ」
「あはは、そうなんだ」
彼女とこんなにまともに話すのはもしかしたら初めてのことかもしれない。
僕はふと隣で歩く倉木優奈の姿を見ながら、彼女が裸になっているところを想像してしまった。くそ、本当なら僕は今頃彼女の裸を見れていたはずだったのに。
誰がカメラを発見したのかは分からないが、もし教職員に見つかっていたのなら、もしかしたら公にはされないのではないかという気もしている。学校のイメージもあることだし、このまま何の問題もなく事は終わるかもしれない。
僕はそんな淡い期待を抱きながら教室へと入った。
すると、なんだか教室内部の様子がいつもと違うように思えた。クラスメイトがいくつかのグループに固まって話し合っているように見えた。
「なんだ……?」
人々の隙間からその人だかりの中央部を覗くと、どうやらA4ほどのサイズの紙切れをみんなで回し見ているようだった。一体何の紙だろう。
「みんなどうしたの」
優奈が女子の一人、神田に声を掛けると、
「あぁ、優奈、見てよこれ」
神田はその紙を優奈に手渡した。
「朝学校にこの写真が大量にバラ巻かれてたみたいなんだ。ほとんどは先生が回収しちゃったみたいだから今はその辺には落ちてないけど」
僕はその紙を横から覗き込み、人知れず口から心臓が飛び出しそうになった。その紙に映し出されていたのは見覚えのある部屋、見覚えのあるアングルだった。
「これってもしかしてプールの更衣室……?」
優奈は写真を凝視しながら言った。
「うん、しかも女子のね」
「えっと……それってつまり……」
「もしかしたら盗撮されてたかもってことだよ」
「え……」
「最悪だよねー、もしそんなのがネットとかに流されでもしたら……」
神田はその太ましい体に自らの腕をまわし、震えるような動作をした。
「あーほんと気持ち悪い。誰がこんなことしたんだろ。もう気持ち悪いっていうかおぞましいよね優奈」
「そ、そうだね……」
優奈を見ると軽く青い顔をしていた。どうやら結構なショックを受けてしまっているらしい。
クラスでは誰が犯人かという議論が延々続けられているようだった。僕はあまり関わらないようにして自分の席へとついた。
マズい。マズい。あの写真は間違いない。僕が仕掛けたビデオカメラのアングルだった。誰かが僕のカメラからデータを抜き取って紙に印刷しばら撒いたのだ。
一体誰が、何のためにこんなことを。
もし僕が犯人だとバレたらどうなる。先ほどの優奈の反応を反芻する。きっと彼女も気持ち悪い。おぞましいと思っているに違いない。それだけじゃない、このクラスの騒ぎよう、僕はきっと誰からも嫌われる存在になってしまうだろう。
その日は朝から体育館での全校集会があった。
校長が舞台に立ちいつものようにどうでもいい話をしていたが、途中、今回のばら撒き事件に対しての言及があった。
校長の言葉にみんながまたざわざわと騒ぎ出した。そうだ、これはうちのクラスだけの話ではなかったのだ。僕が犯人だとバレれば全校生徒からバッシングを受けることになる。永久にそのイメージが付きまとうことになるのだろう。絶対にバレるわけにはいかない。
午後になった。次の授業は実験室で行われる。僕は準備を整えると教室を出て移動を始めた。
渡り廊下を抜けて、その先にある校舎へとたどり着いた。ふと廊下の先を見ると蒼井みぞれがこちらに向けてやってきているのが見えた。この先に実験室があるのだがなぜか戻ってきている。忘れ物でもしたのだろうか。
まぁ、そんなことはどうでもいい。僕は斜め下を向きながらまた考え事を始めた。
一体僕はこれからどうすればいい? どうすればバレることなく事件を沈静化できる。
いや、よく考えてみれば、ばら撒き犯はもしかしたら盗撮犯が僕だと分かっていないのではないか? そうだ、考えてみればあのカメラを見つけるだけでは僕が犯人だと分かるはずがない。あのばら撒きも盗撮犯が誰か分からないからそれを炙り出すためにやったことなのかもしれない。きっとこれは下手に動いてはならないのだ。何もしなければいい。そうすればこれ以上に事件は発展することはなく、事は収束に向かうに違いない。
そんな楽観的な考えを僕が持ち始めた時だった。
いきなり何故かすれ違いざまに蒼井みぞれが僕の腕をガシリと掴んだ。
彼女はそのまま止まらず歩き続け、僕を後方に引張り始めた。
「え……? ちょ、ちょっと……!?」
僕の言葉に彼女は何の反応もしない。僕の顔さえ見向きもしない。僕はそのままその先にあった階段室の階段の裏にまで連れて行かれた。
そして最後に彼女は両手で僕の腕を掴むと思い切り壁に向かって引張った。
「うわっ!」
離される手。迫る壁。僕は咄嗟に腕を前へと突き出して壁に両手をついた。
下手したら壁に激突していた。なぜ彼女はこんな暴挙に出たのだろう。こんなところに連れ込んで一体何がしたいのだろう。
「な、なんなんだよ一体……」
僕は眉をひそめ振り向いてみぞれの方を見た。するとその瞬間僕は彼女の様子に違和感を覚えた。笑っているのだ。いつもつまらなさそうにしているはずの彼女が。
「志堵瀬君」
やっとその時彼女は口を開いた。
「最近のカメラってすごいのね。バッチリ撮れてたわよ。みんなの裸!」
「え……!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の中にある何かが瓦解していく音が聞こえた気がした。
足が震えだす。心臓がバクバクと脈を打つ。手から汗がにじみ出る。まさか、目の前にいる彼女があの写真をばら撒いた犯人なのか。
いやいや待て、ここは冷静になるのだ。なぜ彼女は僕がカメラを仕掛けたと分かった。僕だという確証があったからここに僕を連れ込んだように思えるが、もしかしたらその証拠を提示出来るわけではないのかもしれない。僕はまだこの場を切り抜けることが出来るかもしれない。
「は、裸……? い、一体何を言ってるのか僕にはさっぱり分からないんだけれど」
とりあえず僕はとぼけてみることにした。
「……あら、志堵瀬君、もしかして自分で気付いてなかったのかしら?」
そう言うと彼女はポケットから携帯を取り出してその画面を僕に突きつけてきた。
「こ、これは……」
そこに映し出されていたのは僕が女子更衣室の中にいてこちらを見ている写真だった。
しまった。そうだ、完全に失念していた。僕はなんてドジなのだろう。最初にカメラの動作を確認する時に、自分の姿を映したのだった。なぜ僕はそのデータを消さなかった。現場に自分の映像を残していくなんて間抜けにもほどがある。
「さて、何か言い訳することがあるかしら?」
「……」
そんなもの何も思い浮かばなかった。これは確たる証拠という奴だ。もう弁明の余地などどこにも残されていない。
「私は教員が犯人だと踏んでいたのだけれど……意外だったわ、まさか志堵瀬君、いかにも普通そうで真面目そうで無難そうなあなたが犯人だったなんてね!」
彼女はキリッとした顔で僕の顔を指差した。まるで探偵もののドラマか何かで全てのトリックが暴かれ追い詰められた犯人になったような気分だ。
彼女の携帯に僕の写真が残されているようだが、今この場でその携帯を壊したところで意味はないだろう。元の映像データはあのビデオカメラの中にあるのだから。いや、もう既にそのコピーが複数残されていても不思議ではない。今から証拠を隠滅してしまうことも難しそうだ。
「ほ、他の人には話したのか、この事」
「ふふ、安心して。まだ誰にもこの事は伝えてないわ」
くそ、仕方ない。言い逃れが出来ないならもう一つの手段に出るしかない。
「た、頼む! この話は誰にも言わないでくれ!」
僕は頭を下げて彼女に頼み込んだ。
「……そうね。それは別にいいのだけれど、条件によるかしら」
「条件……?」
少し頭を上げて彼女の顔を下から覗き込むと、彼女は口角を上げ嫌らしい目つきで僕を見下ろしていた。
「私、ひとつ欲しいものがあるの」
「欲しいもの……?」
「えぇ」
どうやら最初から僕にそれを頼むことが目的だったようだ。あんな写真をバラ撒いたのも自分が本気だと分からせるためのものなのだろう。ここからは交渉になりそうだ。僕は頭を上げて、同じ高さにある彼女の目をすこし渋い顔をして見つめた。
「……言っておくけど、僕はお金なんて全然持ってないぞ」
貯金は一応四万円ほどあるが、とりあえず手の内は見せないほうがいいだろう。
「それは心配しなくてもいいわ、なぜなら」
彼女は何の遠慮もなさそうに一歩、また一歩と僕の方に迫ってきた。僕はその距離感に耐えられず、後へと退いた。しかし僕の体は後方にある壁によって止められた。更に近づく彼女の顔、そのまま彼女は僕の耳元へとその口を持ってきた。
「私がほしいのは、あなただから」
「へ……?」
一体何を言い出すのだろうか彼女は。
「僕がほしい……?」
まさかこれは僕と付き合いたいとかそういうことを言っているのか? そういうことなら普通に告白してくればいいのに。彼女は普通ではないというか、言ってしまえば変人なようだが、見た目だけは抜群にいいのだ。どうせ僕には他に彼女なんて出来る予定などないのだから、そういわれれば考えてしまう。
と、僕は若干の期待をしてしまったのだが、
「そう! 私はずっと前から奴隷が欲しかったのよ!」
彼女は僕から離れると、僕の顔をビシリと再び指を差して言った。
「……は?」
僕の認識はどうやら大きく間違っていたらしい。彼女の口から飛び出した言葉はあまりにも想像の斜め上を行き過ぎていて、しばらく頭に入ってこなかった。
「え、えーっと……奴隷……だって?」
「そう。なってくれるわよね? ど・れ・い」
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