第二章 勇者になるための第一歩

第09話 ゼストさんの場合

「いやだああああぁぁぁぁあああ!! もういやだあああぁぁあああああ!! 絶対おかしいって、こんなのおおおおぉぉぉおおおお!!」

「何を言うのだ、タケル殿! まだまだ訓練は始まったばかりだ! メイリンッ! 水ぅッ!!」

「はい、ゼスト様!」

「ぶわっ!! うええぇぇぇええええ!!」


 広い城の中にある、王国の者が使う訓練場。

 四方を壁に囲まれたグラウンドのような場所に、僕の絶叫が響いていた。


 ゼストさんの号令で、僕達の近くで訓練の様子を見守っていたメイリンさんが、水の入った桶を抱えて駆け寄り、その勢いのままぶちまけてくる。何の嫌がらせだ。


「何なんですか、もぉぉぉおお!! というか、この水は何のためなんですか!!」

「はっはっは、タケル殿の世界は遅れておるのかな? 運動をしている時には適度な水分補給! これは常識であろう!」

「顔面に水をぶちまけられることの、どこが水分補給なんですか!!」


 ゼストさんの訓練は予想以上と言うのも馬鹿らしくなる程、酷いものだった。こんなことなら、やる気を見せるんじゃなかったとすぐに思い直した。


 訓練の内容は簡単だ。

 両手で持ってもずしりと重い木剣ぼっけんを持った僕が、同じく木剣を構えたゼストさんに打ちかかり続けるというものだ。勿論、ゼストさんも僕の攻撃を受けているだけではなく、打ち返してくる。体を狙ってではなく、僕の木剣に被せるように打ってくるのが不幸中の幸いだったけど、その重い一撃を受けた僕はいちいち訓練場を転げまわっている。


 全身あざだらけ。しかも、何故か定期的に行われる水分補給と称した嫌がらせにより水をぶっかけられ、僕の体は泥だらけになっていた。

 ド真面目な顔で水をぶっかけてくるメイリンさんの所業には、狂気すら感じる。


「はっはっは、まあ冗談――ってわけでもないが、新兵用のしごきメニューだ」

「しごきメニューだったんですか……」


 ゼストさんは変わらず笑いながら、平然と言ってのける。

 勇者としての訓練をつけてもらえると言われて、まさか標準の新兵用訓練メニューをやらされるとは思っていなかった。というか、これが訓練メニューって大丈夫か、この国。泥水をすするとはよく言ったもんだ。


「しかしタケル殿はなんと言うか、普通だな」

「普通ですか……」

「普通だ。剣を握ったばかりの新兵という感じだ。瞬発力と反応速度は中々いいが」

「そうですか……」


 ゼストさんの言葉は辛辣な響きとなって僕に刺さった。

 そりゃそうだ、という思いも僕の中にはある。つい先日まで、ただのコンビニバイトのフリーターで、中学の時の部活は卓球部だ。比較的真面目にやっていたけど、腕っぷしが強いわけでは勿論ない。


「とは言え男たるもの、剣の一本くらいマトモに振れないとな。タケル殿は勇者なのだから、俺くらいには扱ってもらわんと困る」

「いや、ちょっと自信がないんですが……」

「なあに、女神様が認めた勇者だ! 大丈夫だろう! はーっはっはっは!」

「はあ……」


 楽観的を絵に描いたようなゼストさんの笑い声が響く。

 いちいち妙なプレッシャーをかけてくるから困るけど、筋が悪いと突き放されるよりはマシかなとも思う。


 とにかく異世界に連れてこられたことで急に、伝説の勇者のような凄い剣の腕前になったわけではないことが分かった。地道に精進するしかないだろう。


「こうなったら長期戦の構えだな、一から覚えてもらうぞ! これから忙しくなるなあ、はっはっは! よし、ここらで休憩だ! 休を休めることは大事だぞ!」

「やっと休憩か……ふう……」


 僕にそう声をかけると、ゼストさんはさっさと訓練場の外に出ていってしまい、残された僕はその場にへたり込んだ。休憩と言っても、もう一歩も動きたくない気持ちだ。


「あの、これで顔を拭って……」

「えっ? あ、ありがとう……」


 訓練場のグラウンドに大の字になって寝転がっていた僕に、メイリンさんが水に濡らした布切れを渡してきた。急にかかった声に、また水をぶっかけられるのかと警戒してしまう。


「ふー、気持ちいい。うわあ……僕の顔、どろどろだなあ」

「……交換するわ。こっちに渡して」

「ああ悪いね。メイリンさん、でよかったよね? 僕なんかの訓練に付き合ってもらって大丈夫なの?」


 顔を一、二度拭っただけで、布切れはたちまち泥まみれになった。

 僕からその布切れを受け取ったメイリンさんが、横に置いていた桶の水で洗い、丁寧に絞って渡してくれる。


 ダリウスさんに僕の世話をするよう言われたからとは思うけど、メイリンさんは僕とゼストさんの訓練にずっと付き合っていた。不満気に見えないこともないが、ゼストさんの言う通りにきびきび動いている。同じ齢くらいなのになんだか大変そうだ。


「私に任されたことだから……タケル――殿が勇者になるためだったら、何でもするわ。なので早く強くなって――下さい」

「無茶言うよなあ……というか、ゼストさんでも十分強いと思うけど、本当に僕が強くなる必要があるかな?」

「……ゼスト様は国一番の戦士――です。強くて当たり前です。ダリウス様やゼスト様のお考えは私には分か――りませんが、お二人がタケル――殿に勇者になってもらうと言っているんです。私は、その言葉を信じるだけ――です」

「なるほどなあ、メイリンさんは随分と働き者なんだね。というか、その変な喋り方なんとかならない? 最初の時みたいに普通に話してよ」


 なんとなく口から出た言葉だったが、そんな僕の顔をメイリンさんがじろりと見たような気がした。


「おおーーーい、タケル殿! 休憩は終わり、訓練の再開だ!」

「うえええ……もう休憩終わりなの? 顔拭いただけだけど……」


 訓練場に戻って来たゼストさんの声が聞こえ、僕の文句は届くはずもなく訓練が再開した。

 再開したそのすぐ後、訓練場に僕の叫びが響くのに、そう時間はかからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る