第6話 あきらめた王女

「ノエル。早くドレスを選んで。皆、待っているわよ」


 元気良く動き回るエレーヌに苦笑いを浮かべる。侍女や仕立て屋達と一緒に、婚姻に必要なドレスを選んでいた。

 一人でも大変な作業なのに、それを二人分だ。


 張り切るエレーヌとは違い、私は、にこにこと微笑むだけで色見本を眺めているだけ。王家の財政難を知っているため、何着ものドレスはいらない。宝石などの高価な品は出来るだけ避けたい。

 エレーヌは、お兄様から私の結婚話を聞いた時、自分のことのように喜んでくれた。


「ノエルの一目惚れなんですってね。やっぱりそうだと思ったのよ。ノエルが男性を気にするなんて不思議だったから。でも、本当に良かったわ」

 お兄様が何と伝えたかわからないが、私は一目惚れをしたことになったらしい。


 ――あの、助けてくれた仮面の男性に。あの水の都フランシスカに。


 意外な嫁ぎ先に驚いたが安堵もした。まったく知らない、年の離れた相手を想像していたから。

 でも、所詮はお金と引き換えの結婚だ。アゲートはお金を貰えるが、フランシスカは得るものがあるのだろうか? 曰く付きの私を迎えて。

 考えるだけで胃がキリキリと痛む。

 何も知らない妹は幸せそうだ。周囲から守られ愛される存在。エレーヌの性格だと一生気づかなそうだ。


 あなたのせいで、私はここを出て行くのよ。そう、言える訳がない。憎いと思う気持ちもある。

 でも、妹のことは大好きだから。


 エレーヌの結婚の発表に、国中が歓喜し祝福した。それとは反対に、私の結婚は半年後まで伏せられる形となった。

 しばらくは療養と見聞を広げる名目で、フランシスカに滞在する。そう城中では説明されていた。だが、城に勤める者や出入りする商人達から人伝いに噂が広がった。


『ノエル王女が、また人質として差し出された』


 人々が密かに言い始め、人に伝わる度に尾ひれが付く。

 モリーが何とも言えない顔で、今日私に教えてくれた話では、エレーヌと二人でアルフレッド様の元へ嫁ぐと言うものだ。

 これには苦笑するしかないが、想像力豊かな噂は、聞いていてあきない。


「ノエル。ドレスは決まった? 私は決まったわよ。お兄様が好きなだけ仕立てても良いって言ったもの。たくさん選んだわ。ノエルはこれだけ? 地味じゃない。私が代わりに選んであげる」

 楽しそうなエレーヌに作り笑いを浮かべ『お願いね』とすべてを任せた。高価なドレスや必要ないものは、あとでモリーに伝えて断って貰えば良いだろう。

 これから何があるのかわからないわ。質素に生きなくては。

「決まりましたか? ノエル様、エレーヌ様」

 そこへ、ブランカ様が姿を現した。


「お義姉様。私は決まったけど、ノエルがまだなの。これはどうかしら?」

「そうですわね。ノエル様は、こちらかしらね」

 その後、ブランカ様も加わり、私のドレスを選び出す。

 何着もドレスを見せられ、着替えをさせられる度に笑みを顔に貼り付けた。幸せな花嫁の、エレーヌの真似をした。

 ときおり、ブランカ様の顔が曇ったが、気づかない振りをしてエレーヌと楽しそうに笑い合う。


「決まったわ! これで準備も万端ね。でも、残念だわ。ノエルが結婚式に出席出来ないなんて。どうにかならない?」

 唐突な会話はいつものことだが、侍女達の前で言われると苦笑するしかない。その話はお兄様から内緒にするようにと言われていたから。


 フランシスカに嫁ぐとしらばらくの間、他国にはいけないらしい。

 姉である私が出席しないのは外聞が悪いため仮病を使う予定だった。エレーヌの空気の読めない言動に、ブランカ様から冷たい空気が漂ってくる。

 それさえも感じないエレーヌは、綺麗な眉を寄せ私を見た。結婚が決まったおかげか、更にエレーヌが綺麗に見えた。


 私には、二度と訪れない結婚までの幸せな時間。素直に羨ましかった。


「あ、エレーヌ様。陛下が呼んでいましたわ。行ってらして。アルフレッド様から書簡が届いているそうですわ」

 ここへ来た目的を思い出したのか、ドレスを見ているエレーヌに、ブランカ様が声をかける。


「アルから? すぐ行かなきゃ。ブランカ様、ノエルのドレスお願いします」

 二人の話を聞きながら、窓辺にある椅子に座り空を見上げた。

 エレーヌの賑やかな声が聞こえなくなると静寂が訪れる。

 今日の空は、今にも雨が落ちてきそうな悲しい空だ。


「ノエル様……。何か力に慣れることがあったら言って下さらない? フィリップも落ち込んでいるわ。ノエル様が話してくれないから」

「何もありません。すべてお兄様に従います」

 傍にある、もう一つの椅子にブランカ様が座った。だけど、私はブランカ様に視線を合わせず、どんよりとした空を眺め続ける。

「ノエル様。気に入らないのはわかりますが、もう少し明るく考えませんこと?  これから一生を暮らす国なのですから。住めば都と言いますわ」

 ブランカ様のその言葉に、心が凍り付く。

「……ブランカ様は幸せですものね。伯爵令嬢からお兄様の元へ嫁がれたのですから」


 いつもなら絶対に口にしない嫌味が声になる。

 ゆっくりとブランカ様に視線を合わす。


「どう言う意味ですの? ノエル様。私とフィリップ様との結婚を、上位貴族達が反対していたのは存じています。でもノエル様とエレーヌ様は祝福して下さったのに」

 ブランカ様の声が険しくなった。

 困惑するブランカ様を見ていると胸が痛くなる。こんなことを本当は言いたくないのに、今後のアゲートの未来を考えたら言わなくてはならない。


 私は、もう……この国へは戻らないだろう。


 エレーヌも居なくなるのなら、お兄様を支えるのはブランカ様だけ。まだ若いお兄様は、完全に全ての貴族を掌握出来ていないと聞いている。


 いつ、足をすくわれるかわからない。

 自分と同じで、おっとりとした性格。兄に守られているだけのブランカ様に、もう少し、王妃としての自覚を持って欲しかった。

 お兄様を支え、国の柱となる礎を二人で歩んで欲しい。今までは、人質として差し出し、囚われていた私に対する追い目もあって、貴族院も何も言ってこなかったが、私がいなくなれば何が起こるかわからない。


強くなって欲しい。


「あなたが伯爵出身ではなくて、他国の姫君だったら、私がこんな目に合わずに済んだのに!」

 声を荒げることのない私の怒鳴り声に、室内にいた侍女達の手が止まる。皆が困惑しながら私を見ていた。

「私のせいだと……。私の身分が低いせいで結婚しなければならないと。ノエル様は考えているのですか?」

 震えながら、今にも泣き出しそうなブランカ様を見つめながら立ち上がった。


「そうよ。あなたのせいよ。時間が経つと図太くなるようね。実家の伯爵家から人を王宮に招き入れて何をしてるの? この国でも乗っ取るつもり?」

 これも懸念の一つ。

 ブランカ様の優しい性格に付け込んで、様々な人間が城に入り込み嘆願していた。

 孤児院の寄付や、医師や学者育成の必要性を強く説く学者たち。商人は他国への口利き、貴族は領地への配当の有無。数えれば切りがない。

 人の口を縫うことは出来ない。

 おしゃべり好きな侍女達の話は、嫌でも回ってくる。

 気づいて欲しかった。人を信じるだけではなく疑う必要もあると。その願いの先にある目的を見抜いて欲しかった。


「それは……。考えていませんわ。我が伯爵家は潔白です。ノエル様の勘違いですわ」

 『違う』と必死に否定するブランカ様を冷たい目で見下ろした。

「そうかしら? 邪魔な妹達が居なくなるのだから、私達が居なくなって嬉しいのでしょう?」

 ブランカ様は泣くかと思ったが、顔を上げ強い瞳で私を睨みつける。


「……そうね。やっとで居なくなって嬉しいですわ。あなた達が居ると、フィリップが私を見てくれないから」

 思わぬ反撃に表情が崩れそうになった。

「お兄様が私達を大切に思うのは当たり前よ。後から来たあなたに言われたくないわ」

 さらに言い返すと、ブランカ様の頬に一筋の涙が伝った。


 言いすぎた。


 そう思ったが、今さら止められない。どうしようかと逡巡しているとブランカ様が唇を震わせながら口をひらく。

「ノエル様。私がどんな思いで今まで過ごして来たかわかりますか? エレーヌ様の我が儘に付き合い、あなたの面倒な食事にも付き合わされる毎日。嫌で嫌で仕方がなかった」

 優しかったブランカ様の告白に私は何も言えない。

 心に刺さる棘を振り払うように、ブランカ様を見つめた。

「苦痛だったわ。それに気持ち悪いくらいに、そっくりな二人。早くいなって欲しいと毎日祈っていたわ」

 一旦、話を切ると、ブランカ様は表情を固くする。


「でも良かったわ。絶対に嫁ぐことが出来ないと思っていたノエル様が役に立って。あなたを差し出せば王家の財政が保たれるもの」

 面と向かってはっきり言われると、やっぱり辛い。

 自分はお金と引き換えに嫁ぐのだと再確認させられるから。

「問題ないわ。私には、その価値があるけど、あなたには何もないものね。お兄様も失敗したわ」

 荒れる心を隠すように、平気なふりをして軽く流すと、ブランカ様の顔が朱色に染まる。


 年下である私にここまで言われると、さすがにブランカ様もプライドを傷つけられたらしい。


 しかも、侍女達の前で。ここにいる侍女達は厳選している。主人達の会話を人に話すような真似はしないと思うが用心にこしたことはない。


 あとで侍女達に注意をしないといけないわね。ここでの会話は他言しないようにと。もちろん、エレーヌにもだ。

「そうよね。ノエル様は慣れているものね。あの男の傍に居たように、人質だと思って頑張れば良いわ。今回は誰も助けてはくれないけど」

 人質……。また、その言葉。何処へ行ってもそれは変わらない。消えない傷は拭い去れない。忘れてはくれない記憶。

 両手をぎゅっと握り込む。


「この国のために身を捧げた私に向かって何を言うの。だから私は反対だったのよ。やっぱり、あなたはアゲートの王妃に相応しくない。お兄様は失敗したのよ」

 私が言い切ると、耐え切れなくなったのかブランカ様が床に座り込んだ。零れ落ちる涙を抑えきれない様子で、顔を手で覆い泣き出した。

 ここまで言うつもりはなかったのに止まらない。

 これは、ただの八つ当たり。

 お兄様に愛され、幸せそうに暮らしているブランカ様にあたっているだけ。

 怒らないブランカ様を傷つけて、自分の気持ちを少しでも軽くしたいと思った、身勝手な私の怒り。


「あなたのせいよ。私が不幸なのも全部……あなたのせいよ!」

 止まらなかった。

 自分でも何を言っているのか、わからなくなった。

 その時、後ろから強い力で腕を掴まれたと思ったら、乾いた音と共に左頬に痛みが走る。


 目の前には、お兄様が今まで見たこともないくらいに怒っていた。


「ノエル、いい加減にしなさい。お前がこんなにも最低な人間だとは思わなかった。予定を早める。エレーヌより先にフランシスカに行きなさい」

 怖かった。兄を初めて怖いと思った。一体いつ部屋に入って来たのかわからなかった。

「大丈夫かブランカ?」

 ブランカ様に駆け寄るお兄様は、本当にブランカ様を大切にしているようだ。今、来たのなら、ブランカ様が私に言った言葉は聞いていない。

 それに安堵する。

 お兄様はブランカ様を愛している。妹達より、ずっと――。


「口も聞きたくないし顔も見たくないわ。早く話を進めて。ここに居たくない」

 殴られた頬を抑えながら速足で歩き出した。


「ノエル待ちなさい! ノエル」

 後ろから聞こえるお兄様の叫び声にも耳を貸さなかった。気まずげに、一切、目を合わせない侍女達も、今の私にはありがたかった。


 だって、泣いている顔を誰にも見せたくなかったから。

 王女としてはありえない作法の悪さで部屋に戻り、寝台に突っ伏す。

「これで……大丈夫かしら。このまま私がいなくなっても、お兄様は心を痛めないわ。ブランカ様がいるもの」

 あの場にいた侍女達が、私達の会話をお兄様に全部話したら、お兄様は悲しむかも知れない。

 二度も妹を売ってしまった罪悪感に。優しいお兄様は一生心に傷を抱えて生きていく。それは避けたかった。

 なら、憎んで突き放してくれた方が良い。


 たとえ自分が不幸でも、大切な人が幸せだと頑張れるから。

「大丈夫。また心を閉じて生きれば、すべてを、あきらめれば辛くない。幸せを望まなければ良いのだから……」

 自分に良いきかせるように何度も唱えた。瞳を閉じて心を休めようと思うが、苦しい想いは重くのしかかる。


歌を歌いたくなった――――。


 昔は、辛い時や悲しい時に自分を励ますように、慰めるように小さな声で歌っていた。

 でも、ある時から歌わなくなった。

 聞いてくれる人がいなくなったから。歌うと、あの人が褒めてくれたから歌っていたのに、その必要がなくなったから……。

 溢れてきた記憶を閉じ込めるように身体を丸める。



「…………やっぱり歌えないよ。助けて――ユーリ」

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