第11話 繋ぐゴンドラ
フランシスカに来て四カ月が経った。
四か月も経ったのに、私はまだ周囲に心を許せていない。
滅多に笑わず、侍女達とも必要最低限の会話しかしない。
それなのに、不愛想な私の元へ、フィルは毎日様子を見に来てくれるし、シシィの態度も変わらない。熱を出したあの日から、フィルは私、専属の薬師になった。
四カ月も経つのに、フィルと二人で義務的に話を繰り返している間も、私の態度が軟化しないせいか、フィルが困ったようなそぶりを見せる。それを見る度に心苦しい。
食事も、相変わらず少量だけ食べる生活を選んでいる。
そのせいか胃が小さくなり、食べなくてもこの頃気にならないくらいだ。そんな態度だからだろうか。
徐々に私の評判も悪くなり、正妃に異論を唱える声が上がり始めた。
それなら、修道院か、どこか人里離れた離宮にでも送って欲しい。
でも、変わらず接してくれるのは、フィルだけではない。シシィもだが、アイーシャ様も同じで、時間があると、お茶に誘ってくれる。
一度だけ、王宮にいても息が詰まるからと街へと連れ出してくれた。その気遣いが嬉しかったが私の心の闇は晴れない。
まだ人を信じられないから……。
そして、一番困るのはシャルワ様だった。
まず、二人になることがない。そして、必ずシシィかフィルが傍に居る。
シャルワ様は、最初に会った時の冷たい雰囲気は変わらないが、普通に接してくれている。避けられている様子もなく、シャルワ様も無口なようだ。だから、私と一緒にいても会話が続かない。
しかも、近頃、滅多に会わない。
……勘だけど、シャルワ様には想う人がいる気がする。
たまに、遠くを見ている儚げな表情も、私に向ける、興味のない態度も、想う人がいるなら説明がついた。
お互いが壁をつくり、踏み込まないようにしている。そんな生活も、私にとってはありがたかった。
「ノエル様。今日は、これから街に出かける予定となっております。着替えをお願いします」
「今から街に? でも、午後はいつも通り講義を受ける予定では?」
午前の妃教育を終え、一息ついているとシシィが話しかけてくる。
「本日は、学者の先生が体調を崩されまして、後日となりました」
「……そうですか。街へはアイーシャ様と、ご一緒ですか?」
前は、アイーシャ様からのお誘いだった。
馬車で街を周り、城下の生活を見聞した。
「いいえ。フィルがお供致します。今回はゴンドラをお楽しみ下さい。フィルが一緒なので安心ですわ」
ゴンドラ……今はあまり街に出たくない。どこから、あの男が見ているか、わからないから。前は馬車だったから安心だったけど、ゴンドラは大丈夫かしら?
迷うように、視線をシシィから外した。
目を向けた先は、窓が開け放たれている中庭。そこから穏やかな風が室内に流れこむ。ふと、中庭の池を見ると、水面が揺れ波紋を作り出す。
「綺麗……」
つい、声に出してしまった。
「お庭で弾いてみたらいかがでしょうか? ノエル様のハープの音色をいつ聞けるのか、密かに楽しみにしております」
何を勘違いしたのか、シシィが、室内の窓際に置いてあるハープを見る。
それは、アゲートから一カ月前に届いた品だ。
幼い頃からエレーヌと二人で、お母様にハープを習っていた。お母様の腕前は社交界では有名で、常に話題に上がるほど。
私は楽しく習っていたが、エレーヌは途中であきて投げ出す始末。
エレーヌはやめても、私はハープを弾き続けた。あの囚われている間も。ハープで癒され、演奏している間は嫌なことを忘れさせてくれたから。
これだけはと、兄に頼んで送って貰った。でも……まだ一度も弾いていない。
このハープの目的は別にあるから――――。
手元に置かなければ意味がないのだ。私だけしか扱えない物。
「本当に見事なハープですわ。こんなにも繊細で豪奢な匠は初めて見ました。アイーシャ様も褒めていらっしゃいましたわ」
惚れ惚れと見ているシシィの視線を追う。
その先には見事な支柱を中心に、真っ白な三角形のハープが輝いていた。
品を感じる曲線部分には金でオリーブの文様が描かれている。しかし普通のハープとは少し違った。
高さは1.9メートル。弦数は四十七本、このハープにしては珍しく、弦は金属だけではなく、羊や牛の腸を乾燥させた弦を使って音域を分けている。
そして、特徴的なのは足元にある七本のペダル。それを踏むと音域が変わり、中に組み込まれている金属に反応して音を奏でる。
これは特注に造られた物。あの男、ジェイド・インペリアルが私のために作らせた品。
焼け落ちた城から発見された時、その頑丈なハープに皆が驚いたそうだ。
炎に包まれても、その輝きを失うことなく存在を主張している悪魔の品。
そう呼ばれていることも知っている。
そんな曰くつきなハープを持ち帰りたいと言った時、兄は難色を示した。そんな兄に頼み込み無理やり持ち帰ったのだ。
「いつでも弾いて下さいませ。アゲートでのお噂は聞いておりますわ。ノエル様はハープの腕もさることながら、歌もお上手だと」
……誰がそんな話をシシィに教えたのだろう。もう二度と歌わないと決めたのに。
何も言えず黙っていると、扉が開く音が聞こえた。
「あら、ノエル様、お迎えが参りましたわ」
シシィが扉へと向かう。
誰が入って来たのか気になり見ていると、フィルの姿。
いつもの王宮用の立派な衣装ではなく、街に出るためか、全身、真っ黒な服装で、相変わらず顔全体に白い仮面を付けていた。
……そう言えば、フィルの素顔はまだ見たことないわ。シャルワ様は仮面をつけていないのに、フィルはいつも仮面を付けている。
「お待たせしました。支度は出来ていますか? 今日は天気も良いのでゴンドラに乗りましょう」
「肌を焼かないようにしないと。ノエル様、お待ち下さいませ」
他の侍女と一緒に、シシィにしては珍しく走り二階へと走って行った。
取り残されたのは私とフィルの二人。
何と言うか、シャルワ様と同じくフィルとも話す話題がない。毎日、顔を合わすが、そこまで話す間柄でもなかった。
「どこか行きたい場所はありませんか? シャルワ様は公務のため一緒には行けませんが、私がお供します」
「……いえ、私は何処でも構いません」
フィルも気を使っている様子で気まずい。そして、自己主張のない、私のいつも通りの返答に苦笑しているようだ。
「お待たせ致しました! これを頭から被って下さいませ」
居心地の悪さに落ち着きがなくなる。
すると、シシィがやって来て、ふわりと頭から足元まで隠れる白い一枚布を被せてくれた。
全てレースで編みこんであり、布自体は通気性が良く、被っていても暑いとは感じない。
「これでしたらお顔も隠れます。それに、日よけにもなります。色もお召し物と良く合いますわ!」
シシィの満足げな説明に自らの姿を見下ろした。
この国に馴染む様にと、シャルワ様とアイーシャ様からドレスを大量に頂いた。
アゲートの頃のように、コルセットで締め付けて、胸と腰を強調するドレスももちろんある。それとは別に、フランシスカの衣装も一緒に。
今、着ているのは、フランシスカの伝統的な衣装の方だ。
薄絹で丁寧に織ってある布地は、ふわりと軽い。それを重ね袖は肘くらいまで。 丈は足首まであるドレスは歩く度に揺れる。
色は海のような青とフランシスカでは何処にでも咲いている白い花のような純白。裾には小花の刺繍が施されいた。
その上に、シシィに被せられた一枚布を被る。
フランシスカでは、これが一般的なのかしら? 高貴な身分に見える装いだけど。
アイーシャ様と一緒に出掛けた時は、馬車に乗っていただけだから、普通のドレスだった。目立たないように、気楽な感じの服装にしなくても良いのかしら?
「それとノエル様。これを――アイーシャ様からの贈りものです。仮面ですわ」
シシィが差し出した小箱には、銀色の下地に、金色で細工が施された、華奢な仮面が置かれていた。
仮面の淵には所々に輝く宝石が埋め込まれている。目元だけを覆う女性らしい仮面に思わず見惚れた。
「街では、お顔をお隠し下さいませ」
顔を隠す? 何か隠さなければならない理由があるのだろうか。
この国に来てから、仮面を身に着けるようにと言われたのは初めてだ。フィルと シシィの顔を不思議そうに見返す。
「この国では、王族や貴族が街に出る時は顔を隠す決まりです。前にアイーシャ様と出かけられた時は馬車でしたので、素顔でも問題ありませんでした。ですが、今回はおつけ下さい」
顔に出でていたのか、フィルが丁寧に説明してくれた。
「そうですか。わかりました」
そう説明されると納得した。
すると、フィルが仮面を手に取り、私につけてくれる。
どうやってつければ良いのか、わからなかった。それは、とても助かった。でも……。
つけてくれている最中、間近に顔を覗きこまれ、反射的に一歩下がってしまいそうになるのを何とか堪えた。
フィルの大きな手が、髪を掻き分け素肌に触れると、緊張のせいか鼓動が煩い。指が頬に触れると顔に熱が集まるのを感じた。
「出来ました。良くお似合いです。では参りましょうか。シシィ後は頼みます」
「畏まりました。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
えっ、シシィも一緒じゃないの? もしかしてフィルと二人きりなの。
「シシィは行かないの?」
他の侍女達と一緒に頭を下げるシシィに、思わず声をかけてしまった。
不安が顔に出たのか、それとも日頃から話しかけない私に驚いたのか、シシィが目を細める。
「大丈夫ですわ、ノエル様。フィル様がご一緒なので安心です。それより初めてですね。私の名前を呼んで下さったのは」
大げさなほどシシィが喜んでいる。
……私はシシィの名前を呼んでいなかったの? 気づかなかったわ……。
「さあ行きましょうか?」
何と言って良いか迷っていると、フィルが私の目の前に手を出す。シシィは呑気に手を振っているが、この手を取って良いのか悩みどころだ。
シャルワ様の側近と言えど、手を預けて良いものだろうか?
悶々と考えていると、ふいにフィルが私の手を取り歩き出した。
……どうしよう。フィルは気にしていない様子だけど。それに、私達だけなの?
「あ、あの……もしかして二人きりですか?」
「何かご不満ですか?」
もしやと思い声に出すと、反対にそう問われた。
「あ……いえ、そう言う訳ではないのですが」
大丈夫なのかしら? 私は一応シャルワ様の妃候補のはず。
側近と言えども二人きりで行動なんて……。変な噂が立ったらフィルも大変なのに。
言葉に詰まり目を泳がせると、繋がれた手をそのままに中庭を歩いて行く。
石で出来たアーチ型の橋を通り、人工的な滝も通り過ぎると、森へと続く細い道へと入って行く。
今まで来たことがなかった場所に興味を惹かれ、辺りを見回す。
小鳥の鳴き声が聞こえ、木々のざわめきも新鮮だ。こんなにも自然の中を歩くのは久しぶりで、頬が緩む。
しばらく歩くと、森の一角に洞窟が見えて来た。
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