第9話 逃げきれない過去
「――ノエル様、こちらも召し上がって下さい。お酒もありますので」
宴が始まり二時間あまり。
一通りの挨拶も終わり一息吐くと、シシィがかいがいしく料理を勧めてくれた。ほとんど食べられないと言われていた割には、時間に余裕があった。
促されるままに少しずつ口に入れていく。
食べながら周囲を観察した。
アゲートの夜会や舞踏会では、椅子や長椅子は置いてあるが、基本的には立って過ごすことが多い。
おしゃべりを楽しみ、ダンスをするのは勿論。好意を持っている異性に近づきやすいようにとの配慮もある。そのせいか賑やかで華やかな印象だった。
だが、フランシスカでは、皆が床石の上に敷いてある絨毯に座り、食事を楽しんでいる。そのせいか、皆がくつろぎ落ちついている印象だ。
……国によっては、まったく趣向が違うのね。
そして、私が一番気になっているのは広間の中央に造られている水辺だ。床石をくり抜いてあるそこを覗き込むと、無色透明な水が流れ、小さな魚が泳いでいた。
水面には水栽培なのか、甘い桃色の花と緑の葉が浮いている。
その水辺を取り囲むように、仮面を付けた貴族達が座っていた。
「ノエル様は泳げますか?」
興味津々で、優雅に泳ぐ魚を目で追っていると、シシィが飲み物を注いでくれた。
「いえ。アゲートは内陸に位置していて海はありません。それに、私は……五年間、外にあまり出ていませんので泳ぐことは出来ません」
私の答えにシシィの顔が曇る。
「……申し訳ございません。余計なことを言いまして。実は、この水辺は見た目よりも深いのです。ノエル様が落ちても足がつきません。ですので、お気を付け下さいと伝えようと思いまして」
最後の方は消えそうなくらい小さく、落ち込んだように頭を下げるシシィに首をふった。
「大丈夫です。気にしないで下さい。慣れていますから。それよりも、舞踏を披露して下さっている皆様は、とてもお綺麗ですね」
気まずくなり話題を変える。
目に入ったのは、外に面した舞台で妖艶に舞っている踊り子達。
まだ、年若い少女や女性達が、露出度の高い衣装を纏っている。もちろん、踊り子達も鮮やかな仮面で顔を隠していた。
「ありがとうございます。フランシスカでは舞踊の人気が非常に高く人気の職業です。あの者達はその中でも才がある踊り手達ですわ」
シシィの言う通り踊り手達は、全員が輝いているように見える。自信を胸に、誇りを持ち夢のために生きている。
その姿を見ていると、何も持っていない私が恥ずかしくなった。
「失礼いたします。ノエル様。フランシスカにようこそおいで下さいました。お初にお目にかかります。ルイーズ・メイと申します。お楽しみ頂けておりますでしょうか?」
いきなり声をかけられ俯いていた顔を上げた。
目の前には、私と同じくらいの年齢の女性が膝を付き、胸に手をあて頭を下げていた。
最初に目を引くのは、黒い瞳に美しく艶のある腰までの黒い髪。そして、私から見てもドキリとするほどの女性らしい魅惑的な肢体。
黒地に金の刺繍を施してあるドレスの形は、私が身に着けているドレスと、とても良く似ている。
「ノエル様。公爵家のお嬢様です」
私の後ろにいるシシィが小声で教えてくれた。
「……ありがとうございます。見る物すべてが新鮮で、楽しませて頂いております」
当たり障りのない返事をすると、ルイーズ様が私の隣に来ると腰を下ろす。
「失礼致しますわ。私、ノエル様が来られるのをお待ちしておりましたのよ」
何も言っていないのに馴れ馴れしく話始めたルイーズ様に困惑した。控えているシシィも困り顔だ。
蠱惑的な微笑みを浮かべてはいるが、視線が険しい。友好的な雰囲気は一切感じられない。この手の女性は何人も目にしてきた。
曖昧に相手をして乗り切っても、今後何かされる可能性が高い。でも、ここできっぱりと跳ねのけてもわだかまりが残り、私の印象は悪くなるだろう。
どう対処して良いか悩んでいると、私の様子には構わず、ルイーズ様は話続ける。
「だって、シャルワ様が自ら妃にと望んだ女性ですもの。私達の間で噂になっておりますわ。どうやってシャルワ様のお心を動かしたのかと」
……シャルワ王子が自ら私を? お兄様は何も言っていなかった。それに、私はシャルワ様と会った記憶がないけど。
それとも、あの男に囚われていた私が珍しくて傍に置こうと思ったのかな。
その考えに至ると、ズキリと胸が痛む。
「今まで私を含めた複数の女性が、シャルワ様の正妃の座を争いました。ですが、シャルワ様はまるで興味を示してくれず困っておりましたの」
王妃の座を狙っていると、隠すこともなく口にするルイーズ様に目を疑った。
普通は初対面で、ここまで言わないのに。フランシスカでは、これが普通なのかしら? 私に直接伝えてくるのは宣戦布告?
ルイーズ様の声は徐々に大きくなる。
その声に反応して、周りで和やかに談笑していた貴族達が、何事かとこちらに視線を移した。
「近隣諸国はもちろん、フランシスカ内でも、シャルワ様の妃選びは注目の的でしたの。最近は女性の影も見えず周りも様子を伺っておりましたら……。いきなりノエル様を迎えたのですわ」
女性は、一旦話を切ると、目を吊り上げ私を睨みつける。
「納得出来ませんわ! こんな曰くつきの姫君を正妃にだなんて! フランシスカの名誉が傷つきます」
広間全体に響いた声に、その場が静まり返った。
「ルイーズ様。お言葉にお気を付け下さいませ」
後ろに控えていたシシィが声を挟む。
「あなたは黙っていて。私は、昔からずっとシャルワ様を慕って来たわ。それなのに、身分だけの、こんな女に正妃の座を渡すなんて納得出来ない! 愛想もなく露骨に態度も悪いのに」
どうして、ここまで悪意をぶつけられるのか、わからなかった。
面と向かって言われた強い暴言に泣きたくなってきたが、ぐっと堪える。
「そこまでにして下さいませ、ルイーズ様。私の言葉は皇妃陛下の声としてお聞き下さい。ノエル様を正妃にすることは、すでに決定事項でございます。それは覆りません」
シシィが今までと違い、強い口調でルイーズを諭す。
「なぜ、侍女のあなたにそこまで言われないといけないの? 私は公爵令嬢よ!」
ルイーズが苛立ったように立ち上がると、シシィも立ち上がった。
「さきほど申したはずです。私の言葉は皇妃陛下の声だと。その意味がわかりませぬか?」
背筋を伸ばし、ルイーズに意見するシシィから目が話せなかった。
……皇妃陛下の代理。シシィって意外と身分が高いのかしら。そういえば、シシィの話は何も聞いていない。
「どうでもいいわ。あなたは黙っていて。私はノエル様と話があるのよ」
シシィを押しのけると、ルイーズ様は座っている私の腕を掴み引っ張る。慌てて立ち上がると、そのままルイーズ様が歩き出した。
「どんな手を使ったの? シャルワ様を虜にするために」
「ルイーズ様、そこまでにして下さい。皆様が見ておいでです。お父上と家の名を汚したくなければ」
止めに入るシシィには目もくれず、私をじっと見つめるルイーズ様に、背筋が凍った。
なぜなら、さっきまでルイーズ様の瞳は黒色だった。それなのに今は、血のような真紅。
その色に見覚えがあった。
……そんな、嘘よ。やっぱり、生きているの。ルイーズ様は操られている。
思い出してしまった。あの日々を。
また、あの男に囚われてしまう。今度は誰も助けてはくれない。逃げ場がない地獄のような日常。
やはり、火に焼かれても死んでいなかった。ずっと私を見張っていたんだ。嫌だ。もう、あの男に囚われるのは嫌。助けて……誰か。
震え出した身体は思うように動かない。
「ルイーズ様。ノエル様をお離し下さい。ノエル様、落ち着いて下さいませ。大丈夫ですから」
シシィが私の尋常ではない様子に気が付いたようで、誰かを呼び始めた。
貴族達は、成り行きをただ見ているだけで、誰もルイーズ様を止めない。
「この国から出て行きなさい! ここは、あなたの来る場所ではないわ。さあ――――行かなくては」
女性とは思えない強い力に抵抗出来ない。
震えたままの身体は言うことを聞いてくれず、どうしようも出来なかった。腕に鋭い痛みが走る。
どこから私を見ているの? 止めて……もう止めて。
周りを見渡し、その姿を確認しようと必死で探す。
今まで状況を傍観していた貴族達も、ルイーズ様の奇行に困惑を隠せないでいる。だが、お互い顔を見合わせているが、誰も動こうとしない。
「ルイーズ様。ノエル様から離れて下さい。でなければ今から拘束します」
シシィの言葉に十名ほどの兵士達が私達の周りを取り囲んだ。
「そこをどきなさい。この女を、連れて行かなければならないの!」
髪を振り乱し、目を血走らせるルイーズ様の言葉に絶望を感じた。
私を連れて行く。やっぱり、あの男が来ているのね。私を迎えに。
でも、このままじゃ、ルイーズ様が拘束されてしまう。操られているだけなのに、それを証明させるだけの証拠がない。訴えても誰も信じてくれないだろう。
動揺していると、ゾクリとした強い視線を感じ、首をぎこちなく動かした。
すると、外の木々の一つに、怪しく光る赤い二つの瞳。
その双瞳に見つめられた。
手足を必死で動かそうとするが、床に足が吸いついたように身体が動かない。声も出ない。
ルイーズがシシィや兵士達と言い争い、甲高い声を上げる。
この視線から逃れなければ囚われる。何とかしないと……。
しかし、考えれば考えるほど身体が動かない。その時、頬に痛みが走る。
頬を抑え、目の前のルイーズ様を呆然と見つめると、また手を振り上げてきた。
「さっさと歩きなさい!」
幸か不幸か、呪縛が外れ身体が動いた。その好機を見逃さない。
『あの瞳に囚われたら水に隠れるんだ。あいつは水に弱いから。それで、一時的だが逃げられる』
あの人の、ユーリの声を思い出す。
皆が騒ぎだす中、迷いなくルイーズ様の腕を掴み、水の中に勢いよく飛び込んだ。
「ノエル様――――!」
シシィの悲鳴を耳にしながら、泳げない水の中へと身をゆだねた。
水の中は、シシィが言っていたように深く足が底につかない。
泳いだ経験もなく、ドレスの重みもあって沈んでしまう。
息が苦しくなって、捕まえていたルイーズの手を離した。
すると、ルイーズは水面へと浮上していく。同じように水面に出ようとするが、ドレスの裾が邪魔をする。
……苦しい。息が出来ない。
水底から見上げると光が揺らめいている。
――その時、ふと思ってしまった。
このまま私が居なくなっても誰か悲しんでくれるのかと。誰も泣いてくれないのではないかと。
なら、もう、あきらめてしまっても許される。
もがくことを諦め身体の力を抜いた。
最後に思い出したのは、大好きになったあの人。
ユーリ。また、あなたに会いたい。
全てを捨てた瞬間、力強い腕に引っ張り上げられた。
私の身体を軽々と抱え、光へと導くように水面へと引っ張り上げられた。一気に空気が喉を通り咳き込んだ。
「大丈夫だ。ゆっくり息を吸って」
すがるように、助けてくれた男性の首へと手を回す。何度も深呼吸を繰り返し、大きく息を吐きだした。
「……ゆっくりと息を吸って」
聞こえてきた声に、滲む涙を浮かべ顔を上げる。
そこには、仮面をつけていない、素顔を見せた若い男性が私を見つめていた。
「……もう大丈夫だ。シシィ、すぐにノエル様に湯浴みを。風邪をひかれては困る」
水面から引き上げられると、男性はシシィ達に指示をする。
「ノエル様、お怪我はございませんか? ノエル様、あとはお任せ下さい。シャルワ皇子はすぐに着替えを」
青ざめた顔でシシィが私の手をとった。
そして、助けてくれた男性の名を呼んだ。息をのんだ。
シャルワ王子。この方が……。今日は戻らないと聞いていたのに。
「ああ、わかった。ノエル様を早くお部屋へ。ルイーズもこちらで保護する」
隣で肩を支えてくれている人を見上げた。
黒曜石のような黒い瞳は鋭い。黒い髪の、冷たい感じがする整った顔立ちの男性は、あの舞踏会の男性とは違った。あの方は、青い瞳だったから。
あの、助けて下さった仮面の方ではないんだ。確かに、お兄様はあの方がシャルワ王子とは言わなかった。
そして、はっと気づく。
迷惑をかけてはならない方だと。少し距離をとりシャルワ様を見上げた。
「申し訳ございません。だ、大丈夫です。一人で歩けますので。シャルワ様、助けていただきありがとうございます。」
「礼には及ばない。ルイーズのことといい、こちらの不手際だ。それより何があった? 足を滑らしたのか? それとも、ルイーズに付き落とされたのか?」
両手を床石に付け頭を深く下げた。
すると、水の中へと落ちた理由を聞かれ言葉に詰まる。
本当のことは言えない。危険が迫ってしまうから。あの鷹は、自分で何とかしないと。
「いいえ。ルイーズ様は関係ありません。私のせいでございます。私が足を滑らせてしまいました。その時、ルイーズ様の手をそのまま引っ張ってしまいました。咎めはすべて私に……」
幸いにも、視界の片隅でぐったりと倒れているルイーズ様は意識がないようだ。操られていたなら、私が嘘をついても問題ない。
あの鷹に操られている間は、記憶がなくなる。
「……そうか。わかった。顔を上げろ」
あっさりと嘘を信じてくれたシャルワ王子に胸を撫で下ろす。
そして言われた通り顔を上げた。
何も感じられない黒の瞳が私を射抜く。
「皆の者。我らは席を外す」
シャルワ様が立ち上がる。隣にいたシシィが私の身体を支え、立ち上がらせてくれた。そして、支えられながら部屋へと戻る。
ふと、あの鷹はまだいるのかと外を見ると、そこには何もなく、身体に纏わりつく、生温かい風が吹いていた。
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