第8話 水の都②
白亜の王宮の入り口をくぐる。正面には、白を貴重とした厳かな雰囲気の噴水。外とは違い中は涼しい。
歩く度に靴音が響く。シシィの後を遅れないように付いて行と、その度に、控えていた侍女や使用人達が頭を下げる。
何回も角を曲がり、階段を上がったり下ったりと、王宮内は複雑な構造をしていた。
しかも、回廊の端や真ん中には水が必ず流れている。
さすが水の王国だわ。王宮の中にも水が流れているのね。
でも困ったわ。もう、どっちの方向から来たのかわからない。一人で歩くと迷子になりそう。まるで迷路みたい。
少しでも目印になりそうな柱や装飾品を探すが、どれも同じ柱ばかり。
「ノエル様。無理に覚える必要はございません。王宮は、敵が侵入して来た時に、少しでも時間を稼げるようにと複雑な構造になっております。ノエル様が出歩く際には、必ず共の者が付きますのでご安心下さい」
そう説明してくれたシシィが、厳かな扉の前で立ち止まった。
「こちらでございます」
扉が開けられると、促されるまま進む。
中にいた大勢の男女が一斉に頭を下げた。
異様な光景だった。
貴族と思われる半数以上が、個性豊かな仮面を身に付け素顔を隠していた。話には聞いていたが、初めて見る光景に圧倒される。
それと、南国特有の衣装にも驚いた。
アゲートでは、舞踏会や夜会などを除いて、肌を見せることは極力なかった。今、私が着ているような、首元まで詰まった衣装が当たり前で、布地もたっぷりと使ったドレスが主流。
だが、目の前の女性達は、両肩を出した薄い生地を纏い涼し気だ。
確かに、この暑さだと、私の服装は合わないわね……。
「ノエル様こちらにお座り下さい」
勧められるまま、上座の中央に置かれている椅子に腰かけた。籐で編み込まれている椅子は、見た目も涼し気で座り心地も良い。
失礼にならないように、辺りをゆっくりと観察する。室内の窓はすべて開け放たれ、花の香りなのか、甘い匂いが漂っている。
「ノエル様……皆様からご挨拶が」
目に入るもの全てが目新しく、そちらに気をとられていたら、シシィに声をかけられた。
私の目の前まで歩いて来た男性が、無駄のない動きで跪くと頭を下げた。
「シャルワ王子の側近を勤めております、フィルと申します。以後、お見知りおきを。ノエル様を歓迎致します」
フィルと名乗った男性は若く、髪と瞳は夜空を思わせるような漆黒。そして、フィルもまた顔全体を覆う、白い仮面を身に付けている。
そのため素顔がまったくわからない。
フィルが言い終わると、後ろに控えていた全ての男女も一斉に頭を下げた。
その行動に息を呑む。
まだ、正式な妃にもなっていない私に、どうして、ここまでしてくれるのだろうか。しかも、曰くつきの私に……。
「これから……よろしくお願い致します」
淡々と返事を返すと、フィルが顔を上げる。
「ノエル様には申し訳ありませんが、皇帝陛下、皇妃陛下共に他国へ外遊に出掛けております。そして、シャルワ様は、今日中に戻られるか、わからない状況です。代わりに、我々がお世話するように言われております」
丁寧に状況を説明してくれるフィルに頷いた。
「大丈夫です。問題ありません」
失礼にならないように注意を払い返事をする。
すると、フィルがじっと私を見つめるが、すぐに貴族や宰相達の挨拶が始まった。
一人一人と簡単に言葉を交わす。
私のそっけない態度に、隠すことなく不快そうに目を細める者もいたが、特に何も言われず終了した。
「夜には、ささやかですが宴の用意をしております。それまで、お部屋にてお休み下さい。……シシィ」
私の態度が悪かったせいか、室内は微妙な空気になる。それを取り繕うように、フィルがシシィに声をかけた。
「ノエル様。お部屋にご案内致します」
少し困ったようにも見えるシシィの案内で立ち上がる。値踏みするような視線の中歩き出す。
自分の態度の悪さとは言え、その視線がたまらなく怖くて指先が震えた。皆、一応に素顔が隠されているせいか、何を考えているか、わからない。
しかも、棘が突き刺さるような雰囲気を全身で感じていると、表面上は歓迎されていても、裏では必要とされていないと、ひしひしと伝わってくる。
これから、この中で生活していかなければならない事実に心が痛んだ。
悶々と考えながら、シシィを先頭に歩き出す。また、迷路のような回廊を歩き、案内されたのは、庭園を通り抜けた別塔。
別塔を取り囲むように川が流れている。
南国特有の、見たことのない木々を見渡し、木で造られた橋を渡った。
橋を渡ると、重厚で趣のある扉をくぐる。
中は白を基調にした石造りで、ここも、ひんやりと涼しい。
一番に目がいくのは、目の前に広がる壁一面のガラス張りの窓。その向こうには東屋と滝が見えた。
「ノエル様。まずは湯浴みを。お手伝いをさせていただきます」
他の侍女に指示を与え終わると、シシィが私を見る。
「いいえ。一人で大丈夫です。アゲートの方から伝えてあると思いますが、湯あみと着替えは一人で出来ます」
そう言うと、シシィは困ったような顔で頷いた。
「……伺っております。では、こちらへ」
室内の奥にある階段へと促される。ドレスの裾を少し持ち上げ、先に歩くシシィに付いて行った。
二階があるのね。それに広いわ。ここを一人で使うのかしら? こんなにも贅沢な所に住んで良いのかしら。私は、お金で買われた身なのに。
立場を考えると、質素な狭い部屋を予想していたから困惑してしまう。
階段を上がると、すぐに右手の部屋へと案内された。
「こちらでございます。足元にお気を付け下さいませ」
滑ると思われたのか、シシィが手を差し出してきた。おずおずとその手を取り中へと入る。
明るい湯殿は、天窓から太陽が降り注いでいる。
湯気が立ち上る中央の水面には、色とりどりの薔薇の花びらが浮いている。1人で入るには広すぎる、その造りに呆気にとられた。
「お気に召しませんか? ノエル様。もし改装が必要でしたら、いつでもお申し付け下さいませ」
何の反応も示さない私に、シシィが不安げな顔を向ける。
「いいえ……。十分です。一人にして下さい」
とても素敵だと伝えようとしたが、昔の記憶が蘇り声にならなかった。相変わらず不愛想な返事に申し訳なくなる。
シシィを始めとした侍女達の不安そうな表情に胸が苦しくなった。だが、気のきいた言葉をかけることが出来ない。
「で、では着替えはこちらを。フランシスカの伝統的な衣装となります。何かあればお呼び下さい」
伝え終わると、侍女達が下がる。
誰もいなくなるのを確認すると床に座り込んだ。
「私の態度は最低だったわ。でも、前みたいに失敗はしてないはずだもの。誰にも笑いかけなかったし、必要最低限の話しかしてない。だから大丈夫」
自分の行動を思い返す。問題はなかった。そう思いたい。
祈るように震える両手を祈るように組んだ。
上を見上げると、天窓からは太陽が降り注ぐ。
「…………大丈夫。きっと、大丈夫」
何度もそう唱えると立ち上がる。
一人で着替えることを予想して、普段着ていた複雑なドレスではない。脇の下にある隠し釦を外し脱いでいく。
「やっぱり一人で着替えるのは大変ね……」
ドレスを脱ぐだけでも時間がかかってしまう。だが、シシィ達に見られたくない理由があった。
全部脱ぎ終わると湯へと入る。
温かい湯に浸かると心が落ち着いてきた。
温まってくると身体に湯をかける。その時、目に入るのは複数ある傷痕。
これが、シシィ達に体を見せられない理由。
「少しは薄くなったかな。でも、やっぱり消えないわね」
当時よりも薄くはなったが、見ていて気持ちの良いものではない。エレーヌやお兄様達も、気にして薬を集めてくれたが、完全には消えなかった。
だけど、傷つけられた身体よりも心の痛みの方が処理出来ない。だから、今回は間違えないようにしないと。
また、あの時のような扱いは耐えられないから。すべてを受け入れれば、頷いていれば静かに暮らせるならそれで良いもの。
あきらめることは慣れているから。
頭ではわかっているのに悲鳴が口から洩れる。
「……助けて。誰か助けて」
声に出しても誰も助けてくれないのに。帰る場所さえも失った私はどうしようもない。
エレーヌの笑顔が浮かぶ。
「エレーヌになりたかった。一人では寂しいの」
何度願っても叶わぬ夢。決して繋がらない未来を何度も夢見る。
「ノエル様……。大丈夫でございますか? 何かありましたら、お声をかけて下さい」
シシィの声が聞こえて、慌てて頬に落ちる涙を拭う。
そんなに時間が過ぎたの。早く出ないと。
急いで身体を清め、用意されていた着替えを手に取った。
慣れないドレスに戸惑いながらも何とか着替え、鏡に向かって立つ。そこで考え込んでしまった。
……肌を見せる部分が多い気がするわ。でも、傷痕は見えないから大丈夫かな……。
首から胸元まで肌を見せるドレスは、フランシスカでは一般的とはいえ落ちつかない。救いなのは、ドレスの丈が長いことだ。
しかし、体の線にぴったりと沿う形は、着慣れないせいか恥ずかしい。
色味も、普段なら絶対に着ない、深い真紅の布地に金の刺繍がされている。
エレーヌに似合いそうなドレスだわ。羽織るものがあれば良いのだけど。
考えた末に、扉を開けて顔を出す。
「あの。……何か羽織る物が欲しいのですが」
控えていたシシィ達と目を合わせると、安堵したような表情を浮かべられた。
どうやら、物凄く心配してくれていたらしい。
「ドレスがお気に召されませんでしたか? 皇妃陛下が、ご用意されたのですが……」
「素敵なのですが、着慣れないドレスなので羽織る物が欲しいです。肌を出したくないのです」
そう言うと、シシィが後ろに控えている侍女に目配せする。
「すぐに羽織をご用意致します。ドレスは皇妃陛下が選ばれた物ですので、今日の宴へは、そのままでお願い致します。明日は違う形のものをご用意致します」
皇妃陛下がわざわざ選んで下さったの? 私のために……。
また驚きが一つ増えた。
「ノエル様。これをお使い下さい。お手伝いを致します」
シシィが羽織を手に近づいてくる。そして、私にふわりとかけてくれた。
「よくお似合いですわ」
「ありがとう。助かりました」
そう言うと、場の雰囲気が和んだ気がした。どうやら、シシィを始め侍女達もまた、私と同じように緊張していたらしい。
「お食事を用意してあります。その後は少しお休み下さいませ。夜の宴ではご挨拶で食べる暇はないと思いますので」
シシィに促されるまま椅子に座り、用意している料理を見る。アゲートでは見ないカラフルな魚や見たことのない食材も目に入る。
だが、その豪華な料理を目の前にしても食欲はわかず、少しだけ食すと、すぐに休ませて貰った。
夜の宴に不安を抱きながら。
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