第67話 願い

 ひゅうひゅうと漏れ出す呼吸音。

 全身を覆うような火照ほてりのような違和感、痒み。


 意識が遠のくような感覚を感じながらも何とか繋ぎ止める。呼吸が安定しない。胸が詰まるような息苦しさ。


「――ゆ、勇者殿が毒を盛られた!!」

「何じゃと!? 一体何故――」


 僕の周りで声がする。

 毒? 僕は毒を盛られたのか?


「タケル! タケル――しっかりして!」

「タケル殿、意識をしっかり持つんじゃ!」


 メイリンと、ダリウスさんの声が聞こえる。滲むような視界には、二人が見えているような気もするけど、覚束おぼつかない輪郭からはそれが本当に二人なのかも分からない。

 本当に毒を盛られたのか。一体、どうしてこうなったんだ。


 美味しい料理を食べて、気恥ずかしいけど王様から勇者として紹介されて、きっと表彰なんかもされたんだろう。そのはずが、毒を盛られるとは。僕は何も悪いことはしていなかったはずだ。それどころか慣れない環境で努力して、魔獣なんかとも戦って、あんまり報われなかったけど、最後にはちゃんと世界も救えて、ようやく日の目を浴びるというこの時に。


「タケル――うっ……ううっ……タケルっ!」


 見えないけど、メイリンが泣いているような声が聞こえる。

 こんな所で死ぬのは悔しいけど、メイリンは悲しんでくれるのか。そういえばこの後、大事な話があると言っていた。それすらも聞けないのかと思うとちょっと寂しい。


「二人で、街の並木道に行くって言ったじゃない……死んじゃうなんて許さないわ」

「メイリン、落ち着くんじゃ。今医者を呼んだ! 医者がくればきっと――」

「ダリウス様、お医者様を探したんですが、城内にいる方々が揃って酔い潰れて・・・・・・・・ます!!」

「馬鹿もんが!! 街に行って医者を探してこい!!」


 ダリウスさんの怒号も聞こえる。

 医者が酔い潰れて不在とは、この国らしいな――いや、そんな呑気なことを考えている場合じゃない。死にかけているのは僕だ。というか、何で医者を呼ぶんだ。この世界の、何でもできるような魔術があるんだったら、解毒の魔術くらいあるんじゃないか。そう言いたいけど、声が出ない。なんてことだ。


「タケル、タケル――意識はあると思うが、聞こえるか。今お前が考えていることだけど、俺の知る限り解毒の魔術・・・・・なんて便利なものはない。あるとしても自然治癒を促進する魔術くらいだ」


 僕の頭の中にスライの声が、不要な情報をお届けしてくれる。頑張って意識を保とうとしているんだから、心を折りにくるな。


 ちょっと待て、さっきのメイリンの言葉――『街の並木道』と言っていた。僕が街で見た綺麗な並木道。葉っぱが色付き、一面が黄色になるような鮮やかな紅葉こうよう。まるで元の世界のイチョウのように。

 さっき食事をしている時もその話をした。特に気に入っていっぱい食べてしまった、茶碗蒸しのような食べ物。その茶碗蒸しの中に、黄色く色付く樹木がつける実が入ってると言っていた。


 銀杏イチョウ――つまり銀杏ぎんなん

 僕の唯一のアレルギーだ。


「メイリン……前に儂がした話を覚えてはいるか?」

能力アステルのことですか……? まさか……それを使おうと……? どうして今、せっかくタケルが報われた時なのに――」

「今だからこそじゃ! タケル殿がこの世界から去る・・・・・・・・のは誠に残念じゃが、死ぬよりはよっぽどいい!」

「そんな……」


 僕の今の状態がアレルギー症状――それも恐らくは重度のアナフィラキシーだろうことに合点がてんがきている間に、周りで話が進んでいる。能力アステルって何のことだ。僕がこの世界から去るとか言ってるけど、そんな話は聞いたことはない。

 というか、待ってくれ。これはただのアレルギー反応なんだ。医者を呼べばきっと何とかしてくれるだろう。別に、死にかけてる訳じゃないんだ。声は出ないけど。


「タケル、タケル――アレルギーって何のことだ!? ヤバい毒なのか!?」


 違う。違うって言ってるだろ、スライ。何で違う方向に捉える。

 というか、せめてダリウスさんに伝達してくれ。僕の意識がちゃんと拾えていないのか。


「……タケル、聞こえる? タケルには言ってなかったんだけど、実はダリウス様がタケルが元の世界に帰れる能力アステルを持つ人を見つけたの。今、ここにいるわ。言ってなかったのは悪かったけど、理由があるの。その能力アステルは、死に直面している人を元の状態に戻すっていう力なの。その『元の状態』に戻すっていうのが、『特定の日時――その時にいた場所に』という補足が付く。つまり、タケルが死にかけている状態でその能力アステルを使えば、私が喚び出した直前――タケルが元の世界にいた場所に、その時の状態に戻れる。言わなきゃいけないのは分かってたんだけど、『死にかけている』というのが条件になるから今ままで言い出せなかった……ごめんなさい」


 涙を拭いながらメイリンがしっかりと説明してくれる。

 でもちょっと待って欲しい。別に元の状態に戻すんだったら、一昨日おとといでも昨日でも、なんなら会場に来る前でもいいじゃないか。


「メイリン、覚悟はよいか」

「ダリウス様、元の世界に戻さなくても……毒を盛られる前に戻せば……」


 そう、そうだ。メイリンの言う通りだ。


「気持ちは分かる。しかし、前にも言ったがこの能力アステル一度しか・・・・使えんのじゃ。つまり、この機を逃せばタケル殿は元の世界に戻れなくなるかも知れん。タケル殿に残された時間が少ない今、迷っている暇はない」


 違う、ダリウスさん違うよ。医者を呼んでくれれば大丈夫なんだって。

 声が出ないのがもどかしい。なんとか声を出そうとしてみるが、息が荒くなるだけだ。声が出ないのなら目だ。目で訴えよう。


「――タケル、苦しいの!?」

「メイリン、じゃから時間がない!」


 目を剥いての必死の訴えは、息を荒げているのもあり、苦しんでいるものと捉えられてしまった。苦しいには苦しいけど、違うんだってば。

 嫌だ。待ってくれ。この先に、僕がこの世界で初めて掴む栄光があるんだ。この世界にも慣れてきた。もっと訓練をすれば、王国の兵にでも、狩人ハンターにでもなれるだろう。元の世界に戻るなら、その後でもいいじゃないか。医者は――医者はどこだ!


「ダリウス様……分かりました……」

「すまんメイリン。ありがとう……それでは――ナターシャ、頼めるか?」

「はい。この国の英雄――勇者タケルのためなら、私の能力アステルなど惜しくもありません」


 ダリウスさんに促されて、知らない女性が僕の前で膝立ちをしている。勇者と呼んでくれるのはありがたいけど、誰なんだ君は。

 違うんだって、ちょっと待ってくれって。スライ、スライはどうした。僕の声が聞こえないのか。


「タケル――もう声も聞こえない。意識が弱まっているんだな。短かったけど、お前と過ごした時間は楽しかったよ」


 締めの言葉のようなものをスライが伝えてくる。普段は不要なまでに僕の頭の中を覗くくせに、こんな肝心な時にダメなのか。


「いきます――――原点回帰リミテッド・ロールバック


 やめてくれ。能力アステルを使わないでくれ。

 まだ僕は、メイリンが何を言いたかったのかも聞いていない。


 見知らぬ女性が能力アステルを僕に使った後、入れ替わるようにメイリンが僕の横につき、手を握ってくれる。


「タケル――タケルごめんなさい。辛いことばっかり言って、大変なことばっかりやらせちゃった。でも私、タケルが来てくれて本当に嬉しかったの。何の役にも立たなかった私の能力アステルなのに、タケルは本当に国を救う勇者になっちゃった。剣を握るのも覚束おぼつかなかったのに、私も――ゼスト様も、王国まで救っちゃうなんて凄い、本当に凄い」


 僕の視界の中にある、メイリンが取ってくれた僕の手が、淡く光り輪郭を失いつつあるのが見える。さっきの能力アステルの効果なんだろうか。もう止められないのか。メイリンも締めの言葉に入っているようだが、僕の頭にあるのは『能力アステルを止めてくれ』という想いだけだ。


「ホントは伝えたいこともあったんだけど……もうお別れだとしたら、辛いよね。私の胸にしまっておくことにするわ」


 それだ。それを言ってくれ。胸にしまわないでくれ。せめてものはなむけ・・・・ってもんじゃないのか。


「本当にありがとう……タケルは私の願い――アステルそのもの。ほしの勇者さま。元の世界に戻っても私のこと……どうか忘れないで――――――」


 待ってくれ、僕もメイリンに何も伝えていない――――





 メイリンの声が遠くなり、意識が空を飛んでいるように、何かに引っ張られているように、真っ白になった。


 引っ張られるような感じはあるけど、何も聞こえない、何も見えない。空虚のような認識から、次第に意識も、体――手足の先に向かうように感覚が戻ってくる。


「はあっっっ!!」


 水面に顔を出したように声が漏れ出た。

 ちゃぽん、という音がする。


 慌てて体の周りを見回すと、そこは見知った僕の実家の浴槽・・・・・・・。本当に、元の世界に戻ってきてしまったんだ。

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