第4話 記憶のかけら②

 動きにくいドレスを持ち上げ、息を切らし必死に走った。


 だが、動き回るには適していない華奢な靴は、土に踵を取られ思う通りに動けない。

 しかも、木々が生い茂っている裏庭には滅多に入らないせいで、裏口が何処にあるのかすら、わからない。


「どこにあるの……?」


 冷静さを失い焦っていると、ふいに後ろから腕を掴まれた。強い力で引っ張られ立っていられず、その場に座り込む。

「――っ!」

「……ふーん。君が、あの男の寵愛を受けていた悲劇の王女様か。確かに顔は良いけど何処が良かったのかな」

 座り込んだまま見上げると、さっき女性達に絡んでいた内の男が一人、私を見下ろしていた。

 腕を振り払おうとするが、男は離してくれない。

「手を離して!」

「その怯える目、そそられるよな」

 まったく悪びれもしない男に嫌悪感が募る。

 早く逃げなければと必死で立ち上がる。だが、男は、そんな私を見て余裕の笑みを浮かべるだけ。


 ……誰か助けて。


 そう口に出して叫びたいのに声にならない。

「ねえ、あの男が実は生きていたって言ったらどうする? 噂になっているんだ。君に会いに来るんじゃないの?」

 あの男?……まさか。生きているはずがない。なにを言っているの……。皆、死んだって言ってたわ。お兄様も言っていたもの。


 そんな訳はないと頭ではわかっているのに、心は薔薇の棘が刺さったように悲鳴を上げている。

 その棘が更に深く沈んでいった。


 あの男の話をされると抵抗する力が抜けていった。


 それと共に、あの忌まわしい記憶が蘇りそうになり、喉の奥から吐き気が込み上がる。

「ねえ、曰く付きで嫁ぎ先がないなら、俺が貰ってあげようか。あの男から貰った物あるでしょ? それ何処にあるの?」

 貰った物……? 何を示しているのか、まったくわからない。


 それよりも、早く逃げようと震える足を一歩踏みだした瞬間、男が私の腰を掴み抱き寄せようとする。

「嫌っ!」

 抵抗するように必死で暴れていると、触れていた男の腕が離れた。


「……そこまでにしようか? お姫様に手を出したら、お前の家終わりだから」


 鈍い音がしたと思ったら、男が地面に倒れていた。


 何が起こったのか理解出来ずにいると、視界に別の男の姿。

 事態が飲み込めずにいると、現れた男は私を見る。

「……泣いてないんだ。お姫様は、恐怖から泣きじゃくっているかと思ったけど、意外かな」

 私を馬鹿にするような言葉とは裏腹に、安堵したような声に戸惑いを隠せない。

 なぜなら、私を助けてくれた男性は、仮面を付けていたから。


 見えるのは口元だけ。他は、目も鼻も白い仮面で覆われていた。

 かろうじて見える瞳の色は、海を思わせるような澄んだ青。

 けれど異様なのは仮面だけではない。髪も、頭巾で隠され何色かわからない。だが、身に付けている服は正装で、舞踏会の招待客だとわかる。


 この人は誰……? 


 いきなり現れた異様な姿の男に警戒してしまう。

 助けてくれたとしても、突然現れた男が味方とは限らない。だが、逃げたくても身体が強張ったままで動かなかった。

「――もう、大丈夫。安心して」

 いきなり伸びてきた手に思わず目を瞑ると、子供をあやすように頭を撫でられる。


 えっ……?

 大きな手は優しく温かい。そして、懐かしい感じがした。

 その手に触れられると安心し不思議な感覚に包まれる。すると、喚き散らすように甲高い声が辺りに響く。


「どうして、あなたがここに……。俺は、何もしていない!」

 倒れた男は、この仮面の男の身分を知っているようだ。だが、尋常ではない怯えた姿を見ていると、どうやら仮面の御方の身分がかなり高いと推測できる。

「ああ、ここでお茶を楽しんでいたんだよ。ほら」

 仮面の男が指差した先には、丸いテーブルがあり、そこには酒や料理が大量に並べられていた。


「このことは伝えておくよ。早く目の前から消えるんだ。君の仲間も一緒に。この意味がわかるね? 二度目はないよ」

 視線を男に戻した仮面の男は、優しい口調だが、有無を言わせない迫力がある。男は顔を青くさせ何とか立ち上がり、私を一瞬見たあと、逃げるようにいなくなった。


「……さてと。怪我はしていませんか? 一人でこんな場所に来ると危ないですよ。そうでなくても、あなたは噂になっているのだから」

 なぜか、ちょっと困ったようにも見える仮面の男性は、私に危害を加える様子はない。それに、私のことを知っているようだ。

 そんなに噂になっているとは思わず、両手を胸の前で、ぎゅっと握りしめる。


「お姫様は、まだ話せない?」


 ……えっ? 

 青い瞳に見つめられると、なぜか不思議な気持ちになった。

 初めて会う人なのに、人と会うのが怖かったのに。なのに、一緒にいると、どうしてか心が落ち着いついた。


 そして、助けて貰ったお礼を言っていないことにやっとで気が付いた。

「あ、あの。助けて頂きありがとう……ございました」

 視線を逸らし、小さな声でお礼を言う。

 

 頭を下げると、男の返事を待たず離れることにした。

 震える足を何とか動かし、背を向け歩き出した。


「そっちじゃないよ。裏口は、そのテーブルの木の裏の右側。そこを奥に進んでいけばあるよ。ランタンの光を目印に歩けば着くから安心して。気を付けてね」

 仮面の男は、私を引き止めることもせず、手をふり見送ってくれた。

 しかも、裏口の場所まで細かく教えてくれる親切ぶり。

 戸惑いながらも、膝をおり頭を下げる。

 本当に教えられた道であっているのか迷ったが、言われた通りに進むことにした。


 生い茂る木々に苦戦し、足元に気を付け歩き続ける。

 風の音で草木が揺れ、ざわざわと暗闇から音が聞こえる。その度に身体がビクリと反応する。

 しばらく行くと、扉が見えた。


「良かった。これで安全な場所に……」

 駆け寄り安堵したのも束の間。

 風の音に混じり、独特な声が耳に届く。

 その音を耳にすると、背筋が凍り小刻みに手が震えた。


 ……まさか。そんなことない。

 気のせいだと何度も心の中で呟くが、さっきの男の言葉が蘇る。


『あの男が実は生きていたって言ったらどうする?』


「嘘よ。そんなこと……絶対にない」

 ただの偶然。そう思いたいのに、また独特な泣き声。ピーと言う鳴き声が耳に届いた。

 やっぱり、あの男の……。

 扉を背にし辺りを見渡す。

 すると、木々の間から、あの赤い目が、こっちを見ていた。


「……ごめんなさい」

 もう立っていられなかった。

そのまま、その場にしゃがみ込んだ。自分を守る様に抱き締めながら意識を手放した。

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