ファスランとヘンデル

28*主に、悪い方に





 ガルディンベルク中央区、ガンドール帝国国務庁管轄特殊研究所。


 最新の研究機器と優秀な頭脳が集結する、世界でもトップクラスの研究所。


 その広い設備内の片隅に追いやられた、大気エーテル測定室。ここでは、大気の状態や、大気中のエーテル値などを測定、研究している。


 ガンドール帝国には最新機器を備えた気象観測施設が他に存在する為、ここの研究室は申し訳程度に設けられたものだ。研究室の広さは12畳ほどのこじんまりとしたもので、そこにPCや測定器が所狭しと並べられている。


 そこの責任者、兼、唯一の研究員、通称『お天気お兄さん』のファスランは、今日も熱心に大気の記録を取り、観察を続けている。歳はまだ若く、20代前半だ。髪は坊ちゃん刈りで、あまりカットをしないため少しボリュームが増えたキノコのようになっている。色白で、黒縁の丸眼鏡をかけている。そのレンズの奥の瞳は、常に好奇心で溢れ出さんばかりに輝いている。普段はサラダと鶏肉しか食べない為、痩せすぎと言われるくらい身体は細身だ。身に付けている白衣が、少し大きく見える。


 ファスランは空中に表示された映像を眺めていた。視覚以外の感覚を全て放棄してしまったみたいに、そこに映し出されるエーテルの動きに集中していた。魂が身体を飛び出し、大気圏を越え、その遥か上空から大気とエーテルの流れを見守っているようだった。しかし、勢いよくドアを開ける音と威勢の良い大声がファスランの集中を途切れさせた。


「ようファス! 週末の天気はどうだ? 目を付けてた女の子とデートなんだ。海岸通りでドライブ!」


 勢いよく研究室に入って来たのは、同研究所所属のヘンデルだ。色黒で、少し長めの金髪にパーマをかけている、チャラ男だ。ファスランと同じように、白衣を着ている。ヘンデルは、自然物から出るエーテルの分析をするのが仕事だ。ヘンデルの研究室はファスランの大気エーテル測定室の隣りにあるが、よく仕事をサボってはファスランにちょっかいをかけにくる。


「週末の海岸通りの降水確率は90パーセント。1時間に30ミリのバケツをひっくり返したような大雨が降るでしょう。とてもドライブはオススメ出来ないね。映画でも観に行ったらどうだい」


「あーマジかよ!」


 ヘンデルは頭を垂れてパーマのかかった髪の毛を両手でぐしゃぐしゃにかき乱すと、ファスランのデスクの上に座った。


「っていうか、入る時はノックしてくれっていつも言ってるだろ」


 そう言ったファスランは、ヘンデルが入ってきてからまだ一度もモニターから目を離していない。


「なんで平日はこんなに晴れてんのに、週末に限って雨なんだよ! おいファス、お前まさか極秘に開発した天気を自由自在に操れる装置で俺に嫌がらせしてんじゃないだろうな?」


「そんな装置作れたら神様にだってなれるね。洪水を起こして文明をリセットさせる」


「ちくしょー! ってかお前、まだ仕事してんの?」


 ヘンデルは、ファスランが熱心に眺めているモニターを覗いた。そこには、衛星から見た、エリア69が存在していた乾燥地帯の大気エーテル衛星映像が映し出されている。


「仕事とは別さ。ちょっと気になることがあってね」


「お前も好きだねぇ……ん、ここだけエーテル値が異様に高いな」


 ヘンデルはエリア69のポイントを指差した。


「そう、自然界ではまず観測出来ない数値だ」


「あー……でもこの日付は、エリア69が崩壊した日じゃねぇか。これはコダマがエリア69を破壊した時に放出したエーテルだぜ。なんも問題ないんじゃね」


 映像の日付は、あのエリア69にラオム・アルプトが現れた日だ。


「いや、気になるのはエーテル値じゃなくて、エーテルの波形なんだ。これがその時発生したエーテルの波形を分析したものなんだけど……」


 ファスランは、エーテルの波形を表示した映像に切り替える。


「どうだい? こんな波形見たことないだろう?」


 ヘンデルは数秒、黙って波形のグラフを見つめる。


「まぁなぁ……コダマ達のじゃねぇの?」


「コダマのエーテルは、自然物のエーテルと波形が一緒なんだ。これは明らかに、違う」


「照合はしたのか?」


「したよ。でも、どの物質のエーテルの波形とも合致しなかった。おかしいと思わないかい? 」


 ヘンデルはため息をついた。ファスランがまた変な事に興味を持ち始めた。これは、よろしくない兆候だ。


「また始まったよ。それお前の悪いクセだぞ。いいか——」


「僕は思うんだ、これはほぼ感情論になってしまうけど」


 ファスランは突然、ヘンデルの目の前に人差し指を突き出した。


「イシガミ博士は、あんな失敗をしたりしない」


 ヘンデルは、ファスランの突き立てた人差し指にデコピンをかまして、両手を自分の後頭部に回した。


「まぁ確かにあのコダマちゃん達は虫も殺しそうにない可愛い顔してっけど、女ってのは分かんねぇもんだぞ。ああいうのに限って凶暴だったりするんだぜ?」


 その考察は的を得ている。


「いや、リスク的にはホプキンス博士が開発していたゼーラフの方がよっぽど高い。僕が独自にシュミレートしたところ、暴走確率は80パーセントだ。それを恐れて、イシガミ博士は自立制御可能なコダマを開発したんだから」


「で、結論は?」


 ヘンデルは両手の手のひらを上に向けて言った。ファスランは再び空中に表示された映像を再び見つめた。


「まだ分からない。でも、あれはただのコダマの暴走ではないと思う。あの時、僕たちが窺い知れない何かが起こっていたのかもしれない」


 ファスランは、得体の知れないエーテルの波形をじっと眺めていた。まるで、そのエーテルの波形に取り憑かれているみたいに



 その様子を見て、ヘンデルは、恋人が大切にしているコーヒーカップを割ってしまった時のように、困った顔をして後頭部を掻いた。ファスランと付き合いの長いヘンデルの第六感が警鐘を鳴らした。




 こいつの感って当たるんだよなぁ。



 主に、悪い方に。




 ヘンデルはため息をついて、ディスプレイのスイッチを切った。


「あ、何するんだよ」


「こらぁ仕事は終わりだ! 飲み行くぞ、飲みぃ!」


「僕はまだ調べることが……いててて」



 ヘンデルはファスランの腕を引っ張り、無理矢理研究室から連れ出した。



 2人は白衣姿のまま、夜の街に繰り出していった。



 

 

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