第5話 回り出だした歯車

 ――違う。私は逃げただけだ。あの人じゃなくなったから、あの人が居なくなったから逃げただけ。手が届かなかった。

 ユーリを……。好きだったあの人を、助けることが出来なかった。




 何度も名を呼ばれた。

 このまま静かに寝ていたい。何の不安もない私だけの世界だけで十分なのに。なのに、それを許してくれない。

 可愛い妹の声が聞こえた。泣いて私の名を呼ぶその声に瞑っていた目をあけると、眩しい光に目を細める。


「ノエル。気分はどう? 痛い所はない? ごめんね。私が護衛を借りたから。だから、ノエルが……」

 寝台に寝かされている私に抱き付いてきたエレーヌからは甘い薔薇の香りがした。


 泣きじゃくるエレーヌの言葉から記憶が蘇る。

 ああ、私は気を失ったんだ。あの生き物が私を見ていたから。現実から目を逸らしたんだ。

「大丈夫よ、エレーヌ。もう、泣かないで。モリー、あなたも無事で良かったわ。ごめんなさい、人を呼んで来ることが出来なくて。怪我はない?」

 寝台の側で、私を心配そうに見つめているモリーもまた、目に涙を浮かべている。


「ノエル様が謝る必要はございません。私は、すぐに騎士の皆様が助けてくれました。申し訳ありません。私の判断がノエル様を危険に晒しました」

「あの場では、あれが最善の判断だったわ。だから、もう気にしないで。私は生きているもの……」

 必死に謝るモリーに胸が痛くなる。私が、もう少ししっかりしていれば、私がすぐに助けを呼べていれば良かったのにと……。


 無力な自分はあの時と変わらない。


 お兄様達が助けてくれるまで、行動を起こさずあきらめていた、あの頃と。まだ、あの悪夢に囚われ、身動きがとれない情けないまま。

「ノエル。顔色が悪いから、もう少し休んで。ずっと傍にいるから安心してね」

 涙を拭いエレーヌが弱々しく笑った。

「だめよ。まだ舞踏会が続いているのでしょう? エレーヌは私の分までアゲートの王女として出席してきて。それに、アルフレッド様も待っているわ」

 舞踏会は三日間続けられる。


 普段から社交に出ない私は問題なくとも、華やかで行動的なエレーヌも不在だと、何かあったのかと憶測を呼んでしまう。


「ノエル、心配いらないわ。舞踏会は昨日無事に終わって皆様は帰られたわ。残っている他国の方もいるけど、お兄様とお話がある方ばかりだから。ノエルは倒れてから三日間、ずっと目を覚まさなかったの」

 驚いてしまった。


「私は、そんなに寝ていたの? どうりで体が痛むはずだわ」

 だから、こんなにも二人が心配していたのね。それと、もう一つ気になっていたことがある。

 思い出すのも嫌だが、聞かなくてはならない。


「あの男達はどうなったの?」

 私が聞きたいことがわかったようで、二人の表情が固くなる。

 重い口を開いたのはモリーだった。

「ノエル様を襲った男は、他国の貴族の御子息でした。今回の件で爵位を剥奪され平民に落とされたそうです。そして、北の国で住むことになると。アゲートには今後入国出来ません」

「そう……」

 死罪にならなかったのは、身分が思っていたよりも高かったのだろう。揉めて両国の間に火種を撒く訳にはいかない。


 やっとで争いのない世界になってきたのだから。

 でも、もう、会うことはない現実に安堵した。


「――それで、あの仮面の方はどなた? 私を助けてくれた……」

 気になっていた。

 青い瞳が印象的な不思議な姿をしていた、あの方が。

「その仮面の方は、フランシスカの御方です。あの御方が、気を失ったノエル様を保護して下さいました」

 私が問いかけると、モリーの表情が明るくなる。さっきまでの暗い空気が嘘のようだ。


 フランシスカ。南方に位置していて海に囲まれている皇国。

 書物や聞いた話では、国中に水路が混在し水路を活用していると聞く。移動手段はゴンドラや小型の船。そして、身分の高い貴族は日頃から仮面を身に付けている。

「だから、仮面を身に付けていたのね。……もう、お帰りになられたの?」

 私がそう聞くと、モリーもエレーヌも驚いた顔を私に見せた。

 その意味がわからない。

 まだアゲートに滞在しているのなら、助けていただいたお礼を言いたかっただけなのに。


「はい。本日の朝方に」

 すぐに表情を戻し、モリーが教えてくれる。

「珍しいわね。ノエルが誰かに興味を示すなんて」

 エレーヌが興味津々で私を伺う。


「お礼を言いたかっただけよ。助けて下さったから」

 それだけだと言うと、エレーヌが残念そうな顔をした。

「そうなの。てっきり、ノエルが気になったのかと思ったわ。だって、とても素敵な方だものね。あ、お話はまたあとでゆっくりしましょう。それよりも休んで。傍にいるから大丈夫よ。本当にごめんね。怖い思いをさせて」

 また暗い顔をして謝ってくるエレーヌに何度も大丈夫だと伝えるが、一向に離れない。よほど責任を感じているらしい。


 聞きたいことは山ほどあったのに、部屋に侍医が入って来たので、そこで終了となった。

 



 あれから1週間が過ぎた。

 体調も回復し、また平穏な日々が戻った。なのに、部屋から一歩も出ることが出来ないでいる。


 原因は、私を心配してくれるエレーヌとモリー。それに、あの出来事から、さらに過保護になったお兄様にも責任がある。

 そして、問題はエレーヌが私の傍を離れなくなったこと。

「……エレーヌ。私はもう大丈夫よ。結婚の準備をしなさい」

 寝台で起き上がり、読んでいた本を静かに閉じた。

 傍で椅子に座っているエレーヌに声をかける。


「いやよ。やっぱり結婚なんてしないわ。ノエルの傍にずっと居る。もう離れないから」

 一週間、ずっとこの調子だ。いくら問題ないと言っても、まったく聞く耳を持たず、傍を離れようとしない。

 しかも、結婚もしないと言いだす始末。


「エレーヌ。一年間もアルフレッド様に想いを寄せて、やっとで叶ったのでしょう? 私は心配いらないわ。お兄様もモリ―もいるもの」

 何度言っても首をふり『嫌だ』と否定するエレーヌに困り果ててしまう。

 困っていると、モリーの声がし、一緒にお兄様が入って来た。


「エレーヌ。仕立屋が来ているよ。行きなさい。結婚は予定通り進める。モリー、エレーヌを連れて行きなさい。ノエルと話があるから」

「嫌よ。ノエルの傍にずっと居るわ。もう、離れないもの」

 しがみ付いてくるエレーヌの頭を撫でて落ち着かせる。

「エレーヌ、タルトが食べたいわ。甘いブルーベリーが、たくさん入っているのが良いの。あとで一緒にお茶にしましょう。さあ、行って来て」

 お兄様が、エレーヌやモリーを追い出すのは、二人に聞かれたくない話なのだろう。そうでなければ、優しいお兄様が追い出すはずはないから。


「……うん。ノエルが食べてくれるなら、用意して待ってるわ」

 私とお兄様の顔を見比べ、迷いながらも、モリーと一緒に部屋から出て行った。

 それを確認すると、お兄様は、エレーヌが座っていた椅子に腰掛けた。

 だが、エレーヌ達が出て行っても、一向に口を開かない。

 お兄様は、伝えようか迷っているようで、眉間に皺を寄せながら私を見ている。


 そんなに話しにくい話題なのかと、不思議に思いながらも待っていると、お兄様が決意したように口を開いた。


「ノエル……話がある。お前には酷かもしれないが聞いて欲しい」

「……ええ、大丈夫よ」

 やっとで話し出した、お兄様の顔は緊張して見えた。

「エレーヌの結婚話を予定通り進めたい。正直、アルフレッド王子とは思わなかったが、我が国には良縁だ」

「ええ、私も上手くいって欲しいわ」

 ふわりと微笑むと、お兄様が困ったように頷いた。


「だが、今のエレーヌの状態では進められない」

 この国の利益と繁栄のため、お兄様が何を決断したのかはわからないが、お兄様の様子を見る限り、私にとっては良い話ではないのだろう。

「だから……ノエル、お前も嫁いで欲しい。お前も嫁ぐならエレーヌは納得して結婚出来るだろう」

 お兄様が何を言っているのかわからなかった。


 私達の幸せを一番に考え行動してくれた兄が、私に『嫁げ』と言うとは予想出来なかった。


「ノエルすまない。わかって欲しい。このままの状態だとエレーヌは結婚しないだろう。エレーヌは、五年前の罪を、まだ気にしている」

 お兄様の言葉に胸が苦しくなる。


 ――気づいていた。エレーヌが私を心配して傍を離れない理由を。


 本当は五年前、人質として連れて行かれるのは妹のエレーヌだった。

 あの時、大人達が諭す中、嫌がるエレーヌは城を抜け出し姿を消した。そのため、国を守るため、私が人質として、あの男の元へ行ったのだ。

 ……怖かった。でも、お父様もお母様も殺され、兄と国までも失う訳にはいかなかった。


 この国の第一王女として生まれた自分の責任を果たすべく、すべてを心の底へと仕舞いこんだ。


「それと、もう一つ問題がある」

 問題? エレーヌの結婚話は、周りが説得すればエレーヌの性格上頷くはずだ。王族では珍しい政略結婚ではない恋愛結婚なのだから。

 なにより、エレーヌ自身も嫌がっていない。

「どんな問題があるの」


 眉を寄せ、怪訝な声でお兄様を見ると、申し訳なさそうに目を伏せられた。

「……王家の財政が逼迫ひっぱくしている。このままでは、他の貴族に示しがつかない。それに、王位を狙って来るかもしれない。ノエルが嫁げば資金を融通して貰えるんだ」

 意外すぎる内容に目を見張った。


 通常、王家と国の財産は別に取り扱かわれている。

 国からもお金は入るが、王家は王家で独自に収入を得ていた。今までお金に困った話など聞いたことがない。

「そんなこと。どうして急に?」

 落ち込んでいるお兄様の姿に、嘘ではないとわかる。

「実は、三年前、国の復興のために王家の資金を使ったんだ。荒れ果てた国内を立て直すため仕方なかった。国民が居なくなると国ではなくなる。豊かにするには金が必要だった」

 それはわかる。でも……どうして、私が、また犠牲にならなくてはいけないのだろう。行きたくない。


 でも、沈痛な面持ちで私を見ているお兄様は、良く見ると疲れているようで、いつもの覇気がない。

 決断するのも辛かったのだろう。

 また、国と引き換えに妹を差し出すのだから。次はお金の代わりとして。

 エレーヌは望んで嫁ぐのに、私は、また望んでいないのに行かなければならない。


 ……酷い。


 震える両手を、ぎゅっと掴む。


「……わかったわ。嫁ぎ先は決まっているのでしょう?」

 心とは裏腹に、口から出た言葉はお兄様を安堵させるもの。

 だけど、上手く笑えなかった。表情を失くしてしまったかのように動かない。

 素直に頷く私に、お兄様が悲しそうに頷いた。

「すまない。お前にばかり辛い思いをさせて。嫁ぎ先は決まっている。ある程度の 条件は伝えることが出来る。何かあれば」

「……湯浴みと着替えは一人で。侍女達の手伝いは不要だと伝えて。他はすべて従います」


 お兄様から目を逸らし窓の外を見る。

 私の心とは正反対の空は、穏やかで自由に見えた。


「伝えよう。ノエル、他に何かあれば言ってくれ」

「何もないわ。お兄様。少し疲れたわ。一人にして欲しいの」

「わかった。……あとで話をしよう。嫁ぐ国と相手についても伝えたいことがある」

 外を見つめたまま返事をしないでいたら、お兄様が立ち上がり部屋から出て行った。


 お兄様に言われた話を呆然としながら思い出す。


 どうして? どうしてまた私なの? エレーヌは、あんなに大切にされているのに、同じ双子なのに。どうして私だけが幸せになれないの。

 大好きな人の元へと、幸せそうに嫁ぐエレーヌに嫉妬した。

 あの天真爛漫な性格と人を惹き付けて離さない魅力ある姿に。



 そして欲しい物を確実に手に入れていく妹に嫉妬した。

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