第12話 繋ぐゴンドラ②

「こちらです。足元にお気を付け下さい。少し滑りますので」

 フィルが私から手を離すと、洞窟の手前に置いてあったランタンに火をつけた。 

 様子を見ていると当たり前のように、また手を差し出してくる。その仕草に、またどうしようかと迷いながらも、フィルの手に重ねた。

 洞窟内を進むと光がなくなり闇が広がる。 


 フィルの言った通り足元は少し濡れていた。原因は上部からじわりと滲み出ている湧き水のせいだろう。奥へ進むにつれ肌寒さがいっそう強くなる。

 歩く度に足音が洞窟内に反響し、怖くなった。無意識にフィルの手を強く握ると、フィルが私を振り返り、大丈夫だと言うように頷いてくれた。

 たったそれだけなのに、フィルの傍にいると安心してしまう。


「この下へ下ります。ノエル様……失礼」

 下へと下りる階段が目に入ると、前を歩いていたフィルが、いきなり振り返り私の背中に手を添えた。

 驚いていると、そのまま一気に抱きあげられる。

「――っ、下ろして下さい。一人で歩けます!」

「今は出来ません。思ったよりもこの階段は滑りますので、その靴では無理ですよ。ノエル様に怪我をされては、私が叱られます」

 靴のことを言われたら何も言えず、渋々フィルに従った。


 シシィに勧められるままに履いた靴は、植物の素材で編みこまれ、踵が高く不安定なもの。それに、慣れない仮面を付けているせいで視界も狭い。

 確かに、これでは、この階段を下りるのは危ないわ。

「あ、ありがとう……」

 消え入りそうな声でお礼を言うと、フィルが反応した。

「いえ。あれに乗って街を案内します」

 フィルの視線を追うと、階段を下りた先には黒い立派なゴンドラ。船の側面には文様が描かれている。


 どうやら、洞窟の奥はゴンドラや船の停留場になっているらしい。

「ゴンドラは初めてですか?」

「はい、初めてです。見るのも初めて」

 フィルの腕の中にいるのも頭から抜け落ち、興味津々に身を乗り出した。ゴンドラを眺めていると微かに笑い声が聞こえた。

 フィルが笑っているのを初めて見たわ。いつもは……私が仏頂面だからか、困った様子が多いもの。


「失礼、あまりにも可愛かったものですから」

 嫌味のないその素直な感想に恥ずかしくなる。でも、すぐに体が強張り、表情を消し俯いた。

 ……また裏切られるかも知れないから。

「……気をつけて下さい。揺れますので」

 また壁を作るような態度をとった私に、フィルは何も言わない。それどころか、何事もなかったかのように階段を下りて行く。

 黒いゴンドラに近寄ると、そのままゴンドラへと乗り込む。すると、二人の重みでゴンドラが揺れ、波打つ青が目に入った。


 その時、宴で水に落ちた光景が頭を過り、思わずフィルの首に抱き付いた。

「大丈夫です。落ち着いて下さい。揺れますが、そんなに簡単に沈みませんよ。さあ、こちらに――」

 揺れがおさまると、恐る恐る目をあける。

 仮面越しにフィルの黒い瞳が飛び込んできた。

 自分で抱き付いたとは言え、思ったよりも距離が近くて狼狽えてしまう。目が合うと、ゆっくりと椅子に下ろされた。

 ゴンドラの中は赤い絨毯がひかれ、その中央に椅子が二脚置かれていた。

 その椅子に座ると、フィルも隣の椅子に腰を下ろす。


「出してくれ」

 ゴンドラの先頭にいる男にフィルが声をかけると、静かにゴンドラが動き出した。

 慣れないゴンドラの揺れに怖くなり、フィルの腕をとる。

 船が沈まないかとハラハラしている内に、ゴンドラは洞窟を抜け運河へと走り出した。


 眩しい太陽が姿を現し、眩しくて目を細める。


 しばらくしてから目をひらくと、そこには、石で作られた厳かなアーチの橋。よく見ると中央には船と太陽の絵柄。

 フランシスカ王家の紋が彫られている。

 森が続き、しばらくすると白い石造りの家が見えて来た。

「もうしばらくは穏やかな流れが続きます。下って行くと流れが速くなります。そこを通り抜けると、フランシスカの中心街へと着きますよ」

 子供のように辺りを見回す。そんな私に、フィルが次々と説明してくれた。

 凄い。風も気持ち良いけど、どうやって、あんなにも崖下にある街まで船で行くのかしら? 

 滝のように一気に落ちるのかと思い、掴んでいるフィルの腕に力を込めた。


「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。一気に落ちたりしませんから。運河を利用して、ゆっくりと大きくジグザグに曲がりながら下ります」

 私の考えていることがわかったのか、またしてもフィルが笑い出す。しかも今度は声をあげて。

 恥ずかしくなり顔を伏せた。


「あそこがフランシスカの神殿になります。婚約式の時に、神官がノエル様に挨拶に来られます」

 フィルが指差した先を見る。真っ白な五つの柱が印象的な、厳かな雰囲気の建物が姿を現した。

 この国は石と白を貴重にしているのね。王宮も真っ白で中もそうだった。それに街の建物も白が多いもの。

 目にするすべてが珍しい。街の中心部に近づくにつれ人通りが増えてくる。

 話に興じる女性達に、水路沿いを走り回る子供達。

 まだ日が高い昼間から酒を飲み、陽気に笑い楽器を奏で歌に興じる大人達。

 それに、フランシスカでは普通なのか、船に乗っている私達に向かって気軽に手を振ってくる人がいる。


 隣のフィルは律儀に手を振り返していた。フィルに誘われ、私も習ってオズオズと手を振り返す。

 開放感からか、知らず知らずの内に素の表情や仕草が出たらしく、フィルが甲斐甲斐しく横から知りたい情報を教えてくれる。

「もう少し先に、フランシスカで一番有名な店があります。そこでお茶にしましょう」

 いつの間にか、あっと言う間に時間が過ぎていたようだ。


 アイーシャ様と馬車で来た時とは違って、街の見え方が全然違うわ。王族もやっぱり、お忍びで外出したりするのかしら? シャルワ様も、こんな風にゴンドラに乗るのかな?

「ノエル様、着きました。降りましょうか――」

 フィルの言っていた有名な店に着いたらしく、ゴンドラが建物の中に入る。

 着いたといっても、ゴンドラでそのまま店の船着き場へ乗りつけが可能なようだ。


 ゴンドラが止まったと言うのに、フィルは動かず、なぜか戸惑った様子を見せる。不思議に思い、フィルの視線の先を追うと私の手。

 その手は、ずっとフィルの腕を掴んだままで、一気に顔に熱が集まるのを感じた。

「ご、ごめんなさい!」

 急いで手を離し距離を取る。

「いいえ。問題ありませんよ。さあ、どうぞ――」

 フィルは気にした様子もなく、手を差し出してきた。

 何度も経験すると、自然にフィルの手をとる。すると、またしても抱き抱えられる。


「あ、あの――!」

 何も言えないでいると、フィルは私を抱き抱えたまま、優雅にゴンドラから飛び降り、石畳に下ろされた。

 フィルって過保護すぎる気がするわ。ゴンドラから降りるくらい私でも出来るのに。

 フィルはシャルワ様の代わりに案内してくれているのに、ここまでしなくても良いと思うのだけど……。


 女性の扱いに慣れているように思えるわ。これが普通なのかしら?

 フィルに触れられる度に煩くなる鼓動を静めるように、小さく深呼吸する。

 フィルの後ろを歩き出そうとすると、またしても手を取られた。そして、そのまま階段へと促される。


 フィルに手を預けたまま、人一人が通れる、狭く陰気な階段を一段ずつ上る。

 思っていたよりも長い階段を上がると、すぐに開けた空間に出た。

まあ、人がいっぱい。

 そこでは、食事をしている人々で賑わい、皆、美味しそうに頬張っている。


「お待ちしておりました。街は楽しめましたか?」

 あの狭い陰気な空間から想像出来ない、洒落た立派な店内に呆気に取られた。すると、そこへ明るい男性の声がかけられた。

「急にすまない。相変わらず盛況のようだな」

 目の前には、清潔な白い料理人の服を着た、華やかな雰囲気の男性。

 フィルと同じく背が高い。黒い色彩が多いフランシスカでは珍しい眩しい金色の髪。それに青い瞳。顔立ちが整っているからフィルと一緒にいると目立ってしまう。


 店内の女性の視線は、全てこの二人が集めていると言っても過言ではない。

 若くも見えるが、落ち着きもあって貫禄がある。親し気に話し出すフィルを見ていると、二人が知り合いだとわかる。


「ア、フィルのおかげさ。店のことよりも、そちらの女性を紹介してくれ。今、話題の女性だろ?」

 気さくに答える男性は、不躾な視線で私を眺めた。

「ノエル様、ご紹介します。この店のオーナー兼王宮お抱えの料理人、アート・キャンデローゼです。王宮の料理人は名ばかりで、彼は大抵この店にいて、王宮の料理は彼の弟子が作っていますがね」

「手厳しいな。王宮には愛弟子を送り込んでいるから問題ないさ。フィルは頭が固いな」

 あきれた顔を見せるフィルに対して、アートは飄々と答える。


「フィルと俺は幼馴染なんだ。それにしても、噂とは違って可愛いな。笑わないと聞いていたから、お高くとまった高飛車な王女様想像してたけど」

 周囲に聞かせるかのように、店内にアートの声が響く。


 そのせいで、一瞬、喧騒が止み、全身に視線が突き刺さり居心地が悪い。

 シシィが被せてくれた一枚布と仮面のおかげで、顔は隠せているが、店中の人間がヒソヒソと囁き、こっちを見ているのがわかる。

「声がでかいぞ、アート。早く席に案内しろ。目立ちすぎだ」

「そうか? 俺はいつも通り普通だけどな。こっちだ」

 視線を集める中、店内を通り、奥へと進むアートの後ろを付いて行く。調理場を通り階段を上ると、誰もいない空間に案内された。


「特等席だ。眺めも良いし落ち着いて食事が出来る」

「食事じゃなくてティーだ。早く持って来い」

 案内された椅子に腰を下ろす。

 窓の外を見ると、ゴンドラで通って来た運河が見下ろせた。

「ゴンドラは楽しめましたか?」

 フィルが私の正面の椅子に座ると、話かけてきた。


 ……楽しかった。自分の置かれている状況を忘れてしまうくらいに。それに、隣にはずっとフィルがいてくれて……心地よかった。

「はい、楽しかったです」

 もっと笑って嬉しさを表現したかった。だけど、頭のどこかで、別の自分が信じるなと警鐘を鳴らす。


 だから、いつも通り素っ気ない返答になった。

 私のこの態度に、フィルがどう反応をするかわかる。ほら、やっぱり、困ったような顔。

 ごめんなさい。でも、まだ信用出来ないから。

 膝の上で、お行儀よく重なっている自分の手を白くなるまで握り締めた。

「どうかした? 雰囲気悪いけど。ああ、フィルが何かしたんだろ? 気にしないで食べてみろ。俺の自信作」

 私達の微妙な空気を察したのか、アートが持ってきたドルチェを次々置いていく。


 その種類の多さに目を丸くしていると、アートが自慢げに話始めた。

「ノエル様。王宮では全然食べてないんだって? 俺のドルチェなら、いくらでも胃に入るさ。吐くくらい食べてくれ」

「アート、汚い言葉を使うな。それより菓子の説明をしろ」

 フィルが余計なことを言うなとアートを睨む。


 それでも、まったく堪えていないアートは、大げさにドルチェの説明を始めた。

「そうだな。ノエル様なら、まずこれかな? ズコットだ」

 目の前に置かれたのは帽子のようなドーム型のドルチェ。

 スポンジ生地の中は、生クリームにナッツやチョコチップがたっぷり入っている、フランシスカの伝統菓子。


 話ながら、当たり前のようにアートがフィルの隣に座った。男二人に見られると落ち着かない。その視線を逸らすようにドルチェを見る。

 美味しそう。王宮でも食べたことがないわ。どんな味がするのかしら?

 仮面と、被っていた一枚布を外す。二人を見ると、私が食すのを待っていた。

 二人に見つめられたまま一口口に放り込む。食べたことのない食感と、甘さが口中に広がった。


「美味しいです」

 お世辞ではなく、本当に美味しかった。

「でしょ! いっぱいあるから全部食べて。それとこれもおススメ。あ、ジェラートは何にする? 取ってくるよ」

 よほど嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべ返事をする暇もなくアートが飛び出して行った。

「ノエル様、責任を取って出来るだけ食べて下さい。あの様子じゃ店のドルチェ全種類持って来ますよ。ノエル様は気が付いていなかったかも知れませんが、表情が『凄く美味しい』って言ってましたよ」

 えっ……。私、そんな顔をしてたの? 気が付かなかったわ。

 戸惑ってしまい動揺した。


「そのまま気持ちに素直になって大丈夫ですよ。誰も、このフランシスカではノエル様を傷つけませんから。私がノエル様を守ります」

 フィルの力強い言葉に息が詰まる。

 どうして、フィルがここまで私を思ってくれるのかわからなかったから。

 でも、フィルの言葉は偽りなど感じない。とても真摯で胸に響いた。


 どう答えて良いかわからず、皿に目を落とす。私の皿にはアートに進められたズコット。フィルの目の前にはタルト一つ。

「食べますか? 私が一番好きなアプリコットジャムのタルトです。母が、唯一作れるドルチェなのですよ」

 フィルが何を勘違いしたのか、私が返事をする前に嬉しそうに取り分けてくれる。

 フィルは甘い物が好きなのね。それに、私に対して凄く優しい。

 目の前に置かれたタルトを頬張ると確かに美味しい。

「母の味をアートが再現してくれたのです」

 再現? この言い方だとお母様は、お亡くなりになられたのね。

 そういえば、一番身近にいてくれるシシィの家族も知らないわ。私が警戒して心を開かないから。


「フィル、ちょっと来い。王宮から使いだ」

 考えながらタルトを食べていると、アートが血相をかいて飛び込んで来た。

 王宮から……何かあったのかしら?

 私に聞こえないように、アートから耳打ちされたフィルも鋭い顔つきになり席を立つ。


「ノエル様はこのまま食べていて下さい。すぐに戻ります。何かあったら階段下に居る給仕の者に言って下さい。それと……一人で絶対に行動しないように」

 私に何度も念を押すと、二人は部屋を出て行った。

 二人が慌てるほどのことが起こった。すぐに王宮に戻った方が良いのかも知れない。二人を追いかけようと立ち上がると、窓に何かが通り過ぎた。

 思わず身体が固まった。

 すぐに手が震えて胸が早鐘を打つ。

 背中には嫌な汗が伝い、『逃げろ』と警鐘を鳴らす。


「なん……で? このタイミングなの。あの宴以来、姿を見せなかったのに。どうして」

 何度も『どうして?』と問いかけるが、答えなど返ってこない。

一度、落ち着くようにと深く深呼吸をする。これから起きる最悪な事態を想像して。


 お兄様もエレーヌも、大切な人が居ない今なら……決着をつける。

 意を決し外を見る。すると、待ってましたとばかりに、赤い瞳の鷹が、近くの木々に止まり笑った気がした。

 付いて来いとばかりに、優雅に羽を広げ、運河の向こう岸に飛び立つ。

 鷹が舞い降りたそこには、燃えるような赤い髪に、憎しみを宿した、血のような赤い瞳の男が立っていた。


 ――時が巻き戻された気がした。あの忌まわしい過去まで。

 視界が涙でぼやけ見えなくなる。頬に伝う涙を拭い、幻だと、気のせいだと念じてみたけど消えてはくれない。

 あの男――ジェイド・インペリアルが遠くから私を見つめていた。

 動けずにいると、ジェイドの手招きをする。

 こっちへ来いと、早く来いと呪いのように私を縛る。

 それに応じるように階段へと向かった。ゆっくりと階段を下りても、誰も私に目を注目しない。


 何かがあったらしく、人々が立ち上がり、運河ではなく、店の外を見つめ声を上げていた。そんな中を通り、導かれるように外へと出る。

すると、ポツリポツリと大粒の雨が一粒、また一粒と頬に舞い落ちてきた。

 ……雨。そうだ、あの人と会う時はいつも雨だった。晴天の日も、会うとすぐに 雨が降ってくる度に、あの人は困った顔をした。


 思い出が蘇る。


 仮面も一枚布も纏わずに店を飛び出す。

 一人で歩いていても、街中が何かに気を取られているようで、誰も私を気にしていない。

 運河の向こうを見ると、ジェイドの姿。

 肩に鷹を乗せ不適な笑みを浮かべている。

 だが、私が近づくと少し離れる。それを繰り返された。まるで何処かに誘導するように。


 そんな風に距離を保ちつつ辿り着いた先は、入り込んだ街の一角。死角だらけで人目につきにくい場所。

 嫌、会いたくない。会いたくないの――助けて誰か……。

 心の中で、叫んでも叫んでも歩みは止まらない。まるで、自分の足ではないみたいに、あの男の元へと誘導される。

 一段と雨の勢いが強まった。全身ずぶ濡れのまま進む。振り続ける雨に、石畳には水溜りが出来る。

 行き止まりの路地に入ると歩みが止まった。



「会いたかったよ――ノエル」

 その先には、ジェイドが口元に笑みを浮かべ、私を満足げに眺めていた。

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