第10話 強張る想い
……眠れない。
あの騒ぎのあと、すぐに湯浴みを済ませると一人にしてもらった。
ほの暗い室内に一人でいると、助け出されたあの日を思い出す。
今まではエレーヌが一緒に居てくれたから安心して眠れた。あんなに羨ましくて嫉妬していたのに、やっぱり傍に居て欲しいと寂しくなる。
なによりも、あの鷹がいるのなら、ここはもう安全ではない。
自分で自分を守らなければ。
椅子から立ち上がり窓へと近づく。
「星が綺麗。アゲートでは、こんなにも見えなかったわ」
暗闇に浮かぶ淡い光に縋りつきたくなる。さっきまでは死んでも良いと思っていた。なのに、ユーリに会える可能性を考えて生きたいと今は思う。
空を見上げ、これからどうしたらいいのか考えた。
まず、一人でフランシスカを出ることは不可能だ。私がいなくなると、フランシスカから出資して貰えなくなる。そうなると、お兄様が困るから。
アゲートで幸せだった日々を思うと、自然と涙が溢れてきた。
いつから私はこんなに泣き虫になったのだろう。前はこんなにも泣かなかったのに。
窓の傍に座り込み、扉が見える位置で床に横になる。左耳を下にして、誰の足音も聞き逃さないように。
誰かが近づいて来たら、すぐに出迎えられるようにと。
五年前に躾けられた恐怖を思い出し、胎児のように小さくなり身体を抱え込んだ。
冷たい床は身体の体温を奪っていく。
それでも、慣れてくれば自然と瞼が落ちてくる。まだ考えることはいっぱいあったのに、疲れている身体は言うことをきかない。
警戒しなければと心の中で唱えながら眠りについた。
♦
階段を上がってくる足音が床を伝い耳に届く。
起きないと。起きて迎えなければ。そうしなければ怖い目に合う。早く動いて私の身体。
まだ覚醒しきれない頭を抑え起き上がった。
部屋の中はまだ薄暗い。
外を見ると、少しだけ太陽の光が雲の合い間から見える。まだ朝とは言えない時間帯。
こんなに朝早くに誰が?
立ち上がろうとすると、体の異変に顔を顰める。
どうしよう。だるい気がする。それに少し熱っぽい。昨日、水の中に落ちたせい? でも、誰にも言えない……迷惑をかけられないから。
大丈夫。このくらいなら耐えられる。
壁に手をつき立ち上がる。すると、扉がいきなり開いた。
「あら? 起きているのね。眠れなかったかしら?」
入って来たのは、男装した女性が一人。
腰までの蜂蜜色の巻き髪に、海を連想させる澄んだ青い瞳。私よりも頭一つ分背が高く、女性にしては長身だ。
女性の正体がわからなくて身構える。
……女性騎士かしら? そうだとしても、いきなり室内には入らないわよね……。
面識のない女性は、私の戸惑いなど気にすることなく、微笑を浮かべ近づいて来る。
「ごめんね。こんなに朝早く。息子の花嫁に早く会いたくなったから様子を見に来たの。昨日の騒ぎを聞いたから心配になって。身体はどう? 眠れなかったみたいね」
息子の花嫁?……。花嫁、そう私を呼ぶのは一人しかいない。
「――皇妃陛下」
腰を落とし礼をとる。
「アイーシャよ。名前で呼んでくれたら嬉しいわ。だって『皇妃陛下』なんて他人行儀じゃない。これから家族になるのに。それよりも寝台へいきましょうか? 身体が冷えているわ」
皇妃陛下という身分の割に、口調に親しみがある。気さくに話すアイーシャ様に手をとられ、寝台へと連れて行かれた。
そして、そのまま押し込まれるように寝かされる。
「熱が少しあるようね。薬を煎じましょうか。シシィ、薬草を持って来て」
アイーシャ様に気をとられ、シシィの存在にまったく気が付かなかった。
「あ、あの。私は大丈夫です。これくらいの熱なら問題ありませんので」
アイーシャ様が私の額に手をあてた。
「安心して。私はこれでも薬師でもあるのよ。フランシスカは水と仮面の都の印象が強いけど、実は薬草や医療技術も高いの。それに、ノエル様は気を張りすぎよ。ここは安全だから、床で眠る必要はないわ」
身体が強張った。
アイーシャ様の青い瞳は、全てを見透かされそうで思わず視線を逸らした。
「床に寝て音を拾っていたのでしょう? もう、ジェイド・インペリアルを恐れる必要はないわ。私達がノエル様を守ります」
声にならない悲鳴が上がり、起き上がりアイーシャ様から距離を取る。
ジェイド・インペリアル。この名前はもう聞きたくない。
五年前まで、彼がこの世界の王だった。
全てを掌握し、非道の限りを尽し朽ちていった破壊者。そして、私を閉じ込めていた男。
炎のような真っ赤な髪に、意志の強い真紅の瞳は絶対的な力を持っていた。
「落ちついて。大丈夫よ」
嫌がる私を、アイーシャ様が優しく抱き締めてくれる。離れようともがくが、子供をあやす様に優しく頭を撫でられる。
失くしてしまった温かさに涙が零れた。
「ノエル様はもう、ご存知なのね。ジェイド・インペリアルの目撃情報が出ました。最初に私達が知ったのは半年前。そして、最後に目撃されたのは、アゲートでの舞踏会の日です。ノエル様は会ったのですね、彼と」
その質問には、大きくかぶりをふった。
会ってない。会ってない! 私が会ったのは、あの鷹。彼に従う忠実な
「ノエル様。今から聞くことは大切なことです。思い出して。あの弓はどこに? あの神秘の弓は今、どこにありますか?」
「知りません。私は何も存じません」
アイーシャ様に抱き付いたまま力なく首をふる。
あの弓は誰にも渡してはいけないと言われた。弓の話をしてはいけないと。
「そうですか。あの城が落ちたあと、ジェイドが所持していた城や離宮を捜索しても出てきませんでした。あの弓には、聖なる力が宿ると言われている貴重な品です。少しでも情報をお持ちなら教えて頂きたいのです」
その話をしたくないと離れようともがくとアイーシャ様を止める声が聞こえた。
「そこまでにして下さい。アイーシャ様。具合が悪いノエル様にやりすぎです」
誰が止めてくれたのかと、縋るように顔を上げた。
「あら、フィル。あなたまで来たのね。ごめんなさいね、ノエル様。少し焦ってしまったわ。もし、何か思い出したら教えて頂戴。フィル、あなたが薬草を煎じてちょうだい」
相変わらず白い仮面を付けたままのフィルの表情はよめない。だけど、アイーシャ様と同じ色をしている青い瞳は不機嫌そうに見えた。
「そこをどいて下さい。それと陛下が探しておいででしたよ。こんな朝方に抜け出してこの宮に入って来るなんて反省して下さい」
皇妃陛下と親し気に話すフィルに驚いた。場合によっては不敬罪で牢獄行きなのに。
でも、アイーシャ様もフィルの口調を、まったく気にしていない。
「あら、いいじゃない。可愛い花嫁の顔を見たかったの。あ、ノエル様。フィルは私の弟子なの。薬師としての腕は信用出来るから安心して。それに、か弱い女性を襲ったりしないから。フィル、あとはよろしくね」
そう言うと、アイーシャ様が部屋を出て行った。
「嵐のような方……」
強くて優しくて美しい方。そして、誰にでも好かれる明るい雰囲気は羨ましい。エレーヌと同じ匂いがした。
アイーシャ様の後ろ姿を見送っていると、声を抑えた笑い声が聞こえた。
それはフィルからで、私と目があうと気まずそうに仮面を抑えた。
「失礼しました。でも、あってますよ、その表現。あの方はご自分の思う通りに行動され、周りを巻き込む才能をお持ちの方なのです」
「……そうなのですね」
返事のしようがなく、曖昧に目を逸らした。
「フィリップ、様と同じで、困った時は視線を外しますね。やはり兄妹だ」
「えっ……フィル様は兄と親しいのですか?」
「フィルと呼んで下さい。フィリップ様とはシャルワ様を通じて何度も会ったことがありますので、お人柄を知っております」
シャルワ様と言われ、昨日の出来事を思い出した。
助けてくれたけど、とても冷たい雰囲気の人だった。
「ノエル様。今から薬を煎じます。全部お飲みになるまで、私は帰れません。夕刻まで時間はありますが、出来るだけ早めにお願いします」
なぜ、フィルが帰れないのかわからない。しかも、今は、まだ朝日すら完全に上っていない。なのに、夕刻……?
意味がわからず困惑する。
そんな私の様子など気づかないフィルは、寝台から少し離れた床に座り薬草を広げた。
そんな様子を見守っていたら、シシィがにこにこと私の前に現れた。
手には料理を持って。
「ノエル様、薬が出来上がるまでこちらをお召し上がり下さい。昨日から、いいえ。アゲートを出られてから、あまり召し上がっていませんね。今度こそ食べて下さい」
のんびりとしているシシィから、きっぱりと告げられるのは意外だった。しかも、ばれていたとは。上手く騙せていたと思ったのに。
食べるのが遅い私は気持ち悪いから。ブランカ様に言われた一言が胸に突き刺さったままで、食べることが怖くなった。
何と答えれば良いのか悩んでいるとフィルが優しく声をかけてくれた。
「ゆっくりでも構いませんよ。食べるのが遅いからと言って、ここでは誰も責めません。シャルワ様は、だらだらと一日中食べ続けたことがありますから」
どうして、私が食事で悩んでいることをフィルは知っているのだろう。あの青い瞳を見つめていたら、あの天使様を思い出してしまう。
でも、フィルの髪は黒。天使様は白銀のような金色だった。フィルは天使様ではないのに。
それにしても、ちょっと棘を感じるフィルの言葉が面白くて頬が緩んだ。すると、二人が驚いた顔を見せる。
「……笑った方が可愛いですよ、ノエル様」
自分では気づいていなくて、すぐに表情を戻した。
「私もそう思いますわ。シャルワ様もすぐに国境に戻るなんて残念ですわね」
「しょうがないだろ。フランシスカでは見なれない、黒い獣が現れた連絡があったのだから。シャルワ様は、獣師だ。一番適任だ」
黒い獣と聞いて背筋が凍った。
なぜなら、ジェイドが傍に置いていた獣は黒だったから。やっぱり、ジェイドはフランシスカに来ている。私を探しに。
「ノエル様。大丈夫でございますか?」
強張った顔で俯いていたら、シシィが顔を覗き込んできた。
「あ、あの。獣師とはどういう?」
何か話題をと思い、聞き慣れない言葉を口に出す。震えている指先をリネンで隠しながら。
「アゲートではいないのでございますか? 動物や鳥、魚もですが治療する方のことですわ。シャルワ様は、この国で一番の凄腕獣師でございます」
なぜだかわからないが、シシィが嬉しそうに、張り切って説明してくれた。
「ですので、申し訳ございませんが、シャルワ様は少しの間不在となります。申し訳ございません。その間、私やフィルがお世話させていただきますのでご安心下さい」
「ありがとう、ございます」
シシィの勢いに、たじろいでいると、フィルが傍へとやって来る。
「少しでも召し上がって下さい。そして休みましょう」
シシィからスープの器を受け取ったフィルは、なぜか私に料理を渡さずに食べさせてくれようとした。
「……っ、自分で食べられます」
「薬師ですので気にしないで下さい。他の病人にもやっていることなので。召し上がって下さい。海の幸から出汁をとったスープです。美味しいですよ」
顔に熱が集まる。
体調の悪さからくるのか、フィルのせいなのかわからなくなった。
世話をやいてくれるフィルからは動揺が見られない。
本当に具合の悪い病人の世話をしている感じだ。
私だけ過剰に狼狽えてバカみたいだわ。
シシィも止めない所を見ると本当に普通なのだろう。
困った顔を見せながらも口をあけた。
「ゆっくり召し上がり下さい。
口の中に旨味が広がる。早く食べることばかりに気がいき、味を気にしていなかった。久しぶりの食事に息を吐く。
「あなたに元気がないとフィリップ様に叱かられますから、何か食べたい料理や食材があれば言って下さい」
「お兄様にですか?」
「ええ。ノエル様に何かあると困るからと。心配症ですね、フィリップ様は」
フィルの言葉に気分が沈んだ。どす黒い感情が沸き出る。
お兄様が困るのは、私に何かあるとお金を借りられなくなるからだ。だから、心配するんだ。私を思ってじゃない。
フィル達もだろう。
私に何かあると、シャルワ様やアイーシャ様から罰がいくのかも知れない。さっきの温かさが途端に引いて行く。
ジェイドに囚われている時も、一回だけ逃げようとしたことがある。
世話をしてくれた侍女の手を借りて。
でも、上手くいかなくて見つかった時、侍女は自分は悪くないと懇願した。私が無理やり命令したと。
そのあと、私をジェイドに差し出した。自分が逃れるために。
裏切られるくらいなら、人を信じない方が良い。その方が余計な期待をしなくてすむから。だから、今は優しくても、この人達を信じてはいけない。
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