第2話 双子の王女
三年後――――アゲート王国。
大陸の内陸部に位置するアゲート王国は、周りすべてを他国に囲まれ、商業の中心地として栄える大国の一つとして名を馳せていた。
国全体が平野や森であるため、農作や職人の国として栄え、中心都市は毎日人で溢れ返り、市場では威勢の良い声が響き渡る。
その国を治めるのはブルゴーニュ王家。
子孫が代々、その座を受け継ぎ王国を支えていた。現在は、若干二十五歳の若き王フィリップ・ブルゴーニュが治めている。
彼が若くして王位についたのは、五年前の戦が関係していた。
当時、ブルゴーニュ王家は戦に負け敵国の支配下となり、フィリップの父である前王と王妃は命を絶たれた。
その時、当時十四歳のフィリップの妹、ノエルが人質となり敵国へと囚われることとなる。
妹を人質として囚われたアゲート王国は、反旗を翻すことすら出来なかった。
――――が、密かに、内密に策は練られ、その二年後、他国と連携し敵国を倒し妹を取り返すことに成功した。
その結果、大陸の勢力図は大きく変わり、それぞれが平和を望むと、お互いに手を取り合い和平へと歩みだす。
ただ一つの懸念は、敵国の王である男の生死が確認出来ぬまま時は流れ、三年の月日が経ったこと。
あの日、あの男を捕まえようとした時、城に火が放たれ男を見失った。火が放たれたことによって、多くの人間が死に遺体の判別が出来なくなったのだ。
そして、ブルゴーニュ王家には今、十九歳となった双子の王女が暮らしている。
♦
「ノエル様、エレーヌ様。朝でございます。起きて下さいませ」
豪華な天蓋付きの大きな寝台には、二人の王女が手を繋ぎ幸せそうに眠っている。
その寝台の側で、大きな声を出し二人を起こそうとしているのは、二人の王女付きの侍女、モリーだ。
「……おはよう、モリー。良い天気ね」
ゆっくりと起き上がり、寝起きが良いのは姉のノエル。三年前の悪夢が嘘のように元気になり周囲も安心していた。
栗色の緩やかなカールの髪は腰まで伸び、青い澄んだ瞳は優しく、整った顔立ちは人を惹き付けて離さない。
「おはようございます、ノエル様。ゆっくりとおやすみになられましたか?」
ノエルが頷くのを確認すると、モリーは、もう一人の王女を覗き込み頭を抱えた。
毎朝起こすのが大変なのはノエルと同じ顔、同じ髪……そして同じ姿。ノエルの双子の妹のエレーヌ。
モリーの大声にも起きない図太い神経の持ち主のエレーヌは、気持ち良さそうに寝返りをうつ。
亡くなった両親も、時には兄さえもわからぬ程二人は似ていた。
ただ違うのは、三年前の出来事のせいか、信頼している人間にしかノエルが笑わなくなり明るさがなくなったこと。
「エレーヌ様! 早く起きて下さい。じゃないと……朝食は抜きですよ!」
「うん……っ。イヤだ……食べる」
寝返りを何度も打ち、食べると呟くエレーヌにノエルが微笑んだ。
「ノエル様、湯浴みを先にして下さいませ。エレーヌ様は、起き次第、私が連れて行きますので」
「ええ、わかったわ。後は頼んだわね、モリー」
毎朝の、この光景も慣れたもので、頷くと、繋いだままの手を外し、朝の湯あみのため、部屋の続き間に向かう。
ノエルとエレーヌのみが使うこの湯殿は、大理石の石造りで、天窓から太陽の陽が差し込んでいる。温かく落ち着く、朝のこの時間がノエルは大好きだった。
さっきのエレーヌの様子を思い出し、笑みを浮かべながら夜着を脱ぎ、腰までの湯に身を浸す。
……エレーヌはまだ起きそうにないわね。昔から寝起きは悪かったから。
そう思っていると、ガタリと何かが倒れる音が聞こえた。
いきなり聞こえた大きな物音に、震える体を守る様に抱き締め、音の方向を恐々と振り返る。
「……おはようノエル。モリーったら、私にキッシュは出さないって言うの。私がキッシュ大好きなのを知ってるくせに酷いわ」
目を擦りながら入って来たのはエレーヌ。その姿を見て、ホッと胸を撫で下ろす。
「あ、ごめんね。驚かせて。大丈夫だよ。もうノエルは何処にも行かないから。私とずっと一緒だよ。安心して」
顔が強張っているのを察したエレーヌが慌ててノエルに近寄り抱きついた。
「ええ、大丈夫よ。ありがとうエレーヌ。それよりキッシュ食べられないの?だったら私の分を半分あげるわ」
そう言うと、エレーヌがキラキラした瞳をノエルに向ける。
「ノエルならそう言ってくれると思ったわ! モリーは意地悪なんだから」
表情が豊かなエレーヌを見ながら、ノエルは目を細めた。
私から見ても、エレーヌはとても可愛い。自分も昔はこんな風に笑っていたのにな。
そう思ったら、……心の奥から痛みがジワリと染み出してくる気がした。
「……誰が意地悪ですか、エレーヌ様。起きないエレーヌ様が悪いのですよ。ノエル様も甘やかさないようにして下さい。これ以上天真爛漫になると……お嫁に行けなくなりますから」
「良いわよ別に。私はずっとノエルと居るもの!」
エレーヌの後ろから二人分の着替えを両手で抱えながらモリーが呆れた様子で歩いて来た。
すると、エレーヌがノエルに抱き付いたまま、お行儀悪く舌を出し、モリーに反抗する。
その仕草も可愛くて、ノエルは笑ってしまった。
それにはモリーも、あきれたようで、もう怒る気力もないらしく順番に二人の身体を清めてくれる。
「さあ、出来上がりましたよ。お早く、お食事の広間へ行って下さいませ。フィリップ様とブランカ様がお待ちです。」
二人の支度が終わると、モリーが扉の前で待機していた護衛に話かけ、二人を見送った。
「エレーヌ様走ってはいけませんよ。今夜は舞踏会ですので他国の方も姿が見えるかもしれませんので!」
二人が食事をしている間に、室内を片づけなければいけないモリーは、一緒には行けないため、エレーヌに釘をさす。
「人が居たら私も姫らしく振舞うわよ」
両頬を膨らませ心外だとエレーヌが口を尖らした。
護衛達に前後を囲まれながら、二人は兄と義姉の待つ広間へと歩いて行く。当たり前のように、ノエルはエレーヌに手を引かれながら。
この手があるだけでノエルは安心した。エレーヌの天真爛漫な性格に、あの悪夢を思い出す度、何度助けられたか。
でも、この手も……。ずっと一緒には居られないことをノエルは知っていた。
「おはようございます。お兄様、お義姉様」
モリーの心配を他所に、ちょっと小走りになりながら、侍女の開けた扉を通り、エレーヌがテーブルに座っている二人に挨拶をした。
「おはようノエル。エレーヌ」
「おはようノエル様、エレーヌ様」
談笑していた二人が、にこやかに、二人の王女に視線を向け挨拶を返す。
王女達と同じ栗色の髪をしているフィリップは、瞳も妹達と同じ青い色。
若き王は、即位してから不幸が続いていたが、ノエルを取り戻した一年後に妃を娶った。それが今、一緒に座っているブランカだ。
妃としては珍しい肩までしかない、張りのあるブロンドに、ノエル達と同じ青い瞳。
どちらかと言うと、おっとりとしていてノエルと何処か似ていた。
「おはようございます、お兄様。お義姉様」
エレーヌに少し遅れながらノエルも朝の挨拶を交わす。
円卓の上座にフィリップ。その右隣にブランカ。そして左隣にノエル。ノエルの隣にエレーヌが腰を下ろす。
ノエルが座り食事を始めると、三人がその姿を見て微笑むのが毎日の日課だった。
そして、話題は先程のモリーの話になる。
「それはエレーヌが悪いな。毎朝起してくれるモリーの大変さも考えなさい」
フィリップが、ペラペラと話続けるエレーヌに釘をさした。
それには、自分に有利になるように話していたエレーヌが、またしても頬を膨らませ反抗的な瞳をフィリップに向ける。
どうやら、エレーヌは自分の味方をしてくれると思っていたようだ。
「そんな、お兄様。いつもならすぐに起きるわ! 今日は特別なのよ」
言い訳をするエレーヌを横目に見ながら、ノエルはスープをゆっくりと口に運ぶ。
今日は野菜がたくさん入っているスープと、卵、魚、チーズが層になっているオムレツ。そしてマッシュルームやベーコン。
生地に混ぜられているオレンジが食欲をそそるデニッシュパン。デザートにヨーグルト。
エレーヌの希望のキッシュももちろんある。
フィリップは早々に平らげると、三人の会話に耳を傾けながら、時折り、控えている侍従から書類を見せられ、なにやら話し合っている。
これも毎日の光景だった。
しばらくすると、ブランカと一番おしゃべりをしていたエレーヌも食事を終えた。
だが、ノエルだけは、まだ皿に半分程の量を残し黙々と食べ続けている。
元々、おっとりとしていた性格のノエルだったが、囚われていた期間が長かったためか食も細くなり、最初は食べることすら拒絶していた。
それを三年がかりで回復したが、食べるスピードが人より遅く、食事に一時間はかかる。
ノエルが一生懸命食べている間も、三人は和やかに話し続け、食べ終わるのを待っている。
忙しいフィリップやブランカは、夜の食事を一緒に食べることが、ほとんどない。そのため、この朝の食事の時間は、双子の王女が兄達に相談事をする良い機会となっていた。
三人が食べ終えた三十分後、ノエルがカチャリとカトラリーをテーブルに置いた。
「美味しかったかい? ノエル。全部食べて良い子だ」
「ええ美味しかったわ。いつも、ありがとう」
食べ終えたノエルに、フィリップが頭を優しく撫でると、ノエルも嬉しそうに三人を見渡した。
「それで、今夜の舞踏会のことなんだが……」
皿を下げ、飲み物を置いていく侍女を見ていると、フィリップが言いにくそうに口を開く。
フィリップの言葉を聞いたノエルが苦しそうに俯いた。
……舞踏会。出たくないな。
「なぁに? もう、ドレスは用意したわ! 義姉様とも一緒に選んだの。問題ないわ」
俯いたままのノエルとは違い、華やかな場所が好きなエレーヌは、目をキラキラさせフィリップをを見上げる。
「ああ、エレーヌは良いんだ。ノエル……どうする? 出てみるか?」
兄の声にゆっくりと顔を上げると、三人の心配そうな顔が、こっちを見ていた。
「……まだ怖いの」
三年も経つのに、まだあの時の記憶は消えてくれない。初めて会う男性が怖かった。
ダンスで手が触れるのも、目が合うのも、一緒にいることさえ苦痛であり恐怖だった。
「……わかった。もし、出たくなったらモリーに言いなさい。必ずモリーが傍に居るから」
もう一度、気遣うように優しく頭を撫でてくれるフィリップに申し訳なくなるが、どうしても心が拒否をする。
「はい。ごめんなさい、お兄様」
そう言うと、決まって三人は「大丈夫」だと励ましてくれる。
あの囚われていた間のことは誰にも話してはいない。
お兄様が、たまに言いづらそうに聞いてくるが、何も言えずに震えていると、お兄様は謝りながら抱き締めてくれる。
何か聞きたそうなお兄様に申し訳ないが、あの時のことを話そうとすると、声を出そうとしても声が出ないのだ。
「エレーヌ。今日は、お前目当てに各国の王子や有力貴族達が来るぞ。いい加減誰かに決めてくれ」
暗い空気を振り払うように、フィリップがエレーヌに各国の招待客の話を始めた。
今回の舞踏会は三日間行われる。和平へと進みだした記念の舞踏会。各国からその国の主要な地位についている王族や貴族達が集まる。
もちろん、令嬢達が将来の伴侶を品定めする場でもある。その中でもエレーヌの人気は凄まじかった。
容姿はノエルと同じだが、その愛くるしい性格や表情に結婚の申し込みが後を絶たない。
それに何と言っても、歴史あるアゲート王国の王女と言う名もエレーヌの人気に拍車をかけていた。
「無理よ、お兄様。お兄様より素敵な男性に会えないもの。今日の舞踏会で出会えるように祈っていて」
可愛く微笑むエレーヌに、フィリップも苦笑して妻であるブランカに助けを求める。
「そうですわエレーヌ様。素敵な人が現れるまで、ゆっくり待っていると良いわ。その内いつの間にか隣に居るものよ」
「……ブランカ。結婚が遅くなったら困る。そうでなくても、この頃、くだらないエレーヌ宛ての書簡が多いのに」
エレーヌの味方をするブランカとは違い、フィリップは書簡の返事に困り、毎日頭を抱えているようだ。
本当はノエル目当ての書簡もあるのだが、これはフィリップとブランカ、一部の宰相しか知らされてはいなかった。
あの男に囚われ寵愛を受けた姫君。
三年経ち、各国で噂になり、一目見たいと噂好きの男女の間で話題になっている。その話にフィリップ達は対応に困っていた。
静かに、幸せに暮らしてくれることを国中の人々が願っていた。
――自分達のために犠牲になった姫君の幸せを。
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