第3話 記憶のかけら

 沈んだままの私の心とは反対に、夜空に目を向けると、今宵の舞踏会に相応しい満天の星がキラキラと輝いていた。


 そんな美しい光景を眺めていると、後ろの賑やかな声に意識が引き戻される。

 のんびりしている私とは違い、エレーヌの支度のために、侍女達が懸命に動いていた。


エレーヌがブランカ様と共に選んだドレスは、目にも鮮やかな真紅のドレス。

 普段は慎ましく肌の露出を最小限に抑えるドレスが多いが今日は違う。

 身体の線にぴったりと添い、胸元も大胆に見せ妖艶さを強調している。ドレスの裾は足元に行くほどフワリと広がり、後ろは床につくギリギリの長さ。前は反対に膝が見えるか見えないかのラインで綺麗な足が見えていた。


 お兄様が見たら、声を失うほど驚くだろう。


 実は、お兄様には内緒にしているが、エレーヌには想いを寄せている男性がいるらしい。そのことを知っているのは、私とブランカ様。それにモリーだけ。

だけど、恥ずかしいのか、私にもどんな身分の方か年齢などは教えてくれない。

 ブランカ様に密かに相談すると、相手についての情報をお兄様に内緒で集めてくれたらしく、ブランカ様だけが知っている。

 それによると、その男性は甘く可愛らしいドレスよりも、大人っぽい大胆なドレスが好みとか。


 それで、エレーヌは真紅の大人っぽいドレスを選んだ。


「どうかな? ノエル。変じゃないかな?」

 髪も緩やかに結い上げ支度が終わると、窓際で椅子に座っていた私の元へとエレーヌがやってくる。

 その場でクルリと回り、不安げにしているエレーヌに微笑んだ。

「とても綺麗で問題ないわ。女性でも見惚れるほどよ。絶対に上手くいくから自信をもって」

 椅子から立ち上がると、まだ自信が持ててないエレーヌを抱き締める。緊張からか身体が震えていた。


「ありがとう。頑張るわ……ノエルも気が向いたら来てね。私やお兄様が傍にいるから大丈夫よ」

「ええ、そうね……」

 エレーヌの言葉にぎこちなく頷いた。


「エレーヌ様。お急ぎ下さいませ。もう、広間に皆様が集まる時間です」

 すると、後ろで私達の様子を伺っていたモリーがエレーヌに声をかける。

「ええ……。ノエル、行って来るわね。成功を祈ってて」

「もちろんよ。絶対に上手くいくわ。いつも通りにしていたら必ず、あの御方もエレーヌを選ぶわ。自分を信じて」

 もう一度抱き締めると、エレーヌが大きく頷いた。


 エレーヌと二人、にっこりと笑うと、モリーが急かす。

 部屋からエレーヌが出て行くと、落ち着かなくなった。


 時間が経つにつれ、エレーヌのことが心配でならない。

 私とは違い、天真爛漫な性格上、好かれることはあっても嫌われることはないと思う。本当は傍で見守りたい。

 だが、人前に出ることが怖い。そんな自分が情けなくて悔しい。まだ恐怖心を捨て切れない。エレーヌの無邪気さが羨ましい。


 窓の外を見ていたら、モリーがお茶を淹れてくれた。


「ありがとう、モリー。エレーヌは上手くいくと良いわね」

「はい。ブランカ様がお相手について何も言わないのなら、身分や人柄も問題ないのでしょう。フィリップ様も異議を唱えないと思います。でも、そうなられたら……寂しくなりますね」

 モリーの中では、もうエレーヌの婚姻は決定しているようで、目にうっすらと涙を浮かべている。


「気が早いわよ、モリー」

 苦笑しながら温かいお茶を手に取る。

 モリーにはそう言ったが、一緒にいてくれたエレーヌが居なくなるのは寂しい。だけど、笑顔で送り出さなくては。

「……長い夜になりそうね」

 それからモリーと話をしたり、本を読んだりして時間を潰した。流れてくる音楽や、この日のために庭を彩っている光の庭園を眺めていた。

 だが、時間が経つにつれてエレーヌが気になりって仕方がない。そわそわと落ち着かなくなる。


 上手くいっているのか……。もしかしたら、泣いてはいないかと心配になってきた。


「……ねえ、モリー。あのね、少しエレーヌの様子を見に行ったり出来るかしら? 少しだけで良いのだけど」

 気になりすぎて、気が付いたらそう口にしていた。

 驚いたようにモリーが私を見たが、嬉しそうに頷いた。

「もちろん問題ありませんよ。お待ち下さいね、今すぐドレスをご用意致します」

 モリーは瞬時に何が必要か判断したようで、扉へと向かうと外に控えていた護衛と話し出した。


 しばらくすると、侍女が数人部屋に入って来る。


 モリーの指示で私にドレスを着せ、髪を整え始めた。

「あ、あの。モリー、私はエレーヌの様子を見るだけで良いのよ。舞踏会には出ないつもりだから正装でなくても良いと思うの」

 困惑しながら告げると、モリーは首を横に振る。


「それはなりません。ノエル様はエレーヌ様と双子のため良く似ております。姿を見た方はすぐにおわかりになるでしょう。誰に見られても、アゲートの王女に相応しい装いをしなくてはなりません」

 憂鬱だが、立場上仕方がないと納得した。

「……わかったわ」

 ちょっと様子を見て来るだけが大事になり、早まったかと密かにため息を吐いた。


 モリーを始め、侍女達は嬉しそうに支度を整えてくれていてされるがまま。何も言えず、鏡を見ながら緊張した面持ちでじっと自分自身を見つめていた。

「……これで出来上がりです。お綺麗ですわ、ノエル様」

 頭にティアラを飾り満足げに微笑むモリーに、ぎこちなく礼を言う。

「ありがとう。でも……緊張するわ。大丈夫かしら」

 鏡の中で、強張っている自分の顔を見つめていると「やっぱり止めよう」と心の中で叫びそうになる。


 だが、ここまで準備してくれた皆を見ていると、後には引けない。


「綺麗なドレスね……」

 緊張を解そうと呟くと、モリーが嬉々として話出す。

「フィリップ様とブランカ様が、ノエル様が舞踏会に出たくなった時のためにと選んでいらっしゃいました」

 ……お兄様達が。

 じっくりとドレスを眺めた。


淡いシャンパンベージュの可愛いドレスは、とても私の好みで嬉しい。

 腰から下はフワリと広がり、歩く度に幾重にも重なっている生地が揺れ、腰の後ろのリボンも大きくて可愛い。

 もちろん肌の露出はない。エレーヌとは違い、髪を少し編みこむ程度で結い上げることはしなかった。


「お兄様には?」

 ぬかりのないモリーはすでに連絡済みだと答えた。

「フィリップ様からは、広間に入るようなら、すぐにお傍に来るようにと。それ以外は、私と護衛の傍から離れないようにと言われております」

 私が鏡を見ながら悩んでいる間にモリーも着替えたらしい。控えめな淡いブルーのドレスを身に付けていた。


「エレーヌ様の居場所は把握しております。ただ、ノエル様。エレーヌ様達は、お庭にいるようなので、その……」

 言いにくそうに困った顔をしているモリーを見て、ノエルは苦笑しながら頷いた。


「大丈夫よ。二人が甘い雰囲気だったらすぐに戻るわ。心配無用よ。エレーヌは上手く広間から抜け出せたようね」

「はい。それは良かったのですが……。フィリップ様が、その様子を見ていて落ち着かない様子だと侍女達の間で噂が……」

 思わず笑うと、つられたように、周りの侍女達からも控えめな笑い声が聞こえる。


「ノエル様まで笑われると、フィリップ様が悲しみますよ。お二人がとても大切なのですわ。ノエル様。部屋から出たら、私から離れないようにして下さいませ」

 他の侍女達を窘めるとモリーの表情が引き締まり手を差し出してきた。

 それを、じっと見つめたあと、大きく深呼吸をしたあとモリーの手を取った。

モリーの手を強く握り、二人の護衛と共に部屋を後にした。

私達、王女の部屋は王族の塔の三階。

 エレーヌがいる庭へ向かうには、一度一階まで下り、広間へと続く城の大回廊を通らなければならない。


一階に近づくにつれ、華やかな声や音楽が聞こえ足が重くなる。

大勢の前に姿を見せるのは三年ぶり。モリーや護衛の二人も、心配そうに何度も私を見た。


……やっぱり止めれば良かったかしら。でも、エレーヌが気になるわ。少しだけ、少しだけ頑張ろう。

 自分を励ますように、モリーに手を引かれ階段を下りると、そこで談笑していた人々の視線を感じた。

 その視線を受け止め、一瞬怯んだものの表情は変えることなく、早足になりながら庭へと続く回廊へと向かう。


「大丈夫ですか? ノエル様?」

 気遣うモリーに小さく息を吐き頷いた。

「ええ、大丈夫よ。思っていたより問題ないわ」

 モリーにはそう言ったけど、本当は緊張しすぎて部屋に逃げ帰りたかった。モリーがいなければここまで来れなかった。


 回廊を歩く間も、庭を散策している人々の視線を感じたが、王女として恥ずかしくないようにと背筋を伸ばして先を急ぐ。

「この先ですわ。ノエル様。明かりが少ないので、絶対に私の手を離さないで下さいね」

 心配症のモリーに頷いた。

そのまま手を引かれ、庭園の奥にある薔薇園に辿り着く。エレーヌはここにいるらしい。


 中へと進むにつれ、薔薇の甘い香りが漂う。

庭園の至る所にランタンが置かれ、辺りを淡く照らしていた。

 すると、話声が風にのり微かに聞こえてくる。

 足を止め耳を澄ますと、男女の声が聞こえた。雰囲気は和やかで楽しそうだ。

この声はエレーヌ? 上手くいっているようね。

 少し近づき薔薇の影から声の主を探す。


 噴水の近くのカウチに二人が座っている姿がぼんやりと見えた。


 エレーヌの声は弾んでいて心配なさそうだ。

 良かった。私の心配は杞憂だったようね。……エレーヌの様子も確認出来たから私はもう戻ろう。

 しばらく様子伺ったあと、モリーと顔を見合わせる。

 私の言いたいことがわかったようで、モリーが護衛達に小声で伝えてくれた。

 護衛に促され立ち去ろうとすると、緊張が少し解けたせいか、薔薇の枝がドレスに引っかかりガサリと音をたてた。


「――そこにいるのは誰だ?」


 力強い男の声に、身体がビクリと固まった。

 モリーや護衛達も立ち止まり、どうしたら良いのかと伺うように私を見る。

 ……私の失態だわ。下手に誤魔化そうとすると、モリー達に迷惑がかかる。なら、私が出ていこう。


 私の代わりに出て行こうとしているモリーを引き留め、震える足を動かし、一歩を踏みだした。

 淡く照らすランタンの光の中、二人へと近づく。

 噴水の傍に置かれたランタンの近くまで来ると、エレーヌが声を上げて駆け寄って来た。


「ノエル。どうしたの? ここまで来るなんて何かあったの?」

 頑なに人前に出るのを嫌がっていた私の姿を見つけ、何かあったのかとエレーヌの顔が強張る。

「あのね。そうじゃ……ないのよ。あの」

 まさか、心配で様子を見に来たなんて言いにくい。

「そのドレス良く似合うわ。お兄様達と一緒に私も選んだのよ」

 私の言葉を遮ると両手を取り、全身を眺めるエレーヌの後ろで、男性が私の顔を見て驚いている。


「エレーヌ、ご挨拶をしなくては」

「あ、そうね。ノエルは初めてだものね。アルフォンス王国の、アルフレッド王子よ」

 エレーヌがアルフレッド様の隣へと立つ。彼を紹介してくれるエレーヌは照れているようで顔がほんのりと赤い。

 アルフォンス王国。


 アゲートより遥か南にある花の王国。産業は主に花の輸出や、香水、染め物、絹糸だ。年中、花が咲き誇り、年に一回ある花の祭典には大陸中から人が集まる。

 街並みも、お伽噺に出て来るような可愛さで観光にも力を入れていた。そう言えば、お兄様は去年、エレーヌを連れて花の祭典に参加されていたわ。その時のご縁ね。


 アルフォンス王国は、世継ぎの皇子一人で、他に兄弟はいないはず。

 ……エレーヌが嫁いだら寂しくなるわね。

「ご挨拶が遅れました。アゲートの第一王女、ノエルでございます。先ほどは失礼を致しました」

 優雅に見えるようにと心がけながら、ゆっくりと腰をおる。


 挨拶を終えてもアルフレッド様は何も言わない。

 ……どうしたのかしら? 何か私、失敗した?

 不安が過る。

「ちょっと、アル。ノエルに見惚れないでよ。見た目は私と同じなのよ」

 エレーヌの嫉妬したような声にアルフレッド皇子が我に返った。

「あ、ああ。申し訳ありません。噂には聞いていましたが……とても儚げでお綺麗でしたので。確かにお二人は良く似ていますが、雰囲気がまるで違いますね」

 じっくりと見られ、思わず顔を顰めそうになるが、ぐっと堪える。


 暗闇にも映える柔らかな蜂蜜色の髪に、思慮深さが伺える茶色い瞳。話しやすい雰囲気と穏やかな口調は、どこかお兄様に似ている気がした。

「――恐れ入ります。ノエル様、こちらに人が来ます。どうされますか?」

 護衛の一人の声に耳を澄ますと、確かに数人の賑やかな笑い声が近づいて来た。


「すぐに離れます。エレーヌとアルフレッド様はどうなされますか?」

 アルフレッド様を見ると、エレーヌと視線を合わせ微笑んだ。

「我々はこのままで。のちほど、フィリップ様にご挨拶をしようと思っておりますので」

 どうやら、二人は決めたようだ。


 他人に二人でいる所を見られても構わないと。隣にいるエレーヌは驚いているようだが、嬉しそうにアルフレッド様の腕に手をかけた。

「妹をお願い致します。お祝いの言葉はまた後ほど。失礼致します」

 目を伏せ立ち去ろうと、するとエレーヌに止められた。


「ノエル。護衛を一人借りても良い? 何もないと思うけど念のためね」

「ええ、構わないわ」

 エレーヌは、やってくる女性達が気になっている様子だ。アルフレッド様目宛ての女性でも居るのかも知れない。

 快く頷き、モリーと護衛一人とその場を離れる。

 私達が素早く移動すると、すぐにエレーヌがやって来た女性達と話す声が聞こえた。



「エレーヌのお相手がアルフレッド様とは驚いたわね。お兄様も何も言えなくて、許可を出すしかないわね」

「そうでございますね。アルフォンス王国はここ最近人気の観光地ですし、独身の王族でアルフレッド様は女性達に人気です。ただ、女性に対しては色々、浮き名を流されていますね。心配はそのくらいでしょうか」

 モリーの表情が少し陰る。


「大丈夫よ。それを調査したブランカ様が知らない訳はないわ。エレーヌもわかっているでしょう。頭の良いあの子なら何とかするわ。大丈夫よ」

 心配だが、エレーヌなら大丈夫だろう。周りにいる者、皆を幸せな空気で包む特技を持つエレーヌなら。


「ノエル様がそうおっしゃるなら、私は何も申しません」

 モリーを安心させるために強く握ると、前を歩く護衛の歩みが止まった。

「お二人で、あの奥へ進んで下さい。私はあれを収めて参ります」

 護衛の緊迫した空気に視線を凝らすと、暗闇で女性が男達と揉めていた。他に周りに人がいないため止められる人がいない。

「わかりました。急いで人を呼びます」

 モリーの決断は早かった。


 私の手を引き早足で歩き出す。護衛は、揉めている方へと歩き出した。

「ノエル様、少し急ぎます。あの者達は酔っているようです。見つからないようにしませんと」

 人を避け、裏口を目指したのが失敗だったらしい。


 動揺を抑えながら、モリーにつられ走り出す。無言で走っていると、なぜかモリーが立ち止まった。


「モリー?」

「ノエル様。この先に大きな木があります。その先に入り口がありますから人をお呼び下さい。さあ、行って!」

 何事かと思っていると、モリーに背を押された。その時、この場に似合わない男の声が耳に届く。

「なんだ、あんた双子の片割れ? あの曰くつきの?」

 振り返ると、薄ら笑いを浮かべている男が二人。手に酒瓶を持っているところを見ると、相当酔っているみたいだ。


 仕立ての良い服を身に付けている所を見ると、舞踏会の招待客のようだ。

 動けないでいると、モリーが前に出て私の姿を隠した。

「ノエル様、早く!」

 もう一度モリーに言われ我に返る。

「双子なだけあってそっくりだな。あっちは無理ならこっちでも良いかな」

 男達の言葉に血の気が引いた。

「ノエル様、早くお兄様の元へ!」


 女二人では不利だと悟ったモリーが声を荒げ私を叱咤する。その声に震えながら、ドレスを持ち上げ走り出した。

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